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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 第二十八話「陥穽 後編」

 アルクロット山脈の上層へと至る道、アルギュロスの道中にはイルミライト家が管理する古い祭祀場があった。

 勾配の緩やかな地形が天然の広場を形成し、聳え立つ岩壁には光の大精霊ルシエルを模した石像が彫られている。

 元々は、聖域に参拝する者が足を休め、身を清めるための施設だった。


 ドウェイン・イルミライトはその祭祀場に設えられた祭壇を背に、その身に近くなった天を仰ぎ見た。

 灰の雲間から漏れ出すくすんだ光芒が、束になってドウェインに降り注ぐ。


 これは、言うなれば浄化の光であろう。

 罪を秘す心を、尊きルシエルが許すはずもなかったのだ。

 目の前の青年が放つ静かな怒気に面し、ドウェインは人知れず諦観を滲ませた。


「儂が監督するソレイユ戦士団は、決してぬるい鍛え方をしているわけでもないのじゃがな」


「この場を制した要因は力の多寡ではない。力の性質だ」


 青年の言葉に納得を示す。

 彼を取り囲む兵士たちに目立った外傷はなく、五体満足といっていい状態だった。

 にも拘わらず、青年を抑えることができないのは。

 兵士たちの足元に広がる影、それを射止めるように突き刺さった漆黒の矢が関係していた。


「闇魔法。この目で見ると、まこと忌まわしい力よの」


「俺にとってはあなた方の企みの方が、よほど忌むべきものに思える」


 青年が悠々と歩いて距離を詰めてくる。

 無手。とはいえ、油断などできるはずもない。

 夜の静寂のように穏やかなこの男に、結果として十を超える兵士たちを無力化させられたのだ。

 その上、一夜に亘る戦闘を経てなお。青年は疲労も感じている様子がなかった。


 エヴリンから今回の計画を聞かされた時は、何をそこまでする必要があるのかと高を括っていたが。

 なるほど、その警戒心は間違っていなかった。

 誤算があったとすれば、それはこの青年の魔力を見誤ったドウェイン自身の方だろう。


「あなたがたは昨夜、ジェナを使って油断した俺をこの地に誘いこみ、危害を加えようとした。それは何故だ?」


「そなたの存在が、このソレイユの光を脅かすからだ」


「いまこの地で脅威となっているのは、聖域の魔素異常と侵入したミルドレッドの存在であるはずだが」


「それについては、如何様にも手が打てよう。エヴリンと、儂が率いるソレイユ戦士団がおればな。むしろそなたたちの登場で、整えた舞台が大きく掻き乱されてしまった」


 青年は一瞬だけ悲しげに眉をひそめた。

 まさか、良心の呵責でもあるまい。

 ドウェインは構わず続ける。


「ジェナ、あの子が戻って来たことも想定外じゃったが。戻ってきたのならば役目を果たしてもらうほかない。六霊守護の正統な後継者としての正しい振る舞いを。これはそのための、試しの場でもあった――」



◇◆◇



「はっ! それで? 仲間を騙すのが試しだとお前は言いてえのか? ソレイユの姫様の仕事ってのはそんなモンなのかよ?」


 寝殿内。

 ジェナの口から飛び出た酷薄な真実に、グレンは大仰に反感を示した。

 それはもはや軽蔑の域に達していて。

 このポーズが少しでも彼女の罪悪感を刺激することをグレンは願っていたが。

 ジェナは澄ました顔を崩さずに告げた。


「全ては当代六霊守護エヴリンの判断です。抗弁がありましたらどうぞそちらに」


「ちっ――」


 いったい昨夜から何が起こっているというのか。

 疑念と混乱のままグレンは睨む。寝殿の奥、睥睨せし六霊守護。


「主はあの黒衣の者を高く買っているようだが、余からすればあれは罪人。六霊守護とその一族に災厄を引き起こす暗黒なり。故に此度の件が収束するまではその身を預かることに相成った」


「何が災厄だ、あいつは王都の事件を解決に導いた立役者の一人だぜ? ずっと山里に引き籠ってると人を見る目も曇っちまうのか?」


「かはは、ブラッドフォードの若造は親に似て手厳しいな。しかしこの件は我が一族の秘密に関わること。軽率に迎合はできぬ。ただ一つだけ補足するならば。ここで問題なのは――」



