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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 第三十八話「それはどんな魔法よりも」

「……えっと、その。あなたの言っている意味が、良くわからないんだけど」


 目の前の青年から飛び出た言葉にジェナが辛うじて返せたのは、そんなありきたりな定型句だけであった。

 先刻まで二人は、エルキュールの罪がどうとかいう話はしていたはず。

 ジェナからすれば、彼がどんな慰めの言葉を紡ごうとも、あるいは同情に足るたけの境遇を明かしたとしても、決して翻意することはないだろうと決めつけていた。

 この茶番劇も、いつでも終わらせることができたはずなのだが。

 よもや自らを魔人などと称されてしまえば、聞き返さずにいられなかった。


「そうだ。俺は魔人だ。王国中の魔動鏡を乗っ取ったザラームや、今なおアルクロットに潜伏していると思しきミルドレッド。さらには王都で俺たちが力を合わせて戦った、あのディアマントと同じく――外部から直接魔素を取り込むことで生きる、魔素生命体と呼ばれる存在なんだ」


 ジェナの理解を促進するためか、エルキュールは敢えて冗長な説明を挟んでくるが、問題なのは全くそのようなことではなくて。

 人の世に生きる魔人など、どだい聞いたことがない話だ。

 ヴェルトモンドに生きる全ての民は、生まれた時からその共存がどれだけ無理なことかを頭に叩き込まれてきたのだ。

 リーベは、自らを汚染するイブリスを決して許さない。自らの生命と領地を守るため、人々は武器を取り、魔法を習得した。

 闘いの果てに刻まれたそれら歴史も、ジェナたちが経験してきたこれまでの戦闘も正しく、その裏付けとなっている。

 ジェナは、自分が単に馬鹿にされているのだと断じた。


「……変な冗談はやめてよ。私はいま、そんなので笑えるほど――!」


「分かった。本当に気が進まないが、証拠を見せよう」


「証拠って、いい加減に……って、ちょっ!? エル君、なんでいきなり服脱ごうとするの!? 風邪ひいちゃうからやめて!」


 若干的を外した制止も虚しく、エルキュールは自らの着衣を外し、自らの上半身を露わにさせる。

 それまで深い悲しみに満ちていたジェナも、この突拍子のなさには流石に気が動転してしまった。

 慌てて両手で目線を遮ろうとするも、当のエルキュール本人に直接それも解かれてしまう。

 冷たくもどこか寂しげなその感触に、ジェナの肩も大きく震えた。


「これが真実だ。ジェナ、よく見てくれ」


 青年は、散々好き勝手に場を掻き乱したとは思えないほどの落ち着きぶり。

 幾ばくかの怒りを感じながらジェナは閉じていた目をそっと開け、仕方なく、晒されたエルキュールの身体を映す。


「…………え?」


 目を、疑った。

 瞬いてもう一度見るも、期待に反して景色は変わらない。

 上半身裸のエルキュールの身体は、大部分が一般のヴェルトモンド成人と大差ない肌を有していたが。

 胸部においては、明らかな異常を見せていた。

 黒く発光する網目状の痣が広がり、中心には宝石のように光沢を帯びた物体が心臓が鼓動するが如く明滅している。

 それはジェナも修行の旅の中さんざん目にしてきた、イブリスの身体的特徴と全く合致していて。

 緊張から流れ出た汗が、先ほどまで双眸を濡らしていた涙と一体となって彼女の頬を伝う。


「十年前のことだ。俺が持つ原初の記憶、それは満足に身体を動かすこともできない俺を心配そうに見つめる女性と、その背に隠れたか弱い少女の姿――。後に俺の家族となるこの二人との出会いこそ、俺にとっての世界の始まりだった」


 エルキュールは、魔人は。こちらの吃驚などお構いなしに話を進める。

 ジェナは口を閉じることもできず、ただただその情報が耳に入ってくるままに聞いていた。


「母さんのおかげで俺は魔素の操り方を知り、人間の言葉を知り。文化を、道徳を知った。妹のアヤからは、人が成長することの尊さと、この世界で生きることへの憧れを知った。そしていつの日にか、俺の心にはこれからも家族とありたいという願いが生まれるに至った。だが――」


 魔人の顔が曇る。

 周囲の闇の魔素が、若干その濃度を増したのをジェナは感じていた。


「ヒトを模倣し、魔人の力を封じながら暮らしていた日々も、唐突に終わりを迎えた。今は亡き、エスピリト霊国のアザレア村。それと同じ名を冠する花が、村の郊外には咲いていたのだが……ある日アヤが、アザレアの花が群生する森に一人で入っていってしまった」


