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09【討伐の刻】

 静香が潜む漁師小屋を、侍の一群が遠巻きに囲んでいた。

 その先頭に立つのは、大柄な武士 -大畑万之助だ。

 腕を組み、じっと見据えている。


 よく見ると、肩には羽織を掛け、その下には白無垢の小袖。

 動きやすいよう白き短袴(たんばかま)をまとい、タスキで衣を締め、鉢金(はちがね)を仕込んだ額当(ひたいあて)てを付けている。


 それは、決死の覚悟の証。

 すなわち、——死装束。


 大畑は一歩前に進み、怒号を上げた。


「静香よ、聞いておるか! 父じゃ!

 親子の間柄とはいえ、亡き殿への忠義のため、お前を成敗する!」


 そう慟哭すると、腰の刀を引き抜いた。

 取り巻く侍たちも、それを合図に一斉に刀を抜き、場の空気が一気に張り詰める。


 一刻の静寂の後、漁師小屋の戸が、ゆっくりと開いた。

 そこに立っていたのは、若侍姿の静香。


「ととさま……」


 消え入るような震えた声。

 だが、その瞳には確かな決意が宿っていた。


「静は……静は、源一郎さまと夫婦になりまする。

 もし邪魔をなさるのであれば——ととさまなれど、ただでは済ませませぬ」


 そう言うと、腰に帯びた小太刀・水心子正秀(すいしんしまさひで)を、迷いなく抜き放つ。


「不憫な娘よ……」


 大畑は低く呟くと、すでに刀を構えていた。


「ならば、今、父の刃で源一郎のもとへ送ってやる」


 その言葉が、戦いの合図となった。


「——(えい)!!」


 大畑は一気に間を詰める。

 正眼から大きく振りかぶり、強烈な斬撃を繰り出した。


 しかし——


 静香の身体がふっと沈み、重さが消えたかのように後方へ倒れ込む。

 大畑の刃は、わずか数寸のところを空しく斬り裂いた。


 そのままの勢いで後方に回転する。

「……ッ!」


 次の瞬間、大畑の右腕が鮮やかに切り裂かれた。


 ぽとり。


 何かが落ちる音がした。


 一拍遅れて、悲鳴が響き渡る。

 大畑の右腕が、地に転がっていた。


 静寂。


 血しぶきの中、静香は静かに口を開く。


「源一郎さま……」


 その声は、桃源郷に居るかの如く陶然(とうぜん)たる面持ち。


「静と源一郎さまとの契りを邪魔する者が、大勢おります。

 静は、静は……邪魔する者を許しませぬ。

 たとえ死体の山を築こうとも、貴方さまの元へ参りまする」


 その言葉を境に、静香の表情が変わる。


 悲しげな顔は、次第に歪み、殺気漂う悪鬼の相へと変わった。


 どんっ……!


 黒い瘴気が、静香の身体から噴き出す。

 それはまるで生き物のように渦を巻き、辺りを漆黒に染めていく。


 彼女の身体が、一回りほど膨れ上がった。

 裂けた衣服の隙間から覗く肌は、もはや人のものではない。


 それでも、まとわりつく衣だけが、静香の面影を(かす)かに残していた。


 侍たちは、その異様な変貌を前に、ただ立ち尽くす。

 誰一人、斬りかかることすらできない。


 皆が思った。


(……これは……人ではない……!  鬼!!)


