四章 第一話「囚われの魔人」
毎年ブロニクスを賑わせている風霊祭が、アマルティアのマリグノが首謀した事件によって中断させられてから三日後のこと。辛うじて騒ぎに収拾をつけたクロエ王女殿下とそのお付きである王国騎士団、デュランダル特別捜査隊の一行は、王都ミクシリアへと帰還する運びとなった。
彼らの纏う空気は一様にして硬いものであった。一連の事件の中、大型魔獣との戦闘において甚大な傷を負ったシオン・ムラクモの件。六霊守護ジェラールの死への悲哀と、風霊祭を傷つけたことによる風の大精霊セレに対する負い目。原因は多く挙げられるが、その最たるものといえば、仲間であったエルキュールとロレッタの処遇についてであろう。
ブロニクスに侵入したマリグノを倒すために、結果としてエルキュールは罪なき人民の命を奪ったこと。そもそも彼が人間ではないことが広く知れ渡り、住民からの恐れと反感を買うことになった。彼の身柄は王国騎士団に委ねられ、王都にあるブラッドフォード裁判所にて真実の調査が行われる。一言で表すのなら、囚人――という名目が相応しいものだった。
一人の少女はその魔人の扱いに異議を唱えた。ロレッタ・マルティネス。イブリスの実験をその身に受け、魔物を滅ぼすことでしか自らを肯定できないでいた彼女は、彼の不遇に涙し、その隣を頑として譲らなかった。自らの魔に属する体質と、マリグノの策略に乗せられ六霊守護ジェラールを殺めたことによる罪の審判を理由に、少女はせめてもの情けとして、魔人と道を同じくしたのだ。
斯くして容疑者の二人は王国騎士団の管理する留置所に連行された。ブロニクスまでの往路では肩を並べた仲間たちによって鎖を繋がれながら。
ザートセレの月・20日。ブロニクス事件から一週間後、王都ミクシリアの地下留置所の一角にて。騎士衆によって牢に入れられたエルキュールとロレッタは、裁判の日程が定まるまで束の間の安息を得ることになった。とはいえ、ここまで連闘に次ぐ連闘を繰り広げ、勝利を喜ぶ資格すら与えられず罪人の烙印を押され、挙句このような劣悪な場に拘束された二人にとって、この暇は決して安息などと形容できる時ではなかろうが。それでも運命に甘んじる訳にもいかない。空元気であっても前を向かねばならない理由が二人にはあったのだ。
大して面白くもない室内を一頻り観察し終えたロレッタは、いそいそと寝床を整えていたエルキュールの傍に並んでその顔を覗き込んだ。
「ねえ、エルキュール……グレンたちが言っていた言葉。どこまで信じていいのかしら……」
彼女が横に結んだ水色の髪を忙しなくいじっているときは不安を抱えているときであると、これまでの付き合いで学んだエルキュールは、これ以上雰囲気が落ち込まないよう努めて明るく答えた。
「彼らが俺たちの正当性を主張するという話だったか。確かに俺たちが起こした事件の数々は全て、アマルティアの存在に依存している。俺も君も、あの時は人々の幸福のため、迫りくる脅威に抗うために戦っていた。それは間違いない。グレンたちが成功するかは知らないが、その点から見れば、今の俺たちの処遇というのは厳しすぎるという考えもできるだろう」
「……そういう風に思っているなら、どうして貴方はちっとも怒らないのよ。本当に貴方はいつも他人の感情や都合ばかり優先して……見ていて、時々辛くなってしまうわ」
「悪い、君を傷つけたかったわけでは――」
「だから、そういうところ! はあ……でも、いいの。貴方が貴方を第一に考えることができないなら、代わりに私がエルのことを守ってみせるから。誰かの悪意も、行く手を邪魔する障害も。これからは私が跳ね除けてあげる、貴方の傍で」
ロレッタは質素な寝床に腰を落ち着けると、手招きしてエルキュールと誘った。エルキュールは彼女の隣に座りながら、先の言葉について思案し始めた。
自分はこの世界で目覚めてから、内に眠るイブリスとしての特性を隠し続けて生きてきた。そうしなければ家族と共に生きられなかったから。やがてアマルティアの台頭により、戦いが避けられなくなってからも、エルキュールのその性格は変わらなかった。あのブロニクスの戦いでイブリスとしての自分を受け入れたにも拘わらず、今ここで大人しく牢に入っているのはなぜだろうか。ヒトのための檻など、魔人にとっては何の関係もないというのに。
「俺に比べて、君のほうは随分変わったな。君がそのことをどう捉えているかはさておき、今の君の方が格段に好ましい。表情が柔らかく、話しやすいしな」
