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「ふぅ……」
咥えた煙草から紫煙が燻るのを眺めつつ、私は息を吐いた。
ザルグレン王国の外れにある小さな集落。
王国内の内紛を激化させるため、王軍にこの集落で違法薬物が取引されているという偽りの情報を流した結果、大規模な調査と粛清が入り今や誰一人として住んでいる者はいない。
私はその中の一つ、集落の外れに位置する民家をザルグレン王国で活動する上での拠点の一つとして利用させてもらっていた。
民家の机の上には、巨大な地図が広げられている。
大陸に存在する主要な国家のみが記された地図には、数多の書き込みがされている。
それらは全て、戦争や内紛の火種となりうる情報であった。
私はペンを手に取ると、ザルグレン王国に大きく『×』と書く。
「ザルグレン王国はこれから泥沼の内紛に突入……収束するまで、凡そ三年といったところでしょうか。それまでは、特に干渉する必要はありませんね。であれば、次はどこに干渉すべきでしょうか……」
地図に記された情報に目を通していく、デイワ共和国とボランザ王国の国境に位置する村で発生した小規模な諍い、オミット皇国に存在する反皇帝派の組織、ガリアン帝国で行われている非人道的な実験――私自身と私の手下が収集した情報から、最も多くの人間が犠牲になるであろう火種はどれだろうかと考える。
「なるべく大勢の人間から理不尽に人生を奪いたいですからね……新たに開発した体内の魔力を暴走させ人体を爆弾に変える魔道具もありますから、色々と新しい手法を用いることができるとは思いますが……」
――悪魔と契約を結んでから五年、私はあらゆる火種に薪をくべ争いへと発展させる『戦争屋』とあらゆる武器を販売する『死の商人』の二足の草鞋で活動していた。
私が悪魔と契約して手に入れた他者の『記憶』に干渉する魔法は素晴らしいものだった。
初対面の相手の記憶を操作し私を信奉させる、偽りの記憶を書き込み隣人で争わせる、重要機密を記憶から盗み出す、一子相伝の技術を記憶から盗み他者の記憶に上書きする――戦闘能力こそないものの、この魔法の有用性は絶大であった。
なによりこの魔法が優れているところは、対象となる『記憶』は思い出せるか否かは関係なく、対象の脳味噌に保管されているか否かであるところだ。
最初の一年間、私はこの魔法で大陸の各地を放浪した。
様々な人間に接触し記憶から知識や情報を手に入れた。当初は魔法に馴れておらず手当たり次第に行ってしまい代償として記憶を多く失ったが、今では必要な情報を最低限の代償で手に入れる術を身に着けた。
己の力を理解し様々な知識や情報を手に入れた私は、生き返った目的である『私が味わった理不尽に全てが奪われる痛みを人類にも味合わせる』ため、手に入れた力を最も効率良く運用できる『戦争屋』と『死の商人』としての活動を始めた。
他者の記憶に干渉して争いの火種になるものがあると判断すれば周囲を扇動して焚き付け内紛を起こし、上層部が戦争に消極的な場合は記憶を弄って侵略戦争を勃発させた。
同時に様々な技術を大陸各国の技術者から盗み、その記憶を弄って信奉者に仕立て上げた子飼いの技術者に与え、これまで大陸には存在しなかった新たな武器を作り上げては、魔力を持たない人間に売り捌いた。
幸運だったのは、大陸の端にある小さな村で異世界から転生してきた赤子を発見できたことだろう。その赤子の記憶から『地球』という場所の記憶を手に入れ、『銃火器』という素人でも簡単に扱える殺傷能力が高い武器の技術と情報を手に入れることができたのだから。
あの幸運がなければ、ここまで至るのに後五年は必要となっただろう。
争いの火種は薪がくべられ大火となり、やがては国を、大陸を焼く業火へと変貌した。
今や戦争の危機にさらされていない国はほとんどなく、これまで圧政を敷いていた国では立て続けに蜂起や革命が発生している。
活動を開始してからわずか四年、滅んだ国の数は両手の数を超え、死者の数は天文学的数字にまで及んだ。
