二章 第四十話「光闇の輪舞曲」
ヴェルトモンドを構成する全ては、魔素の結合によって生まれる。
大陸を掌握せし人類も。その隣人たる亜人や動物も。世界の宿敵である魔物もまた。
物質・魔素質に二分される性質上の差異はあれど、根源は全て、極小の粒子に帰属する。
六属性を司る、六代精霊から生まれた、六の粒子の集合体。
それ即ち世界の理、摂理なのである。
だからこそ。魔素を操る魔法という技術は、人類の間で最も高次元的と謳われ、全リーベを繁栄に導く可能性に満ち溢れていて、そして――。
世界を滅ぼし得る、唯一の手段たりえるのだ。
「はあぁぁっ――!」
光の魔術師、ジェナ・イルミライト。六霊に傅く一族であるこの少女もまた、魔法が持つ創造と破壊の可能性に魅入られた一人であった。
魔法学者である父の教えを慕い、高名な魔術師である母の背を無邪気に追っていた少女は今。
「ヒヒヒヒヒャッ! 凄イワネ、ジェナ……流石ワタシタチノ子……」
魔法という文化が生み出した一つの到達点。
禁域とされてきた人為的な魔獣練成研究の極地。
実の父が生み出した、憧れだった母の残骸と対峙していた。
獅子魔獣マルティコアスは、アメリア・イルミライトの肉体を基に幾つもの魔獣の欠片を繋ぎ合わせて創られた、恐らくヴェルトモンド史上初の合成魔獣である。
その成果に関し、父はどう思っていたのか。母の意思はどうであったのか。ジェナは知らない。
だがこの闘いの果てにあるのが、きっと自らにとっての救いであることを。
少女は確信していた。
故に、拒絶する。
「煌めく光芒、魔を滅せよ――ストラール!」
眼前の景色を塗り替える。穢された過去を雪ぐ。不都合な未来は己が力で捻じ伏せる。
ジェナはもう自身の主義を曲げることも、今まで築き上げた価値を疑ったりもしない。
己が正義と理想を求め続ける意志こそ、未来の彼女に贈られる祝福となるのだ。
「エル君っ、交代!」
降り注ぐ光弾を強化した身体能力で避けながらジェナは叫ぶ。
これまで孤独の中にあった彼女の道には、今や頼れる同志がいた。
「ああ、任せてくれ」
ソレイユの光輝たる少女に代わり、黒衣の青年が前線へと躍り出る。
対する敵は精霊の遺物である聖杖カドゥケウスの力を行使しているため、一般のイブリスとは桁違いの魔力を誇っており。
いくら魔法に明るい彼らと言えど、単独で長時間その相手をするのは厳しいものがあった。
後方での支援に切り替えたジェナは、前方のエルキュールに指示を飛ばす。
「攻撃する時は、カドゥケウスを確保することを念頭においてね!」
つまりそれの意味するところは、無差別な攻撃の禁止。魔力に飢えたこの獰猛な獣を前に、随分な無茶を言うものだ。
エルキュールは不敵に笑う。この少女が受けた苦痛を思えば、その程度は軽々と乗り越えて然るべきだった。
アルギュロスの内部には、夥しい量の光の魔素が満ちている。
魔獣マルティコアスを無理に封じていたことに起因するその魔素異常は、闇魔法を得意とするエルキュールとはすこぶる相性が悪かった。
しかし、それも術者が人間であればの話。
魔人としての並外れた魔素感覚を以て、エルキュールは周囲に残っていた闇の魔素を掻き集めた。
「――ダークレイピア!」
闇で編まれた幾つもの剣が、アメリアの影を象るマルティコアスへと降り注いだ。
漆黒の雨を目に、魔獣が杖を振って何かを唱え始める。
この期に及んで魔術師の真似事か。内心で毒づきながら、地を蹴るエルキュール。
狙いは、魔物が携えるカドゥケウスただ一つ。
