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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 第三十五話「三人目の魔術師」

 ヴェルトモンドの住人の間にある常識として、魔獣という生命はその種の数が多ければ多いほど、力も強大だという説がある。

 栗鼠や兎といった小型から熊や鰐などの大型までを考えてみても、特殊な例である魔人を除くと、この風説は概ね正しいと言えよう。

 しかし。特別な資格を持つ魔法士や魔術師、騎士団などの戦闘に長けた人種からすれば、この説も一概には正しいものと呼べなくなる。

 そもそもアマルティアの魔人なる存在もあるが、魔獣という区分の中でも、稀に大型魔獣と称される極めて強力で危険度の高い種が生まれる場合がある。

 かつてエルキュールやグレンが戦ったとされる大蛇魔獣シュガールも、その傑出した能力を鑑みるに大型魔獣だと定義できるだろうが――。


「ウギャオオオッ!」


 いまジェナの目の前に居る獅子型魔獣マルティコアスについては、果たしてどのような定義が相応しいと言えるだろうか。

 咆哮とともに放たれた無数の光弾を防御魔法でいなしながら、ジェナは目の前の魔獣が誇るあまりの威力に驚愕を感じていた。

 戦闘に入って僅か数分。既にジェナの体力は底をつきようとしていたのだ。

 彼女にとって不利な環境であったディアマント戦とは異なり、万全の状態であったというのにこの有様。

 マルティコアスの猛攻は、稀代の新星魔術師を以てしてなお手に余るものだった。


「彼奴から注意を逸らすでない! 禁域とも呼べるアルギュロスにて戦えるのは、六霊守護の任を継ぐ我と其方しかおらぬのだぞ!」


 前線を担うエヴリンの発破に、挫けかけていた決意が引き締まる。

 ジェナよりもさらに攻撃が激しい箇所に陣取りながら、ジェナよりも多くの魔法を放出し、高位の魔法も惜しまずに操るエヴリン。

 それでなおこちらを気遣う余裕があるのだから本当に敵わない。


「……分かってる。分かってます、そんなことは、疾うに!」


 携えた杖を地面につき、ジェナは再び周囲の魔素に意識を巡らせる。

 幸い、マルティコアスから放たれた光弾に含まれる光の魔素が、ジェナの魔力をある程度は補ってくれている。

 あの威勢のいいエヴリンも大陸指折りの魔術師とはいえ、老体にこれ以上の負担はかけられない。

 息を吐き、詠唱の準備に入る。


「――残酷無比の煌めき、万を照らす暴力的な輝き」


 ジェナのもとに結合する暴力的な魔素の流れに、マルティコアスの白金に輝く双眸が瞬いた。

 魔獣の本能で以て、あれが己が身を亡ぼし得る可能性を秘めていると感じ取ったのか、すぐさま光弾を生成してその妨害を試みる。


「ふん、今さらそのような手を通すわけなかろう!」


 長い隔たりがあったとはいえ、ジェナとエヴリンの間には血族による絆があった。

 渾身の魔法を用意するジェナを援護するべく、エヴリンは速攻でマルティコアスを牽制する。

 獅子魔獣の放った光弾は全て相殺され、魔法による目晦ましで本体の方も一瞬動きが止まる。

 その僅かな間隙に。ジェナは全ての準備を終え、前に構えた杖を振り下ろした。


「一切平伏し、永遠の怒りに焼かれよ――グランツェルガー!」


 魔素を蓄えるだけ蓄えた光球が声と共に弾け、無数の光線となって飛んでいく。

 白銀の軌跡は光芒を曳きながらマルティコアスの足元を円状に囲み、やがては攻防一体の結界を形成して魔獣の自由を奪った。


 そこから先は、瞬きのうち。

 結界に仕切られた向こう側では魔獣が悲鳴を上げる間もなく、断続的な光魔素の爆発が巻き起こり、魔素質でつくられたその体繊維を次々と粉砕していった。

 無慈悲なる牢獄と、身を焦がす灼熱と光輝。

 赤みを帯びた白皙の床に、胴体から千切られた頭部が転がる。

 埋め込まれたアメリアの上半身は相変わらず痛々しいが、あれ程までに肉体を損傷してしまえばコアも含め機能を失うことだろう。

 ジェナの全力を込めた上級魔法は見事、業深き魔獣へ致命傷を与えたのだ。

 それを理解した途端、その華奢な身体には達成感と疲労感、そして決して少なくない虚無感が圧し掛かってきて。


「これで良かったんだよね、私……!」


 両の目に込み上げる熱をどうにか抑え込み、杖に凭れるように膝をつくジェナ。

 常に厳しい態度を取っていたエヴリンさえも。未熟さが残る少女の嘆きを無下にすることはなかった。

 六霊守護としての務め、慕っていた者からの裏切り、一族に纏わる影の歴史。

 そのどれもがこの少女には荷が勝ちすぎていることを、エヴリンとて正しく理解していた。

 川に流れる葉のように、自身の運命を自分以外の何かに託すことが、きっと少女にとって何より辛いことだというのも。

