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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第三話「雨の旅路」

 オルレーヌ王女クロエ・ド・フォンターナの行幸はあいにくの雨模様から始まった。

 沿岸であるブロニクス周辺は夏になると強い陽射しが照りつけるのだが、今や晩春の候に差し掛かったことを思えば、これはやや不運な風向きだと言えるだろう。

 右手に大陸の西側を揺蕩うトゥール海を望み、騎士団とデュランダルの面々は王都からひたすらに南下を続けていた。降りしきる雨には土の防御魔法で対応し、クロエ殿下を乗せた馬車を四方から囲む。林道や川辺に潜む魔獣を警戒する、強固なる防御の陣であった。


 歩兵の数は双方合わせて四十と四人。ただそれのみ。

 移動を挟みながらの対魔物において、騎兵や弓兵では小回りが利かず、多様性に欠けている。そうした判断に依るものであった。

 エルキュールらデュランダル捜査隊のメンバーは、それぞれが騎士団の小隊に組み込まれることになった。

 ブロニクスまでは二泊三日の長旅となる。その間に少しでも普段と異なるチームでの連携力を高めるため、総指揮を務めるシオン・ムラクモが決定したことだった。麗しの水都に到着してからも、クロエを守護する任務は続くのだから、そのことに異を唱える者は一人としていなかった。


 陣形を成す四つの隊の中で、銃大剣による近接戦闘が得意なグレンが前方を、広範囲の魔法を操るジェナが後方を警備することになった。そして残ったエルキュールとロレッタが、それぞれ右方と左方を担当することで話は纏まったのだが――。


 雨。厄介の種は当日になって芽を出していた。

 水の魔素を豊富に含むそれは、火の魔法で己を強化して戦うグレンとはすこぶる相性が悪いもので。

 故に彼は最も戦闘が激化するであろう前方の隊を外れ、その代わりにエルキュールが前線についたのだった。


 幸いにしてそれ以外の凶事には見舞われなかった。むろん魔獣との接敵はあれど、護衛隊は無事にその一日の行程を終えた。

 夜が近づく前に、ぬかるんだ地を避け休憩用の天蓋を組み上げる。これにはエルキュールらが持参していた魔動収納機が大いに役立っていた。闇魔法ゲートによって離れた場所にある物資を瞬く間に手元に取り出し、野営の準備を行っていく。

 仮宿の中心に揺らめく焚火を見ながらエルキュールが休息をとっていると、ふと背後から近づく足音があった。弾むようなそれからは、どことなく悪戯な印象を覚え、エルキュールは振り返らぬまま溜息を零した。


「その気配はクロエ殿下ですね」


「まあ! エルさんは背中にも目がついておられるのでしょうか?」


「……こちらが知らぬ間に心なしか呼び方が親密になっている気が」


 クロエはくすくすと微笑みを浮かべながらエルキュールの隣に座り込んだ。地面に布を敷いているとはいえ、決して王族らしからぬ行動。

 エルキュールは驚いた。距離も近いのも相まって非常に落ち着かない。

 いまのクロエは初めて出会ったときのドレス姿とは装いを変え、動きやすい白の軽装に身を包んでいる。そのためこのように身体が触れ合いそうなほどに近づいていると、まるで彼女が気のいい友人かのように錯覚してしまうのだった。

 エルキュールは周囲の騎士たちの羨望と嫉妬の目に辛うじて耐え、目の前の少女が何者であるかを思い直した。


「あまり俺に近づき過ぎないほうが良いですよ。周囲からどう思われてしまうか――」


「それより、敬語はやめてとこの前伝えたではありませんか」


「ですから今は他の者もいるので……」


「まあまあ。これまでの旅で、私の言動については既にみなさん知っていることでしょうから。今更でございますよ」


 このように言いながら、クロエのほうは一向に丁寧な口調を崩さないでいる。

 要は単にエルキュールを揶揄っているのだ。

 そのことは容易に思い至るが、してその真意は読めない。


「殿下はなぜ護衛隊の一人にすぎない俺にそこまで干渉してくるのでしょうか? 何か気づかぬうちに粗相を働いてしまったから、罰を与えているおつもりですか?」


「罰だなんて! ふふふっ、本当に面白いヒトですね貴方は。ご心配なく、ただ逃げる者を追ってしまうのがわたくしの性ですのでっ」


「別に逃げているつもりはありませんが……」


 他人との距離の測るのはエルキュールの苦手とするところではあるものの、この不調和にはクロエの謎めいた積極性も働いていることだろう。

 彼女には話し相手となる世話係なぞ十分についているはずなのに。

 首を捻るエルキュールに、クロエは口許を抑えながら上品に笑う。それから観念したように諸手を上げると、一転して神妙な顔つきで告げた。


「――貴方はきっとわたくしたちにとって特別な存在になる。そのような予感が、貴方を一目見た時からわたくしの心を離さずにいるのですわ」


「特別……」


「貴方の来歴、思想、戦闘能力。そのどれもが興味をそそられるものですが、貴方を貴方たらしめているのはきっともっと別の何か。正直に言ってしまえば、それについて知りたかったのです」