大勢の人間が理不尽に奪われる世界。幸福であった日々が、ほんの数日で崩壊する地獄。
――だが、まだ足りない。
私の魂を燃やす業火は、未だ消えていない。
数多くの死体を目にしても、何度理不尽に奪われる世界を怨嗟し死亡する人間を見ても、焼き焦げていく村や崩壊していく国家を目にしても、この怒りは収まらない。
――人間どもが理不尽に奪われ不幸な目に合っている世界を見せてくれると嬉しいぜ。
脳裏を、悪魔が最後に告げた言葉が過る。
「……悪魔と契約をした時点で、私はおかしくなってしまったということですかね」
いや、あの日私は文字通り命を落とし悪魔と契約することで生まれ変わったのだから、変わってしまっていても、なにもおかしくはない。
「ふむ、少し集中力が切れてきましたか」
ゴキリ、と首の骨を鳴らすと、私はコフィと呼ばれる苦みの強い飲み物でも淹れようかと咳から離れたところで、室内に扉を叩く音が響いた。
「どうぞ」
入室の許可を与えると、屈強だが身なりの良い男性が入室してくる。
記憶を操作して信奉者へと作り替えた子飼いの一人である男性は、私の姿を目にするなり頬を紅潮させ瞳を潤ませその場に膝をついた。
「ディケイ・マリットソン、ただいま帰還――」
「そういうのはいいです。用件だけ話してください」
冷めた口調で告げる。
己の発言を遮られれば人間だれしも大なり小なり不快感を露わにするものだが、私の信奉者に改造されている男性は、私に声をかけられたこと自体に恍惚な表情を浮かべていた。
私にとってこの男性は――否、この男性だけでなく子飼いの信奉者は全員、便利な道具でしかない。決して裏切ることのない、けれどいつでも捨てることができる便利な駒。
人間として最低の行いであるということは常識として理解している。だが、心は痛まない。
一度死んでから、倫理だとか正義だとかそういう字面だけは立派なものを守る気は失せたのだ。己の望みを果たす為ならばあらゆる手段を許容できる人間に、私はなっていた。
「バズリスク帝国より、例の者が届きました」
「例の者――というと、彼女達ですか。あの皇帝が意外と簡単に手放しましたね」
「ハリィン様の命令通り、開発途中の四式狙撃銃『ダッケンベルン』を優先的に販売するとお伝えしたところ、あっさりと」
「そうですか。やはり皇帝はまだまだ他国を侵略するつもりのようですね」
バズリスク帝国は、私が死の商人として活動を開始した初期から取引を行っている国であり、現在急速に力をつけて支配圏を広げている国家であった。
その成長速度は凄まじく、今や大陸の十分の一を支配下におさめようという勢いであった。
活動初期は名前を広めるために取引を開始し、今まで関係を続けてきたのだが、帝国があまりにも力をつけすぎてしまったため、帝国のある大陸の南側では帝国の動きを警戒して各国の戦争が膠着状態に陥りつつあった。
大勢の人間に理不尽に奪われる痛みを与えたい私としては、看過できない問題であった。
「干渉対象をオミット皇国からバズリスク帝国に変更しましょう。これ以上膠着状態が続くのは好ましくありませんから……ちょうどいいですし、帝国からいただいた彼女たちを使いましょうか。表に彼女たちを並べておいてください」
「分かりました」
男性が退室した後、私は改めてコフィを淹れて一息ついた。
―――
民家の前には、一人の女性と四人の男性が膝を着かされ並べられていた。
奴隷が身に着けるような粗末な服に身を包んだ彼女たちの表情は死んでおり、何日も身体を洗っていないのか身体からは饐えた臭いがした。唯一、首に取り付けられた魔力封じの首輪だけが新しく、ほとんど汚れていなかった。
現実が受け入れられず逃避しているのか、あるいは現実を受け入れた上で絶望しているのか分からないが、このまま彼女たちが私に気付かないままでは面白くない。
「その女性の顔をこちらへ向けてください」
「はい」
ディケイ・マリットソンが女性の汚れ切った金髪を鷲掴みにし、こちらへと顔を向けさせる。
