45.たとえ世界が空から落ちても ⑳
意識が戻ってきた瞬間、妙に奇妙な感覚が私を包んだ。頭の中で響いていた声が、今ははっきりと耳元で聞こえる。その不思議な違和感に、しばらくどう言葉にすればいいか分からなかった。
ユウリの時も同じような感覚だったが、今回はさらに強い感覚だった。現実と夢が曖昧に交じり合うような、なんとも言えない感覚――。
ふとシエルがゆっくりと振り向いた。彼女の目にあった薄暗さが消え、ダイヤモンドのように輝くハイライトが宿っていた。それは、まるで彼女が完全に目覚めた証のようだった。
「ありがとう。私を見つけてくれて」
シエルがそう言うと、彼女はそのまま私を抱きしめた。その小さな体からは暖かな温もりが伝わってくる、彼女が本当にここにいるのだと、そんなことを実感する。
「あなたが、――本物?」
私は確かめるように問いかけた。シエルは静かに微笑んで答えた。
「うん。みんなが見た通り……。でも、ボディの方も私なんだよ。紛れもなくね。」
彼女は一瞬俯き、何かを考えているようだったが、再び顔を上げ、言葉を続けた。
「ボディにも、新たな意識が生まれ始めていたんだと思う。……私の意識が戻ったら、彼女は消えてしまうから。怖かったと思う……」
別の人間が、自分の身体を乗っ取るような感覚だろうか。おそらく言葉にできないような恐怖だったんだろうな。と、私の中では想起することしか出来ないけれど――
「でも、声が聞こえるの。彼女は私の中で、生きてる」
シエルと視線を交わした。彼女の気持ちが伝わってくる。
「さあ、いこう!」
シエルの掛け声とともに、私たちは再びエレベーターに乗り込んだ。最上階――エーテルコアのある場所へ。
エレベーターがゆっくりと上昇し始める。その上昇する感覚が、まるで私たちの緊張と覚悟をさらに高めていくようだった。
「ユリアーナ」
「うん?」
「私に気づいてくれて……ありがとう。あなたがいなかったら、私は今でもあの場所で眠り続けていたと思う」
シエルの感謝の言葉が胸に響いた。彼女の存在が私たちにとってどれほど重要であるか、私自身も強く感じていた。ただ、それに対して言えるのは一言だけだった。
「いいのよ」
そう答えるだけで精一杯だった。唐突に、シエルの記憶の中で気になったことが浮かんだ。ずっと頭を離れなかったことだ。
「あなたのお父さん……」
ふとそう言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。何か方法があるのではないか。元に戻せる手段が――そう言いたかった。でも、その考えは甘すぎる。口に出すべき言葉ではない。私がその言葉を口にするのは、あまりにも無神経すぎる。
「戻らないよ」
シエルが淡々と言ったその言葉に、まるで心を見透かされたような感覚がして、思わず息をのんだ。
「遺伝子構造が変わるとかなんとかって、父さんは言ってた。……変な話だよね。壊れるのは一瞬なのに、直すことが出来ないなんてさ」
シエルはそう言って続けた。
「それに……父さんが、ずっと苦しんでいる。声が聞こえるの。もう……解放してあげたい」
チン、という音ともに目の前の扉が開いたその瞬間から、フロアに漂う異様な気配は、肌に直接触れるように重く感じられた。圧倒的な静寂の中で、私たちはまるで引きずり込まれるように一歩を踏み出す。
目の前に広がる光景は――まさに異様だった。
魔力の暴走によってフロア全体が異常な魔力の濃霧に包まれている。まるで暗雲のように空気は重く体が押しつぶされるような圧迫感を感じた。息をするたびに、喉に鉄錆のような味が広がり、肺が焼けるような痛みを感じる。フロアの壁は崩れ落ち、瓦礫が足元に散らばり、外ではあの魔力の渦が眼前に見える。
まるで、暴風域の中にでもいるかのようだ。
目の前に浮かび上がるのは、あまりに巨大な魔力結晶。――これが、この世界で『エーテルコア』と呼ばれているものだとすぐにわかった。紫色の光が不規則に脈打ちながら、まるで生きているように明滅を繰り返している。
「これは……」
その呟きは、自分の耳にも届かないほど小さな声だった。だが、それをかき消すかのようにフェンの鋭い叫びが突き刺さる。
「来る!」
その瞬間、フロア全体が揺れ、壁や天井の瓦礫が一斉に崩れ落ちていく。私たちの上に、巨大な影が音もなく迫り来る。視線を上げた瞬間、見上げるような異形の巨体が姿を現した。
「グオオオオオオオオ!」
まるで魂に直接響くような轟音が全身に染み渡った。目の前にいるのは、かつてシエルの父親だった男。しかし、もはやその姿は人間ではない。魔力に取り込まれ、獣とも化け物ともつかない異形の存在が私たちの前に立ちはだかっている。
「パパ……」
