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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第十六話「魔人狂詩曲」

 カエルレウムの対岸。水都ブロニクスへ続く道を歩むロレッタと、六霊守護の娘であるミレーヌ。聖域における激動を露知らず遺跡群を歩む両者に、突如として突風が吹きつけた。

 次いで、空気を切り裂く風の刃。先行していたロレッタが魔法で以てそれを退ける。颶風と共に舞い降りたのは、薄緑のドレスに身を包んだ魔人であった。


「失礼。そこの御二方。少々足を止めてくださる?」


「そういう言葉は攻撃する前にかけるものよ。魔人だからといってあまり人様の常識を軽んじるのは頂けないわよ、姉さま?」


「フフフ、このワタクシに向かってまだその道化っぷりを続けるつもりですの? 呆れを通り越して侮蔑に値しますわよ」


「…………ああ、まったく。姉妹の絆って素晴らしいね。外目は完璧でも、一言交わすだけでも分かってしまうものなんだ」


 後ろで怯えるミレーヌを庇う振りを止めたロレッタは、空中から先ほど奪ったばかりのブリューナクを顕現させると、付与していた水の変化魔法を解いた。

 研究者さながら白衣を纏った橙髪の魔人、異相のマリグノがその真なる姿を現した。小柄な体躯に不釣り合いな、水精霊の遺した槍。しかし見た目の奇異さに反し、遺物を手にした彼女は正真正銘膨大な魔力を有していた。

 聖域から出てきて今まで行動してきたロレッタが別人であった事を知ったミレーヌは、吃驚で声も出ない様子でその場に尻もちをついた。そのあまりに無力なさまに、ことさら口止めをするまでもないと判断したマリグノは、改めて眼前のミルドレッドと正面から向き合う。


「で? 用件はなに? ボクの計画によると、あんたは今ごろブロニクスの反対側から大型魔獣を従えて挟み撃ちって手筈だったはずだよね?」


「そちらは既に手配しましたわ。じきに街の騎士やデュランダルの者が対処するでしょう」


「じきに対処する? なにそれ。まるで端からボクらの敗北を願っているかのような口ぶりじゃん」


 いま目の前にいるミルドレッドがアマルティアにとって不利益となる思想を抱いている。そのことを目敏く察知したマリグノは、薄ら笑いを翻して語気を鋭く詰問していく。


「まさかこの期に及んで愛していた妹に絆されたってことはないよね? ヒトと魔人は決して相容れない。アマルティアに属する意味を忘れたの?」


「ひひひ、心配せずとも存じております。しかし――果たしてそれは本当と言えるのでしょうか。確かにヒトは魔物を赦しません。魔物はリーベを汚染しなければ生きていけない。事実は変わらぬ事実ですが、これからの未来においても同様かは知る由もなくって?」


「未来? 妄想の間違いじゃない?」


「――いいえ」


 心底意味がわからないといった様子のマリグノに、ミルドレッドはその瞳をちらと彼方に向けた。

 海を望む海岸。その遥かに見えるは、水の聖域カエルレウムが位置する孤島である。

 その意図に気付いたマリグノが露骨に鼻を鳴らした。


「はあ……、もしかしてあんたが言っているのはエルキュール・ラングレーのこと? ヒトの世に生きる魔人。リーベを汚染することなく生き永らえる、ボクらにとって埒外といえる存在だ。悪いけど、あれを見上げるのはやめておいたほうがいい。大嫌いなあんたが相手であっても、忠告をせずにはいられないよ。そもそもあいつは魔人ですらない。本人が気づいていないだけで、その真価は別にあるのだから」


 今度はミルドレッドが困惑する番であった。調子づいたマリグノは鷹揚に両腕を広げて天を仰いだ。


「分からない? ……根本的な破壊、だよ」


「破壊?」


「秩序の外にある存在が、やがてその秩序自体を破壊するのは世の常だろう。彼は魔人ではない。ましてやヒトにすらなれない。本来この時代に生まれ落ちてはならなかったものだ。リーベやイブリスの枠組みすらも超えたものだ。ザラームはあれで何かを成そうとしているみたいだけど、ボクから言わせればとんだ酔狂だね。あんなのがボクらの頂点に君臨するなど、ベルムント様の依代になるなど、認めるわけにはいかない」


