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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 最終話「救世主の帰還」

 クラーケンを撃破しブロニクスの街へ帰って来たエルキュールとロレッタを待っていたのは、想像し得る中でも最悪の事態であった。ヒトとしての姿を模倣し、トゥール海を凍り付かせて直接港にたどり着いた二人を、銀の甲冑を着込んだ騎士衆が瞬く間にして取り囲んだ。風霊祭のために王都から派遣された王国騎士団、エルキュールらデュランダル特別捜査隊とは協力関係にあったはずの部隊である。それが今では物々しい雰囲気を隠しもせず、まるで咎人を見るかのような目で二人を睨みつけていた。


 その後ろにたむろした住民たちもまた、怪訝や軽蔑などといった表情をめいめい浮かべて、あちこちで小声で何かを囁き合っている。全くもって異様な光景、ロレッタは怯えたように俯き地面の一点を固く見つめた。魔人であるエルキュールは、人間よりも優れた聴覚で以て大凡の事態は把握できたが、ここでそれを隣で震える彼女に共有したところで何の解決にも至らないのは明白であった。故にただ、覚悟を決めて断頭台に上る囚人かの如く黙し、自らの沙汰を待ち続けた。


 ややすると、奥のほうの人垣がざわめきと共に二つに割れ、現れた道から一人の少女が悠々と近づいてくるのが見て取れた。純白のドレスに背中まで覆う眩い金髪。まだ幼さの残る顔立ちは毅然としており、腰に差した細剣と隙の無い足運びが傑物の二文字を想起させる。至高の一族、稀代の名手。このオルレーヌ王国で風の妖精と謳われる、クロエ・ド・フォンターナその人であった。

 クロエはどこか憂いを帯びた様子でエルキュールとロレッタの前に歩み出ると、なんと危機の去った街中でレイピアを抜き払って告げた。


「親愛なるブロニクスの民たちよ、どうか鎮まり給え。この者の処遇については、わたくしが責任を持って請け負います。一先ずこの場で身柄を拘束し、王都にて勾留致します。かけられた嫌疑に関しましてはそのあとに確かめさせていただきますので、皆様に置かれましては根拠のない推測を広めることなどしませんよう」


 凛としたクロエの視線は突き刺さる。顔を蒼くするロレッタの――その傍らに立つ黒き魔人に。


「エルキュール・ラングレー、端的に申し上げます。ヒトの世界に生きる魔人である貴方には現在、罪なきブロニクスの民たちを手に掛けたという容疑がかけられています。この街にアマルティアの輩が侵入したのとほぼ同時刻に起こったことであるとの証言です。念のため先にお尋ねしますが、これについて何か述べておきたいことは――」


「ふざけないでっ!!!」


 滔々と語るクロエを遮ったのは、当のエルキュールではない氷の少女であった。それまでの怯んだ姿勢をひた隠し、突如降って湧いた理不尽に噛みつく。


「エルが人殺しですって!? そんなふざけたこともう一度口にしてみなさい、私がどんな手を使ってでも……!」


「ロレッタさん。お気持ちは理解できます。此度の貴方がたの活躍は素晴らしいもの、決してわたくしも悪意から申しているわけではございません。しかしお二人が街で虚ろな住民たちに囲まれたとき、闇魔法の放出があったというのは複数の目撃証言から裏付けられています」


「虚ろな住民……? 確かマリグノが肉体を捨てて精神体となった時に、その分霊が住人に憑りつき私たちを妨害した。一般人に危害を加えるわけにはいかないからと反撃もできず、それで私が囲まれて、押しつぶされて……それから、エルが……っ!?」


 ロレッタはそこで一つの予感を抱いた。弾かれたようにその方を見れば、エルキュールはかつて見たこともない悲しげな笑みを浮かべていた。自嘲、悔恨、罪悪感、虚無感。あらゆるものが混じり合って真意は見えないが、この状況に関する説明としてはこの上なく分かりやすいもので。ロレッタは力なく佇む魔人の襟を掴むと、渾身の力で引っ張って詰め寄った。


