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Case2. 女子大学生

 講義終了時刻を迎えて、キャンパス内は夕暮れに染まっている。サークル棟C107教室の扉を勢い良く明けて、酒似星魅さかいほしみは既に集合しているメンバーに挨拶をした。演劇部らしい、良く通る声が練習室にこだますると、サークルの面子も次々と彼女に挨拶を返していく。 ――ただ一人を除いては。彼女の一級上、三年生の音更聖羅おとふけせいらがこちらに目もくれないのに気付いた星魅は、心の中で悪態をついた。荷物を置き、気を取り直してサークルの仲良しメンバーに声を掛けに行くと、友人の一人がふざけた調子で絡んできた。

「星魅ー。昨日の飲み会、何で来なかったのよぉー」

 おちゃらけて口を尖らせる彼女とは対照的に、星魅の表情がみるみるうちに曇っていく。

「え、私飲み会の話なんて聞いてないよ……」

 嫌な予感がした。

「ねぇ、昨日の幹事って、誰?」

 友人はきょとん、とした表情でその問いに答えた。

「音更先輩だよ。連絡役も自分がやるからって、全部一人でまとめてくれたみたい」

 予感的中だ。思わず睨み付けた彼女の視線の先で、聖羅が意味ありげな笑みを見せた。


 定刻を過ぎてサークルの部長が到着し、漸く演劇部は活動を始めた。発声練習などウォーミングアップを終えたところで、部長が次なる指示を出す。

「秋の定期公演も近づいてきたことだし、今日は通しで練習してみようか」

 全員が揃ってはい、と返事をし、各自の持ち場へと向かう。今回の主役を務める星魅は、室内に設けられた簡素な舞台の中央に立った。モノローグから始まり、展開されていくストーリーに、ほぼ出ずっぱりで飛び回るのだ。ヒロインの清純な生き様が乗り移ったかのように、舞台の中の彼女は輝きを放っている。

「うん、いいね。流石だ」

 演出兼監督を担当する部長が満足げに呟いた。舞台脇でそれを聞いていた聖羅の形相が、険しくなっていく。星魅が長丁場の台詞に挑んでいると、ヒソヒソと私語を交わす聖羅たちが視界に入ってきた。 こちらにチラチラと視線を飛ばしていることから察するに、恐らくこちらの批判をしているのだろう。星魅の胸に暗い感情が沸き上がった。

 通し稽古の後、皆を集めた部長は、恒例の質問を部員たちに振った。

「今の稽古を見ていて、何かアドバイスのある人はいますか?」

 互いに忌憚のない批評を出し合うことで、よりよい芝居を造り出そう、という部の伝統だ。誰よりも早く、聖羅が挙手をした。

「酒似さんに言いたいんですけど、本当に主役の自覚あるの!? あなたの動きも台詞も、全然伝わってくるものがなかったわ! もっと自分なりの解釈を――」

「まあ、その辺でいいんじゃないかな」

 聖羅の批評がエキサイトしてきたところで、やんわりと部長が割り込んだ。

「僕は、彼女なりに表現ができてたと思うけどな」

 二の句が継げなくなったところで、部長が他の部員に発言を促した。発言が強制終了される形で終わった聖羅は、その後も恨めしそうに星魅を睨み続けていた。


 その日の稽古が終わり、星魅は後輩の一年生部員と帰路に就いた。サークルメンバーの中でも特に、自分を慕ってくれている後輩たちだ。

「へー、早奈ちゃんって高校のときは部長だったんだね」

 星魅が後輩の筬島早奈おさしまさなを振り返った。

「今はこんなにおとなしいのにねっ」

 友人につつかれて、当の早奈が頬を赤らめる。

「もう……、当時も人前に出るの苦手だったけど、頑張ったの!」

 恥ずかしそうに頬を膨らませる彼女を皆でからかっていると、横合いから人影が出てきて、星魅たちの進路を塞いだ。ギョッと足を止めた一行にその人物――聖羅が笑顔を向けた。

「筬島ちゃん、幣川ちゃん、お疲れー! この後一緒にごはんどう? 私の友達メンバーもいるよ」

 早奈と友人・幣川亜弓しでかわあゆみが顔を見合わせる。すぐ近くにいる星魅のことは、完全に無視だ。

「あの、レポート提出期限が近いので……」

 一礼をした亜弓が、早奈の手を引いてそそくさと立ち去っていった。遠ざかる後輩たちを見送っていた聖羅は、思い出したように星魅の方に目をくれた。

「そうそう、衣装室で部長が呼んでたわよ。明日の練習について、伝え忘れたことがあったみたい」

 それだけを伝えて去っていく聖羅の後ろ姿を眺めながら、星魅は先ほどの伝言を訝しく思っていた。

(こんな時間に部長が伝言……!?)