「貴方の個人的な思想には露ほど興味もございませんが、ひとつだけ。破壊ですって? それのいったい何が問題なのでしょう? こんな世界は一度崩れ去ったほうがよろしいのではと、そうは思いませんか?」


「……ミルドレッド。あんた、どういうつもり」


「あら、ごめんなさい。研究者を標榜しているくせに、こんな簡単な道理も分からないのかしら――破壊のあとには創造がつきものですのよ?」


 ミルドレッドは口角を吊り上げると、ドレスを翻し露わになった腿から小型のナイフを取り出してみせた。彼女の魔力を注いだ愛用の得物。翡翠色に輝くそれは、必勝が求められる状況にのみ現れる、正真正銘の武器である。

 そのことを理解しないマリグノではない。風の魔人に呼応するように、自身もブリューナクを突き付ける。


「あんたとは長い付き合いだったけど……これでお別れだね、ミルドレッド。アマルティアを裏切ったその罪過。精霊の力を取り込んだ者として粛清してあげる」


「そちらこそ。かつて身勝手な実験を謳ってワタクシたちを弄んだことを、償わせてあげますわっ!」


 裂帛の叫びとともに先制したのはミルドレッドだった。翳したナイフをマリグノに向かって投擲すると、自身の身体を周囲の風の魔素に溶け込ませて相手との間合いを一気に詰めた。確かな物質を持たない魔人の身体的特徴を見事に活かした奇襲。空間を縫い合わせるが如く距離を縮めたミルドレッドは、先に放ったナイフをマリグノが対処している隙に己の拳に風の魔素を集約させた。


 嵐と化したミルドレッドの腕が、空中のナイフをはたき落としたばかりのマリグノの身体を襲う。両者が触れ合った瞬間、辺りに莫大な魔力が流失し、轟く怪音を上げた。

 四方八方に飛び散るマリグノの身体を構成していたモノ。荒ぶる視界の中ミルドレッドが魔素感覚を凝らして感じたのは、あろうことかありふれた水の魔素が形作る飛沫のみ。魔物を構成するための魔素質としては、些か物足りない。

 その後を思考するまもなくミルドレッドは本能で察知した。後方の彼方。怒涛のように溢れ出した水の魔力から逃れるように、踏み出していた軸足に全身を乗せてその場で回転した。

 さながら舞踏のステップ。向き直った先でミルドレッドが目にしたのは、今しがた彼女がいた地点を遺物の槍で振り払うマリグノの姿だった。


「へえ、流石の魔素感覚だね。直前まで気を抑えたつもりなんだけど」


「水人形とは小癪な手を。次は真っ向から相手してくださる?」


「断るよ。あんたみたいな腕っ節が強い奴と正面からやり合うなんて、ディアマントでも避けるだろうからね」


 ブリューナクを構え直したマリグノの身体が一切の予備動作を見せずに分裂する。顕現した二体の分身。貼り付けたような同じ笑みで、ミルドレッドに斬撃を振り下ろす。

 後ろに飛んで三本纏めていなすミルドレッド。その手には先ほど放ったはずのナイフがちょうど三つ握られていた。

 原理はマリグノの水人形と変わらない。実と虚。主と従。彼女の胸にあるコアが破壊されない限り、魔力を帯びたナイフは意のまま無限に複製され続けるのだ。

 三体に分裂したマリグノに向かって、ミルドレッドは生成したナイフを全て纏めて投擲した。先ほどと似た手。しかしそれだけに及ばず。ミルドレッドの攻勢は止まらなかった。


「これは躱せるかしら!?」


 マリグノたちの周囲を高速で移動し、続けざまにナイフを投げ飛ばすミルドレッド。

 マリグノも対抗して水人形の数を増やすと、それを盾のように行使しこの猛攻をいなした。水と風によって巻き起こされる爆発が断続する。

 風に吹き飛ばされた水飛沫が陽光に照らされ虹となって輝く。両者の放つコアの煌めきも、それに伴って次第に色濃くなっていった。

 互いの魔力は拮抗している。しかし持久戦となれば、精霊の遺物を取り込んだマリグノの方に分があるだろう。そのことを肝に銘じていたミルドレッドは、相手の人形を一気に蹴散らすと飄々と逃げ続ける本体をしかと双眸で捉えた。

