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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 第四十六話「救世の魔人 前編」

「大したことなかった、なんて……そんなの絶対に嘘だよ」


 木立に凭れるエルキュールの隣に腰を落ち着けたジェナは、頑なに真実を語ろうとしない彼に対して静かに怒りを滲ませた。

 ジェナがここに来る前に目にしたロレッタの悲愴。ジェナがここに来た時に目にしたエルキュールの憐憫。ジェナの知らぬうち、二人の間に何かがあったことは明白であった。故に事実を確認し解決を図ろうとするのは友人として当たり前のことであろうに。

 当のエルキュールは協力を拒んだ。彼とロレッタは、ただこの場で世間話をしていただけだと言う。あくまでも、その体を崩さなかった。

 許せなかったのは。嘘を吐かれたことでも、その程度でジェナを言いくるめられるものだと侮られたことでもない。その嘘が何かを守るための嘘であることはさておき、同時にそれがエルキュールの傷心を蔑ろにするものであったこと。ただそれのみであった。

 ジェナは、ジェナの前だけでは、もうエルキュールに自分で自分を苦しめてほしくなかったのだ。

 感情は止め処ないまま懇願すれば、エルキュールはついに困ったような笑みを浮かべて息を漏らした。怪しく輝く胸元のコアが、暗くなりつつある夜の空気を吸い込んだ。


「簡単に言うと、俺は彼女の寄る辺を奪ってしまったんだ」


「寄る辺……?」


「俺は彼女に居場所を与えたつもりだった。デュランダル特別捜査隊の隊員という地位を。そこでなら、比較的安全に彼女の目的は果たされるものだと思った。かつての俺みたいに、独りで使命に殉じるような真似はできないだろうと」


「魔物への、復讐……だったよね? でも、そっか。ロレッタちゃんも今回の旅で気づいちゃったんだ。エル君の秘密に」


「そう。身分を隠して他者と接することの残酷さを、俺は軽んじていた。君がたまたま特別だったというだけで、嘘で塗り固められた魔物など本来は唾棄すべき存在なのだから」


「……そんなはずはないよ、絶対に。私が特別だっていうなら、ロレッタちゃんもそうだったんだよ! だから……!」


「……ありがとう。君のその視点も、きちんと胸に刻んでおく」


 思いのほか冷静なエルキュールの返答に、詰め寄る勢いであったジェナは照れ隠しに自身の髪を指で遊んだ。

 彼は彼なりに、ロレッタとの間にあった出来事を上手く消化しようとしている。

 すぐ悲観的になるのは彼の癖であろうが、もしかするとこの時に限っては、ジェナの口から自らの考えを否定して欲しいがため敢えて口悪く告げたのかもしれない。そう思うと、途端に気分が和むジェナであった。


「まあ、つまりは。俺がロレッタを傷つけてしまったということ。彼女も彼女で秘めるものがあるらしいが、それを口外することを禁じられていた。最初に何も言えないと突き放したのはそのためだ。気を悪くしたのなら謝ろう」


「ううん、私の方こそごめんね? どうしてもあなたの力になりたかったから――」


 真実の全てではないが、可能な限り真摯に答えてくれたエルキュールの良心は嬉しかった。胸を撫で下ろしたジェナの様子に、エルキュールも笑みを零した。

 ふいに、しめやかな夜風が鬱蒼と茂る木々を揺らす。二人の間にあった緊張はすっかり流され、その場には穏やかな空気が漂った。

 ロレッタに破られたのだというエルキュールの服に関しては、彼がデュランダルから譲り受けた魔動収納機のお陰で事なきを得た。

 闇魔法ゲートから着替えを取り出したエルキュールが、ジェナの目の前で着衣を解こうとしたことで一悶着こそあったものの。これにて差し迫った問題は解決できた。懸念すべきはロレッタの方であるが、今のジェナではこれ以上打つ手もないだろう。


「さて……俺のことより、ジェナ。君も目を覚ましたばかりなのだからもう少しは部屋で安静にしておいたほうがいい。ここも冷えてきた。魔人である俺はともかく、君にとっては長居しすぎるのも身体に毒だろう」


「風邪ひいちゃったらエル君が看病してくれる?」


「そういうことはお付きのチェルシーさんに任せたほうがいいのではないか?」


「ふふ、鈍いなあ。エル君は」


 災難が去ったアルクロットの地を並んで歩く二人。

 闇夜というのは暗く、時に人を惑わすものであるが。ルシエルの恵みである太陽が必ず遍くを照らしてくれるのだとジェナは知っていた。

 そして願わくは、自らも斯く在れかし。隣を行く魔人に彼女は誓いを新たにした。







 デュランダル司令部区画の最上階にある一室。成員の間から単に総帥室と呼ばれるその部屋の本質は、幹部間でのみ共有される非公式の会議室というところにある。壁一面をくり抜いて設えられた窓は今やカーテンが締め切られ、漏れ出る僅かな陽光は緊張感のある室内に仄暗い緩和をもたらしていた。

 その手前、黒檀の書机の前に座るデュランダル総帥ドミニク・J・キールマンは、普段の好々爺然とした態度をひた隠し、毅然とした態度で弧を描いて伸びる自身の口ひげを撫ぜた。


