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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第十二話「片鱗」

 カエルレウムの対岸で聖域内に入ったエルキュール達を待っていたミレーヌ・ド・アルタマールは、遺跡の転移装置から出現したロレッタの姿を認めると、そわそわした態度から一転して緊張の面持ちを浮かべた。

 彼らがカエルレウムに突入してから一時間が経とうとしており、父の身を案じるミレーヌとしては流石に我慢の限界であった。

 悠々とこちらに近づいてくるロレッタに対し、彼女は颯の如き勢いで詰め寄った。


「あっ、ロレッタ! 父ちゃんは!? 父ちゃんはどうだったんや!?」


「……ジェラールさんは魔物による怪我を受けたけど、汚染されることなく一先ずは無事だったわ。今はエルキュールとグレンが状態を見ながら治療している最中よ」


 ミレーヌはこの時ばかり精霊の導きに感謝したことはなかった。

 涙目で天を見上げながら、大いなる歓喜に身を震わせる。渾身の祈りが届いたのか、岸から望む紺碧に彩られたトゥール海は光を帯びているようにさえ見えた。彼女はそれから一頻り感慨に耽ると直ぐにでも父に会いに行こうとロレッタに懇願する。

 しかし、当のロレッタの表情は芳しくない。聖域内ほど危険な環境ではないとはいえ、この遺跡地帯もまたミレーヌを一人で置いていくには厳しい環境であった。


「大丈夫。どこであっても、会いたいと願うのなら会わせてあげられる。だから今は、早くブロニクスに帰りましょう?」


「うーん……街が安全なのはその通りやけど……」


「貴女はアルタマール家の一人娘でもあるのよ。今は風霊祭の季節だし、しっかりお父様の代わりを努めてあげるのも親孝行と呼べるのではないかしら?」


「ウチが父ちゃんの代わりに……」


 幼く純粋であるミレーヌはまだ人を疑うことを知らない。ジェラールの役目に忠実な父親としての姿は、彼女を無垢な心を持った優しい少女へと育て上げた。

 そしてミレーヌには常々思っていたことがある。一刻も早く未熟な己の殻を破り去り、偉大な父の隣に並び立ちたいと。ミレーヌの父と母は晩婚であった。故にミレーヌが物心ついた頃より、彼らはもう重責ある任に長く耐えられるほど若くはなかったのである。

 両親の役に立ちたかった。その一心でミレーヌは頷く。

 それからロレッタと二人だけで一足先にブロニクスの街へと戻ることにしたのだ。





 風霊祭も中盤に差し掛かった水都ブロニクスの街。中心地区からやや東に外れたとある服飾店にて。どこかちぐはぐな印象を持つ三人の客人が、周囲からの注目を一心に集めていた。

 一人は亜麻色のハーフアップに白のケープコート、不思議な曲線が織り込まれた特殊な杖を携えた小柄な少女であった。空いた片手に華やかなドレスを代わる代わる持ち替えて、隣に立つ金髪の少女の身体に時おり宛がってみせている。その間に流れる雰囲気というのは、一方で気の置けない友人同士のような気軽さであり、一方では恭しい主人と従者のそれにも思われる。兎角、和気藹々としながらも、どこか互いを探り合っているような不思議な空気を醸していた。

 そしてその一部始終を若干離れた位置から見守っているのが、騎士の甲冑に身を包んだ竜人種の亜人である。青黒い短髪に同じく青みがかった切れ長の瞳、服の上から見え隠れする肌を覆う黒い瓦状の鱗が特徴的な壮年だった。彼は少女二人が流行りの女性物について語り合う様を困惑な表情で眺めており、両手はこの店で既に購入した紙袋で塞がっている。

