君に雪を踏む音を聞かせたいと思った
二月も終わりの寒い日、藤乃は花を抱えて店の裏口に向かっていた。薄く積もった雪に足跡が残っている。
藤乃が裏口の前で立ち止まり、かじかんだ手で花をかかえなおすと扉が開いた。
「おかえりなさい、寒かったでしょう」
笑顔で出迎えた花音に藤乃は目を丸くした。
「ただいま。よく帰ってきたってわかったね」
「わかるよ、この子が教えてくれたから」
花音が膨らんだお腹をさすってから手を伸ばしたが、藤乃は花を渡さなかった。
「座ってて。寒いし、お腹にさわるといけないから」
「それくらい大丈夫なのに」
花音は不満そうに言ってから、藤乃の頭に乗った雪を払った。
彼女が裏口から外を見ると、しんしんと雪が降り続いている。
「寒いし、足を滑らせたら大変だよ」
「心配性だなあ」
そう言いながらも、言われたとおりに花音は座った。
せめてもの抵抗で彼女は足元のストーブを藤乃の方に向けたけど、すぐに花音の方へと戻される。
「今日の売れ行きはいまいちだな」
「この天気だしねえ」
藤乃は店内のカウンターに置かれたパソコンを見た。
それから花の葉をむしり、バケツに水を張ってつけていく。
カウンター内に並べられた注文書を見て、店内の花を選んでいった。
その間も天気は変わらず、激しくはならないが止みもせずに雪は静かに降り注いでいた。
「そういえば」
ふと藤乃が顔を上げた。
彼の手元には花が詰まったカゴがいくつかできていた。
「さっき、『この子が教えてくれた』って言ってたけど」
「ああ、うん」
カレンダーをめくっていた花音が笑って顔を上げた。
「藤乃さんが帰ってくると、胎動が激しくなるんだよね。たぶんお父さんの足音に気づいてるんじゃないかな」
「いつも?」
「わりといつも」
「触っていい?」
「もちろん」
藤乃は手をのばして、そっと花音の腹に触れた。
その瞬間に見て分かるくらいに腹が揺れた。
「元気だな」
「お父さんのこと、好きみたい。他の人だと、ここまで反応しないし。あ、瑞希が来たときも少し動くよ。ちょっとだけだけど」
「そうなんだ」
藤乃はしばらく花音の腹を撫でてから、仕事に戻った。
注文書に書かれた品をすべて作り終えてから、店先の掃除に向かう。
溶けかけの雪を掃き出して、雨除けのビニールの屋根から雪を落とした。
店の前に溜まった雪を掃いていたら花音がやってきた。
「寒いんだから、中にいてよ」
「この子が聞きたいかと思って」
「なにを?」
「雪の音」
「枕草子みたいなことを言う」
「あれは霜柱を踏む音じゃない?」
「じゃあ、雪でも踏もうか」
さくさく、ざくざく、藤乃が雪を踏んで歩くと花音が笑った。
「動かないな。寝ちゃったのかも」
「じゃあその間に掃除を終わらせよう。雪も霜柱も出てきてから一緒に踏めばいい」
花音がカウンター内に戻るのを見届けてから、藤乃はまた掃除を再開した。
空には厚い雲がかかっていて、まだしばらく雪は止まなそうだ。
掃除道具を片付けて藤乃が店内に戻ると、花音がカレンダーに三月の予定を書き込んでいた。
藤乃は手を伸ばして、もう何枚かカレンダーをめくる。
息子に会えるまで、あと四か月だ。
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