「キールマン総帥。エルキュールからの連絡によりますと、アルクロット地帯における光の聖域の異常は無事に解決へ至ったとのことです」


「うむ、結構。諸々の手配についてはご苦労じゃったな、グロリア」


「……その言葉は、私よりどうか彼に仰っていただけると」


 その対面に立つデュランダル事務部部長グロリア・アードランドは、後ろで結んだ金髪を揺らしながら、折り曲げていた上体を起こした。その瞳は鋭いながらも部下を思う優しさに満ちていて。キールマンは思いがけず口許が吊り上がるのを自覚した。


「はっはっは。彼が一部の情報を伏せているらしいのが、少々不満ではあるがの。どれ、無事に帰還した時にはそうしてやろうか」


 魔動通信機が不能になるほど山脈一帯に広がっていた魔素異常も、それが山麓にあるサノワの街にまで影響を及ぼしていたことも。

 規模の大きさから見て十中八九、聖域そのものに何かしらの問題があるとキールマンは踏んでいた。

 加えて光のアルギュロスを治めるあの一族は、エヴリンの娘であるアメリアが亡くなってからというものどうにも秘密主義の傾向にあった。いくら六霊守護がオルレーヌ王国に従属しない組織だとしても、その地の魔素が暴走した際に被害を被るのは王国に生きる民たちも同じこと。情報を隠匿するその体質のせいで、本来であれば防げるはずの災厄を察知できないというのは不滅の刃を冠するデュランダルの名折れであろう。

 それ故に。今回の事件を機にイルミライト家が隠し続けている何かを把握しておきたかったキールマンにとっては、今しがたの報告は少し物足りないものであった。渋面をつくり暗に訴えかければ、グロリアが居心地悪そうに肩をすくめた。


「……露骨につまらなそうな顔をなさらないで下さい。そのことに関しましては、直にイルミライトから公式な報があるだろうとエルキュールから補足が」


「ほう? どのようにしてあの頑固なエヴリン殿を改心させたのか気になるところじゃが。それが真実ならば褒美の一つでもやらねばなるまいな」


 満足げに頷いたキールマンは相好を崩す。

 光の六霊守護の愚直なまでの責任感は界隈でも有名だったが、その話が本当ならばこの先の手間が幾らか省けるというもの。

 打算を巡らすキールマン。しかしそれに水を差すかのように声がかけられた。


「しかし、総帥。エルキュール君を聖域に向かわせたのは果たして正解だったのでしょうか~?」


 目の前の女性ではない。その者が纏うは規律を重んじる赤ではなく、叡智を表す青の衣。その上から白衣を着込んだその男は、総帥室の応接椅子に腰掛け悩ましげな態度を示す。反面、間延びした口調は言葉に似合わず、その真意を図りかねたキールマンは所在なさげに白髪頭を掻いた。


「ローリー。主旨を先に述べるのは科学者の性だとは言うがね。わしとしてはその結論に至った過程から聞きたいと思うわけだよ」


「あはは、それは申し訳ないです」


 光量の少ない室内では、眼鏡の奥に光るローリーの瞳を覗き見ることはかなわない。キールマンはそれまで呑気に茶を啜っていた彼を近くに呼び寄せると、皺が刻まれた両手を組んでその上に顎を乗せた。


「それで、彼の出向が間違いだったと論ずる根拠は?」


「総帥もご存じでしょう。彼が魔人という身分を隠しこれまで生きてきたことを。人の世に生きるイブリス類稀なる存在……だからこそ僕たちは、デュランダル加入という名目で彼を保護したわけですから。この魔物が蔓延る世界に安寧をもたらす切り札として活躍してもらうために」


「その貴重な切り札を胡乱な噂が絶えないアルギュロスに差し向けたことが問題であると?」


「エヴリンさんには千里眼と呼ばれる特異な力があります。エルキュール君の正体にも気づく恐れが」


 似合わないその物言いに、キールマンは失笑を禁じ得なかった。

 グロリアも、ローリーも。固い言葉で飾ってはいるが、その実は優しい心に満ちている。

 それは生憎キールマンに欠けている資質だった。故に彼らを部下に持てたことを僥倖と感じざるを得ない。

 確かにエルキュールの正体を知る者は少なければ少ないほどがいい。エルキュール自身でさえ、キールマンらが真実に至っていることに気づかぬほうが事を順調に運べるだろう。

 ローリーの憂慮は十分それに値する。

 しかし――。


「杞憂だよ。エヴリン殿に本質までは悟られまい。何せ彼は、そこらの魔人とは格が違う。人に害を為さない面も、そして人を欺く面においても達者じゃからの。人間を汚染するイブリス・シードを持たないということからも、彼があらゆる分野で他の魔人と一線を画しているのは容易に見て取れる。そうじゃろう、オーウェン?」


 未だ心配の表情が消えないローリーとグロリアは背後を振り返る。それまで総帥室の入口に背を預けて黙していた同僚は、突如水を向けられたことにも臆さず悠然とした笑みを浮かべていた。


「ああ。彼の上官として拙者からも補足しよう。エルキュール殿には、彼自身もまだ知らぬ底知れなさを秘めている。端的に言えば彼は似ているのだ。十五年前のあの日、拙者らの窮地を救ってみせたあの魔人に……」


「オーウェン、まさか君がエルキュールに目を付けた理由は――」


 グロリアが目を瞠る。ローリーもまた熟考する。

 救世の魔人を議題に、会議は続いていった。幾つかの謎を残し、やがて夜が更けるまで。



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