◇◆◇



「闇魔法。そなたのその資質こそが根本の理由じゃ。それに過去の幻影を重ねているようでは、何時まで経てどもジェナは報われない」


「報われない? 他ならぬ彼女自身に俺を裏切らせることは、果たして彼女の本懐だったのか?」


「少なくとも、踏ん切りはつくであろう。それでこそ役割を果たせる。このソレイユが恒久に存続するためのな」


 話にならない。エルキュールは暗い感情を隠しもしなかった。

 どうやらドウェインは、六霊守護の後継としてジェナに適切な振る舞いをするよう求めているらしいが。

 そしてその適切というのは。恐らくは、彼女の中にある意志を捨て去ることと同義で。

 ジェナという個人を、ソレイユという共同体の礎に添えようという魂胆にほかならなかった。


 それがジェナ自身の望みならば良い。

 エルキュールとて、ここまで食い下がりはしなかっただろう。


 しかし、エルキュールは知っている。

 アルトニーで見せた彼女の激情を。

 祖父母の思惑を外れ、両親との絆を縁に、エルキュールに手を伸ばしたその健気な想いを。


 今ならば。

 あれこそが、ジェナの本心であると分かる。

 ならばエルキュールはそれを尊重しなくてはならなかった。

 かつてジェナが、自らにそうしてくれたように。


「ここであなたと会話するのも飽きてしまった。今は人間同士で争っている場合でもないだろう。この事は一先ず置いて、早く寝殿に戻るべきではないか?」


 まずはグレンたちと合流し、この地の異常を解決する。それと同時にジェナの真意も確かめる。

 それが同志であるエルキュールにできる最善。

 ドウェインもエヴリンも相容れない相手ではあるが、このアルクロットで活動する以上、譲歩は不可欠だった。


 幸運なことに、相手の手は既に潰している。

 停戦の申し出くらいならば辛うじて受け入れられるだろう。

 そのエルキュールの判断は。


「――それ以上ドウェイン団長に近づくのは遠慮してもらおう、デュランダルの新鋭よ」


 いつの間にか背後に立っていたヘクターの持つ長槍、その突きつけられた刃によって容易く踏みにじられてしまった。



◇◆◇



「……そろそろでしょうか」


 もはや何が、とは聞き返さなかった。

 そのジェナの言葉がグレンにとって都合の悪い事を指しているであろうことは簡単に理解できたからだ。


「朝。大気中の闇の魔素が力を失う頃です。後詰めにはヘクターを用いました。彼が夜間を凌いでいたとしても、これで抗う術はなくなったといえるでしょう」


 ジェナの言葉は恐らく正しい。

 そもそも彼女が自らエルキュールを屋敷の外に誘った時点でかなりの不利を強いられているのだ。

 当然のことながら、外での戦闘では聖域から漏れ出た光の魔素の影響を否が応でも受けることになる。

 闇魔法を封じられた上でさらに手練れに背後を取られたとなれば、いよいよ策は潰えることだろう。

 志を共にする仲間としては信じ難いが、一戦士としては納得してしまう帰結であった。


 エルキュールの身は、この地の異常が解決されるまでは拘束されることになる。六霊守護とソレイユの利を守るという名目で。

 愚かしいことだとグレンは内心憤っていたが、ここで平静を失って下手に暴れても状況は良くならない。


 グレンがいま為すべきことは、もっと別にある。


「……で、だ。あいつのことはもういい。それよりこれだけの勝手をしたんだ、諸々の問題を解決する手だてが当然あるんだろうな? 昨日も言ったが、この件は既に外部、少なくともサノワの街にまでは波及している。……失敗は許されねえぞ」


