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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第十話「トリック」

 ミレーヌ、エルキュール、ロレッタ、グレンの四名はトゥール海に沿うように建てられた遺跡群を警戒態勢で進んでいた。

 特徴的な白壁の随所はひびが入り、崩れ、苔生しているところもあり、塩を運ぶ風のせいで金属は赤く錆びついている。さながら鉄と石の森林。地面もすっかり荒れ果てている。そんな厳しい道のりに加え、途中には魔獣とも接敵することもあった。水棲の鰐型や苔に含まれる土の魔素を餌とする兎型など、大小様々な個体が見受けられたが、それぞれが優れた魔法士に匹敵する使い手であるエルキュールらにとって、これしきのことは苦ではなかった。

 遺跡を抜けると、海岸から海の方へ伸びるように敷き詰められた石畳と、その左右に等間隔で並べられた石柱が視界に入ってくる。奥には古代の精霊によってつくられた転移装置があり、そこからカエルレウム本殿へと至るのだという。

 紺碧のトゥール海と光精霊ルシエルの恩寵たる陽光に照らされた転移の殿は、次世代の六霊守護の到来を祝福するかの如く綺羅綺羅しい。

 その絶景に然したる感慨も覚えない様子で、ロレッタが先導するミレーヌへと声をかけた。


「ミレーヌはここで待っていてちょうだい。一時間しても中へ入った私たちが戻らなかったら、その時は王国騎士団に連絡を」


「そんな、ウチも行くって! 父ちゃんが危ないかもしれないんや! それに聖域に収めている遺物もこの目で確かめなあかんし……」


「ごめんなさい。だけど貴女の実力だとここが限界。魔素濃度が高い聖域内では活動するにも耐えられないでしょう」


「うっ……せやけど、でも……」


「あまり彼女を虐めないでやってくれ、ロレッタ」


 助け舟を出したのはそれまで遠く海を眺めていたエルキュールだった。


「幼いながらも、ここらの魔獣には問題なく対処できていた。彼女なら連絡役も立派に務めてくれるだろう」


「いや、一緒に行こうって誘ってくれると違うんかいっ……!」


 涙目になるミレーヌ。しかしデュランダル勢の判断は覆らなかった。周囲の魔素を己の外皮に纏わせる防御術――オーラが十分に扱えない者は、強すぎる外部の魔素が体内に入った時に変調をきたす。そうなればたちまち戦闘不能になり、足手まといと化すのが容易に想像ができるからだ。

 結局、転移装置の前に彼女を残し、三人でカエルレウムに入ることに。

 装置の仕組みは闇魔法のゲートと全く同じ仕組みであるらしく、エルキュールが操作しても何ら問題はなかった。桟橋のように敷き詰められた石の床には巨大な円状の窪みがあり、そこには幾何学模様が描かれた円盤が嵌め込まれている。その上に乗り術者が魔素を込めることで、聖域側のゲートとの二点を繋ぐことができるようだ。

 エルキュールは円盤に注意を向ける傍ら、ふといつもよりも物静かなグレンの態度が気にかかった。


「どうかしたか」


「いや……何か妙だな、と思ってよ」


「妙とは?」


「……それは。悪い、上手く言葉にできねえ」


「……ふむ」


 この状況下でいたずらに士気が下がるようなことを言うグレンではない。その言葉には常に耳を傾ける価値があるとエルキュールは日ごろ信頼を寄せていた。

 しかし、要領を得ない言い分で作戦行動を中止するわけにもいかず。エルキュールは後ろ髪を引かれる思いで彼の言を流すことにした。

 エルキュールが本格的に闇の魔素を込め始めると、円盤の模様から漆黒の輝きが漏れ始めた。闇魔法ゲートの、その放出の兆候である。

 そして、次の瞬間。エルキュールらを囲む景色は一変していた。

 海と遺跡の光景から、紺碧の壁で四方を囲まれた豪奢な宮殿に様変わり。瞬く間に転移を終えたエルキュールらは周囲の安全を手早く確認し、慎重に内部を進んでみることにした。

 水をモチーフにした流線型の柱と梁、蜘蛛の巣の如く入り組んだ通路。先ほどの転移盤に見られた幾何学模様が刻まれた床がどこまでも続いているように見られ、気を抜くとすぐに方向感覚を失ってしまいそうだった。

