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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 最終話「救世の魔人 後編」

 ヴェルトモンド大陸南西、エスピリト霊国。霊都グラツィアの中央に位置する六霊教総本山、グラツィア大教会にて。

 その日、教皇の間と呼ばれる祭祀場には六霊教の枢機卿が一堂に会していた。

 半球状の天蓋に施された六色に光る硝子窓を見上げながら、教皇アルフレートは儀式用の祭壇の傍で佇む。

 背後に膝をつく二人の配下、《荊棘》のグラジウスと、《睥睨》のアルマドゥは、荘厳な雰囲気に呑まれることなく主からの御言葉を待ち続けていた。

 他の教会メンバーをわざわざ排したということは、相応の何かがあることを二人は熟知していたのだ。

 アルフレートは一頻り天に祈りを捧げたのち、配下のほうへと振り返った。


「お二人にご相談したいことは他でもない、あのアマルティアなる魔人組織についてのことです。先日、愚僧とグラジウスで被害に遭われたオルレーヌ王国を慰問した折に、人類への叛逆を掲げる彼らの目的を知ることができました」


「ふむ。我は同道しておりませんでしたが、確か……魔王ベルムント、と呼ばれる存在を召喚するだとか」


 二人の配下のうち、アルマドゥが口を開いた。巌のような身体は微塵も動かず、眼帯を付けた顔はどこまでも毅然としていた。

 大教会、ひいてはこの霊国の防衛を司る男の賢察にアルフレートは首肯する。


「ええ、ベルムント様……愚僧がお守りしている闇の聖域アートルムダールにおられる闇精霊と同じ名を標榜する存在です。近ごろ闇の封印が弱まっていることからも、これはいよいよ看過できない事態となっております」


 沈痛の面差しを向けるアルフレート。今度答えたのは荊棘のグラジウスであった。白銀の甲冑と同じく、沁み一つない純然たる決意を乗せて。


「陛下からご用命を頂ければ、私は陛下の手となり脚となり、必要というのなら矛にもなりましょう」


「これはこれは。愚僧も頼もしいお仲間に恵まれたようですね。では早速、対アマルティアに向けて人員を組織したいのですが、お願いできますか?」


「陛下のお望みのままに」


 彼女は凛とした態度を崩さず、教皇の間を後にした。

 オルレーヌより帰国して間もないというのに、全く見上げた働きぶりである。アルフレートはその背を見送りながら自らの恵まれた立場を噛み締めた。


「陛下。我は如何様に動けばよろしいですか」


「アルマドゥ、貴方には引き続きこの国の防衛を。また愚僧はこれより予定を都合し、闇の封印を再び活性化できるように尽力する心積もりです。その際の護衛を頼まれて頂ければと存じます」


「承知しました、陛下」


 アルマドゥもまた折り目正しく頭を下げて去っていった。

 広々とした空間に、アルフレートだけが残される。彼は二人が完全に離れたことを魔素感覚で把握すると、再び天蓋の硝子窓へと目を向けた。


「――オッホス」


 彼がその名を告げるや否や、天に漆黒の穴が開いた。闇の転移魔法、ゲートの放出である。そこから一条の影が音もなく降り立ち、祭壇に向かっていた教皇と正対した。

 その影は全身を黒の外套に身を包んでいた。暗闇に身を溶かし、周囲を欺く姿勢が見て取れた。中肉中背、性別不明、あらゆる身体的特徴を取り除いたそれは、アルフレートのみが知る三人目の枢機卿であった。


「ヌールへの潜入を勘づかれたようですね」


 先刻の浮世離れした優しげな声色ではない、事務的で冷たい音だった。目つきも鋭く、まるで罪人を咎めるかのようである。正しくそれは剣呑の一言に尽きるものであった。

 しかしこの影は、オッホスは一言も弁明を口にしないで、ただそこに佇んでいた。主張するほどの意思がないのか。知らぬ者は言うだろう。しかし主であるアルフレートには、その沈黙の意味を容易に認めることができた。


「入れ違い? アマルティアに先を越されたというのですか? いいえ、どのような言い分も聞きたくはありません。エスピリトより移り住んだラングレー家の青年……それを捕捉するよう愚僧は貴方に命じたはず」


