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司書官と侍女の魔王様  作者: 篠崎
11/11

10---少女の知りえぬ裏事情



「真面目にやってんのかよ、ユイカ様」

「当たり前でしょ! 私だって、早く文字覚えたいもん!」

「じゃあ何でこんなに間違うんだ!? 正答率三割って、流石におかしいだろ!」

 今日も白羽宮では、そんな会話が繰り広げられていた。

 机に向かって、紙の上にペンを滑らせるのがユイカ。そして、それを監督しながら彼女に文字を教授するのはエドワールだ。

 互いに喧嘩腰ではあったが、学習は真面目に進められていた。

 第一王子ベルナールが、ユイカに約束どおり文字の教師を紹介してきたのは、一週間ほど前の事である。

 そして紹介されたのが、何の因果か書庫でユイカと口論を繰り広げた、エドワール・リシュリューであったのだ。

 ベルナールは口論の事を知らない。よって、エドワールとユイカの仲が悪いと言うことも知らなかった。

 ただ、「誰か条件に合う教師を知らないか」と、ベルナールが頼ったエルディー術師が紹介したのが、弟子のエドワールだったのだ。エルディー術師はベルナールが以前に教えを受けていた家庭教師で、エドワールの魔法の師はエルディー術師。つまりはそう言う事だった。

 特別他意の無い全くの偶然だったのだが、それにしても生徒と教師の関係は、あまり良いとはいえなかった。

 何しろ、事あるごとにいがみあい、互いに喧嘩腰で会話をしている。

 これでは学べるものも学べず、ユイカの勉強もはかどらないだろう。当初は確かにそう思われていた。

 けれど妙な対抗意識でも芽生えたのか、彼女の文字の学習はそれなりに順調だ。いさかいながらも、エドワールはきちんと教えているし、ユイカも真面目に取り組んでいる。

 フィリスもこの一週間、そんなユイカの世話に奔走していた。

 主にエドワールが文字を教えに来るのは、日中の一時間ほどである。

 彼にも宮廷魔術師としての仕事があるのだ、そうそうユイカにばかり構ってもいられない。それにユイカもユイカで、エドワールやベルナールが授業や食事の為に訪れている時以外は、この世界の常識やら礼儀作法やらを教え込まれていた。

 こちらを日常にまぎれさせて、さりげなく教授するのは、主にカリーヌだ。時折フィリスや部屋付きの侍女たちも手伝ってはいたが、貴族の子女であり王子の乳姉妹として高い教育を受けているカリーヌは、侍女である事も含めて教師としては最適だった。

 ユイカとて王女と同格である《封じの巫女》であるのだから、正式に教授を要請された以上は、エドワールもユイカの専属として所属を移動してきても良いはずである。宮廷魔術師の職務には要人の護衛や貴人への魔法の指導等も含まれているのだから。

 しかし、どうやらユイカはまだ公式の存在ではないようなのだ。

 そもそも彼女の召喚もベルナールの独断に近いものがあったらしく、術が行使される前はその成功も危ぶまれていたと言う。

 けれど実際に召喚されてしまった《封じの巫女》を、さてどう扱おうかと、現在王国の上層部で審議されているらしい。

 そう言う訳で、未だ国家から正式に要人と認められているわけではないから、宮廷魔術師をユイカの専属の教師として付ける事は叶わなかった。当然ながら、現時点では彼女の生活費をまかなう公的な予算も計上されていない。

 白羽宮の使用に関してのみ言えば、《封じの巫女》は『王国の客人』、としては認められた為に許されてはいる。しかし、備品の費用や侍女及び衛士の給金などは全て、現時点ではベルナールの王族予算から出ているようである。

 つまりはユイカの書類上の待遇は、言うなれば第一王子の愛妾に等しいのである。妃や妃候補のように公的予算が付くわけではないが、ベルナールの後見と保護の下で離宮を与えられているのだから。

