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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 第二十五話「聖域の侵入者」

 四方を外壁に囲われたその屋敷はソレイユで最も大きい敷地を有し、最も標高の高い位置に建っていた。

 オルレーヌにしては珍しい木造建築が、庭園を囲むように並べられている。

 池の上に架けられた橋を渡り寝殿と呼ばれる建物が見えてくると、その威容はいよいよ凄まじいもので。

 大陸に六つしかない六霊守護の家系、その崇高さを余すところなく発揮していた。


「さて……案内はここまで結構です、ヘクター。おばあ様たちには私と彼らだけで挨拶いたしますので。あなたは兵を引き上げて待機していてください」


 そしてその宮殿に負けず劣らずの高貴さを放っているのが、人が変わったかのように淑やかな振る舞いを見せるジェナであった。

 可憐で華奢な体躯をものともしない力強い言葉。

 エルキュールらは大して口を挟めずにいる中、このヘクターという男は厳しくこちらを見定めていた。


「お言葉ですが、姫様。我らソレイユ戦士団の役割は、この村とイルミライトを守ることにあるのです。非常事態である今、この不穏分子どもの動きに警戒するのは当然――」


「訂正を。彼らは私が旅先で得た友人であり、現在はデュランダルの任を負っている者たちです。その過ぎた言葉が傷つけるのはあなた自身だけでは済みませんよ?」


「……デュランダル。まさかこの場で、その神聖な名を耳にすることになるとは」


 ヘクターは一頻り考え込むと、振り向きざまに後方で控えていた兵たちに合図を送った。

 それに伴い、長槍を構えた戦士たちが統率のとれた動きで散っていく。


「先の非礼を詫びよう、お客人方。ここから先は姫様の案内のもと進まれるとよろしい」


 エルキュールはここで初めて、じっくりとヘクターの顔を認めた。

 精悍な顔つき。ターバンに隠れている額からは古傷が覗いている。

 どうやら、己が職務に従順で芯の通った男であるらしい。


「分かりました。こちらこそ、内情が険悪なところにお邪魔してしまい申し訳ないです」


 こちらの真摯さに気を許したか、融和のしるしにヘクターが握手を求めてきた。

 エルキュールは応じるか迷ったが、手袋をしっかりと身につけていることを確認してからその手を取った。

 あまり慣れないことをしたので怪しまれないかと不安であったが、幸いヘクターはそれきり何も言わずに去っていったのだった。


「ふぃー、やっと肩の荷がおりた気分だぜ」


「あら、そう? 丁寧なおもてなしを見せられて私は感心していたくらいだわ」


 何故だろうか。言葉の内容は対極であるのに、エルキュールにはそれがどちらも同じ意味を持っているように思えた。

 これも人付き合いを積み重ねた経験の賜物か。

 エルキュールは差し出していた右手を外套の内に隠しつつ息を吐いた。


「……やはり、この場所は落ち着かないな」


 これまでソレイユを見てきた上での、率直な感想。

 異分子として扱われたことに対してではない。そんな当然の処遇よりも遥かに、エルキュールの背には看過しがたい問題が圧し掛かっていた。


 誰にも言えないでいたことだが、山道の結界をくぐってから暫く、エルキュールの身体は異常な倦怠感に包まれていた。

 状態としてはヌールにいた時の、身体の魔素が欠乏していた時に近いだろうか。

 活動を維持するために必要な力が、何かしらの制限を受けているかのような圧迫感。

 それが問題の一つ。


 もう一つは言うまでもなくジェナの態度だった。いまはヘクターたちの目がないからか少し落ち着いているようだが、どうやらこの村にいると彼女は気を張りすぎる傾向にあるらしい。