 しばらく考えあぐねた結果、結局は聖羅の伝言に従うことにした。部長には自分を抜擢してくれた恩がある。本当に部長からの呼び出しだった場合に、示しがつかないからだ。

 明かりの消えたC107教室の隣、C108教室に辿り着いた星魅は、控え目にドアをノックした。ここは普段、衣装や小道具を作成している部屋で、部員たちからは衣装室と呼ばれている。電灯が点っていることを確認し、一声掛けて中に踏み込んだ星魅は、そこに部長の姿を探した。

「部長……?」

 返事がない。目の前にはただ、何列ものハンガーラックに吊るされたおびただしい数の衣装が見えるだけだ。しかし念のため、と更に奥へと足を進めた時だった。彼女の背後で、ガチャリという金属音が響いた。聞き間違いでなければこの音は――。星魅は反射的に背後の出入り口に駆け寄った。ノブにすがり付き、幾度か捻り回すがドアはびくともしない。茫然とその手を放したところで、扉の外からけたたましい笑い声が聞こえてきた。その声色から察するに、聖羅の友人たちのようだ。星魅はドアを殴り付けながら、必死に叫んだ。

「先輩、止めてくださいよ! 開けて! 開けて下さい!」

 どんなに強く訴えようとも、扉板一枚隔てたところで繰り出されている笑い声は、全く止む様子がない。それどころか、その寒々しい嘲笑は足音と共に廊下を遠ざかっていく。最終的には、扉の向こうには完全な静寂だけが残された。半狂乱になった星魅は、誰かに気づいて貰おうとドアにタックルを繰り返した。その都度ドアは大きな音を立てるが、体重が足りないのか扉を破るまではいかなかった。おまけに現在時刻からいって、サークル会館に人が残っている可能性は低い。全てを察した星魅は、その場にへたり込んだ。

(もうやだ、こんなの! 誰か助けて……!)

 胸を覆う絶望感に、両の瞼から止めどなく涙が溢れてくる。肩を震わせている彼女の背後、ハンガーラックの方向から不意に声がした。

「……お困りのようですね」

 虚を突かれた星魅が振り返ると、そこには一人の少女が立っていた。年の頃は中学生くらいに見えるが、その大人びた衣装と綺麗な造作のせいで年齢不詳な印象を受ける。星魅の脳内は一瞬にして疑問符で満たされた。

「え、ええ。あなたは……?」

「いじめ撲滅キャンペーンガールです。本日はご用命いただき、誠にありがとうございます」

 少女の返答も、訳がわからない。ますます混乱を極めた星魅に、少女が言葉を続けた。

「ご依頼主様のご様子から察するに、さぞお悩みを抱えていらっしゃることと存じます。つきましてはご依頼主様――この現状を変えてみたいとは思いませんか?」

「変えるって、どういう風に?」

 意味不明な提案に、星魅は数度目を瞬かせた。

「私どもの『いじめ矯正プログラム』にご参加いただくのです」

「は、はあ」

「簡潔に申し上げますと、ご依頼主様といじめ実行者との立場を入れ替えるのです。いかがでしょう、いじめの実行者に行為の反省を促すチャンスですよ」

 少女が抑揚のない声で働きかける。星魅は顎に手を当て、衣装室の内部を見渡した。どうやら、他に選択肢はなさそうだ。

「それで助かるんなら、いいか……。よろしくお願いします」

 星魅が投げやりにそう伝えると、少女は恭しく腰を折った。

「かしこまりました」

 早速少女は、星魅の前方、扉のすぐ近くの空間に向かって、何やら大きく円を描き始めた。何語か判別のできない言葉を唱えた後、彼女がその空間に向かって手を伸ばす。円の軌跡が発光すると同時に、少女が星魅に掌を向けた。星魅の身体が光に包まれたところで、少女が一礼をする。

「いってらっしゃいませ」

視界が眩い光で覆われた後、星魅は意識を失った。



 気が付くと、星魅はC107教室の前にいた。サークル会館の窓から見えるキャンパスには、まだ薄暮の光が残っている。あれ、と時間感覚の異常さに思い至った時、窓ガラスに映る自分の姿が目に入った。それを呼び水にして、謎めいた少女の記憶がフラッシュバックする。

(そういえば、先輩と立場を入れ替えるとか言ってたけど……身体はそのままなのかな?)

