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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第十七話「風の妖精」

 オルレーヌ王国の中枢、主権者の住まう麗しきフォンターナ城には、このような伝説が語り継がれている。


 十五年前のことである。

 大陸南西で勃発したアートルムダールの戦役が終わりを告げたのと同時刻。まるで精霊が人間にもたらした福音かの如く、一人の赤子が生を受けた。国を統べるシャルル王と、その側室の女との契りの末降誕した麗しき姫君。その存在は、大陸全土を巻き込んだ先の大戦で疲弊した民たちの希望となり、王家からの処遇もたいへん目出度いものであった。


 少女には生来、類まれなる魔力が秘められていた。彼女が乳母に笑いかければ、王都に降り注ぐ陽射しは一等温かになり、彼女がひとたび癇癪を起こせば、荒れ狂う暴風が城の周囲を飛び交う。彼女が安らかに眠れば湖水は瞬く間に凪ぎ、彼女が悪夢を見ると即ち夜は深淵のごとく底知れないものに化けた。


 王城に仕える魔術師達はこう述べた。少女の持つ膨大な魔力とあまりに敏感な魔素感覚が災いし、感情の起伏によって自然の魔素の調和を乱してしまうのだと。

 臣下の奏上に、或いは少女の脅威に、王は微塵も動じずただ告げた。「貴様らの持てる全てを尽くし、娘にあらゆる知恵を授けよ」


 結果として、少女は僅か三歳にして自らの情緒を掌握し、五歳には王族に伝わる剣術を皆伝、七つ年を重ねる頃に至っては既に主要となる六属性の魔法をほとんど扱えるまでになった。常人が生涯を懸けても成し得ない所業を、彼女はそれが必然だと思わせるほどに容易く、本当に容易く成してしまったのだ。


 その頃になると王城の者では少女に与えるべきものが残されていなかった。剣術に関しては大陸一と噂されるデュランダルのオーウェン・クラウザーに指南を仰ぎ、王国騎士団のロベール・オスマンからも人々を束ねるための指揮を学んだ。


 やがて少女は王族において、ひいては王国中にまで視野を広げたとしても、並ぶ者がいないほどの傑物となった。

 生まれの高貴さも、他を寄せ付けない戦闘力も、常に相手の先に立てるだけの聡明さも。彼女が持ち得ないものは何一つとしてこの世にない。掛け値無く、長い王国史の中でも傑出した存在であった。

 周囲の誰もが彼女の類まれなる資質を羨んだ、彼女の常軌を逸した能力を誇った。彼女の君臨する姿に輝かしい未来を見た。


 しかし、当の彼女だけが冷めた心地で理解していた。


「どうしてわたくしだけがこれだけの力を手にできるのでしょう。なぜ、わたくしでなければならなかったのでしょう。何のためにこの力を振るい、如何様な結果をもたらせば良いのでしょう」


 気高く、可憐で、どこまでも孤独。風に髪を遊ばせ憂う少女の姿を、ある詩人は親愛と畏怖を込めてこう呼んだ。


 風の妖精、と――。



 エルキュールらが聖域カエルレウムに向かってから暫く。


 風霊祭の真っ只中である水都ブロニクスから少し過ぎた東の草原は、アマルティアが放った数多の魔物で溢れかえっていた。まるで人の子の祭典に興味が尽きないと言わんばかりに、絶え間なく街への行進を止めない魔物に対して、駐屯している騎士団連中の間では露骨に士気が下がっていた。

 ブロニクスの統治者である水の六霊守護が不在、先のヌールと王都ミクシリアでの争いが、彼らの心に不安をもたらし、振るうべき刃を曇らせていたのだ。


 オルレーヌ王国も、ヴェルトモンド大陸も、イブリスとの闘争に慣れていないわけではない。しかしアマルティアが敷いた魔物の統率力は過去に例を見ないほどに群を抜いており、さながら知性あるヒトを相手しているかの如き錯覚を兵たちに与えていた。

 機動力に長けた狼型が先陣を切り、魔法にも明るい魔人がそれに続く形で連携を図る。上空からは無数の鳥型が断続的な奇襲を仕掛け、遠く離れた海岸では鰐型が猛威を振るった。

 指導者を欠いた烏合の衆では、決定的な不利を被るのも時間の問題である。次第に戦線を押され、前衛の騎士たちに魔獣の毒牙が襲いかかる。後衛の魔法士が撤退を命じるよりも速く、その攻撃は遥か先を行っていた。


