第2試合 病室
目が覚めたとき、最初に感じたのは光だった。
白くて、やけに近い。
天井の蛍光灯だと気づくまでに、しばらくかかった。
体が重い。
頭の芯のほうに、鈍い膜が一枚張られているような感覚がある。
麻酔がまだ抜けきっていないのだと、後になって知った。
右手の指が、かすかに痺れている。
握ってみる。開いてみる。
感覚はある。
冷たいシーツの上で、指先がシーツの繊維をとらえているのがわかる。
ああ、大丈夫だ、と思った。
――なんだ、ちゃんとあるじゃないか。
安堵のようなものが、胸の中を通り過ぎていく。
事故に遭ったことは覚えている。
あの音も、体が浮いた感覚も。
それでも、こうして指が動くなら――
「雄介」
母さんの声がした。
目を動かすと、ベッドの脇に母と父が並んで立っていた。
母の目が赤い。父は何も言わず、俺を見下ろしている。
「右手、動くよ」
俺は言った。
声はかすれていて、自分のものとは思えなかった。
だが、伝えなければと思った。
動くんだ、と。
母が、ひゅっと息を呑む音がした。
父が先に目を逸らした。
俺は視線を、自分の右腕のほうに向けた。
布団の膨らみ方が、おかしい。
左腕の下には、いつも通りの長さの膨らみがある。
右側は、途中で終わっていた。
指の感覚は、まだそこにある。
動かせと言えば動く気がする。
だが布団をめくった先に、それを受け止めるものはない。
肘から先が、なかった。
母さんが声を殺して泣きだした。
声を殺そうとして、殺しきれずに漏れる泣き方だった。
「もう……卓球なんて、いいのよ。無理しなくていいの。ただ、生きててくれれば」
父さんが母さんの肩に手を置いた。
何も言わなかった。
言葉を持たない人だということは、前から知っていた。
俺は、感覚だけが残っている右手を、もう一度握ろうとした。
何もない場所で、指が――あるはずのない指が、かすかに動いた気がした。
それが幻肢というものだと知るのは、もう少し後になってからだ。
病室のドアが控えめにノックされた。
顔を出したのは主将の天堂大河と、副主将の大石修だった。
後ろに若松和奏もいる。事故の目撃者で、多分不安になってついてきたんだろう。
3人とも、部活帰りのジャージのままだった。
「すみません、雄介のお父さん、お母さん。……雄介」
天堂は部屋に入ってくると、両親に一礼して、ベッドの脇まで来た。
何を言うつもりなのか、俺には見当がつかなかった。
慰めの言葉なら、もう聞きたくなかった。
だが天堂は、スマホをこちらに向けた。
その眼は、慰めなんて、一糸もまとっていなかった。
「知ってるか。ポーランドの選手で、生まれつき片腕がない子が、パラリンピック、アテネから5連覇。それだけじゃなくて北京オリンピックにも出てる。健常者と同じ舞台で」
俺は画面を見た。
見知らぬ女子選手が、ラケットを構えている写真だった。
「……知らない」
「調べたら出てきた。お前に見せようと思って」
大石が続ける。
「天堂く――」
母さんの声を、父さんが、止めた。
「ポーランド代表・ナタリア・パルティカ選手(※1)。世界で唯一、パラリンピックとオリンピックの両方に出場した卓球選手。パラ五輪卓球ではアテネからシングルス5連覇、合計7個のメダルを受賞している」
母さんが何か言いかけて、やめた。
若松は、天堂の後ろで俯いたまま、何も言わなかった。
ただ、その目だけが、俺の右腕――なくなった場所を、見ないようにして、それでも何度も見てしまっているのがわかった。
俺は、もう一度、画面の中の選手を見た。
ラケットを持つ手は、片方しかなかった。
俺と同じサウスポー。
右手の肘にボールを置いて、トスを出している。
それ以外は、スマッシュもカットもドライブも、普通に世界レベルだ。
何かを言おうとして、言葉が出てこなかった。
まだ、何も決められる状態じゃなかった。
「すまん、天堂、大石、若松……俺にも、整理できていない。考えさせてくれ」
「わかった。ただ、この選手がいるということだけは、知っておいてくれ。お父さん、お母さん、すみませんでした」
天堂が父さんと母さんに頭を下げ、病室を後にした。
握れない左手の拳が、脳の中で誤認したのか、握れた。
※1 実在の卓球選手。アテネからリオまでのパラ卓球でシングルス4連覇、2016年パラ・リオ団体金。2016年のリオ大会では健常者に混じり女子卓球団体に参加、日本に一回戦で敗れたが話題になった選手。2021東京五輪にも出場している。




