ドッグタグ
「俺は、ケイレブ」
男がそう言って手を差し出してきて、握手する。
「私は、小野寺冬樹といいます。日本人です。残念ながら、アメフトは見ないので、2008年のスーパーボウルの勝者は分かりません」
俺が言うと、ケイレブと名乗ったその男は天を仰いだ。
「フットボールを見ないなんて、人生の80%を無駄にしてるぞ」
男が真顔で言った。
スーパーボウルの勝敗って、それほど重要なことなんだろうか?
「それで、向こうの世界はどうなってる? 相変わらず、ごちゃごちゃして、くそったれた世界か」
男が訊く。
「いえ、それよりもっと悪いです」
俺は、彼に宇宙人の事を話した。
ある日突然現れた宇宙人が、世界の主要都市上空を占拠して、都市を一つずつ破壊している今の状況を。
話しているあいだ、男は表情を変えず、黙って聞いていた。
「信じられない話だが、あんたが乗ってる『巨人』が活躍した噂からすると、嘘じゃないんだろうな」
「ええ、残念ながら」
「そうか……」
男はそう言って、カップを傾ける。
宇宙人とかいう話を聞いても落ち着いているのは、ここがドラゴンとかエルフとかがいる世界で、そんなことに慣れているのかもしれない。
「俺がここに連れて来られたのは、9年前のことだ。俺は、ここで9年暮らしている」
男は、遠くを見て言った。
「ここで商人として、まあまあ成功してるんだ。立派なもんだろ」
男の身なりはきっちりしてて金持ちそうだし、使用人も連れているし、9年間でそこまで上り詰めたのはすごいと思う。
この男には、まりながいない上に、俺みたいに翻訳装置で言葉も分からないんだから。
「あんたに見せたいものがあるんだが、その茶を飲んだら、ちょっとそこまでついてきてくれないか?」
男が訊く。
「可愛いボディーガードさん。大丈夫だ。あんたの主人には何にもしない」
まりなが口を開こうとするのを見て、先に男が言った。
俺が頷いて、まりなが引き下がる。
街道を逸れて、砂ばかりの荒涼とした風景の中を、馬車で一時間くらい走った。
俺達は切り立った岩に囲まれた窪地に連れて行かれる。
そこで馬車を降りた。
岩の間に隠すようにして、黒い布に覆われた長細い塊がある。
長さは20メートルくらいあるだろうか。
男が布に掛けていたロープを外して、布をめくり、中を見せる。
そこから見えたのは、ヘリコプターのキャノピーだった。
「俺が乗ってたアパッチだ。ソマリアで、これで飛んでるときに召喚された。気がついたらこっちの空を飛んでいて、ドラゴンと鉢合わせ、ヘルファイアで打ち落としたんだ。一瞬だけ、あんたのような英雄になったよ」
ゲームとか、映画で見た攻撃ヘリコプターがそこにあった。
群青色の機体の下に、機銃が付いているのが見える。
回転翼を畳んで、ここに隠してあったみたいだ。
「軍人さんなんですか?」
「ああ、アメリカ陸軍のパイロットだ」
男の体格が良くて強そうだったのは、そういうわけか。
「俺は城に招かれて召喚のこと説明された。9年前、俺もあんたみたいに戦士にされて、ドラゴンとも何回か戦ったよ。こいつでな」
男はそう言ってヘリコプターの側面を叩いた。
「ところが、ドラゴンは次から次へと湧いてくるし、こっちの燃料と弾には限りがある。さらには、ドラゴンとの戦闘だけじゃなく、隣国との戦争に駆り出されそうになった。それで、逃げたんだ」
俺の一八式は燃料の心配がないけど、攻撃ヘリコプターに補給する物資なんて、この世界には存在しないんだろう。
「ここにこいつを隠して、あとは必死にこっちの人間になりきった。ジリオン綱の鉱山で、奴隷みたいに働いたんだ。そこで言葉も覚えた。こんな地の果てだから、追っ手の目も届かず、なんとか暮らせた。そんなドン底からなんとか成り上がったってわけさ」
男はそう言って溜息を吐いた。
「これ、今でも飛べるんですか?」
「燃料が殆どないし、しばらく整備されてないから飛べるのかは分からない。ロケット弾は使い果たした。機銃の弾も少ない。ヘルファイアミサイルもあと一発だ。まあ、今となってはガラクタだな」
男がタイヤを蹴っ飛ばした。
「これ、復座ですけど、飛んでるときに召喚されたってことは」
「ああ、相棒も一緒に召喚された。相棒も一緒に逃げて、途中で別れた。今どこで何してるかは分からない。どうせ、女の尻を追いかけてるんだろうが」
男はそう言って苦笑する。
「それで、あんたはあっちに戻るのか?」
男の方から訊いてきた。
「国王は、役目を果たしたら返してくれると言ってますが、どうなるか分かりません。魔術師が帰らせると言ってますが、本当にそんなこと出来るかどうかわからないし、向こうの世界の状況が状況だけに、もう、地球はなくなってるかもしれません」
俺は答える。
そして、俺自身、帰りたいのか帰りたくないのか、まだ分からないのだ。
「そうか。そうだな」
男が目を瞑って頷く。
「俺はもう、帰らない。こっちの世界に妻も子供もいる。愛人もな。商売で成功してるし、くそったれた世界には、もう興味がない。まあ、こっちにフットボールがないのだけは残念だが」
愛人て……
「それで、帰るなら、親にこの手紙を渡して欲しくて、戦士様を呼び止めたんだ」
男が懐から白い封筒を出した。
「フットボールと同じくらい、両親のことも気になる。もし帰ったら、突然消えた息子は、こっちで無事に暮らしてるって伝えてくれ。そこに、名前と住所が書いてある。中に俺のドッグタグが入ってるから、俺から渡されたっていう証拠にはなる。息子さんが異世界に行きましたなんて言われても、すぐには信じないだろうがな」
男が封筒を渡す。
「分かりました。帰るとは約束できませんが」
俺はそれを受け取った。
「ああ、帰ったらでいい。ありがとう」
俺達は、そこからまた一時間かけて、元の街道に戻った。
「なんかあったら俺のところに来い。この辺で、鷲の紋章の荷馬車を見掛けたら、それが俺が雇ってる馬車だ。面倒見られるくらいの稼ぎはある。故郷が同じ世界だった人間として、歓迎する」
「ありがとうございます」
俺達は、固く握手する。
「じゃあ頑張ってな。戦士様」
男が皮肉っぽく言った。
すると別れ際、まりなが男にツカツカと歩み寄る。
「私のデータベースに入っている情報によると、2008年のスーパーボウルの勝者は、ニューヨークジャイアンツです」
「そうか、ありがとう」
男が人懐こい笑顔で微笑んだ。




