幕間② 好きになった日
そこにいたのは、濃紺の髪色が美しい少女だった。彼女は手のひらから水をピュンピュン出している。少女の姿を見て、彼らは動揺したように口を開く。
「あ、あなたは……っ! なぜ!」
「頭に血が昇ってるみたいだったから、冷やした方がいいと思ったの。ダメだったかしら?」
彼女は微笑んで、首を傾げる。微笑んでいるが、彼女の目の奥は笑っていなかった。
彼女は一体誰なのだろうか。孤児院の中でも一番力の強い彼らにそんなことをしたら、やり返されてしまうに決まってるのに……。
案の定、彼らは怒り浸透といった表情で舌打ちをした。
「お前ら、やってやるぞ!」
「え、でも……」
「問題になるんじゃ」
「関係ねーよ! 力づくで黙らせればいいんだから! ほら!」
彼らは腕を振り上げながら走り始めるが、少女は彼らの目に向けて水をかけまくった。彼らは水によって視界不良に陥り、少女の場所が分からないようだった。
適当に腕を振り回す彼らを見て、少女はクスクスと笑う。
「おい、舐めた真似して……っ、なんだ、熱い?!」
「おい、ケツが……!」
彼らは突然お尻に手を当てた。彼らのお尻には火がついており、服がどんどん焼け落ちていく。
「あなたたちのズボンの生地を燃やすように魔法をかけたの。安心して、皮膚は対象外にしてあるから火傷の心配はないわ!」
「け、けつが! ま、丸見えに?!」
「あはは、大丈夫よ。恥ずかしいだけよ〜」
「うわぁぁぁぁぁあ」
彼らはお尻を押さえて、この場から走り去って行ってしまった。少女は彼らの後ろ姿を見送ると、くるりとこちらを振り向いた。
「ねえ、あなたたち大丈夫?」
「え、あの」
「その様子だと何回も殴られてるでしょう? いつも彼らに? 先生は把握しているのかしら?」
俺たちよりも年下のように見える彼女は、俺たちよりもずっとしっかりした口調で質問を重ねた。
俺たちは「初めて助けられた」という事実に呆然とすることしかできない。
そうしているうちに、騒ぎを聞きつけた先生が慌てた様子でやって来た。
「こ、この状況は一体……」
先生は少女の姿に汗を垂らす。そんな先生に向かって少女は鋭い一瞥を投げかけた。
「先生。これは一体どういうことなのか、お話ししましょう?」
「は、はい……」
その後、孤児院の経営に問題ありと判断された先生は、解雇されることとなったみたいだった。なんと俺たちを助けてくれた少女は公爵家の令嬢で、一介の教師を辞めさせるだけの力を持っていたのだ。
少女の名前は、リディア・ハミルトン。彼女は俺たちに「我が家に来ないか」と誘ってくれた。孤児院での暮らしに疲れていた俺たちは、すぐにその申し出を受け入れることにした。
「ようこそ、我が家へ! リーナ、ルーク!」
「お、お邪魔します……」
「ただいま、でいいのよ! これからはあなたたちの帰る家になるのだから!」
そう言われても、どうにも落ち着かない。彼女に連れてこられた公爵家の屋敷は、孤児院とは比べ物にならないほど大きくて綺麗だ。
俺みたいな人間がこんな綺麗な場所に足を踏み入れてもいいのか……。そんなことを考えていると。
「それじゃあ、二人ともお風呂に入ってきてね」
「お、おふろ?」
「その様子じゃ、あんまり水浴びすらさせてもらってないでしょう。水浴びして温かいお湯に浸かってきてちょうだいー」
彼女がそう言うと、すぐに侍女と執事が現れて俺たちを引きずって行った……お風呂場という場所へ。
初めて見るお風呂には、びっくりした。何人もの人間が体を洗うスペースに加えて、大量の水が張られた場所が目の前に現れたからだ。
「な、なんだここ……」
「お風呂でございます。まずは体を綺麗に洗っていただきます」
「は、はい」
執事に言われるがまま服を脱いで、体を洗う。そして、「お風呂」という場所に足を踏み入れる。
「あっつ」
最初は水の熱さに驚いた。しかし、徐々に熱さに慣れていき、お湯が意外と適温だということに気付き、そっと全身をお湯に沈めた。
「き、きもちいい……」
全身がほかほかと温まっていく感覚に、脱力する。緊張が和らいでいく感覚に、そっと目を瞑った。
ああ、なんて幸せなんだろう。自然とそんなことを思っていた。視界が涙でぼやける。
「幸せ」だなんて、これまでの人生で感じたことなかったのに。
俺とリーナがお風呂から上がると、リディア様がこちらに駆け寄ってきた。
「どうだった? 初めてのお風呂は!」
「えっと、すごかったです」
「初めての体験でした」
「そうでしょ! 私が開発したからね」
「「え?!」」
リーナと俺の声が重なる。目の前のこの少女が開発したって本当か? まだこんなに幼いのに?
「私ね、お風呂で世界中の人を幸せにするのが夢なの。だから、あなたたちが少しでも幸せを感じてくれたら嬉しいわ!」
そう言った彼女の笑顔が。
どこまでも無邪気で、真っ直ぐで、俺は目を離せなくなってしまった。
彼女との出会いに、胸の高鳴る音がする。それは、これから人生が変わっていくという予感の音でもあった。
彼女がお風呂で人を幸せにしたいと言うのなら、俺は彼女の笑顔を守りたい。
守れるくらい強くなりたいと、その時に思ったのだった。
それ以来、俺はリディア様の従者として日々鍛錬を続け……。
そして、現在。
リディア様は長年の夢を叶え、風呂カフェを開き、たくさんの人をお風呂で幸せにしている。
そして、俺はそんな彼女が夢を叶えて目を輝かせている姿を近くで見守ることができているんだ。
……確かに、俺のリディア様への恋が叶うことはないのかもしれない。
けれど、今、彼女は笑顔で暮らしていて、俺はその笑顔を一番近くで見守ることができる。
もしかしたら、俺にとってこれ以上の幸せってないのかもしれない。
少なくとも、孤児院で過ごしたあの地獄のような日々とは比べ物にならないほど、幸せなことは間違いない。
俺は口元を緩ませて、立ち上がった。
「よし。リディア様はいないけど、風呂カフェの営業、頑張るとするか!」
「ようやくやる気を出したな、愚弟め。それなら、早く風呂掃除してきて」
「はいはい。人遣いが荒い姉だな」
そんなこんなで今日も俺は風呂カフェの営業に邁進する。リディア様の笑顔と快適お風呂ライフを守るために。
お付き合いいただき、ありがとうございました〜!これにて6章は完結です。また皆さまとお会いできることを願っております。
現在、書籍1巻発売中&コミカライズ企画進行中です!こちらもぜひよろしくお願いします。