 エルキュールは辺りの壁に魔素による目印を残し、宮殿の進行度を魔素感覚で捉えられるように努めた。廊下を曲がるたびに異なる属性の魔素を操り、自身の中で記憶しやすいように変化をつけていく。ひたすらに無機質な造りの迷宮では、こうした遊び心すらも必要であった。


「ミレーヌの話によると六霊守護のジェラールという男は五十代の青髪、痩せ型の男らしい。早く見つけてしまおう。そして無事なようなら、精霊についても話を聞いてみたい」


 前方を行く二人に呼びかけるエルキュール。

 今回の風霊祭に参加した目的は、光精霊ルシエルに続いてこの地の水精霊を探訪することにあった。精霊の加護を得て、闇精霊が鎮座するアートルムダールの封印を完全なものに。そして闇精霊を魔王と崇め、その復活を狙うアマルティアの目論みを阻止するのだ。

 如才ない態度を崩さないまま、エルキュールは改めて決意した。

 だが、次の角を曲がる頃になって、ようやく彼はそれまでの考えが浅はかだったかを知ることになった。

 廊下の先の一際大きな扉から、途轍もない魔力が放たれている。ロレッタはおろか、魔素感覚に鈍いグレンですら、その異常な事態に色濃い警戒を露わにした。


「この奥にとんでもないのが居やがるな……ったく、どこから入り込んだんだ……?」


「まさか、アマルティア幹部? いえ、それにしては魔力のイメージが粗削りな感じ。いずれにせよ注意した方がよさそうだけれど」


 剣呑な雰囲気を醸す二人に倣って、エルキュールもまた自らの得物を検める。デュランダル謹製の魔動通信機から取り出したハルバードの切っ先は、丹念に磨き上げられ鈍色の光沢を放っていた。

 三人は息を潜めて扉の両側に張り付き、合図に合わせて一斉に中へとなだれ込んだ。

 開かれた門を踏み越えると、四方を群青の光に照らされた広間に通じていた。左右に備えられた銀の燭台が疑似的な通路を織りなし、その奥には巨大な台座が見受けられた。そして台座の上には海を彩る波のような装飾が施された特殊な槍が、不可思議な力によって宙に浮かびながら飾られている。

 まるでただ槍を保管するためだけに設えられた、大いなる神聖さすら感じる空間。その荘厳な間には果たして、三人の予想通り先んじて侵入者が立ち入っていた。


「アアァァ……」


 それは氷雪を具現化したかの如き魔人であった。全身を薄青の魔素質による瘤が覆い、右腕には手と一体化した魔素の剣が。歪な顔面からは煌々と光る単眼が覗き、肌には魔素質の痣が至る所に蔓延っている。人間より一回り大きい体躯はかつて人間だった頃の面影を微かに残しており、若干丸みを帯びた身体から、どうやら過去には女性であったことだけが辛うじて窺えた。


「……氷の、魔素……なんだ、あれは……?」


「おいっ、エルキュール! あそこを見ろ! 人が倒れているぞ!」


 琥珀の瞳を大きく見開き狼狽えるエルキュールに、隣に立つグレンが喝をいれる。

 弾かれたようにその方を見やれば、胸を大きく刺し貫かれた男性が、夥しい血液を垂れ流しながら地に伏せっている姿があった。顔は見えない。しかし状況から見れば、あれはエルキュールらが探していた六霊守護、ジェラール・ド・アルタマール本人に違いないだろう。この特殊な領域を理由もなく彷徨う者など、帝国の荒廃した砂漠から金を見つける確率よりも有り得ないことなのだから。

 あれだけ心配していたミレーヌのことを思うと、エルキュールの心は底知れない無力感で満たされた。しかし、静かに感傷に浸る暇すら、今この時においては残されていない。

 敵を認め、こちらに近づいてくる氷の魔人。一刻を争う事態であった。


「エルキュール! ここはオレが前衛を引き受ける。火属性の魔法ならあっちの冷気にも対抗しやすいはずだからな」


「……分かった。ただまずは敵の力量を確かめたい。くれぐれも慎重に行こう。ロレッタは念のためジェラールさんを看てやってくれ」


「ええ、了解よ」


 素早く作戦を共有し、三人が散り散りに動き始める。

 魔人の視線を掻い潜ってロレッタが六霊守護の下に駆け寄り、その動きにつられた敵の行動をグレンの銃大剣が文字通り火を噴いて阻止した。


「お前の相手はオレだ。有難く思いやがれっ!」


「アアウウ……?」


 対峙するグレンの姿に、一瞬たじろいだ様子の氷魔人。しかしそれも束の間のことであり、苛烈なる銃大剣の斬撃が襲い掛かる頃には、腕に接続された剣で以て一糸の乱れもなく受け止めていた。