 痺れたように霞む頭で、どうにか話に食らいつくジェナ。その脳裏には、ふとアルトニーで過ごした日々が思い起こされた。

 街で出会ったカイルという少年が、ジェナを追って森に入り、やがては魔獣に襲われてしまったことを。


「……あ、あの、もしかして」


「ああ。一歩でも人里を離れればそこは魔獣の地だ。そしてアザレアの花というのは、外気中の闇の魔素を吸収し夜間に咲く種だった。そんな危険地帯、足を踏み入れたアヤは当然魔獣に襲われ、すんでの所で駆け付けた俺は躊躇いなく魔人の力を行使して――」


 目の前の黒き魔人は自身の胸元を指し、嘲るように微笑んだ。

 魔人の力の解放。ヒトであるジェナにはその言葉を正確に理解することは叶わなかったが、王都で戦ったディアマントが見せた権能と似たものだと思えば、その後の彼らの結末は容易に想像がついた。


「……アザレアの惨劇」


「流石は六霊守護の末裔、詳しいな。六霊教教皇のお膝元で起こった魔獣被害とはいえ、世間から見ればよくある話だと思っていたが」


 気づけばジェナは、この魔人との会話で生じる違和感が薄らいでいくのを感じていた。

 そのヒトを模した声帯から語られる物語があまりに切なく、その語り口があまりに真剣であるからか。

 怒涛の情報を、数奇なる運命を前にして、ジェナの心はそれに不釣り合いなほど凪いでいた。


「……結果として俺の放つ膨大な魔素が周囲の魔獣を刺激し、アザレア村はその混乱のなか滅亡の一途を辿った。住人たちは口を揃えて俺に罵声を浴びせたものだ。俺を匿っていた母さんや当時幼かったアヤにさえも。今にして思えば、この時になってようやく、俺は真似事ではない本当の感情というのを手に入れたのかもしれない。罪悪感と、虚無感という名の感情をな」


 リーベとイブリスの間にある種族の隔たりよりも遥かに確かなこととは、目の前にいる青年がジェナを思う一心で己の秘密を明らかにしてくれたという事実だ。

 なぜそこまでして。そう思わなくもない。

 しかし一つだけ確かなのは。その真心は決して差別によって軽んじられていい代物ではないということ。

 ひび割れた心が一たび派手に砕け散り、そして全く新しいものへと再生していくような。

 全てが根底から覆されたに等しい衝撃が、憔悴したジェナの身体に活を入れた。


「俺という存在のせいで、家族には長く厳しい放浪の旅を強いてしまった。せっかく手に入れた安住の地も、俺という存在が引き金となって無に帰してしまった。俺なんて存在しない方がよかったとさえ、今でもたまに思う」


「……うん。でも、あなたは、あなたは」


「そうだ。願わざるにいられないんだ。何の憂いもなく彼女たちの隣に並び立つその日を。最初は自分の罪から逃げるための旅だったが、多くを経験した今では少し趣が異なる。アマルティアを打倒した果てにこそ、それが望めるのだと――」


