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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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幕間「不和」

「何故、俺様が力を求めたか……だとォ?」


 ザラームの手によってアマルティア幹部の面々が揃ってから暫し経った後のこと。オルレーヌ王国と、スパニオ亜人連合国の間に広がるゾルテリッジ大森林にて。

 砂の魔人ディアマントは新入りの幹部キリオスのしたその問いに、煩わしげに顔をしかめて振るっていた大斧を下ろして中空を見据えた。


「俺様がまだ人間だった頃の話だ。カヴォ―ドの貧民層はあの凍土で生きる術が限られていた。略奪や殺人など日常茶飯事。そんな環境で唯一信じられるものといえば無論、てめえの力のほかにはねえだろォ?」


「だが、あなたはその欲望を抑えきれず、砂の遺物シャル―アにまで手を伸ばし、逃れられぬ呪いをその身に負うことになった」


 その言葉にディアマントの眼光が鋭さを増す。遺物の話はザラームの他には話していないうえ、彼がみだりに吹聴するような性格でないことも知っている。どうやらこの細身の魔人は、見た目の凡庸さに対して随分と図抜けた分析力を有しているようだった。

 ディアマントは磊落に笑し、ようやくキリオスを正視した。


「ディアマントさん。力を求める者は、得てして自らの弱さを知っているもの。その強さが塵と消えぬことを祈ってますよ」


「はァ? 何が言いてえのか分からん野郎だ。俺様は負けねえ、あらゆるものを超える。このくそったれな呪いも、世界も、全てを覆してやる。……お前もアマルティアに選ばれたからには、せいぜい使命を全うするんだなァ。その減らず口が利けるうちにあくせく働くこった」


「……ふふ。そうですね。先輩の助言、しかと肝に銘じておきますよ」




◆◇◆◇



「ワタクシがアマルティアに入った理由、ですの?」


 風の魔人ミルドレッドの役割は、アマルティアが操る雑兵を確保することにあった。故に各地を転々としていたのだが、キリオスは彼女と偶然に同じ任務に居合わせた際、かつて砂の魔人にしたように質問を投げかけていた。


「貴方……他人の心を暴くのはあまり良い趣味とは言えませんわよ? それともこういった類のコミュニケーションしかできないお方なのかしら」


「申し訳ありません。単なる雑談ついでにと思っただけです。僕と同じ組織に属する方が、何を目指しておられるのか……気になって仕方ないのですよ」


「何を……と言われましても。闇の聖域に囚われたベルムント様を解放するのがワタクシたちの役目だとザラームも言っていたでしょう」


「だがあなたはその使命に心から取り組んではおられない。そうですよね」


 それまで単なる辺鄙な草原だったところが、たちまち暴風の地と化した。キリオスは微塵も狼狽えることなく続けた。


「過去に囚われる気持ちは僕にも覚えがあります。しかし、我々はヒトと隔てられた世界で生きるほかない。旧世界を焼き尽くし、新生を歩まねばならないのです」


「これはまあ、なんと生意気な説教ですわね。たとえそうでもワタクシは……いえ。止めておきましょう。これは言葉にしても無意味なことですから」


 颶風の魔人が見据える先に自らの幸福はないようだ。キリオスは目敏く気づいたが、ここでそれを咎める気は起こさなかった。未来を志向せず、とうに過ぎ去った温かい追憶のみが救いとしか考えられない者もいる。彼女もきっとそうなのだろう。


「あなたが真に大切にするものと、また触れ合えるときが来ることを願っております」




◆◇◆◇



「……はあ。うざいのが来たね、ボクの実験室に入っていいのは、ボクとボクの被験体だけというのを忘れたのかな?」


「いえ、滅相もありません。僕はただマリグノさんの研究に興味があるだけですよ」


 エスピリト霊国とオルレーヌ王国の国境付近に隠されたその施設は、アマルティアの頭脳たる白衣の魔人の根城として知られている。魔物を操る魔法や、精霊の遺物に関する研究など組織の根幹に関わる故にヒトの出入りは最小限にするようマリグノはしばしば他の幹部に言づけていた。誰も彼女の狂った思想には追従しない。例外なのはこのキリオスくらいのものであろう。


「あんたの用件は分かってる。ボクがなぜ研究を続けるか、でしょ? 毎度やってきてはそのことばっかだからいい加減飽きてきたよ」


「……飽きたから答える気になったと?」


「癪だけど、そうだね」


 研究用の魔動機械が並べられたデスクから振り返ったマリグノは、恭しい調子で佇むキリオスを見据えた。


「単純なこと。ボクは弱い人間が嫌いなんだ。魔人になる前からずっと、ボクはこの美しい世界に不釣り合いなリーベに福音を授けたいと思っていた」


「福音とは、魔人化のことですか」


「それもある。だけど、ただイブリスとなるだけでは足りない。世界の魔素を意のままにコントロールできるだけの力が必要なんだよ。ベルムント様がこの世にイブリスを生んだのは、民草に力を与えるためだとボクは解釈している。だから弱き者は強き者の餌に、強き者はより強き者へと生まれ変わることこそ、世界が目指すべき理想なんだよ」


「ふむ。あなたが口にしていたあのロレッタという娘はその到達点ということでしょうか?」


「ああ――」


 マリグノはそこで足を組み替えると嬉しそうに口角を吊り上げた。


「彼女は素晴らしいよ。人間の身体を残しながら、魔人としての特性も兼ね備えた優秀な個体だ。魔人の汚染本能とは無縁ながら圧倒的な魔力を手にすることができるのだからね。風の噂では王都に流れ着いたようだけど。いつその真価が花開くか、非常に楽しみだよ」