 そのうえ。これから当代の六霊守護から聞かされるであろう話の如何によってはジェナの、そしてエルキュールたちの心労はさらに重く積み重なるだろう。


 この先には間違いなくエルキュールが望む答えがあるはずなのに。宿敵であるアマルティアに関する手がかりが残されている可能性があるというのに。

 進んでしまえば何かが確実に変わってしまうという予感が、珍しくエルキュールに恐怖を植え付けていた。


「なにをぼうっと突っ立っているの、エルキュール。ジェナたちはもう歩き出しているのだけど?」


 不意を突かれた。

 意識が散漫していたのだから当然。

 故に特段おかしいことではないはずだったが、相手の少女のやけに冷たく聞こえたその声は、エルキュールの意識を嫌に刺激するもので。


「あ、ああ……ロレッタか。悪い、俺たちも先を急ごう」


 動揺を隠せなかったエルキュールは、彼女と目も合わせずに寝殿への道を急いだ。




 寝殿は変わった構造をしていた。

 というのも、内部にある各部屋から廂に覆われた廊下、その外にある簀子敷と呼ばれる縁側を含め、すべて外と連続した空間になっていたのだ。

 ヌールやミクシリア、あるいはソレイユの他の住宅でも。このような建築様式はかつて目にしたことがなかった。

 異質な空間。もしこれが六霊守護の崇高さを際立たせるための仕掛けだったとしたら、さぞ効果的なことであろう。


「で? この変わった建物の主である方々は、一体いつやってくるんだ? ここで待ってろとは言うが、山の夜は冷えるってのに部屋の中にも入れてくれねえのは如何なもんだと思うぜ?」


