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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第八話「秘密裏の死闘、それから」

 ブロニクスの離れにある平原を、一人の少女が寂しく横切っている。辺りを背の高い草が夜風に靡く中、その華奢な身体はしかし力強くもあり。赫々とした眼光、確固たる足取りは、この辺境の先に彼女が求めるものがあるだろうことを如実に表していた。

 薄暗い月光を背に歩む彼女の名はロレッタ・マルティネス。魔に魅入られ、魔を滅するべく生きる者。だが今日まで掲げてきた信条は、今宵に限っては少し様相を異にしていた。

 エルキュールと廃村を訪れた翌日のこと。

 ロレッタの下にある一通の手紙が秘密裏に届けられた。それには封蝋も署名もない。明らかに、人間の手によって認められたものではないということが、勘が鋭い彼女には容易に窺い知れたのだった。

 手紙にはこう述べられていた。


『貴方の秘密を知っている。周囲に知られたくなければ今晩、水都の外れに来られたし。目印は、貴方の良く知る風の魔力なり』


 ロレッタの秘密。言うまでもなく、マリグノの実験によって変貌を遂げたその体質のことであろう。

 そしてヴェルトモンド大陸においてそれを知る者はかなり数が限られている。

 まずはエルキュール。真っ先に思い浮かんだのは彼のことだが、彼に関しては一部分しか事を知られていないため、自ずと候補からは除外される。性格を鑑みても、このような悪戯は好みそうもない。

 そうなると残りは単純明快。考えられるのは実験の生き残りであるミルドレッドと、実験の主導者であるマリグノの両者のみであった。

 そして以前会ったミルドレッドの意味深な言葉を思い返すと、そして手紙に書かれた『風の魔力』から推測すれば。この地を訪れているのは彼女である可能性が最も高いと考えられる。

 ミルドレッドにはアルクロット山脈で戦った折に敗北を喫していた。しかし、それでもロレッタは彼女と一人で対峙することを選んだ。

 デュランダルの仲間に事情を打ち明けることなどできない。きっと彼らが知れば、この惨めな人生を慰める言葉を、ロレッタを肯定する言葉を口にするに違いないから。それは、自らを罰して生きていたロレッタには、耐えがたい甘言のようなものであるから。


 月が中天にかかる頃。

 原野を行くロレッタの目の前に細い人影が姿を表した。

 近づいてみれば、翡翠に輝く魔素質を帯びたドレス姿の女性が彼女を待ち構えていた。

 今や颶風のミルドレッドの名で知られる、アマルティア幹部の魔人である。

 ロレッタの姿を認めた彼女は、優雅に一礼をくれた。手紙の差出人はやはり彼女で間違いないようだ。

 暦にして三週間ぶりの邂逅。否、必然とも言える逢着は、そよ風の如く平穏な幕開けとなった。


「ワタクシの言いつけを守らず水都へ観光を?」


「ええ。貴方のような魔人がいると聞かされたものだから、つい好奇心が勝って」


「お一人で来ましたの? せっかく文を差し上げて猶予を与えましたのに」


「脅しておいてよくも言う。私は秘密主義なの、戦うのなら一人でいい……元肉親とはいえ、今度は容赦しないわよ」


「……ひひひ。それは、ワタクシの台詞ですわ」


 ロレッタが手甲を構えたのと同時、ミルドレッドの周囲に暴風が吹き荒れる。


「光の聖域では手加減してあげましたけど二度目はあり得ません。本気でぶつかれば命がないと、分からないアナタではないでしょう」


「確かに今までの私だったら無理かもしれない。けれど――」


 自身の内に眠る氷の魔力に意識を伸ばしロレッタは思い返す。

 魔物と戦うとき、今までの彼女は意識的に自らの罪から目を背けていた。マリグノによってもたらされた非人道的な力の結晶。決してそれに身を投じまいと、己に枷を強いてきたのである。

 しかしこの世には、たとえヒトにそぐわない力を持っていながら、それでもなお善性を求める者がいた。己の未熟に向き合い続け、そして抗い続ける者がいた。

 情けは人の為ならず。エルキュールやグレンが体現しようとしているその言葉を、ロレッタもまた信じてみたくなった。今までの憎悪に塗れた生き方を変える必要があると考えさせられたのだ。

