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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第二十三話「波紋」

 ブロニクス西の平野。聖域カエルレウムまでの道中にて。


「グレン、雪や! なんで雪が降っとるんや!?」


「……ミレーヌ、痛えから引っ張るんじゃねえ。まだ戦いの傷が癒えてねえんだってのに」


 ミルドレッドを弔ったのち、木立の影に身を潜めて待機していた二人は、突如としてブロニクス一帯を覆いつくした吹雪に驚きを露わにしていた。今はザート・セレの月。暦でいえば春の季節だが。この凛冽な空気は果たしてただの異常気象か。事態を静かに観察していたグレンがふと面を上げた。


「これは、魔法か? 魔素感覚が乏しいから判断つかねえが、マリグノではねえ、恐らくエルキュールとロレッタの……」


「魔法、かぁ……。だとしたら……父ちゃんの仇、取ってくれなロレッタ、エルキュールも……っ!」


 この様子では未だ戦いは続いているのだろう。グレンは彼らの足手まといにはなるまいと逸る心を落ち着かせ、家族を失ったばかりで不安定なミレーヌを支えようと心に決めたのだった。




◆◇◆◇




 同時刻。ブロニクス東の平野。大型魔獣ケリュネイアを討伐したクロエ一行もまた、舞い散る銀氷を見上げてめいめい驚嘆を表していた。


「シオンさんの身体を癒してくれたことからも分かりますが、やはりこれは攻撃魔法ではない……何かを解呪するための、そんな優しい思いを感じます。シオンさん、見えますか。身を賭した貴方にも、それは同じく降り注いでおりますよ」


「ええ、それはもう……しかと。ははは……殿下に斬られた四肢すらも蘇るかのようです」


「……全く。こちらの気も知らないで。いいからお休みなさいませ。あとのことはわたくしが請け負いますので」


 草原に横たわるシオンは額に落ちた冷感に目を閉じると、そのまま疲れ果てた様子で眠り始めた。傍らに跪いたクロエは彼が一命を取り留めたことに心から安堵し、遠くで辺りを哨戒していたジェナを呼び戻した。


「ジェナさん。犠牲となった騎士たちが無事に魔素に還りましたら、編制を整えて街へ向かいましょう。荷台にシオンさんを寝かせて来て貰えますか? わたくしは皆に事態を説明しませんと」


「それは構いませんけど……。ブロニクスの街はいまどうなっているのでしょう。あれだけの力が渦巻いているとなると、中はきっと大変なことに……」


「その大変なことが起こっている場所へ馳せ参じ、民を守るのがわたくしの努めであり、貴方がたデュランダルの役目でもありましょう? 休んだら出発します。これは王女殿下の命令ですので、拒否権はございませんからね?」


「……ふう。分かりました。私だってイルミライト家の後継者として、譲れないものが沢山ある。聖域のことも、魔物のことも、ぜんぶ」


 決意を滾らせる光の魔術師に、風の妖精は嬉しそうに微笑んだ。シオンといい、自分は本当に人の縁に恵まれている。だからこそ、力を持って生まれた役割を果たせねばならないのだ。

 魔物との戦いを終えた騎士たちは暫く回復に要したのち、彼女らは吹雪舞う水都を目指し始めた。




◆◇◆◇




 水都ブロニクス、とある通りにて。街に侵入したマリグノを捜索していた騎士衆は、降り注いだ雪に触れるや否や、内臓が絞り潰されたような痛みに悶え、空気を切り裂かんばかりの絶叫を上げ始めた。

 その悪霊の怨嗟の如き悲鳴は、瞬く間に街中に波及し不吉な旋律を奏でる。膝をつき地を転げまわり、周りの家屋からは壁を殴る音や戸棚が倒れる音などが連続する始末。


 苦しむ者はみな一律に呪詛を吐く。「この術は!」「あいつらか!」「引き剥がされる!」「痛い!」「やめろ!」「支配が!」みなが一音一句、違わずに呪詛を吐く。一秒のずれもなく、正確に呪詛を吐く。


 その奇妙な連動は何も知らぬ者からすれば、怪異そのものに違いない。狂気に満ちた世界がひたすら繰り広げられるなか、やがてはこのおどろおどろしい雰囲気を飾るように、彼らの身体から蒼い瘴気のようなものが漏れ始める。さながら鬼火、幽世の気配。耳障りな咆哮に交じって、彼らの顔に焦燥が浮かぶ。


