34. 二人の時間
陽花に出会った出来事は夢か幻のように思えたのに、彼女はそれから毎日、雨のところにやってきた。
陽花はきまって窓から、しかも最初に会った日と同じ時間に来るので家の人間は留守にしていたが、家事をこなしながらこっそり陽花と会うのはどきどきした。
陽花が周家というとてもすごい家のお嬢さまだと知るのに、時間はかからなかった。周家は、商いに関わる家なら誰もが知っている名家だ。
雨は陽花の話を聞くのが好きだった。仲のいいお兄さんたちの話や、娘を溺愛してるお父さんの話。姉妹のように育った使用人の話や、今日勉強したことの話。
『今日は何を勉強したの?』
『いろいろ。難しい本ばーっかり。勉強なんて嫌いよぅ』
『そっかぁ。いいなぁ、僕は勉強してみたい』
そう言ったら、陽花ははっとして口を押さえた。それに気づいて、雨の方こそ申し訳ない気持ちになる。
『あの……、ごめんね、雨。わたし』
『ううん、僕こそごめん!陽花がどういうことを勉強したのか気になっただけだよ』
『でも雨は読み書きできるんでしょう?』
『うん、一応商家の子供だから、昔父に教わったんだ』
『もう勉強はできないの?』
雨は笑って誤魔化した。勉強は学校に行けばできるが、行っているのは基本的に裕福な子供だけだ。商家の子供でも行けないことはないが、今の環境で父に許されるはずもない。
『それじゃ、わたしと一緒に勉強する?』
『え?』
『今度本を持ってくるわ!それを貸してあげる!』
次の日から、陽花は雨のところに本を持ってくるようになった。
『ありがとう陽花!この本とても面白かったよ』
陽花は目を丸くした。
『雨、もう読んだの?これで五十冊目よ!?わたしが勉強した本、ほとんど全部なんだけど……』
『え、そうなの?でも面白くてすぐに読んじゃうんだ。おかげで夜眠れなくなっちゃったけど、陽花のおかげで、毎日ものすごく楽しいよ』
雨は驚異的な速読と、理解力を持っていた。陽花はこっそり兄が使っている本なども持ってきたが、難しい本でも数日で読んでしまう。
しかしそんな毎日は長くは続かず。ある日、陽花がいつもの時間に雨の家に行くと、雨が倒れていた。
『雨!どうしたの、大丈夫!?』
***
雨がゆっくりと目を開けると、知らない天井だった。
『雨、気がついた?……大丈夫?』
声がするほうをゆるゆると見ると、今にも泣き出しそうな陽花がいた。
『陽花……ここは?』
『わたしの家よ』
陽花の家……。周家!?
雨は頭が混乱しながらも一体どういうことなのかわからず、勢いよく起き上がった。
『うっ……』
『まだ安静にしてなきゃだめよ!全然寝てないし、ろくに食べてないんだもん……』
『おや、気がついたかね』
すると、雨が寝ていた部屋の扉から、白い口髭をたくわえた身なりの良い老人が入ってきた。
『おじいさま』
雨は大きく目を見開いた。これが陽花の祖父、周李康か。この国の流通網を改革したと言われる人物。商家の人間なら知らないものはいない。政治においても、何代にもわたって帝を支えたと言われる人だ。
『陽花からきみの話は聞いているよ、雨。きみのご両親に事情は話してあるから、ゆっくり休んでいきなさい』
李康の話に耳を疑う。あの両親に話してくれたなんて。
『はい……、ありがとうございます』
『陽花がきみに持っていった本、全部読んだんだって?』
『えっと……はい』
『どれ、では』
そう言って李康は陽花が持ってきた本の中身について、いくつか雨に質問した。
雨は中身を覚えていたので全部に淀みなく答えると、李康はほうと感心した顔をして、口髭を撫でた。
『ちょっとおじいさま!雨は具合が悪いんだから、そんなふうにいじめちゃだめよ』
『おお、そうだね。じいさまが悪かった』
『陽花、もう大丈夫だよ、ありがとう。心配しないで』
雨はそう言って、まだ心配そうにしている陽花の頬を撫でた。陽花は笑っているほうがいい。いつもみたいに早く笑って欲しかった。
それなのに、陽花は笑うどころかみるみるうちに顔が真っ赤になっていった。ぎょっとして思わず尋ねる。
『陽花、顔が赤いよ。もしかして熱でもある?』
『う、ううん。熱はないと思うわ……』
『でも顔が赤いよ』
そう言って雨が陽花の額に手を当てると。
『もう、雨ったら。大丈夫だってば!』
と言ってなぜか陽花は少し怒っている。雨は心配でたまらなかったのだが、そんな二人を見て李康は笑っていた。