酷くやつれ汚れ切ってはいたが、その顔立ちは記憶の中にあるものと一致した。
「お久しぶりですね、聖女アメリア。いえ、元聖女とお呼びしたほうがいいでしょうか。今はもう、ジュネリウス王国はないのですから」
「……誰、あんた?」
「忘れてしまいましたか? 髪が白髪になりましたし首にもまるで斬り落としたかのような痣があるため分かりにくいかもしれませんが……まさか、自分が陥れて処刑させた悪役令嬢の存在を忘れたわけではありませんよね?」
「悪役、令嬢…………ッ!?」
ようやく私が誰か気付いたのか、聖女は驚愕の表情を浮かべた。
――彼女たちの身柄がバズリスク帝国に確保されたという情報を手に入れたのは、偶然であった。
私が戦争屋兼死の商人としての活動を開始してから三年が経過した頃にジュリネリウス王国が他の国に侵略され滅んだことは聞き及んでいた。
一度たりとも私の声を聴かず聖女の肩を持ち続けたジュリネリウス王国に対して、私は王国の周囲の国に優先して武器を販売するという意趣返しを行った。
聖女への信仰が強い上、初代聖女が生まれた国であるためか魔力量が多く魔法の才能に秀でた人間が生まれやすいため軍事力が非常に高い王国は周囲の国々の侵攻からも身を守っていたのだが、四方を他の国に囲まれ立て続けに戦争を仕掛けられた結果、崩壊した。
私としては王国が崩壊したことでジュリネリウス王国及びそこに住む聖女や第一王子、民衆への報復は完了していたため、その後王族や聖女がどうなったのか全く調べていなかったのだが、つい先日バズリスク帝国に仕事で出向いた際、皇帝からとある王国で聖女として崇められていたアメリアという女とその取り巻きである元第一王子を奴隷として購入したと聞かされた。
王国が他国に侵略され地図からなくなった時点で報復は終わっていたため当初はどうでもよかったのだが、とある理由から聖女及び第一王子たちが必要になったため、皇帝に取引を持ちかけて彼女たちを購入した。
「ハリィン・マクウィル……貴女、生きていたのッ!?」
「いいえ、私は死にました。ですが、悪魔と契約して生き返ったんです」
「悪魔と契約ですって? 悪魔なんて設定でしか出てこない過去の遺物のはず……」
どうやら彼女が告げていた乙女ゲームとやらにも、悪魔の話は登場したようだ。
それにしても、と私はアメリアを見下ろす。
かつて私を罠に嵌めて処刑した聖女であり、私の人生を決定的に崩壊させた黒幕。
報復行為は王国が消失した時点で終えたつもりでいたが、実際に聖女を目の前にして自分がどのような感情を抱くのか予想ができなかったが――実際に自分の仇を目の前にしても感情には僅かなさざ波すら起きなかった。
聖女の隣に並べられた取り巻き――かつての婚約者と義弟、面識はほとんどなかった騎士団長の息子と宰相の息子に視線を転じても、それは変わらなかった。
憎しみも、怒りも、同情も、憐みすらも抱かない。
すでに報復を終えているという理由もあったが、それ以上に度重なる魔法の行使で彼女たちの記憶がほとんどを残っていないためであった。
聖女や第一王子に関する記憶は、私が唐突に婚約破棄されたあの日のからのものしか残っていない。
聖女という存在が担う役割や特殊な魔力、体内に宿す魔力量の多さなどは知識として残っているが、ハリィン・マクウィル公爵令嬢として生きてきた十五年近い歳月の記憶はすでに私の中には残っていなかった。
故に、聖女や第一王子に裏切られた記憶はあるがその過程は一切覚えていないため、彼女たちの姿を目にして激情に駆られるということはなかった。
私にとって、聖女はとある理由のために購入した奴隷という以外の価値はない。
しかし、彼女にとってはそうではないのだろう。
聖女は獣のように歯を剥き出しにし、叫んだ。
「アンタが、アンタが生きていたから! 私の逆ハーレムルートがおかしなことになったんだ! ゲームじゃ死ぬまで男たちに囲まれて幸せに過ごしたってなってたのに私がこんな目に遭っているのは、アンタのせいだ!」