シエルの震える声が、耳元でかすかに聞こえた。今やその獣の瞳には理性の光は一切残っていない。かつて人間だった痕跡さえも魔力の渦に呑まれ、完全に消え去っている。少しでも理性が残っているのではないかと、抱いていた淡い希望がわずかな瞬間で打ち砕かれる。
それでも、立ち止まるわけにはいかない。この戦いを生き延びなければならない。
「いくぞ!!」
叫び声とともに、私は剣を握りしめ、前へと飛び出す。巨大な魔獣はその圧倒的な威圧感で私たちを押しつぶそうとする。フェンがすぐさま前に出て、獣の足元に食らいつく。オオカミの姿へと変貌し、獣の脚に深く牙を突き立てた。しかし、その瞬間――獣は痛みを感じるそぶりさえ見せず、巨大な爪を容赦なく振り下ろした。
「避けろ!」
ミカの叫びが響き、フェンはすんでのところで身を翻して爪の一撃をかわす。地面を大きく割り、フロア全体が崩壊寸前になる。
この戦況……このままではエーテルコアごと崩れ去る可能性がある。長期戦すらも不利だ。早いところ勝負をかけないといけない。
「私がやる!」
その声とともに、シエルの背中からスラスターが展開し、彼女は宙に浮かび上がった。右腕が徐々に発光し始め、魔力が渦巻きながら周囲に漂っている濃霧のようなエネルギーを取り込んでいく。
「デルタレイ……」
シエルの声が空間に響き、まばゆい魔力の光が彼女の周囲を包み込んだ。その一撃で仕留めるつもりだろう。
いや、まだだ。まずは動きを止めないと。
その嫌な予感が的中するかのようにあの獣が動いた。口を開き、周囲に漂う強大な魔力が渦を巻き始める。今までとは比べ物にならない、圧倒的な力が周囲の空間を歪ませ、恐怖を感じさせるほどの圧力が私たちに襲いかかる。
「シエル、危ない!」
私は即座に跳躍し、シエルを抱きかかえて回避した。次の瞬間、獣の口から放たれた凄まじいエネルギーが彼女のいた場所を貫き、爆発音が響き渡った。爆風が私たちの体を揺さぶり、瓦礫が空中を舞う。
シエルの魔力砲も相当ヤバいがこちらもヤバい。天井がぽっかりとくり抜かれている。
――というかだ、ここに漂う魔力の影響か。この場の攻撃すべてに何らかのバフがかかっているかのような威力の上昇が見受けられるのは気のせいか。敵の攻撃も、シエルが攻撃を放とうとして腕に集まった光も、最初にあの研究施設で見たものとは比にならないほどの眩しさと熱量だった。
「焦るなシエル」
「でも、あんな姿……父さんが……」
「落ち着いて。――救うんでしょ、あなたの父さんを。だったら冷静になりなさい」
「うん……」
「それに、見て。ミカとフェンならきっと……」
視線を向けると、二人が獣と凄まじい攻防を繰り広げていた。彼らは息を合わせ、絶え間ない連撃を繰り出し、巨獣に傷を与えている。特にフェンの動きは、オオカミの本能そのものだった。獣の脚に再び噛みつき、さらに深く牙を食い込ませる。血が飛び散り、獣が痛みによろめく。
「効いてるぞ!」
この瞬間を逃すわけにはいかない。
「エレシア、シエルをお願い!」
「はい!」
その隙に私も一足で獣のところまで駆けた。
――やはりだ。普段よりも少ない魔力なのに身体能力が向上している。
濃霧のように漂う明らかにこの異常な魔力がこの場のあらゆるものに影響を及ぼしている。
わかりやすく言うと攻撃強化、そして素早さ強化といったところだろうか。ただしそれは敵も同じだ。さっさと片づけたいこの状況でありがたいことではあるが、それはつまり敵の一撃が命取りになる可能性があるということ、――だ!
「紅蓮轟炎拳!!」
燃え盛る炎で、顔面目掛けて渾身の一撃でぶん殴ってやった。
激しい熱とともにその巨体がよろめく。だが、次の瞬間――獣の目が異様に輝いたかと思うと、その巨大な爪が素早く私の足を掴み取った。
「……ッ!」
そのまま壁に思い切り叩きつけられた。
全身に衝撃が走り、息が詰まり、視界が揺れる。
――のだが……
全く痛みがない。明かに、私の魔力壁にもバフが適用されている。
すぐに起き上がり、再び目の前に迫る巨大な爪を見た。いや、これならば、やれる――!
反射的に右腕を上げ、エルボーのように突き上げた。
パキィィン!と鋭い衝撃音が響いた。獣の爪が粉々に砕け散る。驚くほどの強固さと力の湧き上がりが、体中に広がっていく。
小さいころに、教わっていてよかった。
武器破壊。
実戦で使う経験なんて果たしてあるのかと思っていたが、なんでもやってみるものだ。――父さん。ありがとう。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます!
『おもしろかった!』、『続きが気になる!』と思った方はブックマーク登録や、↓の『☆☆☆☆☆』を『★★★★★』に評価して頂けると今後の執筆の励みになります。