 火と氷。熱と冷の乱舞が広間の空気を幾度も攪拌する。それに付随して辺りには衝撃波が発生し、部屋を照らしていた燭台の炎が一斉に掻き消えた。

 僅かに仄暗くなる室内、近接戦闘をする者にとっては逆風だろう。エルキュールは素早く光魔法(ライト)を詠唱し、グレンの周りにそれを纏わせた。彼の周りの空間が温かな白光に包まれ、打ち合いの際の導となる。

 この間、エルキュールの注意は専ら氷魔人の動きに向いていた。魔素質で作られた薄青の剣と、自然には発生し得ない氷の魔素。それらの存在が、エルキュールに確かな違和感を植え付けていた。また、あの魔人からは人間を汚染しようという意思を感じなかったのも、なおさら彼の焦燥を加速させた。


「あれは、まるで……いや、そんなはずは……!?」


 そうしたのは全くの無意識からであったが、この時エルキュールは初めて驚愕の事実に気が付いた。

 いない。ロレッタが。ジェラールの傍に。

 それを認識した途端、エルキュールの意識はもう戦闘に集中できる域になかった。

 強烈な寒気に駆られ視線を巡らせると、その者はいた。部屋の最奥。祭壇に祀られた、神聖さを湛える遺物をその手中に収めて。

 ミレーヌ曰く、聖域に鎮座せし遺物ブリューナクは、水精霊トゥルリムが使役した伝説の武具にして、かつてその一振りを以て大海を二分しヴェルトモンド大陸を形作ったのだという。古の時代、闇精霊ベルムントを封印する時にも用いられた正真正銘の神器なのである。

 だがその切っ先は今、あろうことか氷魔人と戦うグレンに向けられていた。構えを取るロレッタの顔からは、魔人諸共すべてを刺し貫こうとする決定的な殺意がありありと感じ取れた。

 遅すぎた。真実に到達したのも。攻撃を察知したのも。迎撃は間に合わない。

 エルキュールは戦うグレンたちを横切り、迫りくるブリューナクとの間に躍り出た。


「――エスクード!!」


 土の魔素の防壁と、水の魔素を多分に含んだ刃。衝突し、反発し、やがては混ざりあい、周囲には凄まじい突風と生成された霰が飛び散る。まるで氷嵐。それと真っ向から抗うエルキュールは、背後のグレンと魔人が怯んだのを感じながら全霊の魔素を防御に注いだ。

 だが――。


「ぐっ……この、力は……!」


 あまりに突発的な状況だった故か、魔法の放出が完全ではなかったのだろう。それともブリューナクが有する驚異的な威力か。

 遺物の刃は容易くエスクードの壁を砕くと、その奥にいたエルキュールの胸を深々と切り裂いた。魔人である彼の急所。コアを諸共にして。


「がはっ――」


 美しい流線型の切っ先がロレッタのほうにゆっくりと引き戻されると、エルキュールの身体からは淡い黒の魔素が漏れ、力を失ったその身体は糸が切れたように宮殿の床へと倒れ伏した。

 全ては刹那のこと。一部始終をただ見ていることしかできないでいたグレンは、目の前の光景をひたすらに疑った。

 端的に表現すれば、仲間であるロレッタが、仲間であるエルキュールを攻撃しただけだ。その事実に至るのに数秒も要さない。しかしそれを受け入れられるかはどうかはまた別の話であった。

 有り得ないことが起こっている。

 グレンの思考は完全なる空白となった。


「ク、ククク――」


 今までロレッタだったものが、卑しく笑い声を上げる。


「あんた。なに、その顔は? まさかロレッタ・マルティネスが魔物を前にして容赦するなんて本気で思っていたの? こいつは魔物を狩らないと憎悪で焼け死んでしまう哀れな化物なんだよ。ヒトの世に生きる魔人なんて格好の的でしょ?」


「何、言って……」


 ロレッタの端正な顔で、ロレッタの怜悧な声で。その者は言う。悪戯を白状する子供のように。自らの種を明かす奇術師のように。


「教えてあげようか。さっきまであんた達と戦っていたのが本当のロレッタ・マルティネスだったんだ。偽りの氷魔人との激戦、特等席でとくと鑑賞させてもらった。全くたいした道化っぷりだったね、グレン・ブラッドフォード?」


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