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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
三章「フェスタ・デル・ヴェント~癒えぬ凍傷~」
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三章 第一話「謁見と邂逅」

 イルミライト家と聖域を巡る一件から一週間が経ち、翌月のザート・セレの月7日のこと。

 王都ミクシリア中央区、フォンターナ城の謁見の間にて。


「俗称で言えば暦も4月になり、今年も風霊祭の季節が近づいてきた。我らがフォンターナ王室からは、例年通り第三王位継承者のクロエが水の都へ赴くことになるが――」


 奥に伸びる部屋の深部に設えられた玉座、そこに腰掛けた恰幅のいい老人が滔々と語る様を、御前に整列した騎士衆が拝聴している。

 荘厳な装飾の室内に相応しい、厳然たる雰囲気であった。

 銀色の甲冑が揃って静謐を保つ中、最後尾の隅に立っていたエルキュールはふと己の装いが気になって視線を下げた。

 彼らと混じり合うには目立ちすぎる黒の外套。嫌気が差し、そっと溜息を吐く。

 何故、己はここに。居たたまれない思いから思考が益体のない方向に流れる。


『オルレーヌ王シャルル・ド・フォンターナからデュランダルに依頼を賜った。即刻準備し王城へ向かいたまえ』


 その指令がデュランダル総帥ドミニク・J・キールマンから下された時、エルキュールは我が耳を疑った。

 新米の、それも魔人である自身が高貴なる者と接触するなど、到底許されるものではない。

 すぐに遠慮を願ったが、エルキュールの口下手ではあの飄々とした老人相手に口論で敵うはずもなかった。

 結局、直属の上司である執行部長オーウェン・クラウザーからの提言もあり、オルレーヌ史上初の魔人の謁見がここに成ったわけである。

 と、加速度的に変化する環境に若干の恐れを感じつつ。なおも弁をふるうシャルル王の姿にエルキュールは襟を正した。

 依頼人、だからというだけではない。総帥キールマンとあの威厳ある王は、古くからの知己だという。下手な失敗は避けるべきであろう。デュランダルの威信に懸けて。


「皆も知っての通り、水の都ブロニクスには水の聖域カエルレウムがある。彼の地にはフォンターナ分家の一族が六霊守護としてその任に就いているが……耳に新しい光の聖域の件が、やはり気がかりなのだ」


「……聖域、か」


 話に耳を傾けた途端、それは多大な重要性を帯び始めた。その名には、否が応でも背筋が伸びる。

 聖域。精霊の魂が眠るとされるそこは、エルキュールにとって今や無視できない意味を持つ地なのだった。

 宿敵アマルティアが復活を目論む魔王ベルムントは、元はと言えば六大精霊のうち闇を司る精霊であり、彼を封じ込めたとされる古の魔術は現在、次第に弱まりつつあるという。

 その封印を再び完全なものにするため、エルキュールは大陸に点在する聖域を巡らねばならなかったのだ。何としても。


「そこで、だ。今回の風霊祭には王国騎士団に加え、対イブリス専門機関であるデュランダルの成員にも駐在を依頼することになった。諸君らには世に聞こえしアマルティアの暗躍と、魔獣の襲撃被害を未然に防いでもらいたい。なお、この件は王国議会の賛意を得たものである。このシャルル・ド・フォンターナ……其方らの活躍を心より祈る!」


 固い大理石の床を杖で叩き、シャルル王はそう締めくくった。

 たちまち周囲から聞こえる喝采。士気は十分のようだ。エルキュールも悪目立ちしない程度に声を上げた。

 慣れないことではあるが、各人の意思が統一されることで生じる高揚感とは大事を為すうえで肝要なのだろう。

 その後はブロニクス出立の詳細な日程を共有し、間もなく退出を許可された。


「失敬、エルキュール殿。少々よろしいだろうか」


 一刻も早くこの場を後にしようとしたエルキュールを止めたのは、とある亜人の騎士であった。

 肌を覆う黒い瓦状の鱗に、青みがかった切れ長の瞳。俗に竜人種と呼ばれる種族である。


「あなたは確か、シオン・ムラクモ特別補佐官。ナタリアさんと同じく、ロベール騎士団長の部下だという」


「如何にも。ヌール=ミクシリアの変では貴殿らの活躍に助けられた。砂の魔人ディアマントを討伐できたこと、改めて礼を言いたかったのだ」


「……そうですか、グレンたちにも伝えておきます」


 長身の亜人を見上げながら、ふとエルキュールは視線を逸らした。

 このシオンという男、当時は王城を守る任に就いており、彼の部隊はアマルティアの被害を諸に受けていたのだ。

 部下を失い、今はこうして王女殿下の護衛に宛がわれた彼と、どのような顔で向き合えばよいのか分からなかった。


「せめてもう少し早く王城に駆け付けていれば。そう思っているのだろうか」


 意中を透かされ、いよいよ立つ瀬がないエルキュール。

 シオンは快活な笑みを浮かべて続けた。


「彼らが精霊の元へと旅立ったのは悔やみきれないが、その遺志は我と共に変わらずある。我が彼らのために祈り、贖う限り……この血が続く限り彼らは不滅なのだ。この闘争の世において別れはいつまでも避けられるものではないが、残された者はそれに相応しき責務を果たさねばな」


 沈痛に俯くエルキュールは顔を上げた。

 別れ。贖い。残す者と、残される者。

 ふと、家族の顔が脳裏に浮かぶ。エルキュールが残した者だとすれば、彼女たちは今――。


「貴殿の来歴は団長から大まかに聞いている。その悲劇から生まれた願いを叶えるためには、まずはこのブロニクスの件だ。魔物に抗う別の手段として聖域を巡っているのだろう? 現地では何かと協力し合えれば良いな」