 全てを理解し、そしてその上でこのような結末に仕向けたこと。エヴリンにもまた、思うところがあった。


 遺跡群が広がる広大な聖域は今、沢山の沈黙で満たされていた。

 それは静寂でありながらも、悲嘆で騒がしくもあった。


 騒がしい。故に、だろうか。


「――ええ。ほんトウによくヤッテくれましたね、ジェナ」


 ジェナにしても、エヴリンにしても、場の異常に気づくのが一歩遅れてしまったのは。


「……え?」


「……っ!? いかん――!」


 先に動いたのはやはりエヴリンの方であった。

 ジェナに迫まって来ていた光弾を身を挺することで辛うじて防ぐ。


「え、え……? な、なにが……」


「戦いはまだ終わっておらんということじゃ!」


 祖母の激高を浴びて、ようやく周囲を観察する余裕を得た。

 声、光弾。敵はまだ生きている。

 何故か。あれだけの魔法を喰らって無事に動ける魔獣などこのヴェルトモンドに存在するとは考えにくい。

 否、そもそも前提からしておかしい。

 声だ。所々に歪なノイズが混ざっているものの、あの獅子魔獣が人間の言語を操るなど夢物語に等しいことなのだ。


 巡る思考。混乱する情緒。

 疑問の果てに捉えた事実は、より一層ジェナを狂気に陥れた。


「フ、フフ……その魔力、ヤハリ私たちノ娘ね。ジェナ……」


 消し飛ばされたマルティコアスの胴体から切り離された頭部。その額に埋まっていたはずのアメリアの骸が。

 今ではどういうわけか黒ずんだ上半身に脚まで生えて、まるで生ある人のように佇んでいたのだ。


「お母、さん……? まさか、生きて――」


「ええ、お母サンはここよ……ジェナ、こちらニ、ニ、ニニニ」


 漆色が満遍なく塗りたくられた肉体には、在りし日を想起させる面立ちが宿っていて。

 間違いなくそれは、生前のアメリアの生き写しと言っていいほどの出来栄えで。

 忘我のまま、ジェナは一つの結論に達していた。

 父であるウィルフリッドの罪によって魔獣と一体化した母は、長いあいだ身体の自由を奪われていたのだと。

 元凶であるマルティコアスが消失した今、命辛々ではあるが生還したものだと。

 両手を広げこちらを迎えるアメリア。身体が無意識にその方へと向かっていくのを、ジェナを止められなかった。


「ああ、ジェナ……可愛イジェナ……本当ニ、ホントウニ」


 愛しい我が子に、アメリアは――。


「――美味シソウナ魔力」


 どこからか手にした杖を振るい、どこか見覚えのある光弾をジェナ目掛けて放ってきた。

 明らかな敵性行為。それに気づいた途端、ジェナは自身の視界に映る景色が急に遠ざかっていくのを感じた。

 もちろん、精神的な部分もあるのだろうが。


「このたわけがっ! 戦いは終わっとらんと言ったじゃろう!」


 身体に感じた衝撃と再びの叱咤の声をしてようやく、エヴリンに突き飛ばされたのだと知るジェナ。

 頼りなく揺れて見える世界で、エヴリンとアメリアが互いに牽制をしあっている。

 意味が、分からなかった。そしてその意味を求めることも、したくはなくて。

 すべてが、滑稽にすら思えた。



『――そうだ、知っているかいジェナ。ほとんどの人間は……』


 博識で、ジェナに魔法という学問が持つ知的な魅力を説いた父は。


『そなたの父ウィルフリッドは禁忌とされる闇魔法を使役し、妻であるところのアメリアを魔獣へと変貌させた』


 その魅力に取り憑かれたあまり人道に悖る行いにまで手を染めて。


『拘りを捨てなければ、殻は破れぬ』


 自身の闇魔法に対する考えを悉く否定し、あげく追い出すかのに冷たく修行の旅を課した祖母は。


『未熟な身である孫娘に重荷を預けてしまったことは詫びよう』


 その実アメリアとウィルフリッドに関する真相と、光の六霊守護が負うべき任を和らげていただけで。


『もう一度、あの時みたいに戦わないか、ジェナ』


 故郷であるソレイユの危機に際し、誰よりも純粋な目で協力を申し出てくれた黒衣の青年に至っては。


『デュランダル特別捜査隊隊長のエルキュール・ラングレーはこの場には来ない。なぜなら――』


 ソレイユの秘密を守り、六霊守護の責任を果たすため、何も告げずに手ずから裏切った。

 その挙句にだ。


「お母サマ、どうシテ邪魔をナサルノ?」


「……お前のような娘など知らぬわ」


 遥か遠くで聞こえる、両者の対立。

 全てが億劫になり、次第には魔力切れによる倦怠感も相まって目を開けていることすら難しくなっていき。


「もう……嫌だ、こんな世界……全て、無意味なんだ」


 ジェナはそのまま流れるように意識を手放した。

 一族のために掲げた奮起など、所詮は心の痛みをひとときだけ忘れさせる麻薬に過ぎなかったのだ。


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