「うわああ!! やめてくれ!!!」


 騎士の一人がその場に尻餅をつく。狼型の群れが汚染本能に駆られるままその顎を大きく開いた。

 その者の未来は決したかに思われた。後ろに逃げおおせた者のほとんどが、彼が魔人と化した先の戦闘を暗澹たる心で見据えていた。しかし――。


「申し訳ございません。少々遅れてしまって」


 一陣の風が瞬く間に戦場を横切ると、今まさに餌を喰らわんとしていた狼型の口腔を恐ろしい速度で何かが駆け抜けていった。

 その狼型は自らの身に起きたことを知覚する間もなく、内側から巻き起こった旋風に全身をコアごと裂かれて絶命した。後ろに控えていた騎士たちも、目の前の光景を正しく認識できない。

 命の危機に瀕していた件の騎士は、目の前に差し出された可憐な花柄の手袋に包まれた手を目にしてやっと、自分が置かれた状況を理解した。

 風に躍る長い金髪。魔獣の残滓に汚れた純白のミニドレスに、頭上を飾る白銀のティアラ。容姿によく映えるレイピアを携えたその少女は、王国民であれば誰もが敬意を表す尊き一族の身にあらせられた。


「クロエ、殿下……?」


「ええ、いかにも。わたくしこそクロエ・ド・フォンターナですわ。この尊き血に懸けて、民を守るべく馳せ参じました。ところで……立ちあがれますでしょうか、勇敢な騎士さん?」


 麗しきクロエ殿下が身体を屈めて自らを慮っている。その事実に恐縮した騎士はすぐに直立の姿勢に戻ると、礼もそこそこに落とした武器を構えた。


 言うまでもなく、時は止まってなどいない。

 クロエの背後には同胞を殺された魔人が怒りに狂い、その華奢な背に殴りかかってきていたのだ。

 騎士がクロエを庇おうと前に出る。呆気に取られていた後衛の戦士たちも次々と臨戦態勢を整えた。


「あら、ありがとうございます。ですがわたくしのことは心配無用ですよ」


 クロエの行動はその場の誰よりも俊敏で、振り向きざまに一突き、迫りくる魔人の胸のコアをいとも容易く刺し貫いた。倒れ伏すイブリスに一瞥もくれず、彼女は通る声で後方に告げた。


「ジェナさん、北から来る鳥型に魔法による迎撃を。シオンさんは分離してしまった騎士さんたちを纏めて編成し直してくださいますか?」


「お任せください、殿下! こちらデュランダル特別捜査隊のジェナ・イルミライトです! 魔法士の方々は私に続いて攻撃を仕掛けてくださいっ!」


「全く殿下のお転婆には毎度頭を悩まされるが。騎士諸君! 我は騎士団本部のシオン・ムラクモ、これよりこの戦線の指揮は我が担う。まずは負傷した者は後方の支援部隊にまで後退。動ける者は三人小隊で地上の魔獣に当たれ! 汚染を受けぬよう訓練通りに間合いを測るのだ!」


 クロエの言葉に応じ、一歩遅れて駆けつけてきた両者は的確にそれぞれの仕事をこなしていく。

 片や光の六霊守護の正統なる後継者と、片や騎士団長ロベールの信も篤い歴戦の竜人種(ドラゴニュート)。その働きぶりは不安に苛まれた騎士らの士気を向上させ、乱れた統率を見事に取り戻してみせた。


 クロエはその様に微笑みを浮かべると、そのまま最前線に躍り出て侵攻を続ける魔獣らを悉く処理していった。風属性の飛翔魔法と、レイピアによる速度重視の刺突。それを併せることで、イブリスが汚染する暇も与えず常に先手を取り続ける。彼女の戦術は単純ゆえに、実力で上回っている限りは常勝無敗の四文字を誇る。数の利など諸共せず、右へ左へ戦場を駆けるその姿は深窓の姫君などとは形容し難い、紛れもない戦士の姿そのものであった。


 戦線が次第に傾く。魔の軍勢を押し返す人の子の反撃。負傷していた兵も治療を受けては戦場へと舞い戻り、数の差はみるみる開いていった。


「よし、いけるぞ! 我々には殿下やシオン殿、あのデュランダルのメンバーの助けもある! このまま押せれば――」


「キュオーーーンッッッ!!」


 騎士の誰かが漏らした油断を、遠方から響き渡った嘶きが瞬時に掻き消した。

 ちょうど三十の魔物に致命打を与えたクロエがその方を見やると、四足歩行の黒い影が悠然と平野に鎮座していた。


「鹿……? 故郷のアルクロット山脈では見かけたことあるけど、あの大きさに魔力は……」


 陽光の如き光線で以て空を舞う鳥型魔獣を殲滅していたジェナが目を凝らして疑問を露わにした。

 凡百な魔獣など塵に等しいとさえ感じるほどの、圧倒的な威圧感を醸す大型の鹿。体積はブロニクスの家屋に匹敵し、風に靡く草地を踏み躙りながら鷹揚と闊歩している。頭部に生えている角はさながら大樹の枝のように広がっており、目も眩む黄金の煌めきを辺りに放っていた。