 風の魔素を右手に掻き集め、マリグノの青く輝く胸元のコアを狙って掌打を叩き込んだ。

 苦悶に顔を歪ませるマリグノが身を捩って後退る。咄嗟の回避行動。それを逃すほどミルドレッドは甘くなかった。


「―――ストームスラスト!」


 風の上級魔法を瞬く間に手中で編み上げると、颶風の槍がマリグノの胸を大きく貫いた。


「なっ、馬鹿な……! 遺物を取り込んだボクが、負ける……!?」


「ワタクシはこの力を以てあの子たちに未来を託しますわ。新しいヒトと、新しいイブリスが築き上げる未来を! さあ、旧時代の礎になりなさい、マリグノ!!」


「ふざけ……! 嫌だ嫌だ嫌だ! 世界を正すのはこのボクだ! 誰にも邪魔はさせない……! そのために、この命すら捧げる覚悟なのにぃぃぃ!」


 絶叫と共に、ミルドレッドの攻撃を喰らったマリグノのコアは完膚無きまでに砕け散った。先ほどとは打って異なる、確実に本体を葬った感触が、ミルドレッドの華奢な腕に重く伝う。


「…………」


 勝った。遺物を取り込んだあのマリグノに。本来ならば達成感に溢れるほどの戦果であるはずだが、ミルドレッドの心境は凪いだ水面のように落ち着いていた。

 本物、であったはず。だがあまりに呆気ないという感想が沸々と沸いてくる。

 確かに精霊の遺物、水のブリューナクの権能は絶大だ。海を裂き、空を裂き、遍く地上に豪雨をもたらすことさえ可能であると、ミルドレッドは人間だった頃に書物で目にしたことがあった。

 しかしそれは今ではどうか。その片鱗すら露わにすることなく、マリグノは遂にこの手によって敗れた。積年の彼女に対する執念を思えば、なんと脆く、ふざけたことか。

 ミルドレッドは警戒心を解くことなく、周囲に気を配り続けた。寂れた遺跡群に隠れながら、マリグノがあの時のように不意をうつかもしれぬ。あの目障りな笑顔を貼り付け、今度こそこの胸にあるコアを刺し貫いてやろうと考えているのではないか。

 疑心暗鬼にも似た心境のミルドレッド。それに反し、辺りの状況というのは至極穏やかなものだった。

 ツタが絡むひび割れた石壁と、砂利と化した石畳。そして少し離れたところには、気を失った少女の姿。


「あの子は――」


 激情に駆られ忘れていたが、カエルレウムを引き返したマリグノは、ひとりの少女を伴っていた。確か、名をミレーヌ・アルタマールという。水都ブロニクス一の名家である六霊守護の末裔だとミルドレッドは聞いていた。あの今をときめく光の魔術師ジェナ・イルミライトと同類の存在。精霊のもたらした現在の秩序に反旗を翻さんとするアマルティアとしては、何があろうと看過できない存在でもある。

 あれがどうなろうと知ったことではない。魔に対抗する術を持たない己の非力さが招いた結果である。ミルドレッドの魔人としての心はいくらか冷徹であったが、この地で対峙した妹の眩い在り方がふと脳裏に過る。


『私は他者に情けをかけることの強さをエルキュールから学んだ』


『ジェナもグレンも、人道を重んじる正義をそれぞれ掲げている』


『だから、私も。私の本心から逃げない。それがどんなに周りから歪んで見えていたとしても』


 ロレッタは強く成長した。姉との別離を経て魔物を憎悪することでしか自己を保てなかったあの日から。マリグノに改造された自身の肉体がこの世ならざる者の怨嗟を運び、その声の命じるまま魔物を屠り続けてきたあの日から。自らの力を救済のために、より良い未来を選び取るために行使している。