「確かに貴族の坊ちゃんにとっては厳しい状況でしょう。ふふ、甚だ哀れね」


「……お前なぁ」


「よそう、二人とも。少ししたら顔を出すとジェナは言っていた。それより下手に騒いで悪目立ちするのは得策ではない」


「お前もお前で相変わらず余裕綽々だな。ったく、ちっとは寒がれよ。オレが軟弱な野郎みてえじゃねえか」


「それは……寒さに関してだけで言えば、君はまさしく軟弱な野郎なのでは?」


 魔人であるエルキュールは寒さを感じない。

 つまりこの話題を続けるだけ彼にとっては不利になる。

 あしらうように話題を終わらせ、やがて静かに待ち人を迎えていると。


「お待たせしました」


 席を外していたジェナが母屋からエルキュールらのいる縁側にまでやってきた。


「へえ、その格好もなかなか似合ってるもんだな」


「姫様、と呼ばれるのも納得かしら」


 いつもの彼女の装いは影もなく。帯状の黄金の肩掛けがよく映えた、神秘的な白の長服へと衣替えをしていた。

 ついでに後ろをハーフアップにしていた髪型は、後頭部の部分で一本に結わえられていて。

 あれは料理中のアヤがよくしていた髪型、確かポニーテールだったなと、エルキュールはジェナの変貌を前に益体もないことを考えていた。


 彼女はそのまま縁側に並んで座っていたエルキュールたちの前を通り過ぎていく。

 右端のグレン、ロレッタと続き、エルキュールの隣まで行くと、左端にて腰を下した。

 その際、ジェナから如何にも何か言いたげな視線を感じていたエルキュールだったが。

 相変わらず硬い態度のジェナに、なんと言葉をかけてやればいいのか分からなかった。

 曖昧に気遣うような視線だけを投げてお茶を濁す。

 だがたとえそれしきのことだけでも。一瞬、ジェナは満足げに頬を緩めているようにも見えた。


 果たしてそれはエルキュールの都合のいい妄想か。確かめる間はなかった。

 縁側からは暗がりとなっている母屋の奥。鎮座されている二つの席に、いつの間にか人が腰掛けていたのだ。


「――今宵は久々のお客人じゃのぉ、ドウェイン」


「ええ、全くその通りですな、エヴリン。まこと珍しきことじゃ」


 嗄れた声、されど覇気に満ち満ちて。

 刹那にして場の空気が緊迫する。

 あの老夫婦こそジェナの祖父母にして当代の六霊守護であると、言われずとも理解できた。


 色の落ちた金髪のエヴリンと、くすんだ銀髪のドウェイン。

 対照的な印象を与えるが、一方で服装はどちらもジェナと同じ六霊守護の祭服を纏っていた。

 神出鬼没な登場に心を乱されながらも、エルキュールが落ち着いて彼女たちの観察を続けていると――。


「……ふ」


 不意に。同じくこちらを見渡していたジェナの祖母、エヴリンと視線が交わる。

 その瞬間に向けられた笑みに凄絶なものを感じ取ったエルキュールは、すぐさま視線を逸らした。


「実に面白い面々じゃ。彼の名高きブラッドフォードの子息をはじめ、非凡な才能を持った若者が三人も訪ねて来ようとはの」


「さて……既に存じているじゃろうが、自己紹介でもしておこうか。儂は六霊守護補佐のドウェイン・イルミライト。そして隣に居るのが当代六霊守護のエヴリン・イルミライトである」


「この辺境まで、さぞや険しい道中であったじゃろう。歓迎するぞ、旅の御三方よ」


 まるで筋書きがあるかのように。二人替わりの話しぶりは実に流暢だった。

 その眼光は衰えを知らず鋭いが、物腰は柔らかなのは安心できる。

 エルキュールは緊張を解いた。そして挨拶に応じようとしたところで、気づく。


「……っ」


 左から漏れる微かな怒気。息を呑む少女の姿。

 どうやらこの会合、一筋縄でいかないようであった。


「ジェナ。何じゃ、その目は。まさかこのエヴリンが素直にそなたの帰還を喜ぶとでも? 課した役目は一体どうした?」


「お役目は忘れておりません。しかしアルクロットとの連絡が途絶えたとなれば、私とて黙ってはいられませんので」


「そなたが心配する必要はないと言っておるのじゃ。未熟者に気にかけてもらうほど、余もドウェインも耄碌してはおらんわ」


「っ、またおばあ様はそうやって――!」


「口を慎みなさい、ジェナ。お客人の目の前で醜態を晒すなど、ソレイユの姫にはあってはならぬことだぞ?」


「おじい様……」


 今にしてようやく。エルキュールは全てを理解できた。

 アルクロットに来るまでの、どこか怖気づいたようなジェナの態度も。ソレイユに来てからの張り詰めた振る舞いも。

 そして、祖父母との間にある確執についても。


「ふむ、せっかくデュランダルの者らが訪ねてきたのじゃ。いつまでも内輪揉めをするのも無粋だろう。して、主らは――」


 先の諍いについての追及は許されない様子。

 不承不承ながら、エルキュールはグレンらも含めて名乗りとここまでやってきた用件について話した。


「山脈を覆っている魔素は、今となっては山麓付近にあるサノワの街にまで影響を及ぼしています。ジェナの見解では聖域アルギュロス内の魔素が関わっているそうですが……?」


「ほう? 主、名をエルキュールといったか。つまり主は、ルシエル様に仕える我が身に、此度の件の責任があると言いたいのかえ?」


「誰の責任かはさておき。ここで重大な事が起こっているのは確かでしょう。ですから俺はデュランダル特別捜査隊として、ジェナたちの助けを借りてやってきました」


「途中にあった山腹の結界も事件性を裏付ける証拠だ。あれは何かを封じるためにあんたらが敷いたモンだろ?」


「ほほ……なるほど。良い考察だが、ブラッドフォードの御仁。そなたの魔素感覚は常人よりも鈍感じゃと見受けられる。どこかの誰からからの受け売りならば、もう少し謙虚に発言したほうがよろしいぞ」