 ユイカはその事を知らなかったし、また知ろうともしていなかったが、それが彼女の現状であった。

 だからこそ彼女の希望やわがままにより発生する負担の殆どを、前述のようにフィリス、そしてカリーヌが背負わざるをえなくなっていた。

 例えばユイカの文字の勉強もそうだ。彼女とて教師から直接教わるだけではなく、世の学生のように復習などにも取り組んでいる。そしてユイカの要望でそれに付き合うのは、侍女二人の日課となってきていた。

 貴人付きの侍女がそのように主の勉学に付き合うと言うのは、まあそれなりに有る事ではある。

 しかし、ユイカが主に復習に取り掛かる時間が問題だった。彼女はいつも夕食や沐浴を終えてから、つまり寝りにつく準備を終えてから、夜半まで机に向かっている。

 そしてフィリスもカリーヌも、夕食どころか軽食も取れないままにそれに付き合うのだ。

 夜と言うのは、案外侍女にとっては忙しい時間である。

 主の夕食の準備の確認から始まって、給仕、沐浴の手伝い、寝室の用意、就寝支度の補助と、大きなものだけでもこれだけが怒涛のように続いてゆく。

 何しろ二人だけで仕事を回転させているから、その間は昼食時のように何とか交代で休みを取って、手早く食事をする事もできない。

 だからこそ主人がそれに気遣い、侍女や侍従たちが休めるように早い内に就寝してしまう。それが、身分の高下を問わない、主従間の暗黙の了解であった。

 就寝の前に片付けなければいけない仕事があるなど、眠るのが遅くなりそうな時は彼らに休憩をするよう声をかけるのも、だ。

 自分からそう言った事を言い出さないのも仕える者の一種の礼節なのだから、その分気遣いを見せるのが主人としての勤めでもあった。

 しかし、当然ながらユイカはそれを知らない。知らずに夜間の勉学に、侍女たちを付き合わせる。侍女にだって人間なのだから彼女ら自身の生活があるのだが、どうやら主人の立場を得たばかりのユイカには、そこまで考えが及ばないらしかった。

 突然の環境の変化を受けて、自分の事で精一杯と言うのもあるのかもしれない。

 だからと言って、彼女の側に居る者は殆どが仕える側や格下の立場であるから、誰もその事を教えられないのだ。

 故にそれは有る程度仕方の無い事ではあった。

 けれど貴人付きの侍女や侍従の仕事は、正に気遣いの業務だ。常に気を張り詰めて主人の望む事を成さねばならない。

 それに今までは同じ侍女といえど、系統の違う仕事に携わってきたフィリスである。

 仕事であるのだから仕方は無いが、慣れない業務に加えて連日不規則な生活を強いられ、正直体力的にも精神的にも疲労が限界近くまで蓄積していた。

 それに加えて、だ。

「……また」

 ユイカの休憩時間に出すお茶を用意していたフィリスは、用意されていた熱湯から漂う、少しつんとした香辛料のにおいに気付いて嘆息した。

 念のために湯入れの蓋を開けて、陶器の内側を確認してみれば、底の方には赤い色が沈んでいた。乾いた木の実のようなそれは、リツァン草の蕾だった。特徴的な形の蕾から生まれる独特の強い辛味は、香辛料として重宝されている。

 フィリスは時間はかけずけれど念入りに、他の茶器にも何か異常が無いかと確認する。

 やがてそれ以外には特に何も特異点は無いと判断すると、彼女は近くに居た部屋付きの侍女に、新しい湯と茶器の用意を頼んだ。そして、カリーヌを探しに給仕用の小部屋を出る。

 紅茶にリツァン草の辛味は合わない。どころか、この香辛料は甘味とは相容れないのだ。砂糖とあわせると、のったりとしているにも関わらず、舌を刺すような辛味が吐き気を覚えるほどに強く味覚を襲う。

 ユイカは紅茶には、決まってたっぷりのミルクと砂糖を入れるのだ。気付かずにリツァン草の風味のついた湯で紅茶を入れれば……結果は簡単に予想がつく。

 五日前にも似たような事があった。

 その時の発見者は花茶を淹れていたカリーヌで、フィリスは横で茶菓子の支度をしていたのだが。

 温度を確認すべく、何気なくカリーヌが純銀製のスプーンで試し淹れした茶をかき混ぜたのだ。そして、茶器の底をかき混ぜた時に僅かにスプーンを捕らえたでろりとした感触に、彼女は目を瞠らせた。

