二章 第三十二話「ブリザード」
ロレッタ・マルティネスという少女の存在意義は、専ら世に蔓延る魔獣を駆逐することにある。
それは八年前から始まった物語。あるいは少女が自らに課した呪い。
ロレッタにとって最愛の肉親である父と母、そして一人の姉が、理不尽な巨悪によって喪われたあの日から。
彼女は仄暗い使命感に駆られ続けてきた。
もしも自身の存在意義がそうでないのだとしたら。このヴェルトモンドという世界は救いようもなく狂ってしまっているに違いない。
あの思慮深かった父を。精霊に対し敬虔であった母を。自分よりも遥かに優れた能力を持っていた姉を。
騙し討ちのように奪い去っておきながら。一等みじめな自分だけを生き長らえさせておきながら。
それが単なる不運という二文字でのみ片付けられる意味しか持ちえないなど。
ロレッタにはとうてい受け入れ難いことであった。
ならば。ロレッタ・マルティネスという少女の存在意義は、専ら世に蔓延る魔獣を駆逐することにある。そうでなければならない。
その限りでのみ、ロレッタはロレッタを肯定できるのだ。
長きにわたって戦闘技術を磨き、王都で自由に動ける立場につき、やがてはデュランダルの名を借りる機会までも巡ってきた今。
これまで費やしてきた行為はついに実を結び、ロレッタは己の激情を正当な手段で以て昇華することができるようになった。
悪である魔物、魔人。ヒトを汚染する醜き怪物を討ち、存在を否定し、過去の怨嗟を晴らす宿願を、この地でも果たすことができると。
あの魔人の名を聞くまで、ロレッタは固く信じていたのだが――。
「…………」
ルミナス山の洞窟を抜けた先、木々と降雪の景色の中、湖のほとりに彼女は立っていた。
「――あら、ごきげんよう」
白銀を背に振り返る女性。薄緑の瀟洒なドレスと踵の高い靴が彼女の気品を引き立たせるも、この厳しい銀世界には不釣り合いで。
悠然と地を踏みしめる足取りも、不敵な表情も、やはり常人のそれではなかった。
極めつきは、その胸元に輝く緑光である。
彼女のドレスがふわりと揺れるたびに怪しく煌めくのは、さながらヒトの心臓の鼓動のような力強い生命力を感じさせた。
コア。魔物に見られる魔素質の器官。人間を遥かに凌ぐ魔力を有するそれは、その女性の正体を決定的なものにしていた。
「ミルドレッド……」
有象無象の魔物とは桁違いの力を放つ魔人は、この地の現状を鑑みれば件のアマルティア幹部に間違いないのだろう。
しかし、そうした至極当然な推論とは別に。
ロレッタには確信があった。当然のように彼女こそがミルドレッドだと断ずるだけの根拠が。
「アナタにそう呼ばれる日が訪れるとは。露にも思いませんでしたわ」
「……っ! ええ、八年ぶりかしら、姉さま。随分と見違えてしまったのね」
「それは勿論。あのときのワタクシはただの無力な乙女でしたが……今は、そう。このように――」
ミルドレッドが指を鳴らすと、たちまち彼女の周りに強風が吹き荒れる。木の葉と雪を巻き込みながら渦を形成するそれは、間違いなく先ほどあの洞窟で感じたものと同じであり。
ロレッタにとっては、懐かしさすら感じる魔力を帯びていた。
再び指を鳴らして風を止めるミルドレッド。
対するロレッタは、溢れだす不快感をいよいよ隠せなくなっていた。
「私はずっと、精霊のもとに先立ってしまった姉さま達のために、魔物どもを根絶やしにすると誓っていたのだけれど。どうやらそれも間違いだったみたいね」
左手に装着した特殊手甲を向けながら問い詰める。
「答えて。どうして貴女が魔人になっているの? あのとき私を庇ってくれた姉さまは、どこに行ってしまったの……?」
「あら、そんな正解が分かり切った問いが望みですの? ワタクシたちがこの地にいる理由などを聞いたほうがまだ有益ではなくて?」
瞬間、ロレッタの手甲から鎖が射出されたが、ミルドレッドは舞うようにうねる一撃を躱した。
力量差は勿論のこと、少女の逡巡も、これには大いに関わっていたことだろう。
「……よろしい。聞き分けのない子供には酷な宣言となってしまいますけど」
乱れた着衣を華麗に直しつつ、ミルドレッドは凄絶な笑みを浮かべて――。
「アナタの姉、ミルドレッド・マルティネスは八年前の事件の日に死に絶えました。今ここに居ますのはアマルティア幹部、颶風のミルドレッド……どのような障害をも吹き飛ばす、世界に革命をもたらす存在なのです」