「これはあなたには過ぎた代物だ」
汚染の心配のないエルキュールは、迷いなく魔獣から杖を強奪し、空いた横腹に渾身の蹴りを見舞う。
「ナ、何ヲ……返セ……! ソノ力ハ……!」
「魔力が欲しいなら、好きなだけ喰らわせてあげるっ!」
糸で吊られた人形の如くぎこちない動きで反撃を試みる魔獣に、横から目の眩む光線が発せられる。
己の殻を破り、溢れんばかりの魔素を込めたジェナの一撃は、伸ひきっていたマルティコアスの右腕を完全に消し飛ばした。
体位が崩れ、地に膝をつく魔物に目を向けながら、エルキュールは奪取したカドゥケウスをジェナに手渡す。
「望みはこれで叶ったか?」
「相変わらず……流石の魔法捌きだね、エル君」
彼から受け取ったそれを携えていた杖と交換するジェナ。
光精霊ルシエルの加護を受けた聖杖は、六霊守護である彼女にこそ相応しい。その事実は、ジェナの両手に伝わる大いなる魔素によって証明されていた。
「ああもカドゥケウスが共鳴しておるのを見るのはいつ以来の事か……そして、まさかあのマルティコアスと互角以上に渡り合おうとは」
二人が戦う広場から少し離れた外郭の回廊では、ヘクターの治癒を受けるエヴリンが目の前の光景に驚きを露わにしていた。
十三年前、エヴリンはドウェインらの力を借りてあれをこの地に封印するのに精一杯であった。
肉親が魔獣と成り果てたショックや、ソレイユの民や外部の連中にこの禁忌を知られるわけにはいかなかったという側面もあるが。
前提として、あのマルティコアスを滅ぼすだけの力が、エヴリンのもとには存在しなかったためである。
仮にジェナとエルキュールの到着が今よりも遅れていれば、この聖なる地を脅かす魔の手先はその数を増していたことだろう。
「ジェナ……それに、あまり認めたくはないが、エルキュール。其方らが力を合わせれば、或いは……」
枯れた枝のように遺跡の壁に横たわるエヴリンが言葉を漏らす。その時のこと。
「……っ! アメリア様の影が!」
傍らのヘクターの叫び、それが指す方を見れば、広場でジェナらと交戦していたマルティコアスがいつの間にか宙へと浮かんでいた。
片手を広げ、空から注ぐ傾陽を浴びるかのような出で立ち。
それを見上げていたエルキュールの表情にふと翳りが射した。
「……まずいな」
「エル君、まずいってどういうこと?」
「俺には分かる。あれは陽光から魔素を抽出し、聖域もろともこちらを滅ぼそうとしているのだと」
「陽光からって……聖域内の魔素を好き勝手吸い上げたのに、まだ力を欲するというの……!?」
「アア、アア……遺物ヲ奪ワレタ。六霊守護ノ身デアルノニ。役目ヲ果タサナクテハ、ソノ為ニ、モット力ヲ……!」
「見るに堪えない。大方、生前のアメリアさんの記憶と、魔獣としての本能が歪に混ざり合った影響だろう。一刻も早く、解放してやらねば」
「……うん、そうだね」
空中で魔力を吸収する魔物に対抗し、ジェナもまたカドゥケウスに力を込めるが――。
「ごめんっ、あいつにこの辺りの魔素を根こそぎやられちゃったみたいで! これじゃあ魔法の放出に足りないっ!」
「落ち着いてくれ、ジェナ。俺が力を貸すと、最初に言っただろう?」
狼狽える魔術師に魔人は言う。
彼はそのまま少女の傍らに立つと、魔物に向けられていた聖杖に手を伸ばした。自らの手を彼女のそれに重ねる形で。
「光の魔素だけで足りないというのなら、闇の魔素も加えてやろう。闇魔法の授業は覚えているな?」
「ちょっと、それ本気で言ってるの!? 魔法は基本単一の魔素で放出しないと! 光と闇の複合なんてヴェルトモンドのどの魔術書にも書いてないんだよ!?」