 そのような状況で、彼女らは高貴さと珍妙さを店中に振り撒き、その上で衆目など気にも留めず買い物を続けていた。


「ねえ、ジェナさん。そちらの薄緑の肩口が開けたものをくださる? 風霊祭という晴れ舞台、もう少し冒険したい気分ですの」


「うーん……クロエ殿下には大人っぽい服より、もっと可愛い系のほうが似合うんじゃないかなと思いますけど。ほら、こちらのフリルのついたものとか……」


「……むう、わたくしの容姿が子供じみていると?」


「い、いえ! そうではなくてあくまでも傾向の話で私は決して殿下を貶したとかでは――」


「くすくす、申し訳ありません。冗談ですよ。そんな風に狼狽え慌てふためき、ジェナさんは本当に面白い方でございますねっ?」


 二人の少女。光の六霊守護ジェナ・イルミライトとオルレーヌ王家の娘クロエ・ド・フォンターナは、風霊祭の終幕式を彩るための礼服について愉しげに意見を交えていた。

 風の大精霊セレに対する信仰を示し、信心深い者たちへの祝福を授かる祭事。その最後には、王女にして迎賓であるクロエが民たちの前で祝辞を述べることになっている。

 いま身につけている動きやすいブラウスはともかく、ふだん王城にいるときのドレスも相応の代物ではあるだろうが、特別な機会においてより適した装いをするというのが彼女の考える礼儀であった。

 ゆえに今回は、ジェナとシオン、二人の護衛を伴ってわざわざ中央街から離れた店にまで足を運んだ次第である。もっとも、真面目に語りあっていたのは店に入ってからものの十数分といったところで、そのほとんどの時間はクロエがジェナを揶揄うだけというお気楽な調子で過ぎていたが。

 傍で見守る竜騎士シオンの貌には、彼の真面目で実直な性格には珍しい困惑と辟易の表情が滲んでいる。齢にして数百の亜人である彼には、少女たちが話す服飾談義は少々理解に苦しむ部分があったのだ。

 既に何着も購入を済ませてはいるが、なぜかクロエはジェナの分の服も見繕い始めていた。このぶんでは、買い物を終えるにはまだまだ時間がかかりそうだと、シオンはひとり溜息を零した。


「ジェナさんも女の子なのですからおめかししませんと。でないとエルさんに振り向いてもらえませんよ?」


「……む、エル君はそんな人じゃありません」


「まあ、何を着ても可愛いと仰ってくれると? なんて気が利く御方! これはわたくしももっと積極的にアプローチしたほうがよろしいかしら」


「ですから、そんなに甲斐性がある人じゃないんですエル君は! それより、殿下はどうしてそこまで彼のこと狙ってるんですか!? 結局サウナに入った時も教えてもらってませんよ!」


「……気になってしまいます?」


「気になってしまいます!」


 にわかに昂り始めた両者の――もといジェナのその様子に、半ばお目付け役と化したシオンはすぐさま彼女の勢いを止めようとする。しかし意味ありげにウインクを向けてきたクロエの視線に、彼は伸ばしかけていた手をそっと元に戻した。

 衆目は増している。できれば穏便に済ませてほしい。シオンは麗しの王女殿下に目配せで以てそう示した。


「エルさんに執着する理由……それは――」


「それは……?」


「彼の宝石のような瞳に魅入られてしまった、からですわ♪」


「真面目にお願いします!!」


 シオンは二人を連れて店を出ることにした。





 洋服店の喧騒から抜け出したクロエは、シオンに屋台で売られている炭酸飲料を買ってくるように命じると、ジェナを連れてブロニクス公園にある長椅子に並んで腰掛けた。

 高台に建設されたその公園は紺碧のトゥール海を望むべくある。風霊祭という季節柄、眼下に広がる街並みも風をイメージした翡翠色で飾られており、目に良く映える対照が際立っていた。

 港の方からは、潮を運ぶ海風。春めく温かい感覚に双眸を細めながらも、クロエは隣に座る六霊守護から意識を離さなかった。この一見して長閑な場は、大気を伝う春の便りほどぬるくはないのである。彼女は鋭く息を吐いた。


