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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 第二十六話「失した光、見出した光」

「魔王ベルムント様――ディアマントなる魔人は確かにそのように口にしていたのか?」


 エルキュールの話を聞き終えたエヴリンが硬い表情で呟く。

 六霊守護という立場から見れば、この言葉の意味も自ずと分かったことであろう。


「事はアルギュロスだけに留まらない可能性があります。精霊が今の世にも存続していることも、そのために六霊守護という存在が成り立っていることも既に知っています」


「なんじゃと……? その情報は一般には知られてないはず……」


 ドウェインの細い瞳が見開かれ、左にいるジェナを捉えた。


「先に断っておきますが、この話を聞いたのはこちらにいるロレッタからです」


「……そうね。これでもミクシリア教会に務めるシスターなの」


「そうは見えねえだろうが、どうか信じてやってくれ。ブラッドフォードの名に懸けて誓うぜ?」


 ロレッタはエヴリンらに話を信じてもらおうとしているのか疑わしく、グレンもグレンで本当にそんな気があるのかは分からない。

 果たして彼らのその態度が信頼に足るのか、エルキュールには甚だ疑問だったが――。


「……虚言を弄しているようには見えぬな。若さ故か、まこと真率なる瞳よ」


「エヴリン、そなたが言うのなら」


 もしかすると、ミルドレッドと直接相対した彼女たちには何か思うところがあったのかもしれない。

 何にせよ、漂う空気が緩んだことに一抹の安心を感じたエルキュールだった。


「デュランダルの方々よ、主らにも引くに引けぬ事情があるとは相分かった。こちらの事情もある程度は透けてしまっているのなら、協力体制を敷く余地も十分にあるじゃろうな」


「それでは――」


「しかし、もう既に夜も更けている。魔物の勢力も無事に封じ込めている現状、詳しい対処法は明日に語らうとして……離れに部屋を用意した。お客人はそこで夜を明かすとよろしい」


