従姉妹と涙のお姫さま
突き抜けるような青。焦げ茶色の瞳の映った広がる空はモグラ姫に平静をもたらしました。息をほっと一つ、吐いてぐちゃぐちゃになった胸の中と口を開けば零れ落ちてしまいそうな程の激情どうにかやり込めました。一体どうしてこんなことを言われなければならないのか。古傷がまたぱっかりと開いて、そこに針を刺されている気分でした。
些細なことで傷つくモグラ姫殊、アイリスは弱虫の自身が表面化していることに気づきましたがどうにもしようがありませんでした。
その日は、良く晴れた爽やかな日でした。夏らしいからっとした天気に珍しく早起きをしたモグラ姫はまだアンが起こしも来ないうちにそっと、部屋を抜け出しました。
忙しいせいですっかり足が遠のいていた庭へと散策することに決めたのです。前回、彼女が訪れた時にはバラに蕾が出来ておりもう数日もすれば愛らしく、色とりどりの花を咲かせるだろうと心を弾ませていました。しかし日々に追われ、余裕がなかったモグラ姫は開花するのを見逃してしまっていたのでした。
今回は春に庭師に頼み、態々植えてもらった花を見に行こうと思ったのです。それは北の国で国花になっているほどの印象の強いものです。背は高く、大きな黄色い花をつけます。剛胆で太陽の光と共に首を回すことから向日葵と名付けられているのでした。
本来は城内にあるような花ではなかったのですが、モグラ姫は幼い頃に外へ出た時一目で魅せられ釘付けになりました。自分の背よりも高い大きなそれは、何とも威風堂々としていて立派に思ったものでした。
思い出深い花を何年越しかに近くで見られると思うと彼女の足取りは自然、軽くなります。また、まだ暑くなる前の静けさに似た早朝の涼やかさが夏を苦手とするモグラ姫の心を浮上させていきました。
けれどもスキップでもしてしまいそうな浮かれたモグラ姫に、突如やって来た夕立のような出来事がぶち当たりました。
庭に出て、モグラ姫は直ぐ様下履きを脱いで生え揃った芝生の上を歩きました。お行儀が悪い、と言われることもありません。だっていつもお小言を言うアンはいないのですから。
充分に裸足で歩き回ることを堪能した彼女は漸く目的の向日葵の方へと向かいます。
庭内にはモグラ姫が目視出来る限り、人っ子一人いません。其れも其の筈です。こんな早い時間に散歩をしようという者は、城内では稀有な人物でしょう。
時間を独り占めしたような気分になったモグラ姫は、お目当ての黄色い花の前に座り込んで頭上高く伸ばした向日葵を見上げておりました。
「青と黄色。まるであなたたちは一対ね。綺麗」
花は東の方から上がってきたばかりの太陽を待ち構えていたように、すでに彼の方へと顔を向けていました。陽の光をまるで恋い慕うかのような彼女に、モグラ姫意地らしさを感じ微笑みました。決して捻れることのない太い茎や、大きな深い緑の葉の色。
久方ぶりに見た向日葵は花は違えどやはり同じ性質を持った花です。モグラ姫はここ最近の忙しさでささくれ立っていた精神が癒されていくよう思えました。
暫く身じろぎひとつせずにじっとしゃがみ込んでいた彼女はふと、人の気配を感じ花壇の方から舗装されている砂利道の方へと目を遣りました。
するとどうでしょう。朝の光にキラキラと煌めく長い金糸の髪、目の覚めるような美しいブルーダイヤのような瞳を持った女性がこちらに目を向けているではありませんか。
モグラ姫が存在に気づいたことが解った彼女は淑女のお手本のような笑みを浮かべ、口を開きました。
「おはようございます。お久しぶりですね、アイリス様。あなたも散策ですか」
「エリザベス様、おはようございます。久方ぶりです。驚きました、あなたは今離宮の方へお住まいであるかとばっかり。お昼ではないですがまるで白昼夢のようですわ」
「お父様に連れられてきたの。けれども男性の方って夜遅くまで面白くもない政の話ばかりしているでしょう。夕食会を早々に切り上げてベッドに入ったら、目が冴えてしまって庭内を歩いていたのよ」
エリザベスという女性は、現国王の弟の娘で城から少し離れた場所にある花離宮と呼ばれるところを住まいとしておりました。彼女は何故かモグラ姫の姉のサラや、妹のアリスと顔立ちが似ており実は落とし胤なのではないかと噂される人物でもありました。
モグラ姫は従兄弟に当たる彼女の煌びやかな雰囲気が苦手で幼い頃に顔を合わせたきり、避けるように接触を避けていた人物でした。
「城の庭内は、花離宮と呼ばれるエリザベス様のお住まいには劣るかもしれませんが、幸いなことに現在は夏の盛りでございます。色とりどりの花々があなたを迎えたことでしょう」
「そんなに謙遜をされないで下さい。素晴らしかったですわ。けれども、こちらへ来て少し不思議に思いましたの。各区画ごとに調和を大事のしていらっしゃる庭師をお抱えになっているのに、まさか花壇の目立つ場所に大ぶりな向日葵があるとは思いませんでしたわ。これは庶民が親しむ花でしょう、背ばかりが高くってみっともないのにどうしてどうして植わっているのかしら」