「私のせい、といわれればその通りですね。今、大陸で発生している全ての諍いは、私が引き起こしたものですから」
「自分のせいだって認めたわね! なら、さっさと私を解放しなさいよ! そうすればアナタがしたことを許してあげるわッ!」
「一体どの立場からものを言っているんですか、貴方は……」
喚く聖女の声は甲高く、耳障りであった。
彼女の髪を鷲掴みにしているディケイに五月蠅い口を黙らせるよう命令すると、彼は勢いよく掴んでいる頭を地面に叩きつけた。
持ち上げられた彼女の顔は、鼻が圧し折れた上に歯が砕けており、聖女としての面影など微塵も残っていなかった。
「それにしても、貴女がこんな目に合っているのに騒ぎすらしないとは……元第一王子たちは、完全に精神が死んでいますね」
聖女が喚き、地面に叩きつけられても、第一王子たちは一切反応を示さず俯いていた。
皇帝が人体実験の材料にする前に購入したのだが、すでに反抗的な意思を封じるために薬物で精神を崩壊させていたのだろう。
例え精神が死亡していても、生きてさえいれば問題ないのでどうでもいいが。
「さて、私もそれほど暇ではありませんのでそろそろ本題に入りましょう。元聖女、私が貴女たちを購入した理由ですが、とある魔道具の実験体になっていただくためです」
私は懐から漆黒で装飾が一切施されていない無機質なチョーカーを取り出すと、魔封じの首輪の上から首に巻き付けた。
痛みで心が折れたのか、怯えて涙を浮かべる彼女の眼を真っ直ぐに見据える。
「これは、装着者の魔力を爆発力に変え爆弾にするチョーカーになります。これを装着された者が体内に保有する魔力は約十二時間で爆発力へと変換され、チョーカーに記録された所有者が命令を下した瞬間、装着者の内部で高められた爆発力が解放されて周囲を吹き飛ばすという仕組みとなっています。体内に保有している魔力が高ければ高いほど強力な爆弾となる素晴らしい魔道具――魔力量が圧倒的に多い元聖女に、ピッタリの魔道具だと思いませんか? 勿論、装着者は爆発力に耐え切れず死亡してしまうわけですが」
『死』という言葉を告げた瞬間、聖女が手負いの獣のように暴れ始めた。
鷲掴みにされた頭髪が抜けることも気にせず、突き付けられた死から逃れようと藻掻く。
しかし、奴隷となり首輪の効力で魔法を封じられた彼女にできる抵抗など、その程度が限界であった。
私は立ち上がると、暴れる彼女の顎を蹴り抜いた。
「彼女と彼らに貴方を所有者に登録したチョーカーを取り付けて、皇帝の元まで届けてください。そして、確実に皇帝を殺害できるタイミングで起爆してください」
私が聖女や第一王子を購入したのは、開発した魔道具を体内保有魔力量が多い人物で使用したらどうなるのかという実験と、戦争を膠着状態にしている帝国の皇帝を排除するためであった。
チョーカーのスペックからみるに、聖女が保有する魔力が全て爆発力に変換された場合、帝都の八割が吹き飛ぶ計算になる。皇帝だけでなく、皇都で悠々と生活する皇族や貴族などもまとめて吹き飛ばすことができるだろう。
国の中枢が失われたとなれば現在侵略行為を行っている軍隊も統率を失うだろうし、これを好機とみて各国が反撃に転じるだろう。
バジリスク帝国を中心とした膠着が消失し、再び戦火が燃え盛ることとなる。
「分かりました。すぐに準備いたします」
最上級の礼をしたディケイが聖女たちを馬車に押し込み、連れていく。
「それでは改めて、これからの予定を立てていきましょうか。バジリスク帝国が崩壊するとなれば、色々と状況も変わるでしょうから。この世界の人々に理不尽に奪われる痛みを教えてあげるために、まだまだやらなくてはいけないことは沢山あります……ふふふ」
頬まで裂けた笑みを浮かべ、遠ざかっていく馬車を最期まで見送ることなく家へと戻った。
――二週間後、バジリスク帝国の帝都で大規模な爆発が発生して帝都の八割が消失し、皇帝並びに皇族全員が死亡したとの情報が大陸を駆け巡った。