 そして、曇りの無いスプーンでかき混ぜるたびにかすかに立ち上る、茶にしては違和感の残るにおい。

 カリーヌが眉をひそめながら花茶に使った湯やら茶器やら茶葉を点検していけば、すぐに茶葉に何か色のついた粉末が混ぜられているのを見つけた。淹れていた花茶は、粉末状に砕いた花実を、たっぷりと湯に溶かしてから濾すと言う手法が用いられる。大量に使用する茶葉と、ほぼ同じ色合いの粉末には、よく注意をしなければ気づかない。

 そこから先の彼女の処置は、手馴れたもの。

 その場で前掛けを脱ぎ、カリーヌはフィリスを伴って茶を淹れていた台から離れた。そして作業をしていた部屋は締め切り、白羽宮の人間全員に一切近寄らないように指示する。そして「気休め程度だけれど」と、煮沸し冷ました水を用意させて念入りに手を洗い、同じ部屋で作業をしていたフィリスにもそれを促した。

 毒かもしれないと、その時はカリーヌは小声で言った。加えてユイカに近づかず、体調に異変を感じたら直ぐに言うようにと念を押した。

 そして半刻の内に、こう言った物事を担当する人間だろうか、鈍い藍と黒の装束を纏った数人が来ると、彼らに後始末と調査ゆだねたのだ。

 他の面々が後始末をしている間に黒装束の一人である女がカリーヌとフィリスを軽く診断し、問題が無いと判断すると、彼らは部屋にあった調度やらを持ち出して去っていった。

 そこまでを見届けると、カリーヌは「もう大丈夫でしょう」と、フィリスに仕事に戻るように促した。

 その日は一日、毒か何かと不安に思いながら過したのだが――次の日に知らされたのは、茶葉にまぎれていたのは化粧品――粉末を化粧水で溶かして使う形の白粉おしろいだったと言う事実。

 少し拍子抜けはしたが、毒物ではなかった事に安堵したフィリスに、カリーヌは「恐らくユイカ様に対する、軽微な嫌がらせでしょう」と告げた。

 軽微、だと言うのか。いや確かに、混入していたのは毒物ではなかったのだから、この王宮の奥では軽微な部類に入るのかもしれないが。

 フィリスはその時、そんな驚きと不安を心中に渦巻かせながら、「誰がこんな事を」とぽつりと呟いたのを、自分でも良く憶えている。

 それ以来、白羽宮ではユイカへの嫌がらせが徐々に増えていったのだから。

 掃き清めたばかりの渡り廊下に――そこはベルナール王子の来訪にも使われる――泥土が投げられるだとか、ユイカに出す茶を淹れる茶器に絵の具や油等の異物が仕掛けられていたりだとか。

 ユイカに見つかる前に処理できるものばかりだったが、その処理は下の者達に地味に負担がかかるものばかりである。

 通常以上に負担が大きいのは、だからこそでもあった。

 宮殿内のいくつかの部屋を見て回ると、フィリスはやがて控えの間でカリーヌを見つけた。

 部屋には彼女以外誰も居ない。皆前述の通り忙しいのだ。だからこそ、カリーヌのつかの間の休息の時間を邪魔するのは気が引けた。けれども、最終的にはフィリスの独断だけでは、嫌がらせは処理しきれない。