「ならこれより起こることを本にでも認めるといい。稀代の魔術師、その素晴らしき処女作の完成というわけだ」
「もうっ! エル君ったら、いつからそんな意地悪になったんだか……」
魔人というのはいくら善性を備えていても狂っているものなのか。
頭を抱えたくなるジェナだったが、実際には露骨に勇気が湧いてくるのを感じていた。
カドゥケウスから生じる魔力だけではない。この常識破りの生き方をしている魔人から、ジェナは確かに力をもらっている。活かされている。救われている。
今までも、そしてこれからも。
彼の言う光と闇の共演。考えてみれば素敵な言葉だ。
美しき過去を蝕む影を消し去るため、己の存在を真の意味で定義するため。
今さら形式に拘る必要などない。
これよりジェナが征くのは開拓者としての道なのだから。
「燦然と輝く白……その上に、安らぎをもたらす黒を重ねて……」
聖杖の先端に集っていた光の魔素が次第にくすんでいく。周囲から入り混じった闇が、輝きを曇らせてゆく。
しかしそれは、不活性を意味するのではない。
未知の魔法。無限なる未来。それらを掴み取る絶対の力。
漆黒の混じった光がカドゥケウスに凝集し、解放の時を待ち望む。
「返シナサイ……私ノモノヲ……!」
「返さないよ。私はこの魔法で、世界を変えてみせる……! ――ルクス・パラドキシア」
上空のマルティコアスが蓄えた魔力を放出するのと、ジェナの手にあるカドゥケウスから光線が伸びていくのはほぼ同時のことだった。
魔力と魔力の塊が中空で衝突し、互いの魔素を火花のように散らす。
大地は鳴動し、大気が震撼し、そこらの遺跡群に至っては一部が崩壊し始めた。
その途轍もない余波を直接感じながら、ジェナは懸命に上空を睨んだ。全ては、あの憎し魔物に届かせるため。
「っ……でも、このままじゃ……」
「問題ない、俺が支える――エンハンス」
衝撃を抑えきれず危うく吹き飛びそうになったジェナの身体を、エルキュールの強化魔法が辛うじて繋ぎ止めた。
自身もあの魔法に多くの魔力を割いていたはずだろうに。ジェナは目線だけで礼をした。
今この時、全霊を向けねばならぬ相手は他にいる。
「はあああぁぁぁっ――!」
ジェナは吼えた。力任せに。目の前の敵を滅ぼすために。
そこに技巧などはなかった。有るのは果てしのない渇望と、魔人の掌が伝えてくれる理想。
全てを込めたその一撃は、微かに魔物との間に敷かれた均衡を崩し、やがては完全に打ち勝ち――。
「……アア、ジェナ……愛シイ子。良くやったわね……」
マルティコアスを、アメリアの幻影を、完膚なきまでに消滅させたのだった。
爆発と閃光が鎮まった後。魔物の残骸は空中で塵となって舞い、役目を終えた魔力の残滓は、荒れた聖域の地に白と黒の雨を降らす。
長いあいだイルミライトを苦しめていた悪は終ぞ去った。そのことを数瞬遅れて理解したジェナは、緊張の糸が切れたかその場に力なく蹲る。
彼女をここまで導いた魔人が、その華奢な身体を支えた。
「エル君……私……」
「何も言う必要はない、ジェナ。君の魔法は素晴らしいものだった。君を縛り付ける過去も役割も、今となっては失われたもの。君は自由なんだ」
「……えへへ、うん。ありがとう――」
人の枠から外れたその琥珀色の瞳は、今までジェナが映してきたどの人間よりも優しさに満ち溢れていて。
自らが選び取った道が正しきものだったと知るや否や、ジェナの意識は心地よい闇へと誘われていった。