「……ったく。そっちの婆さんもあんたも。とことん食えねえな」


 そこはかとなくジェナを庇う素振りを見せる二人にも、エヴリンらは決して譲らなかった。

 仕方なく、主導権を明け渡す。

 それを見計らってからエヴリンが咳払いを一つ。ついで滔々と語り始めた。


「あれはミクシリアの件が終息して幾日経った頃か……我が領地を見通す千里眼に邪な影が現れたのだ」


 千里眼とは。ドウェイン曰くエヴリンが操る光魔法ビジョンのことだが、その効力は他の魔術師とは比べ物にならないほど強力であるらしい。

 その感知の網はオルレーヌ国内はもちろん、国外ですら見渡せるほどだという。

 エヴリンはこの千里眼を通じて王都での事件の顛末を、そしてグレンとディアマントの因縁の始まりとなったロカ・オーロの一件についても把握していたのだそうだ。


「先に断っておくが。あの件は同じ六霊守護として余も心を痛めていたこと。ここを守護せねばならなかったゆえ助けにも行けなかったのじゃ」


「へいへい、分かってるって。流石にオレもここであんたを責めるつもりはねえ。あの事件での被害は、必ずオレ自身が全てケリをつけるって決めてるからな」


 少しだけ、エルキュールはグレンの口ぶりに違和感を覚えた。

 当のディアマントは既に消滅し、精霊の遺物であるシャルーアは既に王国騎士団の監視下。

 他に憂うことなど、そう思っていたが。やがて思考はエヴリンの説明に流された。


「話を影に戻そう。それは、アルクロット山脈の頂上付近に突如として現れた。転移魔法と思しきその出現方法と、件の者が持つ邪悪な気配から、余はこれを魔人であるとし、先んじて攻撃を仕掛けることにしたのじゃ」


 魔人。

 もはや条件反射のようにエルキュールの胸のコアは蠢いた。


「随分と過激なご老人なのね。まあそれはそれとして、結局その魔人はどうなったのかしら? そいつが今回の件の元凶なのだとお見受けするけど?」


「ふん、減らず口を。赤毛と言い、少しは黒衣の彼を見習ってほしいところよの」


「じゃがその聡明さと胆力は若いながら目を見張るものがあるな、氷雪の令嬢よ」


「どうも。そして、その魔人は? そもそも本当に魔人だったの?」


 なおも意に介さず、ロレッタ。

 その冷たさのどこが琴線に触れたのか、エヴリンは不敵な笑みを浮かべて。


「ああ。確かに魔人じゃったよ。そやつは。アマルティア幹部のミルドレッドはやがてこのソレイユの地にまで足を踏み入れ、ドウェイン率いるソレイユ戦士団と相まみえることに成った」


「――え?」


 まるでその言葉でロレッタの威勢を削ぐことが叶うと初めからわかっていたかのように、エヴリンは鷹揚な調子で続けた。


「じゃがあと一歩まで彼女を追い詰めたところで聖域アルギュロスを封じている結界が異常をきたした。恐らくミルドレッドの手先の魔獣による仕業だ。結果として外に溢れた魔素へ対処している内に彼女を逃すことにはなったが、急ごしらえの山道の結界には未だ主たち以外は引っかかってはおらぬ」


「要するに。多少の魔素は外部に漏出したものの、肝心の魔物はこの地に捕らわれておる。あとは見つけ次第、儂らが擁する戦力を以て適宜対応するのみじゃ」


 ゆえにエルキュールたちの出る幕はない。そう言いたいのだろう。エヴリンらの超然たる眼差し。

 ここまでの応対を考えれば、その主張は簡単に透けて見えた。

 しかし。エルキュールは断固としてその主張を飲むわけにはいかなかった。

 ここにあのミルドレッドがいる。

 優れた魔素感覚と暴力的な風魔法には散々苦しめられたものだが、今はその単純な戦闘力以上に警戒せざるを得ない点がある。


「アマルティアが精霊の地に踏み入った……あなたにはその意味を正しく理解できているのでしょうか?」


「彼奴らは遺物を奪取し、それを戦力として活用している……そうではないのか?」


 やはりだ。

 いくら千里眼の持ち主といえど、外部とが隔絶されたこの村においては完璧に情報を得ることは難しい様子。

 ディアマントの最期の言葉から得た仮説。エルキュールは満を持して、そのカードを切った。


「アマルティアが狙っているのは単なる闘争ではありません。どういうわけか精霊に纏わるものを求めている……かつてアートルムダールに封印された六大精霊の一柱、闇のベルムントを彼らの救世主として迎えるために」


 母屋に控える六霊守護、その瞳に興味の色が浮かぶ。

 頑なな彼女たちを切り崩すにはこれが絶好の機会だと、エルキュールは慎重に言葉を紡ぎ始めた。



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