我が家に早めの桜前線
「今年の桜前線は例年よりもゆっくりと北上しており……これは巨大な寒気が北海道付近を中心に居座っていることが原因でして……」
藤乃がトラックに乗り込みラジオをかけると、助手席に座る息子の藤也が首をかしげた。
「おとうさん、桜前線ってなあに?」
「桜の花がどの地域で、いつ咲くかっていう……線、って言ってわかる?」
「わかんない!」
「だよね」
藤乃はアクセルを踏みながら、バックミラー越しに、藤也の顔をちらりと見た。
藤也はあくびをしながら、空が白んでいくのを眺めている。
やがてトラックは花市場の駐車場に止まった。
藤乃は荷台から台車を出し、藤也と共に花の仕入れに向かった。
ミモザ、フリージア、ストック、桃の枝。
桜の枝もたくさん出回っていた。
「藤乃ちゃん、ケイオウザクラどう?」
「いただきます。枝ぶりが見事ですね」
「だろ? 藤也ちゃんにも一本おまけしてあげるよ」
そう差し出された桜の枝に、藤也は目を丸くした。
「ありがとうございます。藤也、ちゃんとお礼言って」
「あ、ありがとございます!」
藤也はおそるおそる枝の根元を受け取った。淡いピンクの桜はまだほとんどがつぼみで、指先に触れた枝は、朝の冷たさをまだ残していた。
「桜前線?」
「そうだね。この桜が咲くころに、きっと桜前線もうちの方まで来るよ」
その後、藤乃は数種類の桜の枝を仕入れ、トラックへ運んだ。
最後に馴染みの農家に顔を出した。
「瑞希、おはよう」
「よう、藤乃。今日は藤也も一緒か。幼稚園は?」
「今日は休みだから、おとうさんのてつだいきた。えらい?」
「えらいえらい。それは?」
瑞希に頭をぐりぐりと撫でられ、藤也はにこやかに桜の枝を差し出した。
「さっきもらった。桜前線」
「なんだ、難しい言葉知ってるなあ」
笑う瑞希に、藤也は満足そうに藤乃を見た。
「おとうさん、花菜ちゃんにも桜前線あげる」
「あとで枝を落としたら取っておこうか」
「なら、あとで納品のときに花菜も連れて行くよ。んで、藤乃はなんか持っていく?」
「チューリップと菜の花ちょうだい。やっぱりチューリップは、瑞希が育てたやつが一番いいから」
「褒めてもまけねえけどな」
藤乃は小さく笑った。藤也が瑞希の手を引いた。
「ぼく、ばんごはん菜の花がいい」
「花が咲いちまったやつは苦くて食えねえよ。スーパー行きな」
瑞希はからからと笑って、チューリップと菜の花を藤乃に渡した。
藤乃と藤也はトラックへと戻った。
***
夕方。
藤乃が花屋で桜の枝を使ってアレンジメントを作っていると、裏口が叩かれた。
藤乃の隣でみかんを食べていた藤也が、椅子から飛び降りて扉を開けた。
「花菜ちゃん! 瑞希は?」
「パパは、だいしゃ、おしてる」
藤也は扉から外を見て、思い出したように店内へと戻った。
カウンターに置いてあった枝を持って花菜の元に向かった。
「桜前線あげるね」
藤也はにこにこしながら、桜の枝を花菜に差し出した。
それと同時に瑞希が花を積んだ台車を裏口へ運び込んだ。
「花菜、礼は言ったか?」
「いまいう。とうやくん、ありがと」
「いいよ、桜前線だから」
首をかしげる花菜に、藤也が桜前線の説明を始めた。そしてもう一本の桜の枝を取り出し、花菜に差し出した。
「ゆずきにもあげるね」
「ありがと。パパ、ゆずきにももらった」
「こんなにもらっていいのか? 商品じゃねえの?」
花を運び終えた瑞希が首を傾げた。
藤乃はバケツに水を張りながら、「大丈夫だよ」と答えた。
「親父が午前中に神社に剪定に行っててさ。そこで落としてきた枝だから、気にしなくていいよ」
「そうか。花菜、よかったな」
「うん! かなのところに、さくらぜんせん、きた」
その言葉に、藤乃は一瞬だけ目を細めた。
藤也と花菜が桜の枝を抱えてにこにこしている姿を、藤乃と瑞希も笑って見守っていた。
予報より早く、桜前線が訪れていた気がした。
——届くのは、花だけじゃないのかもしれない。
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