「まずい、精神が大気の魔素に還る――!?」


 狼狽えては痛みに喘ぎ、手を伸ばしては空を掴む。惨めにのたうち回ってようやく、住民の一人の手に輝かしい青の煌めきが握られる。

 水の遺物、ブリューナク。大精霊トゥルリムの資産であり、魔人マリグノの手に渡った産物であった。


「ボクを彼の地へ導け――!」


 民たちが口を揃えて唱えると、極光が通りを瞬き、次の瞬間には糸が切れたように倒れ伏す彼らの肉体だけがそこに残された。




◆◇◆◇




 雪が積もるブロニクスの街並みを見下ろし、家屋の屋根の上に佇む二人の青年と少女が、民たちの苦しみを悲痛に見つめている。


「これで良かったのよね。荒療治ではあるけど、魔物に汚染されたモノを浄化することができたのだから」


「マリグノが自らの精神を住民に植え付けたのは、俺たちとの戦いで魔素を削られ、肉体の維持ができなくなったから。彼女の意識はもう既に魔素に還ったか、或いは――」


「……どうしていつの間にか貴方がそんなことを知っているのか、まだ教えてはくれないのよね?」


「まだ戦いが終わったとは限らないからな。それに……」


 ぼろきれと化した黒衣と魔素質の痣に全身を覆われた青年は、悲しげに自らの風体を一瞥して自嘲的な笑みを零した。


「……エル、私は貴方の味方よ。今まで貴方を傷つけたぶん、これからは全身全霊を懸けて、私を解き放ってくれた貴方を守りたいと思っている。だからどうか、そんな顔をしないで。貴方は、すごいことを……やってのけたのよ……?」


「ありがとう、ロレッタ。これは俺一人では為しえなったことだ。君も称賛されるべきだ。……だが、今はまだその時ではない。魔法を喰らったマリグノの状況を早く知らなければ――」


 その瞬間、エルキュールとロレッタはあり得ない感覚を受け付け、同時に顔を見合わせた。


『……える……っと! でしょ……』


「これ、貴方にも聞こえてるの?」


「ああ。もしや、君が聞いていたという死者の声か?」


「……えっと。これは、何というか……死者ではある、のかしら」


『……っと! わたし……いんだけど!』


 二人のみに聞こえるその姦しい声は、所々がノイズに遮られていたが、時間が経つにつれある種の通信環境が良くなったのか、次第に明瞭な響きに変わっていった。


『あんたたち何してくれてんのよっ! あんたたちのせいでマリグノとかいう魔人の精神体が六霊の庭に入り込んじゃったじゃない!』


 これには再び顔を見合わせる両者。声の正体はどうやらあの水精霊トゥルリムのようだが――。


『ブリューナクを奪われたせいでこっちの世界に接続されてんの! 分かったらとっととこっちに来て掃除しに来なさい!』


「あの、トゥルリム様。そうは言いましてもどうやってそちらに行けば?」


『そんなの隣にいるベルムントの奴に聞けばいいでしょ』


「念のため訂正するが、俺の元となったのはベルムントの分霊だが決して本人ということで――」


『うるさいわね! そんなのどっちでもいいでしょ!? ほんとそういう頭でっかちなところあいつにそっくり。とにかく、そっちの世界でいちばん精霊に近いあんたと、わたしが力を授けたロレッタがいれば何とかなるでしょ。そういうことだから、頼んだわよっ!』


 嵐のように現れては消えていった水精霊に、二人は三度顔を見合わせた。


「マリグノが六霊の庭に入り込んだ? 確かに遺物の力を使えばあり得なくはないのでしょうけど」


「俺たちのエヴィニエス・アポイナを受けて現実世界で存在できなくったから精霊界に逃げ込んだのだろう。もちろん、彼女の好きにさせるつもりはない。ブリューナクの力が未知数である以上、早々に追いかけて叩くべきだ」


「トゥルリム様は貴方に聞けば六霊の庭への行き方が分かると言っていたけど?」


「……まったく。本当に彼女は突飛な振る舞いが目立つものだ。昔から、な」


 エルキュールの琥珀の瞳が月の如く妖しく光る。身体中の魔素質が発行し、黒き波動が渦巻く。彼の本分が覚醒していることを示しているのだろう。隣に立つロレッタはその威容に唾を飲み込んだ。


「ロレッタ。一度トゥルリムと交感した君ならば簡単だろう。目を閉じ、あの世界を強く念じるだけでいい。そうすれば次の瞬間には無事に辿り着いているはずだ。さあ、両手をこちらに――」


「う、うん……」


 闇の代行者から差し伸べられた手を、ロレッタは正面に向き合いながらそっと握りしめた。


「なんだか最近、貴方の手を握ってばっかね」


「……? 魔力を同調させるには身体的な接触がまず第一に――」


「そういうことじゃないわよ、ばか。これが終わったらロマンを解する心を教えてあげるわ」


 お互いが目を閉じ、魔力が混ざり合ったのを確認する。そうすると暗闇に満たされた意識に、突如として精霊色の光が瞬き、二人の精神はブロニクスを離れた極地へと誘われていった。

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