 部室のドアを開け、先に来ている部員に挨拶をする。荷物を所定の場所に置いていると、数人の女子部員が親しげに話し掛けてきた。聖羅の友人たちだ。彼女たちの話しぶりからして、自分のことを真に友人だと思っているようだ。先ほどの「入れ替える」という単語を思い出した星魅は、持ち前の演技力を生かして彼女等と話を合わせようと試みた。

 そこにちょうど、聖羅本人が入室してきた。星魅が緊張に息を止める。そのまま彼女の動向を伺っていると、星魅の友人・架純(かすみ)が聖羅に飛び付いた。

「聖羅ー。昨日の飲み会、何で来なかったのよぉー!」

 聖羅の顔付きが変わる。じゃれつく架純をいなしながら、横目で自分を見つけて青ざめている彼女に、星魅は胸がすく思いだった。

 ややしばらくして部長が遅刻を詫びながら入室してくると、ウォーミングアップが始まった。普段と同じように真面目に練習に取り組み、時間が経過するのを待つ。それが一段落すると、部長が皆の注意を集めて指示を出した。

「秋の定期公演も近づいてきたことだし、今日は通しで練習してみようか」

 いつもなら星魅が立つべき場所に、聖羅が喜び勇んで陣取る。星魅は白けた目つきで聖羅の待機場所へと向かった。モノローグから始まって、聖羅は実に生き生きとヒロインを演じている。その誇らしげな表情はまるで、自分こそがこの役にふさわしいのだと主張しているかのようだ。出番のシーンまでじっと舞台を見守っていた星魅の肩口に、誰かの指先が当てられる。振り向くと、合図の主は聖羅の友人たちだった。そっと星魅の傍に寄ってきた彼女らは、口々に彼女の耳元で陰口を叩き始めた。

「見て、あの言い方! めっちゃ大根ー」

「連続で主役に指名されたからって、調子乗ってるよね、あいつ」

 あのとき、自分に対してこんなやり取りがなされていたのか。唖然としていると、もう一人のメンバーが半笑いで舞台を指差した。

「何あれ、うける。星魅が主役してた時代の方が、断然良かったよね!」

 これには流石の星魅もむかっ腹が立つ。心の内で、聖羅を含む先輩らに思いっきり悪態を吐いた。

(何よ、やっかんでんの!?)

 不意に、脳内に声が響き渡る。

「シアターモードを起動します」

 星魅の脳内で、唐突に映像の再生が始まった。


   *


 大学一年の秋、いきなり主役に抜擢された聖羅。その後の公演会でも次々と主役級の役を射止めていく。友人たちから持ち上げられる聖羅。

「聖羅はすごいね、花形だね!」

「そんな、花形だなんて……大袈裟よ」

 謙遜しながらも、満足げな聖羅。

(ああ、演劇って楽しい! この舞台で必要とされるのが嬉しい!)


 次の年の春、星魅が入学してくる。その年の夏の公演会から頭角を現してきた星魅に、焦る聖羅。とうとう秋の公演会で星魅に主役の座を奪われてしまう。

(どうしてあの子なの!? 私の方が上手いし、才能もあるわ! 悔しい、悔しい……)


   *


 映像はそこで止んだ。恐らくは、これが自分に対する仕打ちの真相だろう。思わぬ形で聖羅たちの本音を知ることとなった星魅は、その後はずっと口も聞かずに舞台の上の聖羅を眺めていた。

 通し稽古が終わる。部長が部員たちを集めて相互のアドバイスを求めると、星魅の視界に青く輝く文字が浮かんだ。ナビゲーション・システムという言葉が併記されていることから考えると、自分への指示らしい。青い文字は星魅に、挙手をするよう命じていた。素直に手を挙げた星魅を部長が指名するとすぐに、星魅の背後から音声が発せられた。