「もしかしてあの時、あれだけいた住民が急にいなくなったのは……貴方が、貴方が……!?」


「…………君の想像通り、そして先ほど殿下が仰った通りだ。マリグノを倒すには君の力が必要だった。彼女を止めなければブロニクスの街は崩壊していただろう。あれだけ精神汚染が進んでしまった者は身体の限界を超えて能力を引き出されている状態だ。落ち着いて治癒する時間もなかったとはいえ結局……俺は自分のために初めて、何の罪もないヒトの命を奪ってしまった」


「う、嘘……私が……私の、せい……?」


 崩れ落ちたロレッタの肩に手を置いて慰めると、エルキュールはクロエに向かって頭を下げた。


「弁明はありません。俺が魔人であることも、ヒトの命を奪ったことも。どちらも事実に間違いありません。あらゆる処罰も受ける所存です」


「……承知しました。では……ジェナさん、こちらに」


 レイピアを解いたクロエが後ろを振り返ると、白のケープコートの少女が苛立ちを隠そうともせず傍に寄ると、懐からどこか無骨な腕輪を二つ取り出した。揃いの模様と意匠から、どうやら一対のもののようだ。それをますます不機嫌な様子でクロエに渡すと、彼女は一転泣き出しそうな顔でエルキュールを見つめた。


「……あの、エル君……これは……」


「見たところ対象の放出する魔力を極限まで抑える腕輪型の魔動機械のようだな。王都まではこれを身につけて大人しくしていればいいというわけか」


「……ごめんなさい」


「どうして謝るんだ? 正しいのは君で、間違ったのが俺だ。ただ、あまり気分の良くない仕事を任されてしまったようなのは気の毒なことだ」


「どうして、そんな他人事みたいな……貴方が力を振るったのは誰かを守るためなんでしょ!? 貴方が誰かに悪意を向けるなんて、そんなこと……あるはずないのに……」


「ジェナさん。それを確かめるためにも、エルさんの身柄を拘束し、然るべき手段で対処するというのは、先ほども申し上げましたことです」


「……そんなこと、急に割り切れるわけないじゃないですか……」


 いつかは避けられぬことだったとはいえ、この結末はあまりに唐突だ。ジェナは己に迫る矛盾から耐え忍ぶように、奥歯を噛み締めて沈黙した。

 クロエはエルキュールが抵抗しないのを確認してから、その魔動機械の腕輪を彼に装着した。その表情の色は見えない。薄情な娘ではないことは知っている、なれば自らの役目を粛々と果たそうとしているのだろうと、拘束されたエルキュールは思った。


「怒らないのですか」


「俺に怒る資格などありません。人間を殺めるのは最も罪深いことだと、世情に疎い身でも知っています」


 物事は滑稽なほどよく進む。クロエは数人の騎士を側につけてエルキュールを連行しようとした。その進路を塞ぐように、一人の少女が両手を広げて対峙する。


「そう易々と行かせると思う? 私はまだ、納得してない? これが街を救ったヒトに対する仕打ち? 傍観している者も、騎士も、ジェナも、そして……殿下、貴方も。私の話を聞きなさいよ! 私の目を見て! 私の大切なヒトをこれ以上奪わないでよ!!」


 少女、ロレッタは懸命に涙を堪えながら絶叫した。それは純真であり、無垢であり、ある意味稚拙な慟哭であった。ジェナは心配そうに事を見守り、エルキュールは相変わらず力なく俯き、クロエは毅然と立っていた。周囲の住民たちの騒めきも広がる。「本当は悪者ではないんじゃないか」「いや、だがあいつは俺の隣人を魔法で殺した」「魔人なんて滅ぼすべきなのよ、魔獣と同じ」「魔物、怖い」「怖い」「気味が悪い」「警戒すべきだ」「捕らえるべきだ」「死んでしまうべきだ」「殺すべきだ」「殺すべきだ」「殺せ!」「殺せ!」「殺せ!」


 ロレッタの想いは届かない。長らくヴェルトモンドに通底する思想というのは、魔物を排すべしという、皮肉にも彼女が今まで信じてきた主義なのである。エルキュールは世に蔓延る魔物とは違う、それをどう説明すればいいのか。検証する時間も説得の余地もない。この場を収めるには、あくまでも彼を一時的にでも拘束するほか道は残されていないように見える。