 その改心を以て、目の前にいる哀れな魔人を負の運命から解き放ってみせる。今ロレッタの中にあるのは、そうした純然たる良心であった。


「姉さま。あのとき私を魔獣から庇ってしまったせいで、貴女には重い荷を背負わせてしまった。ごめんなさい。私が弱かったせいで」


「……ロレッタ」


「けれどアマルティアのやっていることはヒトの道徳観から見て到底許されるものではないわ。たとえそこにどんな目的があろうとも」


 ミルドレッドが魔人になってからの出来事を、ロレッタは朧げにしか覚えていない。

 蛮勇に身を任せ魔獣の巣窟に突っ込んだロレッタを、彼女は魔物にその身体を喰われながら必死に逃がしてくれた。「ロレッタ、ここから逃げなさい」。全身から血を流す姉の言葉に従うほか、当時のロレッタには残されていなかった。

 ロレッタは姉を見捨てた。その挙句に魔物を排斥しろと訴えかける幻聴に蝕まれ、命の恩人である彼女までもを一様に敵視してしまっていたのは、過ちだったと認めざるを得ない。

 本当はもっと早く、こうしてやるべきだった。


「私が勝ったら、姉さまにはアマルティアを脱退してもらう。魔物を操ってヒトを襲撃するなんてことも金輪際やめてもらうわ!」


「……本当にできるとお思いですの? まったくもって大した夢想……ワタクシが手ずから吹き飛ばして差し上げましょうっ!」


 互いの意志がぶつかり合い、闘いの幕が切って落とされる。

 ドレープのついたドレスを翻し、まずはミルドレッドが攻勢に。腕に翠に光る風を纏い、弾かれたようにロレッタへ襲い掛かった。光の聖域では一度も仕掛けられることのなかった攻撃。彼女の本気が窺えた。

 迫りくる魔人を双眸で捉えたロレッタは、自らの胸の内、実験によって変異した心臓に意識を凝らした。そこには後天的に植え付けられた純粋な氷の魔力が宿っている。今までは己にある負の側面として忌避してきた力を、彼女は躊躇いもなく解放した。青を帯びた白皙の輝きがロレッタの周囲に湧き上がる。

 それに応じて周囲の気温は著しく下がり、ロレッタの右腕は剣のような形状に変化していた。人間の肉体部分と一体化したその魔素質の怪腕を以て、鬼気迫るミルドレッドの突進を受け止める。激しく舞い散る水色と翡翠の魔素。両者の実力は拮抗していた。

 むろんロレッタの魔法士としての力は、魔人ミルドレッドには大きく劣っている。しかし人造魔人とでも言うべき力を解放したロレッタの実力は、単独でアマルティア幹部の領域に至っていた。

 その変貌に驚きを隠せないミルドレッドを逃さず、ロレッタは魔素質で編まれた右腕の剣で彼女に追撃を仕掛ける。初動は辛うじて躱されたが、しかしロレッタの速度は衰えない。二手、三手と斬りかかり、ミルドレッドの肉体を苛烈に攻め立てた。

 幾度目かの斬撃を回避したミルドレッドは、接近戦は分が悪いと踏んだのだろう。ロレッタが大きく振りかぶった隙に乗じて、後ろに大きく飛んで距離を取った。武器は届かない間合い。通常ならば。


「逃がさないっ!」


 ロレッタはもう片方の得物、左手に装着した特殊手甲に魔素を込めた。その内部に作られた魔動機械が術者の魔力に応え、手甲の穴から鎖が勢いよく射出された。

 蛇の如くうねり、敵を捕捉する不可避の縄。先端についた刃がミルドレッドの片足に刺さったのを確認し、ロレッタは再び手甲に魔力を注いだ。伸びきった鎖が魔動機械によって勢いよく収縮し、空中のミルドレッドをロレッタの方へと引き寄せる。

 跳躍した姿勢のまま無防備を曝け出すミルドレッドに剣の腕で刺突を放つ。狙いは胸元のコア。手加減できる相手ではなかった。


「ぐっ……かはっ」


 翠玉のコアを穿つ冷気の刃がミルドレッドの表情を苦悶に歪める。

 しかしそれも束の間のこと。

 コアを刺し貫かれながらも、彼女は迸る風の魔素をその手に宿して一気に攻勢に転じてきた。


「吹き飛びなさい! ――ストームスラスト!」


 魔人の叫びに呼応し、大気が蠢動して嵐の槍が至近距離から炸裂。暴風がロレッタの肌を割き、肉を断つ。

 身体の半分が魔人と同じ特性を持つロレッタは、肉体の再生力が常人と比べて桁違いである。全てを引き裂く風の刃に晒されてなお、彼女はその靭性に全てを賭けることにした。


「負ける、ものかぁぁ!」


 ミルドレッドの攻撃を真っ向から受け、ロレッタはさらに彼女との距離を縮めた。全身に浴びる風は強さを増したが、この狙いはコアへの攻撃にある。コアを刺していた剣にありったけの魔力を宿せば、次第に硬質を帯びたその急所が周囲から凍結していく。