「音更さんに言いたいんですけど、本当に主役の自覚……」

 内容といい、声質といい、間違いなく聖羅の発したフレーズだ。巧妙に聖羅に向けて改変されたその罵倒を、星魅は無表情で聞き入った。ほどなくして部長が止めに入ったその後方で、聖羅が気まずそうに俯いていた。


 その日の活動終了後、帰り支度をしている星魅に聖羅の友人たちが話し掛けてきた。

「ねえ、あいつ生意気じゃなかった?」

彼女らの視線の先には、聖羅がいる。生返事をする星魅に、聖羅の友人が囁いた。

「いいこと考えた! あいつ、閉じ込めちゃわない!?」

「と、閉じ込めるって?」

 なるべく平静を装って、星魅が尋ねる。

「そ。ちょっと痛い目見せてあげるのよ。いい薬になるでしょ?」

「キャハハ、それいいかもー」

 残りの友人たちが、意地の悪い笑みを浮かべる。星魅は彼女たちの思考回路に、鳥肌が立ちそうだった。彼女たちから聖羅を誘い出しに行くよう依頼を受けた星魅は、重い足取りでサークル会館を出た。

会館から研究棟に真っ直ぐ伸びる道を、早足で進む。五分と歩かぬうちに星魅は、前方に早奈たち後輩とつるんで歩く聖羅の姿を捉えた。

「へえ、筬島ちゃんって普段からメイクしないのー!? 演劇関係なしに、身だしなみには気を使わないと……」

 したり顔で説教を繰り出す聖羅の横で、早奈と亜弓が困惑している。星魅は憤りに駆られて、聖羅の元へと急いだ。

「音更先輩」

 唐突に現れた星魅に、三人が一斉に足を止める。これ幸いと、早奈と亜弓は互いに顔を見合わせた。

「あ、酒似先輩。お疲れ様です。私たちは、これで失礼します」

 挨拶もそこそこにその場を離れていった後輩たちを見送った星魅は、改めて聖羅に呼び掛けた。

「先輩、あの……」

「嫌よ!」

 流石に事態を察したのか、聖羅は全力で駆け出した。遠ざかっていく彼女を、星魅は追わなかった。恐らくは、何らかの力で会館に戻ってくることを予測したからだ。

一方、懸命に星魅から遠ざかっていた聖羅の視界に、赤く光る文字が点灯した。ナビゲーションシステムという表記の下には、サークル会館に引き返すよう指示が書かれている。

(嫌よ! 誰があの子の思い通りになんかするもんですか!)

 ナビを無視して疾走する聖羅を、一人の女子学生が呼び止めた。立ち止まってよく見ると、演劇部員の同級生だった。

「音更さん、もしかして家の鍵を落とさなかった?」

「えっ」

 すぐにバッグを弄った聖羅は青ざめた。確かに、鍵がない。

「誰のかわからなかったから、部室に置いてあるよ。鍵も開けてあるから、取りに行ったら?」

「そ、そうするわ」

 やむを得ない。聖羅は渋々もと来た道を引き返すことを決めた。

(酒似さんを閉じ込めたのは、衣装室だもんね……。きっと大丈夫)

 サークル会館に到着した聖羅は、辺りを警戒しながら部室へと向かった。部室や衣装室の周辺に誰も居ないことを確認してから、躊躇いがちにドアを潜る。室内を見渡すと、普段掲示板として使用しているホワイトボードに何かが張り付けてあることに気が付いた。近寄ってみると、鍵を拾った旨の伝言と共に鍵本体がマグネットに引っ掛けられている。手に取って確かめてみると、自分の部屋の鍵に間違いなさそうだった。

「よかった。危うく家に入れないところだったわね」

 胸を撫で下ろした時だった。背後で、ガチャリという金属音が響く。あっ、と扉に駆け寄ったときには既に遅く、それは開閉の自由を奪われた後だった。必死の思いでノブを空転させていると、扉板の向こうから友人たちの嘲笑が聞こえてきた。どこかに隠れていたのか。聖羅は激昂した。

