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遠い背中

 ある日、江里理人が知人――須藤藤乃の営む花屋に顔を出すと、その息子が眉間にシワを寄せて花束を作っていた。


 たくさんの花とその香りに囲まれているにしては、ずいぶん険しい表情だ。


 理人は、その手元の花に目を留めた。



「こんにちは、藤乃さんはいらっしゃいますか?」



 理人が声をかけると、藤也とその祖母にあたる桐子が顔を上げた。



「こんにちは、理人くん。今、藤乃はいないのよ」


「そうみたいですね。また出直します」



 理人は微笑んで藤也を見た。


 中学生の彼は不機嫌な顔で理人を見上げた。



「……こんにちは」


「藤也くん、なにかありましたか?」


「別に」



 藤也は眉間にしわを寄せて、そっぽを向いた。



「藤乃に叱られて不貞腐れているのよ」


「ばあちゃん!」



 藤也が声を上げたが、桐子は笑顔のままだった。


 理人は穏やかに微笑み、首を傾げた。



「藤乃さんも、そういう父親らしいことをするんですね」


「たまにね。今回は藤也がお母さんに失礼なことを言ったから」


「それは、藤乃さんは怒りますよ」


「うっさいな……」


「藤乃さんは許してくれましたか?」


「……うん」



 藤也は手元を見ながら、唸るように頷いた。



「それで、藤也くんは何をしているんですか?」


「……ばあちゃんに、ブーケの作り方教わってる」


「藤乃さんとは、また少しセンスが違いますね」


「ええ、そうなのよね。おもしろいわ」


「理人は、見てわかるの」


「わかりますよ。僕は藤乃さんのことが大好きですから」



 笑顔の理人に、藤也はムスッと黙り込んだ。


 手元の花はうまくまとまらず、ばらけかけていた。



「じゃあ、僕からの依頼です。今週の金曜日にまた来ますから、それまでに三千円で花束をお願いします。色は黄色とオレンジメインで。僕の妻の好きな色です」


「……俺が?」


「はい。藤也くんが。でも、もし形にならなければ藤也くんではなく藤乃さんにお願いします」



 藤也が真剣な表情になった。


 藤乃にそっくりで、理人はつい頬を緩めてしまう。



「理人くん、意外と意地悪ね」


「藤乃さんにも言われます。僕は藤乃さんのことが大好きですから、その息子である藤也くんにも期待しています」



 もし、失敗したなら、それで藤乃の背中を見直してほしい。


 どうであれ、理人は結果が楽しみだった。


 理人は微笑み、去っていった。



 残された藤也は指先に力が入り、花の茎がわずかに軋んだ。


 桐子に睨まれ、慌ててばらけた花を集め直したが、どれを合わせても、どこかが浮いて見えた。


***


 金曜日の夜。


 理人が花屋に向かうと、藤乃が店先で片付けをしていた。



「こんばんは、藤乃さん。注文の品を取りに来ました」


「いらっしゃい。藤也が頑張ってたよ」



 理人が藤乃の向こうをのぞくと、店内で藤也が掃除をしていた。



「頑張ってたけど、理人から見て三千円の価値がなければ、買わなくていい」


「藤乃さんは相変わらず優しくないですね」


「俺が優しかったことなんてないよ」


「よく言いますね。まあ、だから僕は藤乃さんが好きなんですけど」



 理人は肩をすくめて店に入った。


 藤也が顔を上げ、理人と藤乃を見比べた。



「……いらっしゃいませ。お待ちしてました」


「注文の品を取りに来ました」


「こちらです」



 藤也は緊張の面持ちで理人に花束を差し出した。


 藤乃は黙って片付けを続けている。


 受け取った理人は花束を見回し、目を細めた。


 一本だけ、雰囲気の違う花が混ざっているのに気づいて、顔を上げたが、藤乃は背中を向けていた。



「ありがとうございます。きっと、妻も喜びます」



 藤也は息を吐き、花束を袋に入れた。指先はあかぎれと切り傷だらけだった。


 理人から代金を受け取り、袋を差し出す。



「ありがとうございました。……またのご利用をお待ちしております」


「ふふ、藤乃さんもうかうかしていられませんね」


「だってさ、よかったね」



 藤也は口を引き結んだ。


 だが、次の瞬間には頬の力が抜けていた。



「ふん、親父なんかすぐに隠居させてやる」


「そりゃ楽しみだ。理人、ありがとね」


「こちらこそ」



 理人は同じように手を振る藤乃と藤也に会釈し、店を出た。


 少し歩いて振り返ると、藤也が藤乃に何かを言い、藤乃は笑顔で応じていた。


 藤也が店を継ぐのはいつにるのか、それはまだ誰にもわからない。


 夜気の中で、理人の手の中の花が強く香った。


 理人は花束を抱え直して家に向かった。

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