「シオン補佐官! あの大型魔獣の侵入を許せば、ブロニクスの街は粉微塵です。今すぐ迎撃の準備を!」


 部下の具申を受けたシオンは黒い鱗に包まれた頬を一つ拭い、その鋭い双眸をより険しく細めた。それから冷静に彼我の実力差を吟味する。

 騎士団側はクロエらの助力を得て息を吹き返しているが、あの大型を相手取るには並の兵卒には務まらない。ゆえにシオンやジェナが前線を離れる必要にあるのだが、それでは小蝿のように湧いて出る通常の魔獣の対処がままならなくなる恐れがあった。


 第一に優先すべきは人命の確保と汚染の拡大の防止である。王都に備わる戦力に及ばないこの地で無闇に争えば、戦いには勝利できても被害が甚大になるのは必至である。対イブリスにおいて、目指すは完勝のみ。傷と血に塗れた痛み分けなど、あのアートルムダールの戦役を最後にするべきなのだ。

 そんなシオンの微かな逡巡は、彼の携帯していた魔道通信機によってふと中断された。彼が通信に応じると、聞き慣れない男の声が光魔法によってこの遠く離れた戦地にまで届いた。


「こちらブラッドフォード隊。グレン様の命によってブロニクスの街に駐屯していたところ、魔獣の群れを確認。今しがたこれを処理したところです。そちらに問題はございませんか?」


「こちら王国騎士団所属シオン。丁度よい。こちらは大型まで出没して手が足りないのだ。ブロニクスの防衛結界を強化し、可能な限り人員を手配してくれ。住人には引き続き屋内で安静してもらうように」


「承知しました。闇魔法ゲートで直ぐに向かわせますので、詳しい座標を」


「ああ、座標は――」


 シオンが連絡を終えると間もなく、後衛部隊が陣を成している地点に黒い穴が現れ、そこから赤黒い甲冑に身を包んだ屈強な騎士たちがすぐさま応援に駆けつけてきた。


「ふう。グレン君の伝手があって助かりましたね。ただ金欠な上に酒癖の悪いろくでなしじゃなくて本当に良かった」


「……グレン卿にそのようなことを言うのは貴方かあのロレッタ殿くらいのものでしょうな」


 白のケープコートをはためかせながら向かってきたジェナに、シオンは僅かな畏敬を秘めながら応じた。当の彼女は小首を傾げて何が何やら分かっていない様子。シオンはますます苦笑を濃くした。


「お二人とも、随分と余裕でいらっしゃいますが。あの大物を狩るには、これからのわたくしたちの力が大きく関わってくるのですよ?」


 示し合わせたようにやって来たクロエが釘を刺す。その美麗な召し物は激しい戦いの中であちこちが破け、波がかった長い金髪は所々乱れていた。

 シオンはその様に心を痛めながらも、それをおくびにも出さず冷静に彼女の双眸を見据えた。


「そう仰る殿下は少し猛進が過ぎますかと。いくら膨大な魔力を有していても、そのお身体は亜人である我からすると些か脆い。どうかご無理は」


「力を持つ者には相応の責任が生まれるものです。これしきの苦労など取るに足りませんわ。王都では陛下たちをお守りするため城下の戦いには参加できませんでしたから。今回は存分に頼ってくださいませ」


「殿下……その意志は尊重しますけど、でしたらここまでの道中、私たちの護衛などいらなかったんじゃ……」

 

「騎士さんたちにも自らの力を試す機会を与えませんと。有事の時に困るでしょう? それとも、ジェナさんはまだ、あの時わたくしがエルさんと仲良くしていたのが気に入りませんか?」


「………シオンさん。殿下の精神状態は大丈夫かと。早く魔獣を倒しちゃいましょう。この三人なら問題ないですから」


「う、うむ。しかし今度はジェナ殿の顔色が優れないような気もするのだが」


「ジェナさんが言うには大丈夫らしいですよ。早く片付けて街に安全をもたらしましょう。そしてついでにエルさんには『よくやったなクロエ』って沢山褒めて頂きませんと♪」


「うぅ……そうだ。エル君に関しても殿下とは話があるんだった。絶対に負けられないなぁ」


「負けられないとはわたくしに対して?」


「魔獣に対してですっ! ほらっ、冗談はよして行きますよ殿下!」


 互いに張り合うように遥か彼方の鹿型を捉える両者に、シオンは疲弊を滲ませながらそれに続いた。


「本来ならば作戦会議の一つでもしておきたかったが、仕方あるまい。全く……お互い無事に切り抜けたら、エルキュール殿には女性の扱い方について説教をしてやったほうがよいな」


 戦局を占う一戦は、斯くして不思議な調子で幕を開けた。


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