「……そんなに人目を憚ることなんですか? 殿下がエル君を気にする理由って」


 対するジェナもクロエの真剣な心境を察してか、普段の溌溂な声を抑えて控えめに尋ねる。

 しかし本人は真面目な雰囲気を醸しだそうとしているのだろうが、口許に片手を当てて小声を出すその仕草は何とも女性らしく、華奢な格好も相まって愛らしいものであった。

 クロエは内心でそのことに和みながらも、脳裏では強かに言葉を吟味していた。


「ジェナさんならばご存じでしょうね、十五年前のアートルムダールの戦役を」


「闇の聖域の決壊と、それに付随した大量の魔物発生。六霊教の教皇ルクレア様と数々の英雄が辛うじて収めた史上屈指の大事件……おばあ様から聞いております」


「その通り。そしてここで提起したいのはその英雄のうちの一人について。膨大な闇の魔素を湛えた魔人……王家の資料ではナハティガルという名で記録されている存在です」


「……その魔人が何か?」


「ナハティガルは魔人にしてヒトに与したとされていますわ。当時教皇と行動を共にしていたオーウェン・クラウザー、グロリア・アードランド、ローリー・ウィズダムに力を貸す形で。彼は琥珀色の瞳と灰髪を持ち、黒い魔力をその身に有していました」


「……その面々、偶然かもしれませんがデュランダルの幹部と同じ名前ですね」


「そしてわたくしが申した魔人の特徴は、どこかのデュランダル隊長さんと一致しています。偶然かもしれませんが」


 盤上の駒を用いて一手ずつ詰めるかのように、クロエは順序正しく情報を並べ立てていく。民の上に祭り上げられ、弁を振るい政を為すべく育てられた彼女にとって、これくらいの論法はいとも容易いことであった。

 魔人という言葉をクロエが発してから、ジェナの表情は僅かに硬くなっている。そのことに気付いた彼女は、朧げに描いていた自身の推論がより強固になっていくのを感じていた。


「六つの聖域に封印されている六大精霊が振るった武具たち。火の遺物フツノミタマ。水の遺物ブリューナク。風の遺物ミストルティンに、土の遺物が王都でも騒ぎになったあのシャル―ア。そして光の遺物がジェナさんもよくご存じの聖杖カドゥケウス。して、闇の遺物……その真名は?」


「……闇精霊ベルムント様が行使されたという不滅の剣。黄金と漆黒の刃、デュランダル」


「実に綺麗な符号。何らかの作為を感じざるを得ません。世の脅威たるアマルティア、一度封を解かれた闇の聖域、人を支えた魔人に対イブリス機関デュランダルの動向。わたくしはそれらが意味するところを知らなければならないのです。フォンターナの一族として、オルレーヌで最も尊き血に懸けて」


「殿下……あなたは、どこまで――」


 張り詰めたジェナの言葉は、途中で虚しく空に掻き消えた。

 慌ただしく二人の間に駆け寄ってきたシオンが、荒い息を整えながら切羽詰まった声を上げた。


「クロエ様、ジェナ殿! ブロニクス近郊に魔獣が! 大型を含め、百を超える勢力が突如として出現した模様!」


 その報告を聞いたジェナは流石に狼狽しているように見えたが、対するクロエは眉一つ動かさずにそれを受け止める。


「百……大型魔獣の存在から考えても、およそ自然発生では有り得ませんね。アマルティアの関与を見るべきです。シオンさん! すぐに騎士たちを集め人員を三体一に分けてください。多いほうを外に、少ないほうを街の護衛に充ててくださいませ」


「攻勢にでられると? エルキュール殿らもカエルレウムにいる以上、こちらの戦力は限られますぞ」


「それでも防衛戦を行うよりは良いはずです。堅牢な王都の防衛機構と違って、ブロニクスのつくりは簡素なもの。それに風霊祭の季節とあらば人混みも平時と比べて密になっていることでしょうから、市街で戦うとなると機動力が損なわれてしまいます。ここは積極的に殲滅のため動く方が、より効果的な局面です」


