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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第二話「二つ目の聖域」

 フォンターナ城のある中央区を抜け、南東の市街地へと足を運ぶエルキュール。

 石畳の街路には魔獣襲撃の被害の痕が散見され、植木や店のショーウィンドウもまだまだ未修復の箇所があるものの、そこに住む人の活気というのは復活しつつあるように思える。

 王都に反旗を翻しアマルティア、その幹部である魔人を討つことができたという武功が、心に傷を負った民たちの間に浸透しているのだろう。

 常に後手を取らされているのは面目ないが、確実に相手は滅びへと近づいている。確信するエルキュールの足取りは、人の往来に負けじと力強かった。


 南東区のカフェバー『ミーティス』は、すっかりエルキュールたちのお決まりの場所になりつつあった。

 ジェナ、グレン、そしてロレッタ。特別捜査隊に属する三人に対しデュランダル専用の規格で連絡を取りつけると、すぐにジェナから店の指定がなされたのだ。


「新作のパフェ、か。スパニオの鳥人種の村から取り寄せたイチゴをふんだんに使った珠玉の一品。ぜひお試しあれ……と、これが彼女の目当てか」


 店先の立て看板を流し読み、未だ戦闘の余波で狂っている蝶番の扉を優しく開けて店内へ。客足が増してきた昼下がり、窓ガラスに面した四人掛けのテーブル席を贅沢にも一人で占有している少女を見つける。

 所狭しと並べられた空の食器に見守られながら、目前の縞模様のパフェを美味しそうに頬張る彼女。その健啖ぶりを見なければ、あれらの空皿が彼女によって平らげられたことを、いくらエルキュールとて信じられなかったことだろう。


「今日は随分と楽しげだな、ジェナ」


 声をかければ、机に伏さんばかりだった亜麻色の髪がもぞりと動き、爛漫な笑みが返ってくる。

 ジェナ・イルミライト。光の六霊守護を拝するやんごとなき身であり、今この時に限ってはただのパフェ狂いである。


「エル君っ! その言い草、ぜったい揶揄ってるでしょ? ダメだよ、パフェとの崇高なる時間をバカにしちゃあ! パフェ守護の末裔でありパフェ術師である私がそんなことは許しませんっ!」


「揶揄ってなどいない。そして君は六霊守護で魔術師だろう、全く……」


 店員に頼んで一部の食器を下げてもらうと、エルキュールはジェナの向かいに座って魔法書を広げた。

 ドリンクには花茶を選択。春に咲くジャスミンという種を新鮮なうちに摘み取ってその花弁を煎じたものだとお品書きにあった。

 古くからハーブティーを好むエルキュールだったが、最近ではこちらの嗜みも覚え始めていた。

 母であるリゼットが花屋を営んでいたことに、花遊びが好きだった妹のアヤに、無意識に引っ張られているのだろうか。

 兎角、このような緩やかな時間が、いつも会合の時間より早めに到着するこの二人の間では既に日常となっていた。

 好ましい静寂。

 そしてそれを破るのがあのブラッドフォードの嫡子というのもお決まりのことである。


「よう、お二人さん。こんな洒落た店でも平常運転なのは相変わらずの図太さじゃねえか」


「貴方も無駄に大きい声で挨拶しなくて結構よ。この二人ならまだしも、私まで馬鹿に見られたら堪ったものじゃないもの」


 揺らめく烈火と不動なる堅氷。

 大貴族でありながら飄々とした性格のグレン・ブラッドフォードと、口の減らないシスター少女ロレッタ・マルティネス。

 まさか示し合わせたわけではあるまいが、時刻ぴったりに来るのが常の両名であった。

 グレンがエルキュールの、ロレッタがジェナの隣にそれぞれ腰掛ける。


「さて、これで全員揃ったな。今朝キールマン総帥から下された命により、オルレーヌ王族のクロエ殿下を護衛するというのは先に話した通りだが……」


「待て、エルキュール。今さらだが、このパフェ狂いのせいで集合場所が固定されているが……その話はここでしても大丈夫なヤツなのか?」


「秘匿するべきことは何もない。風霊祭も、クロエ殿下のご出立も、ブロニクスにある水の聖域に関しても。すべて周知の事実だからな。それに堂々としてれば、秘密は秘密として保たれ、変に横やりを入れられることもないものだ」


 十年ものあいだ魔人として人の世で生活してきて学んだことだが、案外人間というのは他者を見ているようで見ていない。時に知りもしないことを知っていると言い張り、平気で事態を錯覚し、判断を誤る。

 現に――。


「あはは……」


「……ふん」


 ここにいる三人のうち既に二人には、エルキュールの隠すべき秘密が知られている窮地だというのに。残されたグレンからは一向にして怪しまれぬばかりか、共にこうしてカフェで寛げてしまっている始末。

 ロレッタに関しては穏やかな関係とはいかないが、それでも一先ずは平静を保っている。

 エルキュールは自らを強く持ち、堂々とすることの大切さを知りつつあった。「大丈夫、私がついてるよ」というジェナからの目配せもあり、得難い理解者に感謝の念が湧き出る。