「うん、分かってる。分かってるよ、エル君。だからね、もういいんだよ」


 これだけの覚悟を見せつけられては敵わない。

 青年がヒトとは異なる魔人であること、そして自分が歩んできた虚飾の道も、もはやジェナにとっては――。

 遮られたことに不思議そうな顔をしているエルキュールに、彼女は堪えきれずに言った。


「だって、エル君ってば、ずっと悲しそうな目で話しているんだもん。こっちはずうっと最悪な気分だったのに、その上まだ落ち込ませる気なの?」


「え、ああ……違う。そうではない。俺はただ――」


「前から思ってたけどさ、あなたって人を慰めるのが下手くそだよね。あのアルトニーでの一件もそうだし」


「……うん。本当に済まない。今この時だけでも君に前を向いてほしくて、考えに考えた結果なんだが」


 着衣を戻しながら、エルキュールは肩を落とした。

 十年かそこら閉じこもって生活していた魔人だとは思えぬ仕草に、ジェナは微笑みを禁じ得なかった。

 物腰も、語り口も、危ういほどに純粋な意思も。いつもと変わらぬ青年のものに変わりなく、その不変こそが、ジェナに絶対の安らぎを与えていた。


「しかしだ、ジェナ。笑顔が戻ったのはなによりだが、君は俺に対してもっと怒ったり、警戒したり……あるいは敵視するべきなんじゃないのか?」


 心地よい熱で満たされていたジェナの心を冷ますかのような言葉。目を丸くする彼女に、青年は眉を歪ませた。


「俺が魔人だという話を信じたのだろう? それはこれまで俺が君ら人間を騙していたことを意味していて、今の君は俺に汚染されるリスクすらあるということだぞ?」


 まるで自分ごとのように語気を強めるエルキュール。遅れて理解したその内容に思わず苦笑する。

 無論、常識から考えれば彼の言葉が正しいだろう。

 だが生憎、その常識とやらに縋るのも、これからも無様に自身を偽り続けることも、ジェナにはもうできそうになかった。

 いまジェナの背中を押すのは、自由と理想を求める心の叫びのみであった。


「――ううん。騙していたのはお互い様だし、君は私を汚染なんかしない。そうでしょ?」


 そもそも感情的な面を抜きにして。

 もしエルキュールが人を汚染する心づもりだったならば、これほどまでに迂遠な方法は取らないだろう。

 ジェナたちと共に行動していたとき、アマルティア戦での混乱の渦中において、汚染をするタイミングなど幾らでもあったはずなのだ。

 アマルティアの卑劣なやり口をよく知っている分、この件に関してジェナには確固たる自信があった。


「本当は一人のオルレーヌ王国民として、精霊様にお仕えする六霊守護の末裔として。あなたを糾弾するべきなのかもしれない。軽蔑するべきなのかもしれない。でも……私から見た今までのあなたは。決してそんな扱いを受けていいヒトではないから」


「……だが俺の意思が何にせよ。魔人という身分は、この身を永遠に縛り付けて――と、ああ……そうか」


 どうやらあのような秘密を打ち明けてなお、青年は気づいていなかったらしい。

 ジェナはいよいよ吹き出してしまった。


「ね? 私とあなた、似て非なる存在だけど。きっと互いに通じる部分があったんだよ。だからこそ、あなたの言葉に勇気をもらえた。私もあなたのように、私自身を貫きたい。確かに私の魔法は罪人である父さんから受け継がれたもの。憧れだった母さんがあれだけ悲惨な末路を辿ったのも事実。それにおばあ様たちや村の人たちが私に責任を果たせとせっつくのも。私は私を縛り付ける全てを跳ねのけ、私の手によって私自身の物語を紡ぎなおすの……!」


 だから、彼には。

 願いを込めて、地についていた手を伸ばす。


「……おい、ジェナ――」


 何の躊躇いもなく胸に触れてくるジェナに対し、さしものエルキュールも明らかに焦った態度を見せる。

 服越しにではあるが、そこは魔人の中核たるコアがある場所なのだ。普通ならば間違いなく、触れようとは思わないだろうが。


「あなたには私がこれから成すことを見届けてほしい。代わりに私も、あなたの征く道を照らしてみせるよ」


 もはや今のジェナにとって、種族の差など取るに足らない問題だった。

 ただ祈るのは。この掌に触れるモノが、決して罪だけを表してはいないことを彼が理解してくれればということ。

 それだけで、ジェナは限りない充足を得られるのだから。


「これまでずっとあなたたちには情けない姿を見せてきた。聖域に現れたあの影に、為す術もなく逃げてきた。でも――」


 言葉を切って、エルキュールのコアを触れた手で撫ぜるジェナ。

 たとえ百の者が口を揃えて悪だと称しても、今ここにいる彼女にとってはその在り方はこの上なく尊ぶべきものだった。


「今では、あの人形を一刻も早く倒してやりたい。そして私の過去にさよならを告げて、やり直したいんだ。おばあ様たちと……そしてあなた達とも」


 彼の面を見上げれば、透き通るような双眸。

 何者よりも歪で、ひたむきで、自らの救済を願う純粋な意思。

 即ちジェナの求める真理であった。


「……ダメ、かな……?」


 許されないことをしたとは自覚しているが、もう自分の命運を他に預けることだけはすまい。

 力に満ち溢れたジェナの様子に、対するエルキュールは何度か視線を彷徨わせた後、躊躇いがちに言葉を継いだ。


「……もし君が、来るべき時まで俺に纏わる秘密を守ってくれるなら。そして、そんな矛盾した俺の存在を赦してくれるなら」


 青年の返答に、花が咲くように笑うジェナ。

 彼女の心に変わりはない。

 長い間ソレイユを守りし一族、その末裔たる光輝は、今まさに覚醒を果たしたのだった。



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