葦毛の馬
あれから何日経っただろう。
久世が、道端で草を食べている葦毛の馬を見つけた。鞍が付いている。突き刺さっているのではない。青い侵食も見えない。
久世は、馬に近づいて手綱を掴むと、まるで昔から知っている相棒のように、静かに声をかけた。
馬は耳を動かしただけで、暴れもしなかった。
それ以来、僕たちはその一頭に跨って、街を離れつつある。
馬の名前は僕が付けた。
いくつも候補を考えた。
「ノア」「バロン」「トワ」「ダイヤモンド・スカイ」――どれも、しっくりこなかった。
結局、「ポチ」にした。
「……センスを疑いますね」
久世の呆れた声を思い出して、今さら腹が立つ。
僕は乗馬が得意だ。
御子柴家の人間として、教養は叩き込まれている。
けれど、馬は一頭しか見つけられなかったし。
バックパックは、奪った――違うな。《《拾った》》食料で重い。
だから、僕が前に座り、久世の腕に包まれるような屈辱的な姿勢でいるのは、あくまで、合理的判断に基づいた、「仕方のないこと」なのだ。
これは、言い訳ではない。
◇
カポ、カポ、と蹄の音が、死に絶えたアスファルトに乾いた音を立てる。道路には無数の亀裂が走り、そこから、青とも紫ともつかない花が顔を出している。水溜まりで鉄バクテリアが、酸化した時のような色だ。油膜のように、見る角度で色が変わる。
「……久世。このまま、海まで行くのか?」
「ええ。函館を南に下り、青函トンネルを通りましょう」
「船の方が安全なんじゃないのか?」
「いいえ、坊ちゃま。船や飛行機が襲われ、海の中に引きずり込まれれば、《《こと》》はより厄介です」
僕の腰を支える久世の腕は、相変わらず平熱より少し高い。その熱が、吹き抜ける不気味な温さの潮風から、僕を守ってくれている。
「……久世」
「なんでしょう、坊ちゃま」
「……お前、疲れていないか? ずっと僕を支えて、手綱を握って……」
久世は答えなかった。
代わりに、腕に込める力が、ほんの僅かにきつくなって、僕を締め付けた。
「お珍しい。お加減でも悪いのですか?」
皮肉が過ぎる。
せっかく、気遣ってやったのに。
尻を置いている位置を変えるふりでもして、僕の肩で、その顎を小突いてやってもいいんだぞ。
いや、さすがにそれは、やり過ぎか。
それなら、文句の一つでも言ってやらねば。
けれど、視線の先に広がる光景が、僕の言葉を押し戻した。
道路の脇に、長距離バスが横倒しになっていた。窓からは、青い花が溢れ出し、まるで、乗客たちの最期を弔う、棺桶に詰められた飾りのように咲き乱れていた。
ポチが、不意に鼻を鳴らして足を止めた。
背中越しに、久世の呼吸が鋭く止まるのが分かった。
「……坊ちゃま。舌を噛まぬよう、しっかりと鞍を掴んでくださいませ」
僕は頷く。
久世が、ポチの腹を蹴った。
ぼこぼこのアスファルトを、ポチが狂ったように駆けて行く。背後からは、地面を叩くような轟音が追いかけてくる。
音はすぐ後ろに。
そして。
――ポチが嘶いた。
ポチの前足が天を突き、僕の視界が、垂直に跳ね上がる。
ドゴオォォォ――――ォォォオンッ!
耳の奥が潰れる。
衝撃が、空気そのものを殴りつけた。
目の前に、何かが突き出た。
柱――
そう思ったのは、一瞬だけだ。
黒い。
布のように、皺が走っている。
いや、布ではない。
こんな位置に、こんなたるみが、あるはずがない。
僕は、ゆっくりと視線を上げた。
首が折れるかと思うほどに。
それは、地面に対して不自然な角度で立っていた。
二本。
その間に、影。
影が、動く。
――立ち上がろうとしている?
それは、十数メートルはあるかと思われる、『スーツ姿』の――『人』?
けれど、あるはずの場所に、頭はない。
代わりに、首の名残のような場所から、青い蔦が何本も噴き出している。
絡まり、伸び、空を探る。
意思を持った血管のように蠢くそれは、触手のように。
僕の喉が、叫び声を上げる。
だが、叫びは形になる前に、巨人が発する不気味な「周波」に、掻き消された。