 状況が決したのを悟ったロレッタは広げた腕を下げ、代わりにクロエの前に歩み出た。周りの騎士がそれを阻もうとするが、当の王女殿下がそれを制止する。


「エルが捕らえられる理由は分かった。でもそれなら私も同じこと。私はマリグノの策によって、六霊守護のジェラール・アルタマールの命を奪った。エルと同じイブリスとしての力もこの身に宿ってる。条件は同じよ。殿下、彼を捕らえるというのなら、私のことも拘束しなさい。でないと、私は彼を連れてどこまでだって逃げてみせる。世界を敵にしたって構わない。私の全てを救ってくれた彼を見捨てるのはあり得ないことだから」


「……ロレッタちゃん」


「ロレッタ、君がそうする必要は――」


「お二人ともお静かに。この場を取り仕切るのはわたくしクロエ・ド・フォンターナの他におりません。そしてロレッタさん、そのお話は裏付ける証人は貴方以外にございますの? 先に申しておきますと、咎人であるエルさんの言葉も、別行動をしていたジェナさんの言葉も根拠に欠けるものだということを肝に銘じてくださいね」


 エルキュールの為した凶行は街中で行われた。衆目があったということ。その点から、ロレッタの聖域での暴走はこのままでは証明するのも難しい。彼女が悔しげに呻いていると、後方からやけに響く足音が聞こえてきた。


「そいつの言っていることはオレが保証するぜ、殿下。ブラッドフォード、紅炎騎士の名代の言葉だ。どこぞのシスターと違って説得力があると思わねえか?」


 燃えるような赤毛、太陽のような覇気。グレン・ブラッドフォードは瞬く間に周囲からの注意を集めると、ロレッタとクロエに割って入っていった。その後ろにはジェラールの娘、ミレーヌの姿もあった。恐らくマリグノやクラーケンとの戦いが終わったのを確認し、ここまでグレンが送り届けたのだろう。ロレッタとしてはミレーヌに合わせる顔がなかったが、グレンの登場は兎にも角にも心強いものであった。


「グレンさん……ふう。貴方の言葉はブラッドフォード侯爵の言葉、あまり軽はずみな言動は……」


「まさか。オレは正義を志す一族の者として、あらゆる罪を看過できないってだけだ。エルキュールも、ロレッタも同じだ。二人纏めて牢屋に繋いでおくべきだろう」


「ちょっと、グレン君……! そんな仲間どうしなのに――」


「ジェナ、黙っとけ。魔物が人間の世界にもたらした害悪は本物だ。二人が罪を犯したのも事実だし、てめえらの闇に向き合うことを決めたのはこいつら自身だ。騎士団としても王国民の安全を脅かした奴らを看過できねえ。ここらが落としどころなんだよ」


 グレンは有無を言わさぬ態度で捲し立てると、クロエに改めて提案した。彼女はその真摯な眼差しを前に首を縦に振ると、ジェナにもう一対の魔動機械を作らせた。

 ロレッタの腕に腕輪型の機械が装着されると、体内にある氷の魔力が徐々に薄らいでいくのを感じた。


「君の身体はあの戦いの数々で衰弱している。どうして俺の後を追う真似を」


「うるさい。貴方が……貴方のせいよ……私を変えた、貴方の……」


 エルキュール・ラングレーとロレッタ・マルティネス。ブロニクスの街を救った英雄は、こうして王国騎士団によって捕らえられた。街路に泊めてある馬車にまで移動する道すがら、ブロニクス民からの誹謗は雨あられのように二人へ浴びせられた。ロレッタはその時になってようやく、エルキュールが長年抱え込んできた闇を知ったのだった。

 一方、エルキュールはこの最中、眉の一つも動かすことなく粛々と先導の騎士が促すまま歩を進めていた。その顔つきは不気味なまでに穏やかであり、その性質が人と魔のどちらに傾くかは、誰にも終ぞ分からぬことであった。



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