〈Case.1 その後〉
自分をいじめた相手を許すか、許さないか。決断を下した鞠名は一呼吸を置いた後、彼女の結論を伝えた。
「私、蘭越さんのこと――許します」
瑠璃華が、驚きを隠せないといった様子で鞠名を見る。
「かしこまりました。では、こちらの鍵をお使い下さい」
キャンペーンガールが、鞠名に白色の鍵を手渡す。おずおずと鍵を受けとった鞠名に、瑠璃華が尋ねた。
「どうして……? 私、酷いことしちゃったのに」
「そうだね。でも私、わかっちゃったから」
鞠名が振り返る。
「蘭越さんが私をいじめてた理由。私が、自分に似てたからでしょ? 自分に似て『いい子』でいようと必死だったから、ムカついたんだよね?」
図星を突かれた瑠璃華の目頭から、とめどなく涙が流れ出る。とうとう彼女は、膝をついて嗚咽を漏らした。
「……種市さん、……ぐす、ごめんなさい……! 私、何も知らないで、意地悪しちゃった……」
瑠璃華から謝罪の言葉が出たところで、鞠名はその手に握っていた鍵の存在を思い出した。
「あ、そうだ。この鍵、どうすればいいんですか?」
「こちらに、どうぞ」
キャンペーンガールが恭しく手を向けた先には、いつの間か真っ白いドアがそびえ立っている。普通の家の玄関に置くには、大きすぎるサイズだ。教室の真ん中に唐突に立つドアの前に、鞠名は進み出た。物珍しげに扉を観察した後、彼女はくるりと振り返った。
「蘭越さんも、行こうよ」
瑠璃華が、ハッと顔を上げる。
「一緒に、帰ろう」
差し伸べられた腕に、涙を拭った瑠璃華がその腕を絡ませた。彼女の腕をしっかり掴むと鞠名は、キャンペーンガールから受け取った鍵を鍵穴に挿した。軽く捻ると、カチリという手応えがある。ドアノブに手を掛けた鞠名は、ふと思い出したようにキャンペーンガールの少女の方を向いた。
「あの、ひとつ訊きたいんですけど……」
「何でしょう」
「私が黒い鍵を選んでいたら、どうなっていたんですか」
少女が、手に持った黒い鍵を見せて答えた。
「同じ、です」
少女の手の中で、鍵の色が黒から白へと変わる。
「どちらの答えを選ばれていたとしても、進む未来は同じです。私共は、ただご依頼主様の手助けをしているに過ぎません。ご自身の未来を明るいものにできるかどうかは、あくまでご自身の行動に因るものです」
少女の答えに、鞠名が少し安堵する。自らの選択の正誤を、密かに心配していたのだ。
「わかりました。素敵な体験を、ありがとうございました」
頭を下げた鞠名は、ガチャリとドアノブを回した。ドアの隙間から、光が漏れ出てくる。開け放ったドアの光の渦に、鞠名は瑠璃華と二人で飲み込まれていった。
目覚まし時計が鳴る。意識を取り戻した鞠名は、自分が自身の布団にいることに気が付いた。寝床を抜け出して、新聞受けを覗く。差されている新聞の日付は、不思議な少女と出会った日の翌日を示していた。
気まずい朝食時間をやり過ごして、学校へと向かう。教室に入ると、相変わらずクラスメイトから冷たい視線が突き刺さってきた。
席に着いた鞠名に、ゆっくりと近づいてくる人物があった。その女子生徒は、机の前でモジモジと後ろ手を組んだ後、とても恥ずかしそうにこう言った。
「種市さん……お、おはよう」
「おはよう、蘭越さん」
挨拶を返されたその生徒――瑠璃華は、一瞬の沈黙の後、嬉しそうに微笑みを返した。
澄んだ空の下、鞠名たちの教室を見下ろす位置に、いじめ撲滅キャンペーンガールは浮遊していた。じっと何かを見守るようにその場にいた彼女は、慇懃な礼の後、何も言わずにその空域を離脱した。
飛行を続ける少女が、おもむろに懐から小さな箱を取り出す。どうやら、何らかの通信機器であるらしい。箱を耳元に当てた彼女は、誰かと交信を始めた。
「私です。サンプルの回収を、全て終了しました。被験者三名のうち、合格者は一名。このエリアの『柱』には、彼女が妥当だと思われます。……はい。……はい。かしこまりました。次の現場へは、“ホークスアイ ”と合流し次第、共に向かいます」
通信を終えた少女の手からは、いつの間にか箱が消えていた。眼下に広がる街を見下ろすと、彼女はいつぞやのように、そこに向かって頭を垂れた。
「これにて、キャンペーンを終了致します」
誰に聞かれるでもない言葉が、風に流されていく。通り過ぎた風の後には少女の姿もなく、ただ美しい青空が街を覆い尽くしていた。
(了)