 実際には半身をもがれているような状況でも、今はこの理に縋って前に進むほかない。アマルティアとの決着をつけた暁には、この事態も新たな色を見せるだろうと信じて。


「とにかく話を戻そう。以前話したかもしれないが、魔王ベルムントの僕である魔物の勢いを削ぐには、その根本に目を向ける必要がある。即ち、聖域アートルムダールに安置されているベルムント本体に」


「ああ、確か……ソレイユ村でジェナが精霊の言葉を受けたんだろ? 各地の聖域を巡って、精霊の力を集め、アートルムダールにある闇の封印を完全なものにしろって」


「封印が弱まっているのに乗じ、ベルムントは魔物を媒介にして人間を滅ぼそうとしている、ね。うちの教会の連中が聞いたら白目を剥きそうな話だわ」


「本当に話しちゃだめだよ、ロレッタちゃん!? 騒ぎを大きくしないためにも情報の開示は慎重にってエル君が……」


「分かってるわよ。魔物に精霊と繋がりがあると知られたら、シスターとして魔物狩りを禁じられるかもしれないもの」


「ったく、筋金入りの戦闘狂だな。お前は」


「勘違いしないで。戦いが好きなのではなくて、魔物なんかと同じ世界に生きてるという事実を一秒でも早く拭い去りたいだけだわ」


 ロレッタの氷のような涼やかな瞳は、この間逸らされることなくエルキュールを見据えていた。

 それを容易く受け流しながら、エルキュールは花茶を三杯目の飲み干した。

 それから四杯目の注文を華麗に済ませると、毅然とした態度で続ける。


「形は違えど、もたらす結果が同じならば手の取り合う余地はあるだろう。それより、任務が始まる三日後までに水の街ブロニクスについての情報が欲しい。正直言って、風霊祭や水の聖域についてもあまり深く知らないんだ」


「ああ、それなら。王城に出向いたならエル君も少しは知っていると思うけど……」


 既に二桁のパフェを平らげたジェナが満腹感を微塵も見せない素振りで説明を買って出た。

 曰くブロニクスは、オルレーヌ西端に面するトゥール海を望む人口10万の都市であり、作物の育ちにくい水分過多の土地柄から漁業と貿易で資財を築いた王国屈指の処であると。海を隔てた離島にある聖域カエルレウムを守護する任は、代々その地の管理者に委ねられているという。


「風霊祭は元々、水精霊トゥルリムを祀る土着信仰だったんだけど。六霊暦という制度が決められてからは、季節に合わせて風精霊を尊ぶものに変わっていったんだって。それから土地に来る者、土地を去る者に、新天地でも風の導きが訪れますように……っていう願いも込められてるの。期間は大体一週間くらいで、みんなは外に出ておめかしをして、屋台を楽しんだり! 魚の串焼きなんか特産の塩で味付けされていて今から本当に楽し――」


「そこまででいい、ジェナ。説明ありがとう」


「パフェ食いながら串焼きの話したぁ、どれだけ食い意地張ってんだ? お前は」


「人を大食いみたいに言わないでよグレン君! 私はただ食の伝道師としてエル君にブロニクスを満喫してほしくてだねぇ……!」


「はは、聖域に関する大事な任務だってのに、お気楽なもんだぜ」


 いつもの如く言い合いを始めた二人はそのままに。

 エルキュールは改めて思案を巡らす。

 水都のアルタマール家もまた、光の六霊守護であるイルミライト家と同じく癖のある人たちなのか。

 クロエ殿下の護衛をしながら離島にあるというカエルレウムへ赴くにはどうすればいいか。

 そして、風霊祭という特別な時節。人の往来が多くなることが予想される当日、一か月近く潜伏を続けているアマルティアが何か画策していても不思議ではない。

 概して、難しい局面である。


「……面倒、かしら? ヒトの世を守るというのは」


「なに……?」


 それまで静観していたロレッタが不意に刃を光らせた。


「今の貴方の生き方が幸福を導くとは思えない。足を止めるのなら早ければ早いほどいい。貴方にとっても、私にとっても」


 さながら暖流と寒流のように、異なる流れの中で思想が交わる。

 その冷たきに打たれながらもエルキュールは臆せずに告げた。


「いいや、止めない。それが互いのため、世界のため……そして彼女たちのためだと。俺は願い、信じている。そうしなければ何も変えられないからな」


「願い、信じなければ……ね」


 ロレッタが興味なさげに視線を逸らしたことで、この静かな諍いは取り留めなく収まった。

 そして和気藹々とはいかなかった会議もまた、間もなく幕を下ろすことに。

 薄い糸の如く脆くはあるが、繋がり統一された意思というのは確かに存在する。

 その事実に一先ずの喜びを覚え、エルキュールは来る舞台である海を望む街に祈りを捧げた。

 民にとって良い祭日であれと、心から。


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