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愛染  作者: 夏樹一
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とおりゃんせ

通りゃんせ 通りゃんせ

ここはどこの 細道じゃ

天神さまの 細道じゃ

ちっと通して 下しゃんせ

御用のないもの 通しゃせぬ

この子の七つの お祝いに

お札を納めに まいります

行きはよいよい 帰りはこわい

こわいながらも

通りゃんせ 通りゃんせ

——童謡より引用



 食堂の片隅で、最近出来た唯一の女友達——逢沢(あいざわ)さくらさんと話していると急に電話が鳴った。画面に表示された名前は、予想通り田沼だった。

 一言断って電話に出る。

「上原、いまどこ?」

「食堂」

「ふーん。じゃあ、早く帰ってきて。今、オレ上原の部屋の前だから」

 それだけ言い、田沼は電話を切りやがった。お前は俺の恋人か。いや、恋人なんていたことないから知らないけど。

「田沼くんから? また呼び出しかしら」

 仲良いわね、と笑い逢沢さんは言った。

 仲が良いかは置いといて、"また"と言われるほど俺は田沼に呼び出されているのか。思わず苦笑する。

「じゃあ、また明日」

 手を振ると、逢沢さんも返してくれた。

 可愛い人だと思う。女の子とこうして、普通に話せる日が来るなんて入学したときは思ってもみなかった。二年生になると女の子と話せるぞ、と当時の俺に言ってやりたい。

 ボロアパートに着くと、田沼が部屋の扉に凭れ掛かってしゃがみ込んでいた。

 俺が声を掛けると立ち上がり「遅い」などと文句を言う。今日来るって言ってなかったじゃないか。「早く鍵を開けろ」と催促されて鍵を開ける。俺よりも先に部屋に入っていく。コイツには遠慮ってものがないらしい。

「ゴールデンウィーク暇だろ。旅行いこう、旅行!」

 問いかけではなく確定事項のように、田沼は言った。

 本当に失礼なヤツだ。予定ならある。バイトだけれど。

「バイトがあるから無理」

 即却下してやると、田沼は唇を尖らせる。

 この顔が本当に腹立つのだが、美形のコイツがやると様になるのは何故だろう。腹立つけど。

「女の子来るのになあ。上原のために、詩織ちゃん誘ったんだけど」

 思わず田沼を見る。なんで知ってるんだ。

 詩織ちゃん——香山さんは、俺が高校の時から気になっている女の子だ。今までで二、三回しか話した事がないけど、可愛らしい女の子だ。今時珍しい、大和撫子のような子だ。

「詩織ちゃんの事、好きなんだろ」

 続けて「行くだろ?」なんて言われたら、何とかして行くしかないじゃないか。

 幸い、今までバイトを休むなんてことを言ったことないから、きっと何とかなるはずだ。


 *


 待ち合わせ場所に着いて早々に、俺は田沼を問い詰めることになった。

「おい、田沼どういうことだ」

 俺の質問に、田沼はへらへらと笑う。殴りたくなる。

「詩織ちゃんなら誘ったよ。断られたけどね」

「屁理屈じゃねぇかよ!」

  泣きたい。俺が苦労して来たって言うのに、香山さんいないじゃないか!

 男女三人ずつだと思っていたメンバーは、男は俺を含めて三人、女の子は二人だった。

「だって、詩織ちゃん彼氏とデートだってさ。彼氏も誘えば来たんだろうけど、上原は及川苦手だろ?」

 追い討ちをかけるような情報を、田沼はゲラゲラと笑って言ってのける。

 香山さんに彼氏がいて、その彼氏が王子様系イケメンとか泣きたい。

「え? 上原って香山すきなの?」

 いつの間にか、もう一人の男性メンバー——柏木悠太(かしわぎゆうた)がそばにいた。

 柏木とは話したことがないので、正直気まずい。

「今、失恋したけどね」

 田沼がニヤニヤと嫌な笑みを浮かべて、応える。もういいよ。止めろ。

「さ、駄々捏ねてないで行くよ上原」

「捏ねてねぇよ」

 出発したはいいが、田沼は女の子と話し出してしまった。田沼のメンバーとは話をしたことがないので、正直気まずい。そもそも女の子たちは名前すら知らない。

 それを知ってか知らずか、柏木がもう一人の女の子と話しつつ会話に入れてくれようと話を振ってくれている。ありがたい気持ちもあるが、女の子は柏木と喋りたそうだった。俺は完全に邪魔者だ。