 たとえ種族が分かたれようとも、あの少女はミルドレッドにとって間違いなく誇りだった。


「この命が燃え尽きるまで、せめてあの子が恥じることのないワタクシであらねば」


 意を決したミルドレッドは、地面に横たわる少女へと歩み寄った。

 その場にしゃがみ込んで状態をあらためる。褐色の肌によく似合う明るい青の髪。ブローチをあしらわれた古風なブラウスと、さざ波のような形状を持つペプラムスカート。地面に転倒した影響か、そこかしこに泥が付着していた。そして首に下げられた六霊守護に伝わるネックレスは、紺碧の宝玉が台座に嵌め込まれ、鼓動のような光を放っている。尊く弱き、ミレーヌ・アルタマールの姿。命に別状はないが、魔力にあてられ気を失っているようだった。


「――癒せ、クラーレ」


 ミルドレッドは素早く水魔法を詠唱すると、弱ったミレーヌの身体に恵みの魔素を与えた。万が一、彼女を汚染することがないように、極めて慎重に、そして的確に。

 魔人にとって治癒魔法の効力は些末なものである。人間と比べて柔軟な魔素質で形作られた身体は心臓部であるコアが破壊されない限りは半永久的に受けた傷を再生できる。ゆえにアマルティアに属する魔人の多くは、クラーレのように体組織に通じる魔法を覚えない傾向にある。帝国で精霊の遺物を取り込み、ガレウスによる砂の呪いをその身に受けたディアマントも。かつてロレッタとミルドレッドを非道な実験に用い、その野望の末身を滅ぼしたマリグノも。その例に漏れず人間が編み出した体系的な魔法は不得手としていた。

 ミルドレッドが彼らと違ったのは、恐らく人間だった頃の記憶が関係しているのだろう。いつも背について来ていた妹の姿。その幼気な蕾を守るために、彼女は文字通り全てを捧げた。魔力も。血と肉も。妹の側にいる権利さえ。

 こうしてミレーヌに治癒術を施していると、様々な後悔がミルドレッドの中を駆け巡った。もう少し己が強ければ。あのとき魔物に後れを取ることもなかっただろうに。ロレッタのか細い手を、離すこともなかっただろうに。魔人と化した自分自身に絶望せず、アマルティアと共に本能のままヒトを襲う道を選ぶことも無かったのではないか。

 などと、詮無いことばかり。すべては無意味である。この内なるコアに宿るイブリス・シードが、魔物としての自己を定義し、世界の敵であるという陳腐な運命を埋め込むのである。ヒトを汚染することを意図して止めた魔人は、やがて意識を本能に食い尽くされる。魔人が平和を志向するなら、荒れ狂う本能が目覚める前に自ら生を閉じ込めるほかない。

 刃を収めることを選んだミルドレッドに未来はない。今この手で繋ぎ留めているミレーヌの無事が完全に保証されてしまえば、もう何処にも行く当てなど残されていなかった。

 できることならこのまま時が止まり、人間としての自分を永遠のものにしたい。そんなミルドレッドの甘い願いは、やがて目を覚ましたミレーヌによって容易く砕かれる。終わりの時が、迫っていた。


「御機嫌よう、ミレーヌ様。先ほどは慌ただしくしてしまい申し訳ございませんわ」


「うーん……? ここは何処や……? それにあんたは……ってそのコア、まさか魔人――!」


 この反応は当然予測できている。ミルドレッドは躊躇いもなく自らのコアを拳で砕いた。

 翡翠の魔素が飛び散る中、ミレーヌの丸い目が大きく見開かれる。


「ワタクシ、名をミルドレッドと申しますの。この通り魔人ではありますが、貴方を含めた人間たちに危害を与える気は微塵もございませんわ。どうか信じてくださるかしら?」


 ミルドレッドは元来手っ取り早いやり取りを好む。このままミレーヌの気が収まらないのならもう何発でもコアを傷つけようと、無抵抗のジェスチャーを示し続けた。

 対するミレーヌは「ちょい待ち!」と声を高くすると、思案を巡らせるように手を顎に当てた。


「……ええと。ウチの記憶が確かなら、ロレッタと一緒に街に戻ろうとしたところであんたが現れて……。それでロレッタが実はロレッタじゃなくて? そこから二人が戦って? ん……?」