 エルキュールは思いがけなく言葉を失った。しかし彼を真に動揺させたのは、その言葉の内容ではない。

 そこにあった、クロエの瞳、所作、気迫である。それは少女としての顔にあらず。王族の、民の上に立つべき者の品格を湛えていたのだ。

 このまま会話を続けるのは、秘密を抱えるエルキュールにとって得策ではない。それを自覚した彼が話を打ち切ろうとしたときのことだった。


「――伝令! 付近の林に魔獣の群れを確認! 戦える者は至急現場に向かわれたし!」


 金属製の甲冑を鳴らしながら、疾駆する騎士の言葉が周囲に響き渡る。野営で待機していた者どもはそれを聞くや否や迅速に準備を進めた。

 程なくして林へ分け入っていく騎士たち。その中に混じってグレンやロレッタの姿もあった。

 今は幸いにして雨もない。彼らならば大事が起こることもないだろう。

 エルキュールは素早く判断を下し、隣にいる王女殿下に目を向けた。


「殿下は馬車にお戻りになってください。俺も加勢に行かねばなりませんので」


「いいえ、エルさん。それは恐らく最善の策ではありませんわ。わたくしの魔素感覚が告げています。安全を確保するなら――」


 クロエが言い終わらぬうち、休ませていた馬のほうに向かう影が伸びていた。

 川辺に生息すると言われる鰐型魔獣。それが何故か平地であるここにまで跋扈している。

 疑問は尽きぬが、エルキュールの行動は早かった。クロエの安全を守りながらも魔獣に向けて闇魔法による遠距離攻撃を狙う。


「――シャドースティッチ!」


 黒き魔素で編まれた矢が魔獣の足元にある影を貫くと、それは地面に縫い付けられたかの如く動きを止めた。

 魔獣の停止を確認したエルキュールは、すぐに近くの騎士を呼びつけるとその者に魔獣の処理を任せた。

 あのような奇襲があった以上、クロエの傍を離れる訳にはいくまい。

 闇の矢で捕らえられた鰐型魔獣が抵抗することも出来ずに討たれる様を睨みつけながら、エルキュールは先の疑問を反芻した。


「水辺に棲む魔獣がどうして単独でここに……?」


「決まっているでしょう。アマルティアです」


「……っ! では、あの魔獣も操られて」


「真っすぐに馬車を狙うように暗示をかけ、王族であるわたくしの命を狙おうとした。王都襲撃の件から存在を潜めていましたが、再び攻勢に出たのだと判断するべきですね」


 つらつらと流れゆく推測に、エルキュールは密かに感服していた。

 むろん彼とて最初から魔素感覚を研ぎ澄ませていれば、クロエより先に魔獣の襲撃に気づいていただろう。実際に遅れたのは、偏に視野の広さの違い、警戒心の強さに由来する。

 いま目の前にいる少女は、護衛隊を含めた一行の中では最も幼い人物だ。されどその経験と勘は、並の騎士連中を軽く凌駕している。この調子だと、魔法の腕も相当なものだと窺える。