「しかし……」


「いいですか、わたくしはオルレーヌ王国の頂点に座す一族、クロエ・ド・フォンターナ。民を導き、民を諭し、そして民の盾となる者です。疾うに覚悟は決まっております。戦力を不安視なされるのなら、わたくしも駒とすればよろしい。最善を尽くすのが我々の責務なのですよ」


 弱冠十五歳とは思えぬクロエの覇気に、騎士団の特別補佐官ともあろうシオンが後退る。彼は暫く切れ長の目を固く閉じて低く唸ったのち、肺に満たされた憂慮の息を一気に吐き出した。


「殿下の判断に同意します。だが攻め手は守り手の五倍といたしましょう。我が率いる騎士衆と確かな実力を持つ魔術師ジェナ殿……それに加えて殿下のお力も賜りますようお願い申し上げます」


 保守的なシオンにしては珍しいその策に、クロエは闘争の色濃い笑みを浮かべた。

 ブロニクスより少し離れた平原にて彼女らと魔物との戦いが幕を開けたのは、これよりほんの数十分後のことである。





 マリグノとミレーヌが合流を果たした頃。ブロニクス外縁に大型魔獣が現れる少し前。カエルレウムの遺物の間ではグレンとロレッタによる苛烈な戦闘が行われていた。

 マリグノによって魔人の姿に変化させられたからだけでなく、その度重なる実験によってロレッタの身体はとうに常人の域を遥かに超える魔力を備えていた。

 青白く変色した大木のような彼女の腕からは魔素質による変幻自在の剣が生えており、千変万化の斬撃をグレンに繰り出していた。

 紛い物の魔人であるゆえイブリス・シードを持たないロレッタは、人を汚染をすることこそないが、その単純な攻撃力は大型魔獣を凌ぐほどである。

 打ち合うたびに、徐々に圧されていくグレン。戦闘の趨勢は彼にとって頗る悪いものであった。

 帝国製の銃大剣に刻まれた魔動術式により、超人的な強化魔法ならば身体に付与できるグレンだったが、ロレッタの攻撃速度と強烈さはそれを優に上回っている。

 眼前に迫っていた斬り下ろしを辛うじて上段の剣で防ぐと、グレンは後ろに飛んで相手との間合いを取った。

 負けん気の強いグレンにしては珍しい、あからさまな逃げの一手。聖域内に滞留する高濃度の魔素は彼の身体に莫大な負担を強いていた。

 厳しい環境の中での熾烈な攻防がグレンを蝕む一方で、ロレッタの勢いは止まることを知らない。単なる有機生命体であるリーベの枠を外れた肉体はどちらかと言えば魔物に近しく、周囲の著しく活性化した魔素を取り込み、より高い戦闘能力に至っていた。

 アマルティア幹部にも等しい力。しかしグレンは諦めない。諦めることなどできなかった。

 猛攻が増すロレッタの放つ冷気の波動を、グレンは剣の銃口から火炎を吹かして相殺する。次いで襲い来る斬り上げには剣先を滑らせるようにして対処した。

 グレンの持つ魔力はエルキュールやジェナに遠く及ばない。ここまで持ちこたえているのは、偏に彼の並外れた剣技と闘志の為せる業であった。

 体力、気力、騎士道精神。強靭なる心技体。それが細い糸を繋ぎ、反戦の意を紡いでいる。

 偏にグレンは信じていた。荒れ狂う吹雪の中に眠るロレッタの意識が目覚める時を。冷たい態度に飾られた彼女の温かみがまだそこにあることを。この剣戟と、闘争の果てに。


「さっさと起きやがれ! この寝坊助がっ!」


 渾身の一撃を以て魔人の猛攻を退け、グレンは痛みで鈍麻する身体に鞭打ち懸命に吼える。

 銃大剣の切っ先がロレッタの胸部を捉えたその刹那、辺りに激しい閃光が瞬いた。

 それは変化の兆しである。何か、不可逆的な変化がいま起ころうとしている。しかし。

 己が掴んだ未来が奪還か、喪失か。はたまた別の可能性か。

 グレンがそれを知るより先に、彼の意識は深い深淵に吸い込まれていった。


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