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R15 終末世界で、執事は僕を調律する。~人外執事×傲慢坊ちゃま~  作者: 島田まかろん三世
第一章 北海道

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群衆

 僕たちは、囲まれていた。

 人に。


 ◇


 そこは、僕もよく知っている場所だった。


 札幌駅から大通おおどおり公園までを繋ぐ、広大で近代的な地下歩行空間。

 通称――チ・カ・ホだ。


 高校生の頃。

 冬の刺すような空気を避けて、コートの襟を立てた制服の群れの中心で、何度も歩いた場所だ。

 ガラス張りの店、白い床、天井から降り注ぐ均一な光。


 だが。


 一歩、足を踏み入れた瞬間、空気が違った。


 息を吸う。

 肺の奥に、ざらついた何かが貼りつく。

 湿っていて、澱んでいる。


 僕は、羽織っていた薄手のパーカーのファスナーを上げた。


 天井の照明は半分が消え、残りは壊れた心臓のように明滅している。

 壁一面には、青く脈打つ菌糸。

 柱には、内部から膨張したような結晶体が食い込み、空間そのものを歪めていた。


「ここを、行くのか?」


 僕は、前を歩く久世に訊いた。


「はい」


「外の方が、安全なんじゃないのか?」


「いいえ」


 短く答えて、進む久世。


 僕は、立ち止まった。

 その気配に気づいたのか、久世も足を止め、僕を振り返った。


 久世はにっこり笑って、僕に手を差し伸べた。


「怖いのでしたら、手を繋ぎましょうか。坊ちゃま」


 苛立たしい。

 ずっと僕を子ども扱いだ。

 久世を叱ってやろうか、とも思ったが。


 ――まあ、いい。こんなことで、声を荒げる僕ではない。


 僕は、久世の横を通り過ぎ、前を歩いた。


 暫くして、コンビニの前に、スチール製の台車がいくつも並べられているのが、目に入った。商品運搬用のものだろう。それが今は、即席のバリケードのように積み上げられている。


 檻だ、と僕は思った。


 格子の向こうに、人がいる。数人。

 床に座り込み、壁に背を預け、互いの体温を確かめるように身を寄せ合っている。


 その中の一人と、目が合った。


「おい、あんた!!」


 僕の肩が跳ねた。

 そんな呼ばれ方をされた記憶が、ない。僕の22年の人生で、一度たりともだ。


 いったいあの男は、誰に向かって口を利いているのだ。


「僕は――!!」


 言いかけた言葉は、形になる前に止まった。

 久世が、静かに一歩前に出たからだ。


「坊ちゃま。今は――」


 久世の声は低く、短い――制止だった。


 バリケードの向こうからは、声が重なった。


「なんだよ救助じゃないのかよ」

「外って今どうなっているの?」

「スマホ、全然繋がらない!」


 視線が、こちらを刺す。

 不安、苛立、縋るような目。


 久世は、それらを見なかった。

 迷いのない足取りで、台車の隙間を抜け、コンビニの中へ踏み込む。


「おい! 勝手に入るな!」


 誰かが声を荒らげたが、それだけだった。


 理由は分からない。

 ただ、その男の声に続く者はいなかった。


 久世は、電源の落ちた冷蔵庫の扉を開けた。

 中に残っていたミネラルウォーター。

 ゼリー飲料。

 クッキー。チョコレート。米。


 無造作に、ここに来る途中で拾った誰かのバックパックへと、放り込んでいく。


「久世……」


 小さく呼んでみた。


「みんな、見てる」


「坊ちゃま……」


 手を止めず、久世は静かに言った。


「坊ちゃまは数時間前、食事もまともに用意できない者は、無能だ――と仰いました」


 胸の奥が、ひくりと痛んだ。

 確かに、似たようなことは言ったかもしれない。

 けれど、そんな言い方をした覚えは、ない。


 は!? ――まさか、僕のせいにする気か!?


 その時。


 誰かが、久世の肩を掴んだ。


「おいお前! 全部持っていく気か!? それは俺たちの食料だぞ!!」


 一斉に向けられる視線。


「こいつら、二人だけで独占する気だぞ!」

「ふざけるな!!」

「助けはいつ来るの!?」


 怒鳴り声、泣き声、罵声。

 意味を持たない音の塊と人の輪が、じりじりと僕たちを囲む。


 久世が、僕の前に出た。


 ――その時。


 群衆の向こうで、甲高い悲鳴が上がった。

 青い光が、薄闇の中で脈打つ。


「感染者だ!」


 叫び声と同時に、恐怖の矛先が変わる。


 さっきまで僕たちを罵っていた人々の顔が、一瞬で絶望に塗り潰された。

 逃げ場のない地下通路に、生身の人間が押し寄せる足音が、地鳴りのように轟く。


 久世が、僕の手首を掴んだ。

 人を押しのけ、隙間を縫い、僕の腕を引き寄せながら、強引に進んで行く。


 僕たちは、群衆を抜けた。


 背後で、何かが倒れる音。

 誰かの悲鳴が、別の誰かの怒号に潰される。


 僕は、振り返らなかった。

 聞こえてくる声は、言葉のはずなのに、僕の中では意味を結ばない。

 その音は、助けを求めているのか、罵っているのかさえも、もう分からなくなっていた。


 ただ、掴まれた手首の熱だけが、背後の地獄を曖昧に変えていた。

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