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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 第三十七話「止まり木になれるなら」

 ヘクターの去った後。

 エルキュールは失神したジェナの首と膝裏に手を回し、何処か落ち着いて休める場所はないかと辺りを彷徨っていた。

 ここルミナス山において彼は土地勘もなければ、時が経つにつれて勢いを増す降雪によって、次第に体力を削られていく。

 聖域に起こっている異常事態を思うと、すぐさま駆け付けられるような近場が望ましい。

 諸々の事情を考えた結果、エルキュールは寒風を最低限凌げる洞穴に身を落ち着けることに決めた。

 闇に支配された窮屈な空間。

 ジェナには気の毒だが、他の選択肢はない。

 エルキュールはデュランダル謹製の魔動収納機から手頃な布を取り出し、その上に彼女の身体を横たえた。

 ついで光魔法ライトと熾した焚火で最低限の光源を確保するに至ってようやく、エルキュールは改めて自分たちが置かれている現状を把握する余裕を得られた。


「グレンらの方の作戦は失敗。ミルドレッドは行方不明。聖域内には未だ脅威がある……考えただけで鬱陶しくなるな」


 お互いにもっと協力的な関係が築けていれば。夢想は浮かべど、やはり相容れない運命にあったのだろう。

 エルキュールが闇魔法の名手というだけでなく、わざと本来の実力を隠しているとエヴリンに知られた時点で、今回の作戦が破綻することは必至だった。

 アメリアの夫ウィルフリッドは、空間と引力に作用する闇魔法の力を用いて、自らの妻と多くの魔獣の身体を一つに繋ぎ合わせたという。

 つまるところ獅子魔獣マルティコアスとは、闇魔法の究極にしてソレイユの影を凝縮した結晶のような存在だと言えよう。

 この誕生の課程が外部の悪意ある者たちに知れれば、世界はさらなる混沌に飲まれることは想像に難くない。

 故にどんな手段を講じたとしても、エヴリンらは不穏分子であるエルキュールを排除し、秘密裏に事件を解決する必要があった。


 理屈の上では、理解できる。

 しかし、理解と共感という概念は得てして合致しないものであることを、ヒトの社会を渡り歩いてきたエルキュールは疾うに知っていたのだ。


「こんなやり方、ジェナは決して望んでいなかったはずだ……」


 布地の上、魔術師の少女は何かに魘されているように苦しい顔つきをしていた。

 この地に帰還するや否や、当然のように少女としての自分を殺し、一族の末裔に相応しい姿を演じ続けるだけの責任感を持った少女は。

 きっと夢の中であっても、自らを罰し、己が役目を全うしようとしているのかもしれない。

 どうか少しでもその苦痛が和らぐように。エルキュールは彼女の身体に手を翳した。


「彼の者を癒せ――クラーレ」


 エヴリンやヘクターのおかげで外的損傷は見られない。

 魔法学の観点から見れば、この水の治癒術は何の効力も持たないのだろう。

 だが、エルキュールは信じたかった。

 魔法は世界を、人々を幸せにする。

 いつの日か、純粋な目で少女が語ってくれたこの理想を。当の本人が失いかけているその理想を。

 何故ならエルキュールもまた、自身の罪を自覚してなお、魔人として家族と共に生きる理想を捨て去れない者であるから。


 そして、その真摯な祈りが届いたのか、はたまた精霊の悪戯か。


「――う、ん……?」


 薄く、少女が目を開いた。


「ジェナ?」


「エル、君……?」


 朧げな彼女が身を起こすのを助けつつ、エルキュールはその顔を覗き込む。

 頬には涙の跡が見られ、双眸は泣き腫らしたように赤い。

 自らの理想を次々と砕かれたその絶望が、失意が、エルキュールにもありありと感じ取れた。


「……なんであなたが、私の前にいるの……? 私は、あなたを……」


「騙したことへの謝罪は必要ない。君は、君の為すべきことを為しただけだ」


 虚ろのまま戸惑うジェナにも届くようはっきりと伝える。

 エルキュールが既に大よその事情を把握していることに気づいたジェナは、力ない微笑みを浮かべた。

 空を映す瞳は、ただただ虚しい。


「為すべきこと……今の私にそんなものはないんだよ。だって、全部。何もかもが嘘だった。お婆さま達は勿論、お母さんとお父さんのこともずっと誤解していて、私がこれまで積み上げてきた物なんて、この酷い現実からすれば紙屑みたいに価値のないものだったんだよ……!」


「そうなのか? 君の才能は類まれなもので、若くして魔術師の職位を――」


「だから無駄だって言ってるでしょ……! 私に生きる道を与えてくれたお父さんは罪人だったの! 憧れだったお母さんは魔獣の一部になって、もはや私のことを餌としか見做さない……私の持つちっぽけな力じゃ、何一つ変えられなかった。今この瞬間だって……」


 言葉尻は次第に弱まり、嗚咽と滂沱(ぼうだ)が止め処なく零れる。

 果てしのない無力感と。世界から隔絶されたような気味の悪い浮遊感。

 只人であれば踏み越めない領域にいま彼女はいる。

 しかし、魔人であるエルキュールにとって、その感情は掛け値なしに共感できる代物であった。


「ジェナ……たとえ君というヒトを育んできた全ての要素が、虚飾と欺瞞に染められたものだとしても。君自身までもがそうであるとは限らないんじゃないか」


 出来るだけ優しい口調で言葉を添える。彼女の心を締め付けてしまわないように。


「俺がアマルティアを追うのは、正に君が感じたような感情を払拭したいが為だ。俺は俺という存在を、自分自身で認められるようになりたい。母さんやアヤの隣で生きるだけの資格がほしい。そんなものは初めから存在しないのかもしれないが、それでも俺は求めてやまない。自らの罪から解放された、輝かしい未来を」


「罪……? エル君の言う罪って……? あなたは本当に良い人だよ? こんな惨めな私に、まだ優しくしてくれるんだから」


「――ああ」


 やはり覚悟していたことだが、言葉だけでは、エルキュールの真意を伝えるには足りないようだ。

 一瞬だけ、逡巡を覚える。

 これから自分が行うのは、ジェナとの間にある関係を破壊してしまうかもしれない。エルキュールは今まで築き上げた一切の信頼と身分を失い、あのヌールでの惨状と同等の苦痛を味わうことになるやもしれない。


 しかし、たとえそうであっても。

 共感と同情は堪えきれそうになかった。どうしようもなくジェナに、在りし日の自分を重ねてしまっていた。

 この労しい少女の苦痛を解消できるなら。救えるのなら。


 エルキュールは大きく息を吐いて告げた。


「俺の罪というのは……本当が俺は人間などではなく、誰からも忌み嫌われる、浅ましくもヒトの世に溶け込んでいるだけの魔人だということだ」


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