獣耳
「ヤスナポリナ」の街に着いたのは、昼前の、まだ日が高い時間だった。
今までは、夕暮れぎりぎりまで馬車を走らせていたけれど、予定よりも早いペースここにたどり着けたこともあって、今日はこの街に落ち着くことにする。
道中、他の旅人から聞いていた通り、この街は少し変わっていた。
「おっ、獣耳だ」
街に足を踏み入れてすぐに、獣耳で長い尻尾を生やした半獣人の少女が、馬車の前を横切るのを目にする。
そうかと思えば、オークと思われる、口の端に2本の牙を持つ緑色の肌の大男が、荷車を引いていた。
尖った耳と尖った鼻の、ゴブリンと思われる小男が、古道具屋を開いている。
そう、この「ヤスナポリナ」の街は、人間とモンスターが、共存する街なのだ。
「戦士様、ようこそ、おいでくださいました」
この街を治める商人組合の代表が、俺達を迎えてくれた。
「どうですか? 我が、ヤスナポリナの街は。このように、他の種族やモンスターとでさえ、人間は共存できるのです」
代表の男が自慢するように言った。
皺に隠れてしまいそうなくらい細い目の、優しそうな顔の男。
太っていて、でっぷりとした腹を抱えるようにしている。
「危険はないのですか?」
「はい、オークやゴブリンなどの中にも、我々人間との争いを好まず、平和に暮らしたいと考える者もいるのです。そういう彼らとは、うまくやっていけます。人間の中にも、過度に争いを好む者がいるでありましょう? そちらの方が、危険なくらいです」
代表が手を振ると、全身を毛で覆われた狼男が、笑顔で手を振り返した。
「まあ、危険がないといったら嘘になりますが、それを補ってあまりある利益もあります。彼らは、元々、人間が足を踏み入れないようなところに住んでいて、我々が滅多に目にすることがない鉱物や、植物、動物を手に入れることが出来ます。その交易で、この街は栄えているのです」
確かに、街の中は今まで通ってきたどこの街よりも賑やかで、その辺の店や建物も立派に見える。
街自体にも、活気があった。
「さあどうぞ、この街で、ごゆるりと英気を養ってください」
代表は、俺達にこの街で最高の宿を用意してくれる。
部屋の中は、王城に用意された俺の部屋、とまではいかなかったけれど、それに迫るくらい洗練されていた。
「わーい、ふかふかの布団じゃ」
って、ティートが飛び込んだから、その姿が見えなくなるほど柔らかいベッドも用意されている。
宿の部屋を確認して一息ついたら、昼食を取るために繁華街に出た。
「お兄ちゃん、ここにいるだけで、私の頭がパンクしそう」
街の様子を見ながら、まりなが言う。
確かに、アンドロイドのまりなに、様々な種族やモンスターが行き交うこの街の様子は酷かもしれない。
その一つだって理解するのに苦労するのに、それが何十種類といるのだ。
向こうの世界ならあり得ない光景だった。
まりなのAIは、フル回転してるんだろう。
「ふふふ。人間を含め、様々な種族がいるが、無論、その頂点に立つのが、我らがハイエルフである」
ティートが言った。
ティートが言うと、全然、説得力ねえ……
人間や、様々な種族が営む食堂の中から、良さそうな一軒を見付けて中に入った。
そこで、ミートボールのような物が入ったスープと、具がたっぷり入ったオムレツのような料理を頼む。
ティートも俺と同じメニューを頼んだ(エルフってなんか特別な食事をするようなイメージがあったけど、俺がこれまで見た限り、雑食だ)。
もちろん、まりなは食べられないから見ているだけだ。
「おい、そこの人間、その席は、俺の兄貴の指定席だぞ」
俺達が食事をしていたら、突然、身長2メートルくらいあるオークに絡まれた。
目が血走っていて、口の端の牙が黄色く変色している、醜いオークだ。
前に立つと、酷い体臭が漂ってきて閉口する。
おそらく、その兄貴というオークと、さらに数人のオークが店に入って来ようとしていた。
昼時なのにこの席が空いていたのは、そういうことだったらしい。
「おら、さっさとどけよ!」
オークが声を荒げた。
ティートが俺にしがみついてきて、まりなは涼しい顔をしている。
あの代表の言う通り、確かにこの街で人とモンスターは共存しているけれど、こうして乱暴者もいるようだ。
「あれ、まりなさんじゃないか」
一人(一匹?)のオークが、小声で他のオークに耳打ちしているのが聞こえた。
すると、店に入ろうとしていたオーク達が何やらひそひそと話し始める。
そして、怯えたような顔で、こっちを、特にまりなを見た。
そういえば、以前、洞窟の中でオークに襲われたティートを、まりなが助けたことがあった。
まりなは、洞窟の中にいた20人を越えるオークをフルボッコにしたのだ。
その時の話が、オーク界隈で広まっていたらしい。
兄貴と呼ばれているオークが俺達のテーブルまで来て、
「まりな姐さん、申し訳ありません。こいつには、私からよく言って聞かせますんで」
そう言うと、突っかかってきたオークを連れて、店を出て行った。
ついでに、俺達の食事の代金まで払っていく。
まりな姐さんって……
アンドロイドのまりなは、いつのまにかオークに恐れられる存在になっていた。
姐さんなんて呼ぶと、アンドロイドのまりなが余計に混乱するからやめてほしい。
まあ、何事もなくて良かったけど。
昼間は街の様子を見て回って、夜は、商人組合の代表が開いてくれた歓迎の宴に参加する。
そこには、人間の他に、いろんな種族が集まっていた。
昼間の食堂にいた乱暴なオークのような連中はいなくて、和やかな雰囲気の中、美味しいワインを飲んで、心地好く過ごす。
獣耳の美しい女性達もいて、俺はケモナーじゃないけど、獣耳も可愛いなとか、考えてしまった(俺は、ロネリ姫に一途な戦士で、手を出したりはしないけど)。
作り物と違って半獣人の彼女達の獣耳や尻尾は本物だから、常に動いていて、それが彼女達の感情を表してるみたいで愛らしい。
獣耳と一口に言っても、猫っぽい種族や、犬っぽい種族、ウサギとか、アライグマとか、たくさんいる。
それで俺は、前から一度訊いてみたかった質問を彼女達にぶつけてみた。
こんなこと、他の場所では絶対に訊けない質問だから、いい機会だと思ったのだ。
「あの、獣耳のみなさんは、その獣の耳と、横についた人間の耳、どっちで音や声を聞いてるんですか?」
俺は訊いた。
ところが、俺がそれを口にした瞬間、皆の動きがピタリと止まった。
賑やかだった宴の場所が、音響機器開発なんかに使う無音室かってくらい、静かになる。
髪の毛が床に落ちる音さえ、聞こえそうだった。
えっ、俺、なんかやらかしただろうか?
そして俺達は「ヤスナポリナ」の街から追い出された。
「戦士様、あなたは、触れてはいけないタブーに触れてしまいました。この街に、いて頂くことはできません」
あんなに温厚そうだった代表が、目を剥いて怒っている。
「それは、この街だけでなく、いえ、この世界だけでなく、すべての獣耳に対するタブーです」
代表が言って、街の門が固く閉ざされた。
いや、わけわかんないんだけど……
「もう、お兄ちゃん、なに余計なこと訊いてるのよ!」
まりなに怒られる。
「まったく、愚かなる人間は、デリカシーとうものがないからこまるのじゃ。そこは、暗黙の了解だろう」
ティートにまで突っ込まれる始末。
結局その日は、街の近くに見付けた洞穴で、焚き火をして夜を明かした。
なんか、申し訳ない。