 クロエに対する評価を改めたエルキュールは再び周囲に意識を凝らした。すると間もなく、後方と左方からこちらに向かってくる敵性反応を知覚する。


「クロエ殿下。俺はこれから魔獣を迎撃する構えに入ります。もし撃ち漏らした敵がいれば教えていただけると助かります」


「まあ、わたくしは貴方がたの護衛対象ですのに。それを何の迷いもなく頼るなんて」


「王族だからというだけでなく、君は十分な尊敬に値する人物だ。その能力を腐らせておくのは勿体ないだろう?」


「……っ。ええ、ええ……! 承りました!」


 波がかった金髪を嬉しげに揺らし、クロエは勝気に笑みを浮かべた。

 林のほうに魔獣の掃討へ向かった騎士たちを除くと、ここにいる戦闘員はあまり質が良いとは言えない。

 エルキュールとクロエを囲むようにして周りに防衛線を敷くも、たびたび中にまで魔獣が侵入してしまう。

 その魔の手が王女に触れてしまわぬように、時に魔法で、特にハルバードの刃で、エルキュールは苛烈な攻撃を以て敵を迎え撃った。


「エルさん、後ろです!」


「ああ!」


「今度は右ですわ!」


「分かった――ダークレイピア!」


 このような連携が十、二十と続いた頃。

 ようやく魔獣の強襲が収まった。途中からは林の魔獣を担当していた騎士たちが帰還したこともあり、その後の処理は簡単なものであった。

 結局のところ、野営地を襲った魔獣は一貫してクロエの乗る馬車を狙っており、魔獣の残骸からはアマルティアが埋め込んだとされる魔法の術式が確認された。

 その事実が発覚すると、指揮官であるシオンは王女とエルキュールらデュランダルの面々を集めて臨時会議を開いた。

 設営した天蓋内で円状に座ると、竜人種特有の鋭い眼光を湛えた亜人は重苦しい態度を隠しながら告げた。


「クロエ様。アマルティアの暗躍が発覚した以上、今年の風霊祭は参加を見直されたほうがよろしいかと」


 一同の視線が最奥におわす王女殿下に注がれる。

 彼女の瞳は誰よりも力強かった。


「そういうわけには参りません。オルレーヌ王家の者が精霊を奉る祭りを蔑ろにすることはあり得ませんわ。それにブロニクスの民の中には、先日襲撃に遭ったヌールやミクシリアの件を知り、日夜怯えている者もいるそうです。例年よりも壮健な姿をお見せしなくては……」


「しかし……」


 渋面をつくるシオン。

 エルキュールからすればここはクロエに賛成したいところであった。このままクロエを王都に送り届けないとなると、水の聖域を訪ねるという目的から遠のいてしまうからだ。

 だが、当のシオンもその意を理解してくれてはいる。それでいてなお、この提言をしているのだと思うと、エルキュールに反論の句は思いつかなかった。


「……ル君。エル君……!」


 エルキュールが会議の行き先を案じていると、隣から囁くような声で呼びかけられる。黒衣の裾を指で引かれたほうを見やれば白のケープコートの少女が確かな焦燥を表していた。


「アマルティアは脅威だけど、ここまで来て引き返すなんて……」


「そうは言うが、ジェナ。別に今回だけしかない機会というわけではないだろう? 出直すのも、決して悪い策では――」


「風霊祭の時期を逃すと、六霊守護に接触するのは難しいんだよっ。イルミライト家だって、村に通じる山道には結界を敷いていたでしょ?」


 確かに、あれを通り抜けるのには少々苦労した覚えがあった。

 それにアルクロット山脈にある光の聖域とて、そこの魔素異常を解決するという名目があったゆえに干渉できた節もある。

 全てはジェナの言う通り、この機を逃せば水の聖域に接触するのは至極面倒な手順を踏まねばならないだろう。

 互いに一歩も譲らぬクロエとシオンの頑なな様子に、ようやくエルキュールは心を決めた。


「シオン特別補佐官」


「何だ、エルキュール殿。それと今の我はこの護衛隊の指揮官である」


「すみません指揮官。ですが一つだけ、あなたに伝えておかねばならないことがあります」


「うむ。聞こう」


「先ほどの殿下のお言葉にもありましたが……ヌールやミクシリアの件を考えれば、もはやこの地に本当の意味で安全な場所はないと思いませんか? 戻ろうが、進もうが、危険があるのは変わらない。むしろ風霊祭という大事な季節を前に帰ってしまうのは、住民の期待を裏切る分だけ損であると考えられます」


 エルキュールの言は詭弁であった。

 一都市であるブロニクスと王都ミクシリアでは、保有する戦力が異なる。外界を隔てる城壁も、勿論ミクシリアのほうがより堅固なのは間違いなかった。

 それに気づかぬシオンではない。呆れた眼差しを見せる彼に、しかしエルキュールは気勢をそのままに言った。


「俺の力なら……いえ、俺たち四人の力ならば。他の誰よりもクロエ殿下を確実にお守りできる自負があります。これまでのデュランダルの功績に免じて、ここはどうか聞き届けてくれませんか」


「エルさん……」


「ははっ! そこまで頼られちゃあ仕方ねえな。オレも一肌脱がせてもらうぜ」


 いたく感激した素振りのクロエを尻目に、それまで無言を貫いていたグレンが口を開いた。


「ブロニクスの近くには、昔からブラッドフォードが有している土地があったはずだ。そしてそこは騎士の修練所として使われているっつう話もある。オレから掛け合えば、そこの訓練内容にブロニクス駐屯を組み込むこともできるはずだ」


「それは真に可能なのか、グレン卿」


「その連中も合わせればかなりの頭数にはなるだろ。それともそれだけ雁首揃えても、一人の人間すら守れねえほど王国騎士団は柔な存在なのか?」


「……まさか。高潔なる我らが騎士団はヴェルトモンド大陸随一の力を誇る」


 萎みかけていた気力に喝を入れるシオン。


「よかろう。これは国の威信に関わること。我々はこのままブロニクスへ向かうとしよう」


 それから覇気に満ちた態度で一同に命じた。

 護衛隊が残りの行程を踏破し水の街へと至ったのは、これより二日後のことであった。


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