 ドウェインが示した縁側の先には、いつの間にか案内役と思しき若い女性が立っていた。

 ジェナに似た白の礼服を着た、小柄で大人しい印象の娘。この家の家人か。恭しく、こちらに辞儀をくれる。


「もし食事が必要ならばこのチェルシーに言付けるように」


「そしてジェナ、そなたにはまだ話が残っている。用を終えるまで部屋に戻ることは許さん」


「……承知いたしました、おばあ様」


 エルキュールらに続こうとしたジェナは、エヴリンの制止を受けてその場に座りなおした。


「……」


 このままジェナと別れるのはどうも気が進まない。彼女の異常について尋ねたい気持ちは、今しがたの会話を経て益々膨れ上がっていた。

 しかしその一方、六霊守護という国際的な役目を担う彼女たちの問題に無断で立ち入ってもいいものか、という迷いもエルキュールは同時に持ち合わせていて。


 縋るように、グレンの方に視線を投げかけた。

 ジェナの様子を見るようエルキュールに頼んだのは他でもない彼だ。ならば少しくらい案を考えてもくれてもいいだろうと、そこはかとない圧を演出してみる。


 エルキュールの念が通じたのか、グレンは居心地悪そうに苦笑を浮かべつつ、無造作に頭を掻いた。


「ま、もう眠てえし、部屋に行こうぜ。チェルシーとかいったか、案内よろしくな」


「は、はいっ。それでは、ごごご案内させていただきますね!」


 まったく通じてはなかった。

 ぎこちない挙動を見せるチェルシーの後について、飄々と先を行ってしまう。


「……それじゃ」


 ロレッタも、言葉少なにそれに続いた。

 ここまで行動を共にしてきた仲であるのにあっけないものだなと、エルキュールは柄にもなく肩を竦めた。

 気が付けばその背にはエヴリンらの視線が刺さっていて、さっさと部屋に向かえと駆り立ててくる。


「あ……」


 最後に一瞬だけ後ろを振り向くと、こちらを見ているジェナの姿が。

 彼女は何を求めていたのか。

 何かを伝えようとしていたのか、それともエルキュールの言葉を欲していたのか。


 ヒトの持つしがらみに疎いエルキュールには、一つとして分からなかった。

 だから、結局は何も言えず。

 そのまま母屋を離れることにしたのだ。


 そして、ひょっとするとその躊躇こそが。

 彼の最大の過ちであったのかもしれない。



「なあ、チェルシーさんよ。案内されるついでにいくつか聞きてえことがあるんだが」


 寝殿の離れにあるという客人用の宿舎に向かう道すがら。

 グレンは案内を続ける家人の女性に何度か語りかけていた。

 どうやら人見知りしいである彼女は、最初こそ軽薄そうなグレンを警戒していた様子だったが――。


「……なな何でしょうか。グレン・ブラッドフォード様」


 グレンの熱心さ、もといしつこさが奏功したのか、ようやくまともに口を利くに至った。


「なに、ちょっとした雑談だ。あんたから見たジェナについて聞かせてくれないか? あいつ、恥ずかしがってあまり自分のこと語らねえんだよなぁ」


「えっと、姫様についてですか?」


 心なしか、チェルシーの緊張が緩んだように見える。

 グレンはここぞとばかりに続けた。


「一応、今のオレらはデュランダルからの任務で動く仲間なんだがよ、ここに来てからあいつの様子が芳しくねえのがどうも気になるんだ」


「より正確に言うなら、ソレイユ村との連絡が途絶えてからね。ジェナの様子が変なのは」


 ここに来てようやくエルキュールにも分かった。

 グレンもロレッタも、決してジェナの問題を軽視しているわけではなかったのだ。

 ただあの場でエヴリンらに反論するより、この見るからに内気そうな少女から情報を聞き出すほうが簡単なことだと考えたのだろう。


 良く言えば合理的、悪く言えば狡猾。

 その狙いに苦笑しながら、エルキュールも静かにチェルシーの言葉を窺った。


「……その、お二人がおっしゃられている意味が分からないのですが……もしかして皆様といた姫様は、今よりずっと明るい性格でいらしたということですか?」


「そうだ。あんな澄ました態度が似合わねえくらいにお転婆つうか、なんていうか伸び伸びとしてたモンだ」


「鬱陶しいほど明るくて、世話焼きだったわ。いまのお行儀のよさが気味悪いくらいね」


「そ、そんなことが……」


 そこまで意外なことなのか。

 今のぎこちない姿こそがジェナの本質であり、エルキュールらと共にいた頃の、あの純真で人好きのする性格は全て偽りだったとでもいうのか。


「どちらが本物の姫様……という話ではないのでしょうね」


「……? ならば、どちらも偽物ということだろうか」


「馬鹿、そうじゃねえだろエルキュール。どっちも同じだけ本物だってことだ」


 しかし。たとえそうであっても。

 エルキュールには自身を閉じ込めるようなあのやり方を本物だと認めるわけにはいかなかった。

 ましてや彼女はヒトであるというのに。魔人のように、存在するだけで排斥の対象となるわけでもないのに。

 どこに自分を偽る理由があるのだろう。

 エルキュールは、いま明確に苛立ちを感じていた。


「……これは内密な話なんですけど」


 声を潜めてチェルシーが続ける。


「姫様は本当なら今ごろ、六霊守護の後継者には選ばれなかったはずなんです。エヴリン様のお子様、アメリア様がお役目を継がれる予定でしたから」


 だが現実は異なる。ジェナはその役目を担うべく自身を律し、修行の旅というものを祖父母から言いつけられていた。

 しかし、そのエヴリンの子。アメリアというのは。


「女性の名前……そのアメリアという人がジェナの母親だというわけね」


「はい、その通りですロレッタ様。あの方とイルミライト家の入り婿であったウィルフリッド様との間に生まれましたのが姫様――当時の六霊守護継承権第二位となる御方でした」