「調和を大事にされるエリザベス様には頭が上がりませんわ。けれども、庶民が愛でる花もまた、花は花。貴賎はないと私は思います」
「そうね、ここは私の愛する庭ではありませんもの。とやかく言うものではありませんでしたわ。お気を悪くしてしまったのならごめんなさい」
「いいえ、気にしておりませんので、お気になさらず」
「ところで、面白い噂を耳にしたの」
「其れはどのような類のものでしょうか」
「アイリス様、あなたのことです。最近、穴倉に篭っていた姫が恋を知ったと。其れがまさかのサイラスだって言うお話よ。笑ってしまうでしょう」
「そうなのですか」
「そうよ。あなたはご存知ないかもしれないけれど、サイラスと私は内々に婚約の話進んでいるの。だのに、彼を嫌っているあなたがまさか、恋をしているというじゃない。荒唐無稽すぎて耳を疑ったわ」
モグラ姫は先ほどの自由な気分からまるで、地に落ちた鳥のような気分になりました。よりにもよって従兄弟であるエリザベスと鉢合わせしようとは、天に御する神だって解らなかったことでしょう。公務の忙しさとはまた様相が違った憂鬱さが彼女の胸に去来してきます。ましてやサイラスの事情などエリザベスから聞きたくはありませんでした。
「黙っているようだから、重ねてお話しさせて下さいな。私、お城の中の情報には精通しておりますの。あなたは他の姉妹と違って分をわきまえた女性かと思っておりました。直裁的な表現で申し上げましょう。あなたが暗い書庫という穴倉から這い出てきたことはお祝い申し上げますわ。けれどもサイラスは、あの方は、私のものなの。彼は誰にでも分け隔てなく優しい人だからきっと、勘違いをしてしまったのね。可哀想に」
「エリザベス様こそ勘違いをされているかと。私はこの国の王女です。確かに最近、サイラスとは親しくさせて貰っています。けれども、それは、あなたが思っているような感情からではありません。ご安心なさって。私は恋など致しません。また、未来の夫と相思相愛で結ばれることなど願っておりません。私は謂わば、政の道具の一つなのです。恋など、愛など、そんな感情は必要ありません。ですが、エリザベス様。私はあなたに継承権があること、またあなたの父が王族であることで今回は私に対する侮辱を不問に致しましょう。女性は恋をすると盲目になるといいますから。それを鑑みて不敬だとは言いません。けれども、もしもまた同じような言葉を口にするならば、その時は私も黙っていません。可哀想だと心の中で思うのは結構。ですがあなたと私の立ち位置は決して同じでないことをゆめゆめ忘れないで頂きたい」
エリザベスはまさか従兄弟が反撃に出ると思わず、暫く面を食らって口を動かせませんでした。彼女が見る限り、モグラ姫は顔に感情の色一つ乗せずまるで冷静でした。サイラスのことを牽制するだけの筈が、まさかモグラ姫に注意を受けるなど考えてもいなかったのです。
従姉妹の冴えないモグラ姫、エリザベスは幼い頃から王族の次女をそんな風に侮ってきました。だからこそ失礼を承知ながら強い言葉を浴びせていたのです。
「話し込んでいたものだから、すっかり陽射しが強くなってきましたね。近く、またお会いしましょう。恐らく夜会でご一緒することもあるはずですから」
「アイリス様、不躾な態度をしたこと申し訳ございませんでした。今日も良い一日を」
淑女らしく去っていくエリザベスの背中を見送りながら、モグラ姫は自身の掌が震えていることに気づきました。彼女の心中は怒りと羞恥、そして悲しみとが混ざり合ってまるで嵐のようでした。
我ながら王族らしく、淑女らしいとは言えないまでも及第点の態度だったでしょう。あの時、サイラスへの感情を吐露し感情のままぶつけるのは簡単なことでした。けれども恐らくそんなことをしたらエリザベスの感情は火に油を注ぐよう昂ぶっていたでしょう。どう転んだって得策とは言えません。だからモグラ姫は自身に嘘を吐き、冷静ぶった台詞を口にしたのです。その判断は間違っていたのかもしれません。けれども仕方がないのです。
エリザベスから言われた言葉は的を射ていました。モグラ姫は確かに、サイラスに不似合いです。穴倉の書庫がお似合いな後ろ向きな女です。こんなのきっと彼だっていつかは離れるに決まっています。
ここが潮時だったのかもしれません。数ヶ月の間浮かれたようになった自身に今更ながら腹が立ちました。けれどもモグラ姫にとって誰かに思われ、また誰かを思うとは今までに経験したことのない幸福の時間でした。
「きっと忘れるわ。だって私、忘れることが得意ですもの」
モグラ姫は自身を納得させるよう呟きましたが、後から後から流れ落ちてくる涙は止まりませんでした。いっそ涙が枯れるほど泣いてしまえばいい、目が腫れるのだって気にするものかと思いながら、彼女は濡れた頬を拭うこともせずアンが見つけ出すまで声も無く涙を零し続けていたのでした。