 *


 着いた先は山の中の温泉旅館だった。その温泉旅館以外は山と川しかない。

 田沼のチョイスにしては、辺鄙なところだった。

 いつもなら、人が多そうな場所に連れていかれる。

「田沼くん、なんにもないじゃん」

 女の子の一人が抗議の声を上げる。

「たまにはいいじゃん、こういう何もないとこ。後で散策しようよ」

 小学生のような笑顔で、田沼は川の方を指差した。

 荷物を部屋に置いて、すぐに外に出る。五月上旬だというのに、夏のような暑さだ。

 二人ずつ並んで歩き出した。もちろん俺は一人で一番後ろを歩いている。

 歩いているうちに、道が木陰になってきた。湿度が高くないからか、日差しを防げるだけで、涼しく感じる。

「あれ、鳥居じゃない?」

 女子の一人が指を森の方を指差した。

 古びた朱色の鳥居がひっそりと立っている。

「おれ、ああいうの好き」

 柏木がボソリ、と言った。

 意味がわからない。ただの鳥居だろ?

「じゃあ行ってみよ」

 田沼は言うと歩き出した。俺たちはそれについていく。

 鳥居の近くまで寄ってみるとそれが何基も一列に並び道になっていた。

「お稲荷さんかな?」

 柏木が奥を覗き込むように言う。俺も同じように覗き込むが見えるのは鳥居だけだった。本殿が見えない。もっと奥の様だ。

 何だか懐かしい気がする。吸い込まれるような錯覚がして、思わず頭を振った。連日バイト続きだったから、疲れているのかもしれない。

「行きたいんだけど、いい?」

 控えめに、柏木が言う。田沼が行こうと言って鳥居を越す。イケメン二人が入っていくと女の子二人もその後を追った。俺もその後を続いた。

 鳥居を越した瞬間、しゃんと鈴の音が聞こえた。ビリビリした空気が伝わり、息がしにくい。怖い——いや、これはきっと畏怖だ。

 周りを見回すと自分独りだけだった。

 皆は? 探すが、誰もいない。

 ふと声が聞こえ、耳を澄ますとだんだんはっきりと聞こえてきた。童謡の『とおりゃんせ』だ。

 男か女か子供なのか大人なのか——老若男女すらわからない歌声でそれは歌われている。子供の笑い声も聞えてきた。

 なんだ、これ。気味が悪い。

 引き返そうと後退るとどんと背中に何かぶつかった。情けないことにヒッと喉がなる。ゆっくりと振り返ると大きな何かがいた。

 人の形をしているが、たぶんこれは人間じゃない。大きな笠を被ったそれは俺の手をそれの掌に乗せた。

「あなたをお待ちしておりました」

 空気も揺れずに耳に——頭に低い音が伝わった。「人違いです」と伝えたいのに声が出ない。

 かつてないほど、俺は恐怖を感じている。こわい。

 手を引かれ、俺はそれについて行く。手を握られているわけではないから、いつでも逃げられるはずなのに、出来ない。

 奥へ奥へと進むにつれて、息苦しくなる。俺のような——いや、人間が入ってはいけない領域なのだろう。きっと神域というやつだ。

 最後の鳥居を越えたとたん、立っていられなくて足が崩れた。

 こわい。こわい。

 鳥肌が立ち、涙が出る。

「よくきたね」

 男性か女性なのか判らない中世的な澄んだ声が聞こえた。

 息が詰まる。こわい。

 吐き気がして口元を押さえる。

「おや、ずいぶん苦しそうだね。大丈夫かい、上原良太?」

 名前を呼ばれ、ビクリと体は震えた。中世的な澄んだ声が近づいてくる。

 隣に立っていた大きな笠を被った何かが、跪く。

「ありがとう。さがっていいよ」

 隣で跪いていたはずのそれが、すうっと消えた。

「良太、立てるかい?」

 すっと目の前に透き通るような白い手が差し出される。ゆっくりと顔を上げると、やっぱり人間ではなかった。人の形をしてはいるが、人間ではない。

 今まで見てきた中で一番美しい方だった。

「大きくなったね」

 なかなか手をとらない俺に痺れを切らしたのか。肩を支えられ、立ち上がるしかなくなる。

 俺は、この方を知らない。だが、この方は俺を知っているようだった。

「十三年も経つんだ、当たり前か」

 ふふっと懐かしそうに笑う。

 十三年前? 七歳の頃だ。記憶を探るが、思い出せない。

「忘れたかい?」

 笑顔を浮かべた顔が無表情になった。

「ごめんなさい」

 思わず謝るが、無表情のまま俺を見る。

 額に手を当てられ、掴まれた。頭を握りつぶされるように力を入れられ、俺は思わず手を握った。酷く冷たい腕だ。更に力を入れられ、悲鳴を上げるがそれが緩められるころはない。目の前がチカチカする。