 意外そうに目を細めるエヴリン。

 ジェナも、まるでエルキュールを見捨てるかのような彼の姿勢に微かに目を見開いていた。


 果たしてグレンは、鬼になることを決めたのか。

 必要ならば冷酷に仲間を切り捨てる事を厭わない、鬼に。


「なにを格好つけてるのかしら、全く。彼が心配だから早く面倒を片付けたいってだけの話でしょう?」


 覚悟を決めるグレンに、それまで我関せずを決め込んでいたロレッタがようやくその口を開いた。

 相変わらず厳しい言葉であるが、その声色は不思議と温かい。

 見れば口元には薄く笑みがあり、グレンは己の心が完全に透かされていると悟った。


「ちっ、やりにくいったらねえが。その顔だと、概ね賛成ってことでいいんだな? ロレッタ」


「ええ、構わないわ。……エルキュール、彼には個人的に尋ねたいこともあるもの」


 言葉を重ね、目的を擦り合わせる。

 ジェナは向こう側につき、エルキュールとは分断されてしまった。

 状況は極めて悪い。

 明らかに何かを隠そうとしている六霊守護もやはり信用が置けない。

 だが、グレンの傍にはまだロレッタがある。

 その堅氷のように強固で危うい少女が、今は何よりも心強かった。



◇◆◇



 古き時代から光の大精霊ルシエルが住まうと伝えられているアルクロット山脈。

 中でも最高峰のルミナス山は、東方では霊峰とも呼称され、その上層ともなれば白雪が振りそそぎ黒く荒々しい岩肌を染め上げるという。


 絵に描いたような神秘的な景色。

 ヌールに閉じこもっていた頃では考えられないが、エルキュールは今まさに、その霊峰を己の目で目撃していた。


 聖域から漏れ出ているという魔素の残留のせいか、今朝のルミナス山はまるで人跡未踏の秘境であるかのような雰囲気を成していたが。

 過酷な山道を苦にもせず、エルキュールのすぐ前ではヘクターが健脚を如何なく発揮していた。


 祭壇での出来事の後、エルキュールは自主的に彼らの手によって拘束されることを選んだ。

 魔人としての力を解放すればまだしも、ヒトとしての在り方を貫いたままあの場を切り抜けるのは厳しかった。

 ヘクターという男の実力はそれだけ侮りがたい。大陸有数の剣客であるオーウェンには劣るが、ロベールやヴォルフガングとは比肩するほどというのが、エルキュールの見立てであった。

 その判断は、結果として間違っていなかっただろう。こちらに背を見せてなお、全く油断を感じさせない佇まいには感じ入るばかりだ。


「――さて、到着だ」


 ヘクターの示した先。白に霞む視界の奥に、山の岩壁を割ったような洞穴が見えた。

 彼が言うには、エルキュールには暫くの間この洞窟の中に入り、その入口は出られないように六霊守護の結界で封じられるという。

 山道にあった結界とはまたとは強度も用途も異なる、囚人を閉じ込めるためだけに設えた牢獄。

 以前のようにジェナの助けも望めないため、裏技の擦り抜けも通用しないだろう。


 一度入れば、ほぼ自力での脱出は不可能。

 それでもエルキュールはこの道を選んだ。

 優先するべきは、この地の異常を解決すること。ゆえに統治者であるイルミライト家に逆らうことは得策ではない。

 それに屋敷にいるであろうグレンとロレッタにまだ望みがあるのなら、この扱いも吝かではなかった。


 下手を打って明確な敵対関係になってしまえば最後、それこそ絶望的な状況だろう。

 もちろんエヴリンやドウェイン、ヘクターらとの戦闘でエルキュール自身が消耗させられるだろうこともそうだが。

 何より問題なのは、ソレイユという共同体が歪に思えてしまった今、どれだけ自分が力を制御できるか不安で仕方なかった。


 外からの力で無理に自分の在り方を捻じ曲げられてしまう人を目の当たりにすることは。ともすれば、エルキュールにとっては魔物に苦しむ人間を見るのと同等に看過できないことだった。


「エルキュール・ラングレー」


 結界を挟んだヘクターの声。エヴリンによる魔法の障壁が作用しているのか、ややくぐもって聞こえる。

 エルキュールは自身の内に渦巻く怒気を悟られたのかと身を固くしたが、対するヘクターにそうした素振りは見られなかった。


「このまま暗闇に拘束するのも忍びないものでな。私から貴様に、ささやかな贈り物をさせてもらった」


「何を言っている……?」


「答えは洞窟の奥に。では、これにて失礼」


 不可解な言葉だけを残し、ヘクターの背が白靄の残る山景色へと消えていく。

 贈り物、答え。

 それは果たして、エルキュールにとって都合の良いものか、もしくは悪いものなのか。


「まったく、つくづく頭を悩ませてくれるな……」


 真実がどうあれ、今のこの状況でできることはほとんど限られている。

 エルキュールは覚悟を決めると、光魔法ライトで洞窟内を照らし、辺りの探索を開始した。


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