問い
どれくらい、時間が経っただろう。
管理通路の冷たい空気で、僕の指先が痺れ始めた頃。
重ねた手の下で、久世の指が、ぴくりと跳ねた。
「……っ」
僕は息を呑み、反射的に手を引っ込めようとした。
けれどそれよりも早く、久世の手が、僕の手を包み込む。
指が絡んだ。
「……逃げないでください、怜央様」
掠れた声。
間近で見る久世の瞳は、黒くて丸くて――黒曜石みたいだ。
僕は思わず目を逸らした。
「起きていたのか? せこいな」
「……いえ。今、目が覚めたところです」
その声は、もういつもの久世に戻っていた。
「ふんっ。どうせ、嘘――」
言葉が終わらないうちに、僕はグッと腕を引かれた。
久世の胸に、頭が引き寄せられる。
僕は反射的に久世を見上げた。その瞳が、僕をじっと見下ろしている。
一瞬、怖いと思った。
それなのに久世は、何ごともなかったかのように立ち上がり、身なりを整え始める。僕の気持ちは、置いていかれたのだ。
「……久世。前から聞こうと思っていたんだが」
「なんでしょう?」
「お前時々僕を――『怜央様』って呼ぶよな」
僕の問いに、久世の手が止まった。
久世は、僕を見詰めて眉を上げ、その口元に、意地の悪い微笑みを浮かべた。
「……夢でも、ご覧になったのではないですか? 坊ちゃま」
くそっ。
はぐらかされた――!!
「僕の質問に、答えないつもりか?」
脅しのつもりで、僕は一番低い声を出した。
なのに久世は、気にも留めない様子で、バックパックを持ち上げ、背負った。
「さあ坊ちゃま。無駄話をしている時間はございません。先を急ぎますよ」
意識を無くして呑気に寝ていたのは、お前じゃないか。
「待て久世! 説明しろ!」
僕は久世に駆け寄り、その燕尾服の襟元を、力任せに両手で掴んだ。
訊きたいのは、僕をたまに名前で呼ぶこと――だけじゃない。
東京に向かう理由も、僕は聞いていない。
ほかにも、たくさんある。
「お前は、何を知っているんだ!? パパは? ママは? じぃじはどうなったんだよ――!?」
久世が、僕を見下ろす。
その瞳には、なんの感情も見えない。
「そのうち――と、言ったではありませんか」
こいつが答えないのは、分かっていた。
けれど。
「子ども扱いするな!! ちゃんと教えてくれれば……ちゃんと、飲み込める――!!」
叫びながら、僕は、涙ぐんでいた。
自分の無力さが、視界を滲ませていくのがたまらなく悔しい。
久世は両手で、僕の拳を包んだ。
僕の手は、襟元から引き剥がされた。
そして久世は、諭すような声で僕に言った。
「子どもなのですよ。……私の腕がなければ、一歩も歩けぬほどに」
僕は、言葉を失った。
どの口が言う。
「お前――さっき、気絶していたじゃないか! それを護っていたのは、僕だ!!」
「……ええ。そうですね、坊ちゃま」
それだけ言うと、久世は僕を無視するかのように歩き始めた。
その背中には、謝罪も感謝も微塵も感じられない。それが、僕の心臓を冷たく締め付ける。
「久世――!」
振り向かない。
さっきまで、僕の肩に乗っていたはずの。
僕が、追いかけるしかないと知っているのだ。
久世が、メンテナンス扉の重いレバーに手をかける。金属が悲鳴を上げ、その向こう側から湿った冷気と、「何か」――が、這いずる不気味な音が、こちらに流れ込んできた。