「真価……。単なる魔人とは違った生態と特性……。ザラームさんが目にかけているあの魔人とはまた違うようですね」


「……あれは、ボクから言わせればただの化石さ。力を持ちながらそれを閉じ込めるのは愚の骨頂。本当につまらない奴だ」


 マリグノは再び机に向き直ると、それきりキリオスのほうを見ることすらなかった。


「……あなたが生物にもたらす進化が、いつか世界を良い結果を導ければ幸いです」

 



◆◇◆◇



 ブロニクスの事件が収束した直後。仲間の魔人から事の顛末を聞いたキリオスは、例のゾルテリッジ大森林の集会場にザラームを呼び出した。

 薄暗い木々に月明かりが射しこむ頃、仮面の魔人は珍しく側近を伴わず一人で場に現れた。


「フロンさんとアーウェさんでしたか。お気に入りの少女たちはお連れではないのですね」


「キリオス、そのような話をしたくて呼びつけたわけではあるまい」


 悲しげな音色の風が吹く。キリオスの持つ銀髪は月に照らされ輝き、長身の体躯は闇に溶けて不気味さを漂わせる。尋常ではない雰囲気であったが、ザラームは意に介することもなかった。キリオスは諦めたように溜息をついて殺意を消すと、一転していつもの柔和な笑みを浮かべて言った。


「あなたは何を企んでおられるのか。ヌールの街を落とし、高らかに世界へ反旗を翻したところまではよい。だがそのあとの体たらくは見るに堪えませんでした。ディアマントさんは王都にて枯れはて、ミルドレッドさんは結局アマルティアに適合することなく、マリグノさん共々散ることに」


「……ふむ、その責任が私にあるとでも言いたいのか」


「当然でしょう! あなたが率先して我々を率いてきたことをお忘れですか? これは果たして、ヒトの世界を崩すにおいて最適な人員配置だったのでしょうか? 僕にはあなたの欲深さが招いた結果としか思えないのですがね」


「欲深さ……?」


「惚けて煙に巻くのがお好きなあなたにも分かるよう申し上げるなら、ヌールにいたあの黒衣の魔人のことですよ。エルキュール・ラングレー……あなたが彼を刺激した故に、リーベとイブリスの力関係は大きく変わってしまった。マリグノさんの仰る通り、あれを仲間に引き入れるなど無理な話だったのです!」


「なるほどな、確かにその点で言えば私のミスだ。しかしキリオス、我々の練ってきた計画自体は滞りなく進んでいるとは思わないかね? 確かに我々は多くの同胞を喪った。しかしそのエルキュールの働きによって、あの目障りな教皇の地位も揺るぎつつあるといえよう」


「……それは、彼の精霊と闇の封印に関する調査のことですか? 闇の封印が完全ではないことで聖域からベルムント様の力が漏れ、その結果僕たちイブリスの隆盛に繋がっている。そのことが人間たちに広く知られれば、当然責任を問われるのは、闇の六霊守護たるエスピリト霊国の教皇でしょう。周辺には少なからず混乱が生じる」


「その時になれば、たとえ少数になろうと我々の付け入る隙は大いにあるだろう。エルキュールというヒトの救世主の存在が大きくなればなるほど、我々は目的を達しやすくなるのだ。そう、ベルムント様の解放にな」


 ザラームの言葉は正しいのかもしれない。しかし、その冷酷なまでの合理主義はキリオスの反感を殊更掻き立て、決定的な思想の差を明るみにすることとなった。


「……そう言えば、あなただけは僕の質問に答えてくれることはありませんでしたね」


 もはやこの場に用はない。キリオスは踵を返して去り際に一言呟いた。


「その傲慢を、きっといつか後悔することになるでしょうね」


 暗き森にひとり残されたザラームは、キリオスの去った木々の間に広がる闇を暫く見つめると失笑した。


「この身に積もる後悔は、もはや如何なるものでも雪ぎきれないものだがね」


 悲しげな音色の風が吹く。二人の去ったゾルテリッジ大森林は、寂しげな月光と薄闇で満ちていた。




◆◇◆◇



「ああ、そうだ。エルキュール・ラングレー……彼を止めなければならない。ザラームさん、悪く思わないことですね……僕とて、イブリスのためを思っているのですから」


 自らの拠点に戻ったキリオスはひとり呟く。その手にはある一枚の写真が握られており、そこには薄紫の髪色が映える親と娘と思しき女性たちの姿が映されていた。その見た目の美麗さも、笑顔も、性格も、思想も主義も経歴もキリオスにとってはどうでもいい。ただ重要なのは――。


「リゼット・ラングレー……そして、アヤ・ラングレーか。魔人を家族と迎え入れた一家にして、あの男の――」


 キリオスはその写真を懐に仕舞うと、決意の満ちた表情で天を見上げた。


「ディアマントさん、ミルドレッドさん、マリグノさん。あなたがたの無念は僕が晴らしましょう。……といっても、あなたがたは無念など抱いていなかったのかもしれませんが。それでも……」


 この心に燻る炎を無視するなどできるはずもない。己の使命をしかと定めたキリオスは、それからアマルティアの同胞に告げることなくひとりで行動を開始した。

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