 励ますのはこちら側だったというのに。シオンは余裕のある態度を崩さぬまま告げ、部下に呼ばれて謁見の間を去っていった。

 エルキュールは暫しそこに佇んでいたが、いつまでも王の御前には居れず、周囲に目立たぬうちに城を出ることとした。

 最上階に位置する謁見の間から伸びる大階段を下り、城の外周に備えられた回廊を抜け入口の方角へ。

 巨大なダンスホールを通って見晴らしの良い休憩用のバルコニーに差し掛かったときのことだった。


「――――」


 欄干に両手をかけ、そよ風と戯れていた少女が不意にこちらを振り返った。

 目が合う。お互いの姿を認め、無視できない沈黙が場を支配する。

 純白のドレスに身を包んだ少女。エルキュールを視界に捉え小首を傾げれば、背中を覆うほどの金髪が空に揺れる。

 陽光に当てられ白銀に輝く頭飾りを見る限り、フォンターナの王族の一人であると見受けられよう。しかし、そのような身分と円滑に会話できる処世術など、エルキュールは到底持ち合わせていなかった。

 手持無沙汰に立ち尽くしていると、少女の方から微笑みが返ってくる。紺碧の瞳。


「ごきげんよう。真っ黒さん」


「ごきげ――っと、ん? 真っ黒……? 俺のこと、でしょうか?」


「ええ。黒い御召し物をなさっているから。名は体を表すと言いますでしょう?」


「……体が名を表すとは限りませんよ」


「あら? ふふ、ごめんあそばせっ」


 黙っていれば大人びて見えるが、言葉を交わすと年相応に幼い少女だった。

 たじろぐエルキュールをよそに、彼女は勢いよく距離を詰めてくる。胸元が心許ない装いにも関わらず、何とも無防備な態度で。


「しかし不思議です。普通わたくしを目にした方々は真っ先に『ご機嫌麗しゅうクロエ殿下!』と挨拶をくれるのですけど。これには流石のわたくしも少々いたずらな心が芽生えてしまいますよ?」


「……成程。ご機嫌麗しゅう、クロエ殿下」


 要するに、常識に疎かったのはエルキュールの方であったらしい。

 遅ればせながら挨拶してみれば、ころころと鈴を転がすような笑い声。それからエルキュールのどこを気に入ったのか、「こちらにおいでください、素晴らしい眺めですよ」とバルコニーの柵の傍まで連れられる。


「真っ黒さんはお名前をなんと言うのでしょう?」


「俺……いえ、私はエルキュール・ラングレーと言います。今度の風霊祭にはデュランダル特別捜査隊として殿下に同行……お供させていただくことになりました」


「そうなの、ありがとうございます。ところで口調についてはもう少し崩していただいても構いませんよ? エルキュールさんは、わたくし達のような人を相手するには少し純粋すぎるように思います。飾られた言葉よりも、貴方の素の言葉をお聞きしたいですわ」


「……しかし」


「今は人目もありませんし……ねっ?」


 背後に目配せし、それからゆっくりとエルキュールの瞳を覗き込むクロエ殿下。

 エルキュールは観念して外の景色へと目を向けた。

 白煉瓦の街並みと、赤煉瓦の屋敷。大貴族ブラッドフォードの地を何の気なしに眺めながら、隣に立つ少女へ相応しい言葉を考える。


「クロエ殿下はここで何を? 王族については詳しく知らないが、こんなところに一人でいるというのはどうしても不自然に思える」


「こんなところとは心外ですね。ここはわたくしの数少ないお気に入りの場所ですのよ?」


「すまない。そんな頬を膨らませないでくれ」


「……もう。ここへは、決意表明にやって来たのです。バルコニーからは王都民が暮らす街並みが良く見えますでしょう。今回の風霊祭においても、わたくしは使命を果たさなくてはなりませんから」


「使命、とは……王族として由緒ある祭りに冠を添えることだろうか」


「ふふ……エルキュールさんは本当に無垢ですのね」


「……」


 ともすれば妹のアヤよりも若い少女に揶揄われているこの現状。少しは権威のある立場の者として避けて然るべきことなのだろうが、彼女の態度の節々からはどこか人恋しさに悩む多感な情緒を感じる。

 クロエ・ド・フォンターナ。どうやら単なる護衛対象として関わるだけでは済まなそうであった。


「エルキュールさんはアルタマール家ってご存じ?」


「いや、知らないな」


「我がフォンターナの分家にして、水の都ブロニクスで六霊守護を拝する一族です。同じ血に連なる者同士、友好の儀を示すに越したことはありません。そうして民たちは世の安泰を感じ、安心して風精霊の祝福を賜ることができるのです」


「……つまりは六霊守護も祭りに関わっている、ということか」


 エルキュールにとっては僥倖だった。

 聖域を巡り、精霊の力を得ることでベルムントの封印を再構成する。クロエ殿下の護衛任務はその使命の枷となる恐れがあったが、この話の通りならば幾段やりやすくなったといえる。

 帰ってジェナたちにこの事を伝えよう。そうエルキュールが心に決めたのと同時――。


「あら、もうこのような時間。楽しさは直ぐに過ぎてしまうのが切ないところでございますね」


「戻るのか?」


「ええ。ではお勤めのほどは頼みますね。また機会があればお話ししましょう。約束――ですよ?」


 ドレスの裾を摘まんで優雅にお辞儀をするクロエ殿下。

 流石は王族の所作だと感心する間もなく、今度は無邪気に手を振って別れを惜しむ溌溂さ。

 不思議な、あまりに分不相応な縁に苦笑を零すと、エルキュールもまた城を後にするのだった。



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