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泥沼になんか、はまりたくないのに

 放課後、須藤(すどう)桔花(きっか)は高校の中庭のベンチに座り、花壇を眺めていた。


 秋も深まり、夏花壇を埋めていた草花はほとんど姿を消している。冷えた風が吹くたび、植え替え前の土がさらさらと表面を流れた。


 桔花の視線の先には花壇の手入れをする園芸部員……その部長である藍葉(あいば)遥(はるか)と、桔花の双子の妹である蓮乃(はすの)が並んでしゃがみこんでいた。



「部長、ちゃんと抑えててください。土がこぼれてます」


「やってるっつの。少しくらいいいだろ」


「よくないです。私の靴にかかってるじゃないですか」


「須藤の靴、元から泥だらけじゃねえか」


「……そんなんだからモテないんです」


「う、うるせえなあ……」



 文句ばかり言っている蓮乃だが、言葉とは裏腹に柔らかな笑顔を遥へ向けていた。



「こっち側を支えるといいですよ。根が広がりにくくなります」



 蓮乃が遥の持つ苗に手を添えた。


 冷たい風に前髪を揺らしながら、蓮乃は何度も遥の方へ顔を向けている。


 桔花は無意識に唇を噛んだ。


 蓮乃が笑うたび、自分まで嬉しくなる。


 それなのに、少しだけ目を逸らしたくなる。



 手元の予定表に視線を落としたが、文字がうまく頭に入ってこなかった。



「副部長、こないだ注文した苗、いつ届く?」



 他の部員に話しかけられた桔花は、ゆっくりと顔を上げた。



「来週の……詳しい日時は確認します」


「いや、今週来ないのがわかれば大丈夫。明日明後日用事があるから……」



 桔花は先輩部員の休みの予定を聞き、ベンチに置いてあった予定表に追記した。



「休むんなら、同じ担当の連中には言っとけよ」


 いつの間にか、遥が桔花の隣に立っていた。


 遥からは乾いた土の匂いがふわりと漂う。



「はいよー」


「あと水やり当番代わってもらうなら、ちゃんと礼言えよ」


「へいへい、ママ」


「誰がママだよ」


 先輩部員が去って行き、遥が桔花の隣に腰を下ろした。遥の爪は短く切りそろえられていて、土で黒く汚れている。



「部長、苗の手入れは?」



 桔花が花壇を見ると、蓮乃は他の部員と作業を続けていた。



「須藤に任せた。あいつなら、俺がいなくても大丈夫だろ。そっちはどう? 今年度の部費、あとどれくらい残ってんの」



 遥が桔花の手元を覗き込む。


 桔花はのけぞらないように気を付けつつ、慎重に外側にずれた。


 ベンチの端に寄っても、肩一つ分ほどしか距離は空かない。



「あと五分の一もないくらいです。でも冬の花壇の苗と肥料は注文済みですし、器具も夏に買い直してありますから、問題ないかと」


「そう。俺の見立てどおりだ」


「……なにが、ですか?」



 今年度の部費の計上は副部長兼会計担当の桔花がほぼ一人でやっていた。


 もちろん最終的な承認は部長と顧問がするけれど、いったい何が遥の見立てどおりだというのか。


 桔花が顔を上げると、すぐそばで満面の笑みを向ける遥と目が合った。



「俺は細かい計算苦手だしさ」


「知ってますけど」


「会計は桔花に任せておけば間違いなし。そう思ってたから」



 遥は「な」と言って立ち上がると、花壇の方へ戻っていった。


 踏みしめられた落ち葉が、かさりと乾いた音を立てる。



「部長!」



 蓮乃が花壇の横で手を振っていた。



「んー?」


「枯れた花、全部抜きましたよー」


「須藤は作業が早いなあ」



 遥が笑って歩いていった。


 残された桔花は何も言えず、手で口元を覆う。


 指先が少し冷えていることに、そのとき初めて気付いた。



「……泥沼じゃん、ほんと」



 桔花の視線の先では蓮乃が戻ってきた遥に何か話しかけていた。


 その顔は、きっと今の自分とまったく同じ顔なのに、まったく違うんだろう。


 手元の予算台帳が滲んで見えた。

 

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