「ちょっと、止めてよ! 開けなさいよ!」

いくら暴れようとも、ドアはびくともしない。

「アハハハ、いい気味ー」

 ひとしきり楽しんだ友人たちの足音が、無情にも遠ざかっていく。聖羅はドアノブを握ったまま、膝をついた。

 その扉の前、聖羅のちょうど真正面には、星魅が一人佇んでいた。そのすぐ傍に、どこからともなくキャンペーンガールが姿を現した。

「以上で、プログラムは終了です。お疲れ様でした。いかがでしたか? 当プログラムの内容は」

「そうね……」

 星魅は、閉ざされた部室の扉を見た。シン、と静まっていたその奥から、星魅の声に気付いたらしい聖羅が声を荒げた。

「酒似さんなの!? どうなってるのよ、さっきから!」

 聖羅の怒りに同調して、部室のドアがドタバタと軋む。そんな彼女をまるっきり無視して、キャンペーンガールが星魅に歩み寄った。

「最後に、ご依頼主様にはこの先どちらを望むのかをお選びいただきます」

 少女はそう言って、星魅に両の掌を見せた。そこには、白色と黒色の鍵が一つずつ載せられている。

「あなたをいじめた相手を許す未来か、許さない未来か。どうか、ご依頼主様ご自身でお選び下さい」

 二本の鍵を前に、星魅は俊巡した。普段からのわだかまりがあったとはいえ、自分が受けた嫌がらせを追体験させたことで多少溜飲が下がったからだ。そんなこととは無関係に、動かぬ扉の向こう側が喧しく動いた。

「酒似さん、私にこんなことしてタダで済むと思っているの!? 演技力だけじゃなくて思考も猿並みなのね!」

 聖羅の叫びと共に、ドアが激しく音を立てる。止まない中傷とドアの軋む乱暴な音に、星魅の表情が曇っていく。その暗い胸の中で、シアターモードで見た聖羅の言葉がどっと弾けた。

“どうしてあの子なの!? 私の方が上手いし、才能もあるわ! 悔しい、悔しい……”

 その一言は、星魅に芽生えかけていた和解の芽を摘み取るには十分な毒を含んでいたようだ。星魅は一切の躊躇を残すことなく、にこりと頷いた。

「……わかりました。私、先輩を許せそうにないので――、そっちの方向でお願いします」

「かしこまりました。では、こちらの鍵をお使い下さい」

 キャンペーンガールは、黒色の鍵を星魅に手渡した。

「これを、あの鍵穴に挿すの?」

 星魅が部室のドアを指差す。キャンペーンガールは首を横に振った。

「いえ、こちらの方にどうぞ」

 少女は、星魅の胸元を指し示す。視線を胸の辺りに落とすとそこには、いつの間にか鍵穴が開いていた。瞬きをして再度確認したが、間違いない。自らの身体に穴が開いている。ギョッと目を剥いた星魅に、キャンペーンガールの少女は鍵を挿すよう、再度迫った。部室の向こうでは、聖羅が暴れ喚いている。彼女を許さない未来とやらに進むには、この鍵を使うしかなさそうだ。星魅は覚悟を決めた。

(もう、どうにでもなれ!)

 少女から受け取った鍵を、胸元の鍵穴に差し込む。そのまま、ガチャリとそれを捻ると同時に、星魅の視界が暗転した。


 目覚ましの音で覚醒した星魅は、気付けば自分のアパートのベッドにいた。部屋はいつもの通り。適当に点けたテレビ番組の字幕には、部室に閉じ込められた翌日の日付が表示されている。通常どおりに支度をして、星魅は大学へと向かった。

スケジュール通りの講義を受け、夕刻を迎えた頃にサークル会館へと向かう。C107教室に差し掛かったとき、星魅はいつもとは違う光景に気が付いた。部室の前に、演劇部員たちがたむろしているのだ。いつもであれば和気藹々としているメンバーであるが、何か雰囲気がおかしい。星魅は、手近にいた早奈に事情を尋ねた。

「私は目撃したわけではありませんが……部室のドアがボコボコになっていて、中で音更先輩が倒れていたらしいんです」

「そう、なんだ」

 星魅は、なるべく平静を装った。その実、昨日の記憶が走馬灯の如く脳裏をかすめる。

(昨日の、夢じゃなかったんだ……)

 星魅の背筋が、ゾッと凍りついていった。


 その翌日。部活に復帰してきた聖羅は、以前とは別人のようになっていた。自信に溢れ、自己顕示欲に満ちた姿の面影はなく、親しかった友人たちと目も合わさない。当然、星魅には見向きもしない。

