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32.たとえ世界が空から落ちても ⑦

「ユリアーナ、起きろユリアーナ」


「ん……。あれ、父さん?」


 微かに聞こえてくる父の声に、私は目をこすりながらぼんやりとした声で答えた。

 目の前には、心配そうに私を見つめる父の姿があった。


「すまんな、少しやりすぎた」


 ――そうだ、思い出した。今日は父さんとの剣術の稽古だったんだ。普段よりも熱が入っていて、父さんの激しい一撃に意識を飛ばしてしまって……


「続けるぞ。敵を討つにはこうするんだ。お前は腕の角度が違う。それじゃ力が十分に伝わらん。腰をひねり、足を踏み込み、そうすることで力が全身に伝わるんだ。」


「は、はい」


 立ち上がり、指示された通りに姿勢を正す。


「駄目だ、それでは。何度も言っているだろう。あまり私を困らせないでくれ」


 父の声は、珍しく少し苛立ちを含んでいた。


「ご、ごめんなさい」


 なんだか、今日は父さんの機嫌が悪い。こんなにも厳しかったっけと想起する。

 いつもは出来なかったとしても、父さんだけは優しく指導してくれたものだ。

 それに、よくよく考えると私は戦闘の心得はもう習得していたはずだ。腰を入れて足を踏ん張って……。こんなの、子供の頃に習った初歩的な技術だ。


「父さん、もう大丈夫。戦闘の基礎知識より、もっと応用的な技術も……」


 私がそう言った瞬間、父は悲しげな顔をして、言葉もなくゆっくりと後を向き、部屋を後にしていく。


「父さん?待って、私にもっと教えてよ、父さん!」


 焦って叫びながら手を伸ばすが、振り向くことなく去っていく。


 その瞬間、私の手を強く掴んだのはメイドのテレサと家令見習いのライアンだった。何かがおかしいと、そんな違和感を感じる暇もなく私を掴む二人の姿がみるみる変貌していく。血を流し、眼球がドロドロに溶け出し、やがて……。


「ユリアーナ様……なぜ、私たちを置いていくのですか……」


「ユリアーナ様……助けて……痛い……」


 鼻を衝く血の匂いと、どす黒い血が肌に触れる生暖かな感触。なんだ、これは。私は父さんと稽古をしていたはずだったのに。

 それに、テレサとライアンは……。

 ――そうだ。あの夜。城が襲撃されたあの夜。あの時、血を流し倒れている姿を見た。そうだ、生きているわけがない。それなのに、どうして今、彼女たちはここに――


 そうだ。これは、私の記憶。あの夜襲撃された、元の世界の。私の記憶。


「ユリアーナ……」


 姉さん――姉さんが、血を流している。そうだ。あの時、姉さんは胸を刺されて、あいつに。あの女に。


「助けて……」


 血の海に、溺れていく。


「お嬢様……」


 もうやめて。思い出したくもない。


「お嬢様……!」



 ♢ ♢ ♢



「お嬢様!」


 激しく痛む左目と、その声が私の意識を引き戻した。暗闇に紛れるエレシアの姿が、灯りのもとでぼんやりと浮かび上がる。


「大丈夫ですか、お嬢様」


 心臓が激しく脈打っている。汗ばんだ額を手の甲で拭い、深呼吸を試みた。

 ――嫌な夢を、見ていた。


「エレシア……」


「うなされていましたよ」


 彼女の眉が心配の色を深める。

 最悪な気分だ。目の奥に残る激痛が、まずで頭痛のようにいまだに余韻として残っている。

 少しでも心を落ち着かせようと努めるが、疲労感はほとんど消えていない。それでも、五時間くらいは眠れただろうか。


「ちょっと早いけど、そろそろ交代してくるわ」


「大丈夫ですか、今日は私が……」


「大丈夫。ありがとうね」


 彼女に微笑みを返しながら、その場をそそくさと離れることにした。あまりこういう姿は見せたくない。特に、エレシアにはもう余計な心配はかけたくないのだ。


「はぁ……」


 エレシアには強がって見せたが、体調は最悪だった。

 昨日の夜、交代で見張り番を立てることにしていたので足早にその場所へ向かう。少し歩いたところで、焚き火の光に包まれてフェンが佇んでいた。


「変な夢でも見たか」


「……うん」


 聞こえていたか、と。少しだけ嫌な気持ちになる。

 彼の近くに腰を下ろし、夜の静寂を共にした。


「思い返すと、ここに来る前から毎日見てたような気もするわ。記憶に残ってなかっただけで、たぶん……」


 そうだ、記憶に残っていなかっただけできっと毎日見ていた。うっすらと。嫌な悪夢を毎晩、毎日――。

 ここに来てその夢が強くなったのは疲れからか、それとも何かの感覚が強まっているせいなのか。


「所詮夢だ。何も、それが現実に起こるわけじゃない」


 彼がそういうと、ほら。と何やら茶色っぽい飲み物を差し出された。

 渡されたカップを手に取り、ふうと息を吹きかける。その温かさが、少しずつ凍える手を温めていった。恐る恐る口をつけてみると、強烈な苦みが舌を襲った。


「苦っ」


 思わず顔をしかめてしまう。それを見て、彼が笑っていた。


「それでも甘くしたんだけどな」


 お世辞にも美味しいとは言えないけれど、なんだか今の私にはとても落ち着く気がした。

 そうだ。所詮夢の出来事……。いや。


「夢なら……。どれだけよかったことか」


 自然と言葉が口をついて出ていた。

 姉さんも、父さんも、私が夢に見たことはほとんど現実に起こったことだ。夢であって欲しいと何度も思った。それでも、起きたことは変わらない現実だ。

 変なことを口走ってしまったな、と心の中で自己嫌悪する。一瞬の沈黙が流れた後、とっさに話題を変えることにした。


「そ、そういえばさ。なんでフェンは冒険者なんてやってるの?」


 彼は少しばかりの静寂の後、ゆっくりと口を開いた。


「殺したい」


 突然口をついて出た物騒な回答に、反射的に体が跳ねる。


「殺したいやつがいるんだ」


 彼の声は低く、そして意志に満ちていた。瞳には燃えるような決意が宿っており、その言葉には重みがあった。


「昨日は金のため、なんて言っちまったが――それも本当だ。だけど本当の目的は違う」


 フェンは遠く、明るく光る夜空を見つめていた。


「俺の両親はさ、竜人に殺されたんだ。ある日突然、な」


 その答えに私は驚いた。……と言いたいところだったが、実はどこか、少しだけ安心している自分がいた。殺されたと聞かされて安心したというのも変な話ではあるのだが。

 ――なぜならば、彼の強さは並大抵のものじゃない。金や名声が欲しいだけでそこまでの実力をつけることが出来るなんて到底思ってもいなかった。だからこそ、その理由に安心したし何よりも私と同じような境遇だと知れて、少しばかりの安心を心に抱いていたのかもしれない。


「そいつらを殺す。そのためにも強くならなきゃいけないんだ。それに妹と弟のためにも、金を稼がないとな。長男ってのは大変なんだ」


「そっか……」


 思わず小さく声を漏らした。姉さんも、同じように考えていてくれたのかな。家族や私のために……。そういえば、王政のことはほとんどまかせっきりだった。私は自由に遊び呆けてたまに親の手伝いをするだけだったけど、そんな生活が出来たのは姉さんのおかげだったな。姉さんは私のことをどう思っていたのだろうか。


 ――今となっては、もう知ることもできないけど。


 一瞬の沈黙の後、彼が私に問いかけた。


「お前は、なんで冒険者に?」


最後まで読んで下さり、ありがとうございます!

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