「貴方がロレッタと勘違いしていたのはアマルティア幹部のマリグノという魔人ですわ。異相の渾名の通り、誰かに化けることで幾千もの顔を使い分ける狡猾な女でしてよ。水精霊の遺物ブリューナクを奪取しブロニクスの街を襲撃しようとしていましたが、ワタクシとの勝負に敗れやがて命を落としましたわ。貴方がた六霊守護にはご迷惑をおかけしましたわね」


「……そう、なんか。でも魔人が魔人を倒すなんて聞いたことあらへんなぁ。ミルドレッド、って名前やっけ? あんたもアマルティアなんやろ? 父ちゃんから聞いたことがある。どうしてウチを助けてくれたんや?」


 どうやら伊達に尊き一族の末裔ではないらしい。確かな知性を感じるミレーヌの瞳に、ミルドレッドは内心驚いていた。

 下手な虚飾はかえって相手を傷つけるのみだろう。ミルドレッドは努めて冷静に言葉を紡いだ。


「……たとえ数え切れない過ちを犯しても、最後には妹の、ロレッタの助けになってあげたいのです。あいにくワタクシはヒトを汚染しなければ生を繋げない身であるがゆえ、あの子のそばにはもういてあげることができませんが……あの子が新たに手に入れた絆、あの子の生きる世界、幸福に満ち溢れた未来。それらを守る礎になりたい。この歪んでしまった人生を昇華させて、今日までアマルティアが犯した罪を償うつもりですの」


「ミルドレッド……」


「いま本物のロレッタ達はカエルレウムで窮地に立たされていますわ。ワタクシに残された時間を使って必ず救い出します。ですから、貴方はどうか街にお戻りなさい。この近辺には魔獣をけしかけておりませんから、その頼りないお身体でも無事に辿り着けるでしょう」


「……頼りない言うな」


「ふふ、御免遊ばせ。でしたらこの先、ようく鍛錬を積むことですわね。ワタクシたちのような悪い連中に弄ばれないように」


 ミルドレッドは自身のコアから発せされる魔素を一時的に断ち切ると、地に座り込んだミレーヌの身体をそっと起こしてやった。照れくさそうに笑う彼女の様子が無事であることを確認したミルドレッドは、膝を屈めて対する水晶のような瞳を真っ直ぐから捉えた。


「理解できましたかしら、ミレーヌ様?」


「……うん。分かった。ありがとな、ミルドレッド。もうウチは大丈夫や」


 褐色の肌に映える太陽のような笑顔。ミルドレッドも微笑みをつくって頷く。

 よかった。仮初ではあるが、ヒトと魔人が分かり合うことができて。あのエルキュール・ラングレーほどまではいかないが、己の中にある矛盾とこうして向き合うことができたのは、紛れもない僥倖であった。

 内に込み上げる熱い衝動をどうにか覚まし、いざカエルレウムに出発しようとしたその瞬間。


「……本当にありがとうな、ミルドレッド。お陰でよく、よく分かった……」


 そう、まさにその瞬間。対するミレーヌの顔を、ミルドレッドは何があろうと忘れることのできないだろうという確信があった。

 それは。


「やはりあんたは、ここで死ぬべき存在だ。そう、よく理解できたよ」


 再びヒトの幸福を願い始めたミルドレッドにとって、悪夢にも等しい絶望的な光景であった。無惨なブリューナクの刃が胸に座す無抵抗なコアを容易く貫くと、やがて彼女の意識は果てしのない闇で満たされた。

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