その後彼女は、結局星魅と一言も口を利かないまま秋の講演を迎え、そのまま理由も告げずに部を去っていった。やっと訪れた平穏な日々に、星魅は喜びを禁じ得なかった。これからは、思う存分演劇に没頭できそうだ。



 それから、半年の時間が経過した。もうすぐ、新入生に向けた春の講演が控えている。大学院への進学が決まった部長が役職を続投することになり、演劇部は慣れ親しんだメンバーで練習に励んでいた。

本番を意識した通し稽古の後、いつもの通りに意見の交換が行われる。真っ先に名乗りを挙げたのは、他ならぬ星魅だった。

「皆わかってる!? このレベルで本番には臨めないわけ! 芝居に対する自覚、本当にあるのかなぁ!?」

 ヒステリックに周囲を責めるその口調に、部員たちの空気が淀む。嫌な雰囲気の中、部室のドアが唐突に開いた。ご高説を垂れていた星魅が睨み付けると、そこには衣装の製作班の長岡叉智子(ながおかさちこ)がいた。

「お取り込み中ごめん。主役の衣装、試作品ができたから、皆にチェックしてもらおうと思って」

 今回も、当然主役は星魅だ。星魅は、上機嫌で叉智子に衣装の持ち込みを許可した。

「ついでにメイクの見本も兼ねて、筬島ちゃんに協力してもらいましたー」

 叉智子が廊下に待機していた早奈を呼び寄せる。恥ずかしそうに登場した早奈に、部員たちから感嘆の声が漏れた。彼らの注目を一身に集める早奈は、劇中のハイライトシーン、舞踏会で使用する豪奢なドレスに身を包んでいる。がっちり施された化粧と相まって、普段は地味な早奈が別人のように見える。

「おー、化けるねぇ。ついでに、主人公の台詞でも言ってみようか」

 部長が冗談半分に言うと、恥ずかしさでのぼせていた早奈が、反射的に動いた。

「……我が身が呪わしい……! 復讐の時は今ぞ……」

 シーンの一部を表情、アクションつきで披露した早奈に、部長が意外な顔をした。

「あれ、台詞覚えてるの!?」

「はい……高校のときの癖で、台本は全部覚えないと安心できなくて」

 返答を聞いた部長の顔付きが変わった。

「……ちょっとさ、そのまま稽古に参加してみない? 酒似さんのポジションで」

 星魅は眉をしかめる。しかし、他ならぬ早奈だ。確実に自分よりは格下だし、衣装の見え方もチェックしたい。最終的に星魅は、戸惑う早奈に稽古の参加を許可した。

「いいわよ、筬島ちゃん。一回くらい、主役の気持ちを味わったら?」

「は、はぁ……」

 言われるまま早奈は舞台に立ち、部員たちと共に通し稽古に加わった。

 二回目の稽古が終わると、それまで黙って全てを見ていた部長が、重々しく口を開いた。

「…………皆。主役、筬島さんでどうかな?」

 部員たちから、一斉に拍手が起こった。どうやら、全会一致のようだ。早奈は顔をぱっと赤らめつつ、周囲に深々と頭を下げた。祝福ムードの中、一名だけが憤慨に眉を吊り上げている。言うまでもなく、星魅だ。

「ちょっと、ふざけないでよ――」

 もはや星魅が何を言おうと、部員たちの耳には届いていなかった。部員たちと部長の鳴り止まない拍手の中で、晴れやかな表情の早奈がスポットライトを浴びている。主役の輝きに満ちた早奈を見つめながら、星魅は徐々に平衡感覚を失っていった。

(どうして……!? どうしてこんなことに……)



 サークル会館の窓を見下ろす上空に、少女が浮かんでいる。「いじめ撲滅キャンペーンガール」と名乗るその少女は、C107教室の窓に向かってひとり呟いた。

「……ヒトは、自分に似た者を嫌悪することがございます。いじめ実行者が嫌っていたのは、ご依頼主様の演技だったのか、それとも――。ご依頼主様の選ばれた未来では、どうか彼女と同じ道を歩まれませんよう、お気を付け下さい。さもなくば、復讐の連鎖があなた様の元へと訪れるでしょう――」

 少女はやがて、上空に開いた黒いドアの中へと姿を消した。少女が扉を閉めると同時にドアの輪郭線が薄まっていき、その後には夕闇のみが不気味に空を覆っていた。

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