 静香が一歩進めば、一歩下がる。

 呑まれている。


 その時、

「お前ら、下がりな」


 静かな声が響く。

 その声の主は、そう彩雲。

 隣には、眠たそうな顔をした禿が立っていた。


「もうアンタたちの領分じゃないね」

 彩雲は、ゆっくりと侍たちを見回す。


「アタシがやるよ。見てな」


 その言葉に、侍たちは安堵したように後ろへ下がった。


 彩雲は、静香を見つめる。

 その瞳には、悲しみが(にじ)んでいた。


「静香……辛かったね、苦しかったね」


 まるで子供を諭すように、優しく語りかける。


「でもね、アンタはここにいちゃいけないんだよ。

 この世は《(ことわり)》で成り立ってるんだよ。

 そこから踏み外したら もう、生きるべき場所はないんだよ。

 ……分かるね?」


 静香の表情が、一瞬、揺らいだ。


 次の瞬間、


「あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ!!!」


 耳をつんざく叫びとともに、さらなる瘴気が噴き出す。


 悪臭を放つ黒い霧が渦巻き、彩雲はそれを見据えて呟く。


「正体を表したね……アンタが本体かい」


 まるで見透かされたかのような言葉。

 静香は鬼の形相で唸り声を上げ跳躍した。


 狙いは、彩雲。


 鋭い切っ先が、閃く。


 だが、彩雲は一寸の狂いもなく見切る。


「一気に進んだね……禿!」


 鋭く言い放ち、左腕を突き出す。


 禿は懐から、袋に包まれた刀を取り出した。

 彩雲がそれを受け取ると、ゆっくり頭上で引き抜く。


 刀身は長く、ゆるやかな反りが優美な曲線を描いている。

 まるで天空を翔ける鷹の翼を思わせる。


 刃文には小乱(こみだれ)の中に規則的な美しさがあり、細かな丁子(ちょうじ)が舞う。


 銘は古備前の刀匠が鍛えし鋼《包平》、太刀に分けられる大刀だ。


 凛とした姿は、静かに佇んでいるだけで、圧倒的な存在感を放っている。


 抜かれた刀身から吹雪のような冷気が襲い、辺りの気温が途端に下がる。

 初春の陽気が厳冬の如くに……


 氷の霧が辺り一面にゆっくりと舞っている。


 (よこしま)を封じる氷の女王……


 その圧倒的な姿を見た瞬間、静香は涙を流す。


 そして(こぼ)れた。


 否。


 それは涙ではない——


 血だ。


 黒よりも黒い瘴気が噴き出し、

 血の涙を流しながら咆哮し、それが嵐を起こす。


「愛しい源一郎の元へ追いき!!」


 その声を聞くや否や一気に跳躍し、彩雲に狙いを定め飛びかかる。

 手には水心子正秀。



 自分に向かう刃の腹を、包平で横一線に切り払おうとした。

 その瞬間、感の虫が走った。


 切り払いを止め、左上方へすり上げてかわす。


 ギィンッ!!!


 交差する刃。


 互いの視線は、一瞬たりとも外れない。


 睨み合う、二人。


(危ない、危ない……!)


 横から叩き割ろうとしたが、異様な腕力と鋼の粘りが相まっていた。


(感の虫が来なかったら……こっちの方が折られていても おかしくなかったね……)


 片手で持っていた包平を、両手で正眼に持ち直す。


 ——本気だ。


 瞬きするほどの間に、再び静寂が満ちる。


「静香来な!引導を渡すよ!!!」


 その声が、再度の闘いを呼ぶ。


 静香、飛ぶ。

 刃が迫る。

 だが彩雲は、一歩引き、右へ躱す。


 そして、

 脇の下から腰に向けて一閃。


 静香の身体が、真っ二つに裂かれた。


「——ッ!!!」


 断末魔とともに、黒く邪悪な光が溢れ出す。

 何かが、渦を巻きながら、天へと昇っていく。


 侍たちは、その光景を遠巻きに見つめた。


 誰もが、ただ背筋を凍らせる。


 冷え切った空気が、時を支配する。


 永遠のようで、一瞬のような刻。


 それを見ていた源二郎が、やっとのことで声を発する。


「彩雲殿……あれは、いったい……?」


 震えていた。


 彩雲は、ゆっくりと息を吐く。


「……ああ、たまにあるのさ、心の隙間を見つけて、入り込む奴が。

 《魔》とでも、言うのかね」


 静香が源一郎の死を知ったとき、

 それが、始まりだったのだろう。


 それほどまでに愛していたのだ。


 ふと、足元に禿が近づいていた。

 目には涙が滲んでいる。


「……さっきの感の虫、お前が飛ばしてくれたのかい」

 彩雲は、そっと禿を抱きしめる。

「助かったよ……ありがとう」

 ゆっくりと、抱えあげた。


 天へと登る瘴気の筋は、やがて消えていった。


 地面に横たわる静香の身体は、いつの間にか

 元の人の姿へと戻っていた。


 今は、ただの物言わぬ肉塊。

 だが、その表情は——


 どこか優しく、慈愛に満ちていた。


 まるで、幸せそうに微笑んでいるかのように。


 彩雲は、横たわる静香の顔に手をやり、そっと目を閉じさせる。

「……大好きな源一郎さまと、仲良く暮らしな」


 そう呟いた彩雲の表情は、どこか穏やかで、静かに微笑んでいた。

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