 沈黙と詰問の応酬が人気のない空間を満たす。それは独り言であり、れっきとした対話でもあった。

 不思議な交流。されど上辺だけ。その中身は何よりも現実的であった。


「しかし、彼がよりにもよってあのデュランダルの傘下に入るとは。誠にややこしいこと。これでは迂闊に手を出せません。暫くは様子見をせねばならないようですね」


 嘆息を零した教皇アルフレートは法衣を翻し、祭壇の向こうに立つ影から背を向けた。その意図を察し、影も再びゲートを駆使して何処かに旅立っていった。


「急がねば。闇の器は何としてもこの手に……」


 真に一人となった教皇が呟く。その瞳は世俗に染まり、確かな欲の色に濡れていた。







 魔法学者ウィルフリッド・パレット著、研究記録より一部抜粋。


『醜き闘争こそがこの世界の本質。であるならば私は、それを魔法の力で根底から覆してみせよう。誓いから十数年が経てど、意志は衰えることを知らない。

 今この記録を書いている間でさえ、不幸なイブリスの産声は絶えない。何とも嘆かわしく、救い難いのだろうか。人に寄生することでしか生存が保たれず、その人の手によって討たれるだけの命を必死に生きながらえさせている。まるで世界にそうであるよう定められた悪、予定調和の災厄。その存在価値を再定義するためならば、私は――』



『マリグノと名乗る魔人からまたしても連絡があった。今月で五度目。どうせマルティコアス計画の進捗を訊ねる気なのだろうが、こうも頻度が多いと落ち着いて思索に耽ることもできない。彼女の持つ魔獣の知識は有難いが、あの残忍な性格はどうにも私の肌とは合わなかった。人を家畜としか思わぬあの態度、オリジナルとなった人物もさぞ悪徳に満ち溢れていたことだろう。

 ……などと、私如きが評価できる立場でもないのだが。この修羅となった身は、今まさに最も大切な物の命すら研究に捧げようとしている。忌むべき、おぞましき所業。されど狂気に身を委ねなければ、世界に変革を起こすことはできない。この裏切りは、その果てにあらゆる生命を救うことになる。そのような大義を擁しているのだ――』


『私へ魔獣生成の理論を教えたマリグノは、その代価として六霊守護の間で秘匿されている禁忌の魔法を求めた。彼女もザラームという魔人の指示で動いているそうだが、人心に働きかけ思いのままに操作する魔法を手に入れる必要があるとのこと。それを何のために用いるのかは知らない。ただ私はこの契約を続けるため、払える代償は払う所存であった。

 思えば、彼らアマルティアとの付き合いも、家族であるアメリアやジェナに準ずる程になってきた。驚きが隠せない。私は心は斯くも闇に染まってしまったのかと、光の六霊守護に属する本来の自分との乖離に葛藤する日々である――』


『ついに計画を実行した。全ての生命を救うための。争いのない世界を築き上げるための。方法は簡単だ。全てが魔に染まれば良いのだ。人体など所詮は器に過ぎない。肝心なのは精神のほうであろう。我々はより高次の次元へと至るのだ。人としての意識と、魔物としての身体。その二つこそが、融和への道へと続く。

 この理念は、遂にアメリアには届かなかった。滂沱に暮れる彼女を、私は物言わぬ怪物に昇華させた。伴侶という身分が、彼女の油断を見事に誘った。それゆえの結実であった。

 だが勘違いしないでくれ、アメリア。それにジェナ、エヴリン様やドウェイン様も。私は彼女を愛していたからこそ、彼女を最初に魔へ還元することに決めたのだ。愛ゆえだ。愛がなければ、このような狂気、貫けぬわけがなかろう? 信じてほしい。私は愛しているのだよ。常に私の傍にあった彼女たちを。無限の可能性を開く魔法という力を。

 愛ゆえに、私はこの世界を否定しなければならない。魔物に刻まれた呪いを解き、二種族間の闘争に終止符を打つ。私――いいや、私たちならばきっと為せる。

 ……外が、騒がしくなってきた。エヴリン様たちに勘づかれたのだろう。私の命は長くはない。だがこれを目にする者よ、考えてはくれまいか。この世界の愚かさを。他を屈服させる力などいらない、全て受け入れさえすればよいのだ。

 私の両親は、アートルムダール戦役の折に亡くなった。魔物となってでも生きてほしかったと願うのは、私の心が弱いからか? 違うだろう? なあ、これを目にしている者よ――』