 この世でロレッタだけが有する純粋なる氷の魔素。本来ならば水と土の魔素を複合させなければ成し得ない現象が、魔法的な手続きを踏まず即効性に長けた術としてミルドレッドに作用する。

 その効果は絶大であった。氷結するコアには亀裂が入り、あわや破裂するというところまで達する。

 だが、勝負が決する前。肝心の瞬間においてロレッタの放出する魔力が止んでしまう。慈悲ではない。全力を使い果たしたことによる必然の欠乏であった。

 攻撃が鈍化した瞬間、決死のミルドレッドが再び距離を空ける。それは正しく死の淵から生還した戦死の如き様相であった。


「……やって、くれましたわね」


「はあ、はあ……貴女の損傷具合から見るに、私の魔力が回復する方が早い。このまま戦いを続ければ、私が勝つのは絶対よ」


 ミルドレッドは、かつてエルキュールと互角に渡り合ったほどの魔人は、その言葉に否定を唱えなかった。

 ロレッタの才は非凡なものであったが、勝負を分けたのは力量の多寡でなく、その性質であった。

 魔物への憎悪からくるものではない、殺めてでも相手を救おうとする覚悟。即ち、一切の衒いのない善意。

 間もなく回復を終えたロレッタは、膝をつくミルドレッドを静かに見下ろした。夜風が寂しく、二人の間に横たわる。


「約束よ、姉さま。もうヒトから奪う生き方はやめましょう。私も、探すから。魔物の本能を抑える方法を。彼を見ていると、不思議とできる気がしてくるの」


「エルキュール様のことかしら? 生憎、ワタクシはあの方とは違いますの。ヒトを汚染することでしか生を実感できない醜い化物ですのよ」


「でも貴女は、最後まで私を本当の意味で傷つけることはなかった。ソレイユ村での一件の時も。今この場でだって、貴女は私と対峙するのを迷っていた。姉さまには、まだヒトの心が残っているのだわ」


 憑き物が落ちたように優しげなロレッタの言葉に、ミルドレッドの毅然とした態度がみるみる解けていく。


「ロレッタ、ワタクシは……」


「私は他者に情けをかけることの強さをエルキュールから学んだ。ジェナもグレンも、人道を重んじる正義をそれぞれ掲げている。だから、私も。私の本心から逃げない。それがどんなに周りから歪んで見えていたとしても」


 手を差し出したロレッタ。ミルドレッドも、さながら明かりに誘われる蛾のように腕を伸ばす。

 かつて道を分かたれた姉妹の絆は、果たして再び結ばれることはなかった。


「――困るんだけど。ボクの実験体たちが勝手に動かれるとさ」


「えっ――?」


 突如として死角から放たれた水魔法の弾丸が、ロレッタの胸を背中から貫いたのだ。

 反応が間に合わず魔力を使い果たしていた彼女は、為す術もなくその場に倒れ伏してしまう。

 刹那の強襲。いつの間に、月明りに縁どられた人影が一つ、平原の彼方に佇んでいた。


「アナタは……マリグノ!」


 手負いのミルドレッドが妹を撃たれたことに憤怒の眼差しで闖入者を睨みつける。

 その正体はアマルティア幹部が一人。異相のマリグノと呼ばれるもう一人の魔人であった。

 薄汚れた白衣が墓場に蠢く幽鬼の如く、短く切り揃えられた橙の髪は漆黒の闇夜に紛れて怪しく揺れていた。


「どうしてそんな目を向ける? ボクはあんたを救ってやったっていうのに」


「何を言っているの!? この件には手を出さないと前々から約束していたはずでは……!?」


「悪いね。ボクは他人との約束が二番目に嫌いなんだ。だってそんなのあまりに不確定で曖昧な代物じゃん。全く信用に値しない。まあお陰様で非力なボクでも彼女を仕留めることができたから。感謝するよ、ミルドレッド♪」


 一瞬にして場を支配したマリグノは気絶したロレッタの頭を足蹴にしながら滔々と続けた。


「今回の計画には元091番に役立ってもらうことにしたんだ。光の聖域は守りが堅くて見送ったけど、今回の水の聖域に関しては風霊祭という時期も相まって隙がある。君にも協力してもらうよ。アマルティアの一員として、ね」


「くっ……」


 アマルティア屈指の武人とはいえど、大きく消耗したミルドレッド。この場でマリグノに逆らうことは出来ずにただ忌々しげに喘ぎを漏らす。


「……もうすぐだ。ボクが遺物を手にすれば、新たな秩序が世界に生まれる。本当に、本当に楽しみだね……」


 月を仰ぐように両手を広げたマリグノの瞳には遠大な狂気のみが貼り付けられ、先の姉妹に見られた慈悲の心なぞ絶無に等しかった。




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