 言われてみれば。

 イルミライトの血族のみが六霊守護の任を賜るというのなら、その継承権第一位であったアメリアは。

 なぜその権利を放棄したのか。あるいは、なぜ継承に至らなかったのだろうか。

 そこにこそ、あの少女の助けになる方法が隠されているように思った。

 随分とこの家の深い事情にまで関与してしまっているが、今さら遠慮をして歩みを止めるわけにもいかない。


「どうして、アメリアさんは六霊守護とならなかったのだろうか?」


 意を決して問いただす。

 チェルシーは、悲痛な面持ちで声を震わせた。


「……十三年前、ザート・ルシエルの月のことです。アメリア様夫妻が突如として行方を晦ませてしまったのは。それは何の予兆もなく、忽然に」


 家人である彼女も当時は幼く、その真相について全てを把握しているわけではないらしいが。

 それでもそこに滲む暗き思いは迫真だった。


 曰く。六霊守護であったエヴリンは、後継者であるアメリアとその夫の失踪に対し捜索することはなく、周りの者にもこの件に触れることを禁じたという。

 曰く。両親の不在に代わって、当時五歳であったジェナが新たに継承権第一位の座に就き、同時にソレイユ村の未来を一身に背負う崇高なる存在になったという。


 初等教育も未だ受けぬ無垢な少女は、こうして両親の代わりに祭り上げられることになった。


「……なんつうか。こう言っちゃあ悪いが随分と都合のいいように他人を扱うんだな」


 その口を慎んだ方がいいとは、今のエルキュールには言えなかった。

 一方的で勝手な感情だとは理解しているが。

 どうしても、他に方法がなかったものかと。甘い想像が膨らむのを抑えきれない。


「ソレイユは本来、小さく、弱い村です。山奥に鎮座するルシエル様の聖域を守るという尊いお役目がなければ、きっと安定した存続すら許されなかったでしょう」


 ふと、先ほどすれちがったあの村民の、ジェナに向けられたあの村民の尊敬の眼差しが。

 エルキュールは、やけに酷薄に感じられてしまった。


「……君はどう思ってるんだ?」


 だから、耐えきれずに尋ねてしまう。


「ジェナの今の扱いは。ジェナのあの在り方は。君の眼には正しいものだと映っているか?」


「そ、それは――」


 いつの日か。ジェナが見せた、あの純粋な知識欲。魔法という知識体系に対する深い敬愛と憧憬。語る彼女の口ぶりには、いつだって歓喜に溢れていた。


 しかし、あれが仮初の姿だとするなら。

 ジェナという少女、その一個人が持つべき情緒というのは。

 両親との別れの日を境に、心の奥底に打ち捨てられてしまったかのようだ。


 それを。それが許せなかった。

 エルキュールは認めたくなかった。その自由こそが、何より彼の欲するところだったからだ。


 願うように、見つめた先。チェルシーは長い沈黙の後に口を開いた。


「……わたしは。エルキュール様たちと共に行動されていた姫様を知りません。ですが。ですが今の姫様を見て何かに力にならねばと。そう思っていなければ、あなた方にこのような話をしてはおりません!」


「――そうか」


 怯えながらも確かに言い切った彼女にエルキュールは思った。

 この女性ならば信頼に値する、まさしく光明であると。


「今回の事件、本来わたしなどが口出しできる領分でないのは分かっていますが……ここだけの話、エヴリン様たちは何かを隠しているような気がしてならないのです」


「隠しているって、一体何をかしら?」


「そ、それは、明確には言えませんけれど。ただ、このような緊急時になったというのに瀬戸際まで外部の人間を頼ろうとしなかったのは、わたしには理解できなくて」


 どうやら、ミルドレッド率いる魔物の群れとの先頭の余波で流失した魔素の量は、長いソレイユの歴史でも稀であるらしい。

 エルキュールらはまだしも、孫のジェナまで遠ざけるあの態度には、確かに疑問の余地があった。


 結果として、チェルシーの話は今後の任務を遂行する上で大いに役立つものだった。

 エルキュールが礼を言うと、彼女ははにかみながらもふと面を上げて。


「――と、話していたら着きましたね。けっこう広いお屋敷なのですけど」


 離れの屋敷、その角に並んだ空き室を指さした。

 中は畳張りの床になっていて、敷布団という寝具を畳の上に敷いて休むという話だ。

 エルキュールにはあまり関係はないが、王国では珍しいその様式には素直に感心した。


「では、定刻になりましたらお部屋の方に伺いますので。それまでどうぞ、ごゆるりとお寛ぎくださいませ」


 案内を終えたチェルシーはすっかり慣れた調子で、優雅に一礼してから離れの奥の方へと消えていった。

 どうやら、この家の使用人も同じ屋敷内に泊まっているようだ。


「さて、と。ようやく野宿せずにまともな寝床にありつけるってわけだ。お前らもしっかり休んどけよー」


「言われなくてもそうするわ。明日の話次第では、戦いが続く展開もあり得るのだし」


 夜の挨拶を交わしつつ、グレン、ロレッタがそれぞれの宛がわれた部屋へ。

 エルキュールも余った角部屋に入ると、中の調度品などをしげしげと見つめながら、適当に畳の上に腰を下ろした。


「へえ……木目や大理石の床より好みかもしれないな」


 意外に触れ心地が良い。

 藁といぐさで編まれたこの敷物は、オルレーヌから東のスパニオが発祥であると、むかし読んだ書籍にあったが。

 何事も経験に勝るものはないのかもしれない。


「……それだけ遠くに来たということなのだろうな」


 と、同時に。慣れない文化の感触が、その事実を重く伝える。

 そして、長きに亘ったこの旅の目的も。


 聖域が原因となった魔素異常。あまり協力的でない六霊守護の面々。ジェナの不調。ミルドレッドをはじめとする魔物の存在。


 ヌール、ミクシリアと続き、やはりここソレイユでの活動も。

 解決に苦労を要することはもはや必然と言ってもいいだろう。


「……そして早速。その機会は訪れたというわけだ」


 廊下から、静かに忍び寄る気配。

 息を殺した。

 それは扉の前で足を止めた。

 恐らくグレンやロレッタ、チェルシーなどの家人ではない。

 手練れの予感だった。


「面倒だな」


 しかし、眠りを知らないエルキュールにとっては。

 夜は忙しいほうがいい。その方が無駄な自己嫌悪から逃れられるのだから。


 部屋の向こうに立つ何者かに、そこだけ。

 そこだけエルキュールは感謝の念を抱いた。


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