「……お父さん」


 ソレイユ村を旅発つ直前のことだった。

 イルミライトの禁書庫を改めて探索していたジェナとエルキュールが、整然と立ち並ぶ本棚から一冊の本を発見したのは。

 ジェナの父、ウィルフリッド・パレットが残したとされる研究記録の一部分。それは今回の事件の真相を補完する重要な資料になり得ると同時に、ジェナの癒えかけた傷心を抉るものでもあった。

 記録を覗き見るジェナの表情が次第に翳っていく様に、隣に立っていたエルキュールはひとまず休憩を挟むことを提案した。

 洞窟内に設えられた禁書庫、その仄暗い室内の隅に置かれた椅子に呆然と佇む彼女を座らせる。

 項垂れたジェナは沈黙するばかり。エルキュールは所在なさげに辺りを見回した。


「……そうだ、何か飲み物でも飲むか? ここに来る前、チェルシーさんから君の好きなフルーツジュースの作り方を教わってな。出来上がったものを容器に保存してあるんだが」


「うん、ありがとう。でも今は、静かに考えたい気分かな」


「……そういうことなら黙っていよう」


 ジェナの態度は少し頑なにも見えるが、それは父の為した所業について上手く消化できないせいだろう。

 エルキュールは然して気にも留めず、彼女が机の上に放り出したウィルフリッドの記録を読み返した。


「『愛ゆえに』か。難儀なものだな、ヒトという存在も」


 概して彼の筆致からは偏執的な思想がありありと見て取れた。己に正義があると疑いもなく信じる傲慢さと、救いようのないものを救おうとする無謀さ。争いなど世の常であり、生きとし生ける者にとって避けられぬ道だというのに。

 あるいはウィルフリッドは病的なまでに優しすぎたのかもしれない。即ち共感能力の暴走。魔物にまで感情移入してしまったがために、己が大切なものを手ずから傷つけてしまったのだろう。

 エルキュールは彼に対する憐憫を拭えずにいた。本来ならここに記されているのは唾棄すべきことに違いないが、ジェナから伝え聞く父としてのウィルフリッドの像がそれを阻んでいる。

 魔法に明るく、聡明であった父親。

 部外者であるエルキュールですらこれなのだ。ジェナの抱える心痛というのは察するに余りある。


「……うん、本当に。お父さんは馬鹿だよ……世界がどうとか、魔物がどうとかっ、独りで抱え込むものなんかじゃないのにさ……!」


 いつの間にか立ち上がっていたジェナが悔しげに零す。己が気づけていれば。そう言いたげな悔恨が瞳からありありと感じられた。

 ともすれば、前を向き始めた彼女がまたしても過去に広がる闇に囚われてしまうのではないか。薄暗い危機感を孕むその様子に、しかしエルキュールは動じなかった。


「俺を受け入れてくれた君ならば、とも思ったが。当時の君はまだ若かった。あまり自分を責めすぎるな。肝要なのは、やはりこれから先の未来をどう歩んでいくかだ」


 そう言い切るエルキュールの口調はひたすら力強い。


「君がルシエルの権能を受け継いだというのなら、残りは闇を除いた四つだ。火のゼルカン、水のトゥルリム、風のセレ、土のガレウス……。ヴェルトモンドの聖域を巡れば、この闘争の世を救うことだってできるかもしれない。そうだろう?」


 ジェナが眠っている際、光の大精霊ルシエルと交流したことについては彼も既に聞かされていた。

 魔物とは闇精霊ベルムントの僕であり、暗躍せしアマルティアは人々を汚染した果てに施された封印を解こうとしていること。

 精霊の力を継承したジェナならば、弱まりつつあるベルムントの封印を元に戻せる可能性があること。

 そして、そのためには。


「ジェナ、君の助けが必要だ。デュランダルに属する者として俺は引き続きアマルティアと戦うつもりだが……それだけでは、足りない。罪深き彼らでさえ、過ちを犯してしまったウィルフリッドさんでさえも、救われる道でなければ。そうでなければならないんだ」


「エル君……あなたは、もう……。あなたにそんな眼で見つめられると、私は……」


 幾ばくか平静を取り戻したジェナは、赤みがかった顔を逸らしてかぶりを振ると神妙な面持ちで続けた。


「……私も。私も信じたい。ヒトの世界で生きた魔人であるあなたと、その行く先に訪れる未来を」


 斯くて、魔人と少女の間に再び契約が為された。

 一度目は魔を討つ為の。そして此度は、魔を救うための。


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