31. あの日の名前
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雨月が父の家に来てから、二日が過ぎた。
二日間は読書をしたり、部屋の中で剣の素振りをしたりとゆったりした時間を過ごしていたが、三日目の今日は朝からばたついていた。
幾ばくかの強弱はあるものの、雨月が都を発ってからずっと雨が降り続いている。ついに家の近くにある都から続く大きな川が、雨で増水してかなり危険な水位まで上昇した。
そこで曹家全員、高台の空き家に避難した。
この分だと雨の影響で帰り道も心もたない。行きでも三日かかったので、明日にはここを発たなければ予定通りに都に戻れないだろう。
あれから自分の部屋や亡くなった父の部屋を調べたが、自分が拾われた日に身につけていた衣服などは何もなかった。
なんとなく、頭の傷を作った日の出来事がこの頭痛の原因な気がしていたのだが、無駄足だった。
「すごい埃だな、ここ」
「文句言わないの!ほら、あんたも掃除を手伝って」
雨月はかろうじて屋根のある小屋のような場所で、都から連れてきた馬の世話をしていたが、兄嫁と天佑の声を聞いた。その後、ぱしゃぱしゃと雨に濡れた足音が聞こえる。
「ふーっ、伯父貴、かくまってよ」
天佑が小屋に入ってきた。
「掃除はしないのか?義姉さんの手伝いをしないと」
「どうせ雨が止むまでだ。掃除したってなぁ」
雨は降り続いている。雨季でもないのにここまで長引くのも珍しい。嵐のような強さではないが都でも影響が出ているだろう。
「この雨、伯父貴が連れてきたんだな」
「……俺が?」
「だって雨っていうんだろう?本当の名前」
雨月には、一瞬天佑が何を言っているのか意味がわからなかった。
「…ああ、俺が拾われた日に雨が降ってて、そのあと月が出たから『雨月』って名前になったからか」
雨月は昨日聞いた、あまりにも安易な名前の付け方に笑ってしまう。あの父ならやりかねない。しかし天佑は眉をひそめていた。
「……どうした?」
「いや、そうじゃないだろう。雨が伯父貴の名前だろう?」
「え?」
「だってあの日俺が聞いたんだ。伯父貴は覚えてないと思うけど、川に流されてきた伯父貴を最初に見つけたのは、じいさんじゃなくて俺だった。それで伯父貴に名前を聞いたら、自分で言ってたんだぞ。雨って」
どくん。
頭じゃない、心臓が鳴った。今、何と言った?
雨月の全身が泡立つ。どくどくと心臓の鼓動が早くなる。
「それ名前なのかよって思ったけど、何度聞いてもそう言うんだ。だから俺、この人は雨って名前らしいぞってじいさんに言った。で、伯父貴はしばらく熱出して、起きたらなんで川に落ちたのかとか、……本当の家族の記憶も飛んでただろ?後から思い出したみたいだけど」
違う。
確かに雨月は自分の過去を思い出した。都に住んでいた本当の親。親とも呼べないような人たちのことを。
なぜ川に落ちたのかは思い出せなかったが、自分の不注意か、雨月を疎む家族の誰かに突き落とされたのだと思った。
事故の衝撃で前後の記憶が少し飛ぶことはある。
雨、あめ、雨。だが本当の両親がつけた名前は、そんな名前じゃない。
それなら誰が……。誰だ?
「う……!」
「ちょっ!伯父貴!?」
頭が痛い。割れそうだ。頭の奥にあったものが外に出ようしている。
でもそれでいい。頼むから早く外に出てきてくれ!そうすればあの人を、もう傷つけずに済むかもしれないんだ!
「伯父貴、どうしたんだよ!伯父貴!?」
少しずつ、確実に。雨月の頭の中に、たくさんの知らない映像、いや、思い出せなかった映像が飛び込んできた。
小屋の中が一瞬昼間のように明るくなる。怯える馬のいななきが聞こえる。数秒して、雷の轟音が一帯に鳴り響いた。
「あ……」
落雷の衝撃と同時に、雨月は涙を流していた。頭の奥に閉じ込められていた空から、さめざめと雨が流れるように。
頭の空に、太陽のような少女の笑顔が映る。
『約束よ。いつかきっと、わたしをお嫁にしてね』