強大な戦力で周囲の国家を隷属させ戦争を膠着状態に陥らせていた帝国が消失したことにより、各国は帝国が隷属させていた国を奪おうと侵略を開始した。同時に、隷属させられていた国家が今度は自分たちが支配する側に回ろうとし周囲の国家と戦争を始めた。
大陸南側の戦火はより激しく燃え盛り、その土地に住まう人々の人生を焼き尽くした。
誰かが誰かの人生を理不尽に奪えば、今度は奪った誰かが別の誰かに理不尽に奪われる。
泥沼と化した戦争がいつ終わるのか誰にもわからず――これら全てが過去に理不尽に人生を奪われたたった一人の女性の手によって引き起こされたものであることを知る者は、誰一人としていなかった。
―――
「ケハハハッ! 最高だぜ、俺様の契約者はよ!」
漆黒の闇で塗りつぶされた空間に、軽薄な嗤い声が響く。
かつて魔王の右腕として数多の人間を屠ってきた記憶の悪魔ビェイズは、契約者であるハリィン・マクウィルの手によって引き起こされた戦争を観戦し、楽しんでいた。
悪魔にとって人間の不幸や絶望は最高の娯楽であった。それだけが悪魔の生き甲斐であり、かつて魔王と悪魔の軍勢が人類の生活圏を侵略したのも人間に絶望を味わわせるためだけに行われたものなのだから。
娯楽という面では、ハリィン・マクウィルが暗躍し作り上げた現世の光景は最高であった。
――当初、ハリィン・マクウィルが処刑されこの異空間に迷い込んだ時、ビェイズは彼女と契約するつもりなど毛頭なかった。
いくら自分と契約できる適性を有した稀有な存在とはいえ、所詮は戦争のない平和な世界でぬくぬくと育った十五歳の娘。
契約したところで自分を満足させることなどできないだろうから、退屈を紛らわせるための玩具にしてしまおうと、そう思っていた。
その考えが変わったのは、ハリィン・マクウィルと相対した時。
彼女の魂を目にした瞬間であった。
「しっかし、まさか俺様の契約者が魔王様の転生体だったとはな」
驚愕であった。
ビェイズは魔王が封印される場面を目撃していたため、てっきり自分と同じように異空間に閉じ込められているのかと思っていたのだが、まさか自分の魂を転生させていたとは。
いつか封印が解除されるかもしれないという希望的観測に縋るのではなく、転生を選択しすぐさま実行に移すのは、即断即決の魔王らしいが、だとしても大胆な行動であった。
しかし、結果として封印状態で行われた転生は上手くいかなかったのだろう。
ハリィン・マクウィルの魂には魔王の記憶は一切残っておらず、ほんの僅かな残滓がこびりついているだけであった。
「普通に生きていたら決して表に出ねぇ搾りカスみてぇな残滓だったが、処刑されたときの憎悪と、死亡したことで剥き出しになり契約者の魂と混じりあったんだろうが……絞りカスとはいえ、目の当たりにしたときは驚いて嗤っちまったぜ」
魔王の転生体であることを知ったビェイズはすぐさまハリィン・マクウィルと契約をし、彼女を蘇生させた。
それから五年。彼女は期待以上にビェイズを楽しませてくれた。
普通の公爵令嬢であれば、これほど上手くはできないだろう。
諍いの火種を瞬時に見抜く観察眼に、的確に焚きつける扇動力。
良心の呵責を抱くことなく他者の記憶を弄り簡単に捨て駒にする非道さ。
簡単かつ効率的な武器を開発し最も需要の高い地域に売りつける頭脳。
なにより、『人々に理不尽に奪われる痛みを理解させる』という飛躍した目的に一切疑問を抱かず他者を踏み潰せる残虐性。
どれもこれも、ただの令嬢では持ち合わせていない資質であり――魔王であれば当然のように持ち合わせている資質であった。
表に現れた魔王の魂と融合したハリィン・マクウィルだからこそ、ただの令嬢でありながらも魔王と同じ資質を獲得し、これだけのことをやってのけたのだ。
「かつて聖女に敗北した魔王様の転生者が今代の聖女のせいで覚醒し人類を滅ぼす……こんな極上の喜劇を目にしたのは初めてだぜ」
ケハハハハッ、と異空間に世界を嘲笑う声が響く。
全ての真実を知る唯一の存在は、それからも隔てられた世界から現世で繰り広げられる喜劇を見続けるのであった――人類が自分自身の炎で滅びる、その瞬間まで。