「……急に口説くのはやめてちょうだい。今は貴方の話をしているのよ? というより、私が変わったのも、私が今ここに居るのもぜんぶ貴方のせいなのだから! 他人事見たいな態度はやめてもらえる!?」
依然として惚けた顔しているエルキュールに痺れを切らしたのか、ロレッタは顔を赤らめて捲し立てた。
「エルが私を救ってくれたから、姉さまのことを救ってくれたから、マリグノを倒すのに力を貸してくれたから、今の私があるの! そのことはとても感謝しているし、貴方が望んでくれるなら、これからは貴方の傍で貴方の力になりたいと思ってる! 不満があるなんて言わせないからっ!」
「……そう、か。……うん。別に不満はないが、そんな風に直接的なことを言われたのは初めてだから、少し戸惑いはした」
「嘘つき、ジェナにだって慕われているくせに。あの子の貴方を見る目、日に日に凄いことになっているって自覚ある?」
「どうしてそこでジェナの名が出るのかも含めてよく分からないな。光の聖域の件では協力関係が増したとは思っているし、俺も彼女のことは特別だと思っているが……」
それがどうしてロレッタと関係するのだろうか。首をかしげるエルキュールに、彼女は「……馬鹿」とか細く零したきりそっぽを向いてしまった。
ふとその仕草がエルキュールの古い記憶と重なる。あれは珍しくアヤと仲違いしてしまったときのことだ。住んでいたアザレア村を追われて放浪の旅をしていた折、エルキュールは家族を守るために魔獣との戦いに明け暮れていた。
エルキュールは家族さえ守れれば自らの身がいくら傷つこうが構いはしなかった。どうせ時が経てば癒える傷だからと歯牙にもかけなかった。その無謀な戦い方を見かねたアヤが、泣き喚きながら言ったのだ。「どうして自分を大切にしてくれないの!」と――。
エルキュールは自らの間違いを認め、それ以来無茶な真似は控えるようになったが、心の奥底では未だに理解できていなかった。「自分の能力を最大限に活用することせず、ヒトの型に落とし込めることが第一なのか」疑問は抱えてきたものの、家族を悲しませたくはなかったから世界に適合する道を選んだ。
それからアマルティアのザラームの言葉を聞き、彼らの生き方に触れ、ジェナやロレッタという自らの非人間性を受け入れてくれる存在にも出会った。
今思えば。エルキュールはアヤたちともそうした関係を築きたかったのかもしれない。守り守られるだけでなく、人間とヒトもどきだけの関係でなく。だからこそ、あのヌール事件のときに家族から離れる決断をし、自らの中に確固たる答えを求めたのだろう。
ならばこの牢に入れられることになったのは、窮地であると同時にこの上ないチャンスであるとも言えるだろう。先も話題に出た、グレンやジェナとの別れ際に交わした約束だ。「オレが外の連中にも受け入れられる公平な決着を示してやる。お前らの存在は正しいと証明する。だからお前らはそれまで休んでいればいい」赤毛の青年は、こちらに悪意などあるはずもないと信じて疑わぬ眼差しで告げた。
エルキュールはその頼もしい相棒の言葉を信じているからこそ、こうして冷静でいられるのだ。そしていま隣にいるロレッタもまた、エルキュールを守るのだと宣言してくれた。
「ロレッタ、ありがとう。俺はまだヒトの世界を知らない。ヒトの想いを受け取ったり抗ったりするのも苦手だ。だからこそ、君が隣にいてくれるというのはとても頼もしいことなんだ。先ほどは上手く話せなくてすまなかったな」
「……別に、いいわ。貴方が貴方らしくいてくれたから、今の私があるのだし」
この地下牢に窓はない。しかし大気中で活性化している闇の魔素が、もうすぐ夜が訪れることを知らせていた。二人は寝床の準備を整え、いよいよ就寝することにした。
「さて、もう隠すこともないから言うが、魔人である俺は眠る必要がない。君は疲れているだろうし、俺には構わず休んでくれ」
「……ふうん」
「なんだ、その目は」
「決めたわ。エル、私の寝床に来て添い寝をしなさい」
「なぜだ」
「その方が気持ちよく眠られそうだから。むかし姉さまと二人でいた頃はよくしてもらったの。姉さまが旅立たれた今、私に安らぎを与えるのは貴方の役目ってことよ」
「そう言われると、弱いな」
エルキュールにしても、たまにアヤにせがまれて添い寝をしたものだ。たまには懐古も悪くないだろう。寝転んだロレッタの横に並んで、目を瞑って睡眠の真似事を試みる。
「ふふ……いい気分だわ」
「ならよかった。お休み、ロレッタ」
すぐに大人しい寝息をたてたロレッタが穏やかな寝顔をしていることに、エルキュールはどこか救われたような気持ちになった。