「カリーヌ様」

 遠慮がちに声をかけると、ぼんやりと窓の外を眺めていたカリーヌは、すぐに気がついてフィリスの方を見てきた。

 金髪を揺らして振り返る。

「今度は紅茶の湯にリツァンの蕾が入れられていました。……新しい湯を頼みましたので、ユイカ様に出すお茶はすぐに用意できるかと思います」

「まあ……また、ですか」

 カリーヌは細く息をつくと、音も無く立ち上がった。そのまま、元々フィリスが居た給仕をするための小部屋へ、急ぎ足で歩を進める。

 フィリスがそれに付き従うと、カリーヌは振り返らずに口を開く。

「湯以外には、何か混ざっていなかったのですね?」

「ええ。確認しましたが恐らくは。ですが入っていない保証もないので、全て新しいものに取替えに行ってもらいました」

「そう……わかりました。片付けは私が指示しておきますから、フィリスさんはユイカ様にお出しするお茶の用意をお願いできるかしら?」

「わかりました。……あの、カリーヌ様」

 宮の中、幾つかの角を曲がり、元の給仕部屋の扉が見えてきた頃だった。

 二言三言、カリーヌと互いに報告の言葉を交わしていたフィリスは、少しだけ間を置いて口を開く。

「王子殿下には、報告しなくて良いのですか?」

 その言葉に、金髪の侍女は少しだけ緊張した面持ちで立ち止まって振り向いた。

 王子――第一王子ベルナールの事だ。

 ユイカと白羽宮はベルナールの管轄である。嫌がらせもカリーヌ曰く軽微とは言え、それでも此処で起こった事。

 王子の側近騎士クロードから、フィリスもここ数日で幾度か「ユイカ様の事、よろしく頼む」とか「ユイカ様の周囲で起こることは、事細かにシュザン殿を通じて殿下に報告して欲しい」等と繰り返し言われている。第一王子は頻繁にユイカに会いにくるので、彼の護衛として控えるクロードとは、フィリスも何度か接触していた。

 そう幾度も言われているからこそ、最初に茶葉に白粉が混入していたあの日、カリーヌはフィリスに、「この事は誰にも、ルグラン様にも言わないように」と告げられた一言が気にかかった。

 けれど王子ベルナールやクロード・ルグランの態度からして、彼らはこの白羽宮で起こっている事を、どうやら知らないらしい。

 それはどことなく、妙な構図だった。

 それに嫌がらせがあるのなら、それをする人間がどこかに居るはずである。そもそもユイカの存在を知る人は、少ないのではなかったか。

 けれどフィリスだって、ユイカに仕えると言う事よりも優先させるべき目的のために、アデルには彼女の存在や出自を話した。他の誰かもまた、そうしていたっておかしくない。

 けれども現在のフィリスは心から忠義を捧げていないとは言え、一応ユイカに仕える者だ。

 主の害は侍女にも及ぶ。気になるのも当然だった。 

「ええ。ベルナール様には、ご心配をおかけしてはなりませんもの。この事もわたくしたちが処理できる範囲なのですから、報告はしないほうが良いのです」

 カリーヌは言葉に真剣さを籠めて言う。

「ですが」

「フィリスさん。ベルナール様には、この事は知られてはなりません。少なくとも、あなたの口からは」

 少しだけ言いよどむと、カリーヌが少しだけ声の大きさを落として返す。

 気圧されるかのような、鋭い口調。するりと言葉をナイフのように滑り込ませた彼女は、それだけ言うと「さあ、早くユイカ様のお茶を用意してしまいましょう」と、微笑してフィリスを給仕部屋へと促した。

 それは有無を言わさぬ言葉であったのに、声音は気遣わしげだったのが、どこか引っかかる。

 フィリスは違和感に内心眉をひそめながらも、給仕部屋へと続いた。

 部屋付きの侍女の一人が、丁度代わりの茶器一式を持って、小机に置こうとしている。

 声をかけて作業を引き継ぐと、フィリスは今度こそ異変がない事を確認してから、休憩用の茶の用意を再開した。

 軽く時計へ視線を遣れば、針はそろそろエドワールがユイカに文字を教授する時間が終わる事を示していた。





 大分更新に間が開いてしまいました……。これもきっと多趣味の弊害。

 それと中世の毒の描写について調べていたのが地味に時間を食いました。最初は嫌がらせに異物混入なのではなく、ストレートに毒の予定だったのですよね。まあ、結局、あまり良い資料が見つからなかったので白粉や香辛料になりましたが。

 よく知らないものについて書くのは危険です。矛盾と描写的な意味で。

 次話くらいには、初期からちょくちょく名前の出てくる弟君を出せたらいいなと思っています。

 また、Web拍手を設置しましたので、何かあってもなくてもぽちって下さいますと、ちょっとだけ更新スピードが上がったり上がらなかったりするかもしれません。

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