「思い出しなさい」

 耳元で囁かれ、目の前が真っ暗になった。

 蝉が大合唱する中、俺は鳥居の行列を走って越していく。鳥居を抜けると神社が見えた。その裏まで走ると、そこには二十歳くらいの青年がしゃがんでいた。

「かっちゃん、あそぼ!」

 手を差し出すとかっちゃんはその手を掴み、「うん!」と頷く。

「今日もお父さんとお母さんはお仕事?」

 手を繋いだまま歩く。今日は何をしよう。かっちゃんが、俺の顔を覗き込み言った。俺は頷く。

「寂しいね」

「寂しくないよ。かっちゃんがいる」

 俺の言葉にかっちゃんは嬉しそうに笑みを浮かべた。

「私もね。良太がいるから寂しくないよ」

 こうして遊んでくれるしね。

 言って俺の頭を撫でる。

「じゃあ、毎日遊ぼう!」

 俺はかっちゃんに頭を撫でられるのが大好きで、そう言った。

「うん、そうだね。約束だよ?」

 頷くとまた頭を撫でてくれた。

 それから一ヵ月後、父の仕事の都合でこの町を離れた。かっちゃんには、そのことを最後まで言えなかったんだ。

 頬を強く叩かれ、意識が戻ってきた。

 頭はもう痛くないが、未だ掴まれたままだ。

「思い出したかい?」

「かっちゃん」

 名前を呼ぶとようやく、かっちゃんは無表情から笑顔になった。

 頭を掴んでいた手が、ゆっくりと離される。

「良太。私はね、約束を守らない子は嫌いだよ」

 笑顔のまま、頭を撫でられる。またいつ頭を掴まれるか、と身構えてしまう。

「ごめんなさい」

 膝ががくがくと震える。こわい。この方をこれ以上怒らせてはいけない。

「そんなに怯えないで。大丈夫。もう怒ってないよ。君の顔を見たら、もうよくなった」

 頭を撫でていた手が、緩慢な動きで頬を撫でる。血の気が引いていくのがわかった。

 どうしようもなく、こわい。生理的に涙が溢れてくる。

 吐き気も襲い、必死に唇を噛んで誤魔化す。

「死相が出ている。近いうち君は死ぬんだね。私は神だけど、死神ではないからよくはわからないけどね」

 心底嬉しそうに、かっちゃんは言う。

 神様に「死ぬ」なんて言われて冷静でいられるはずもなく、足の力が完全に抜けた。崩れ落ちそうになった俺をかっちゃんが腕を掴んで支える。

「さて、お迎えが来たようだ。彼はきっとこれから君の助けになってくれるよ。鈴の鳴るほうへお行き。私は、君が死ぬまでここで待ってるよ。今度は約束を守ってね」

 かっちゃんはまた俺の頭を撫でる。しばらく撫でたあと、名残惜しそうに手を離した。俺の背中を押す。

 早々にここから離れたかった俺は、言われた通り鈴の鳴るほうへ走った。

 鈴の音を頼りに走っていくと鈴の音に混じって、とおりゃんせも聞こえてきた。

 今度は老若男女はっきりとわかる。若い、男性の声だ。鈴の音と同じほうから聞える。

 鈴の音と男性の声の方に走って行くと誰かがいるのがわかった。

「助けて」

 我ながら情けないが、涙声だった。

 男は俺を見るなり目を見開き、俺に背を向けて走り出す。

「断るっ!」

 男は大声で、前を向いたまま叫ぶようにいう。

 必死だった俺は全力でそれを追い掛け、飛びかかった。

 鈍い音と痛みが頭を襲い、目の前が真っ暗になった。


 *


 目を覚ますと知らない天井と見知った顔が二つ、覗き込んでいた。

「あ、上原。おはよー」

 ほぼ毎日のように聞いている田沼の声に、こんなにも安堵する日がくるとは思わなかった。思わず目頭が熱くなる。

「急に倒れるからビックリしたよ」

 俺の額に手を当て、柏木が言う。

 あれ? 俺どうやって帰ったんだっけ。あの逃げた男は?

 駄目だ、思い出せない。

「まぁ、疲れてたんでしょ。上原、貧乏学生だし」

 田沼がゲラゲラと笑う。いつもなら腹が立つはずだが、今は腹立つどころか自然と口元が緩んだ。


生きはよいよい 還りはこわい

こわいながらも

とおりゃんせ とおりゃんせ

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