二章 挿話①~ジェナ~「特別授業と在りし日の思い出」
一章第十七話「閑静な夜会」から第十八話「王都入り」の間の出来事を描いたサイドストーリーです。
初めて彼の魔法を見たとき。
それはまるで、精霊様の啓示を受けたときのように衝撃的で、何を置いても惹かれざるを得ないほどに運命的だった。
闇魔法。
おばあ様たちに呆れられるほど求めてきた力。それでも何としても手に入れなくてはいけない力。
ようやく目の前に現れた希望に縋りつくほかなくて。
あの戦いを終えて彼と落ち着いて話せる頃を見計らうと、胸に覚えた確かな嫉妬をどうにか抑えて懇願した。
「お願い! やっと掴みかけた希望なの! 私には、あなたが必要なの!」
言っているこっちが恥ずかしくなるくらいの熱に、黒衣の彼はとくべつ表情も変えずにこう返した。
「その頼み、受け入れることは構わない。だが、二つ。俺からの条件を呑んでほしい」
彼が言い終わらないうちに頷いていたと思う。
それだけ切羽詰まっている状況だったし、彼にはこれより前に随分と助けられていたから。
対価が何であれ、用意する覚悟があった。
あ、だけど。
もしこのとき彼に男女としての交際なんてのを求められていたら、かなり不味かったかもしれない。
彼の性格とか容姿とかには別に、まあ問題はないけれど。
イルミライト家に、六霊守護の一族に属する者として、そういった相手には当代の認可が必要なわけで。
流石に闇魔法の技術と引き換えにそういう関係になりました、などという話がおばあ様たちに通じるはずがない。
そういうわけで、正直あの時は内心どぎまぎしていて。
やはり希望は手に入らないのかとも怯んでいた。
しかし彼の言った条件というのは。そんな俗っぽい想像をしていたのが申し訳なるくらいに真剣で、それでいて悲壮で。
だから、だからこそ私は――。
「……ふむ。また心ここにあらずといった様子だな、ジェナ?」
「ふえっ!?」
これは追憶の中の声じゃない。
慌てて意識を現実に引き戻すと、彼がこちらを窺っているのが分かる。
相変わらず、綺麗な琥珀色の瞳。純粋に気遣っているのがはっきりと見て取れ、気まずくなって視線を逸らした。
まったく、何をしているのだろうか。
「そういえば、もう夜も更けている頃だな。話に夢中で気づかなったが、もしかして眠気で辛いのだろうか? もしそうなら、今日はこの辺りで止めても構わないが」
「ああ、待って、違うのっ! まだそこまで眠いわけじゃないよ、ただ、ね……」
「ただ?」
少し、ほんの少しだけ目を見開いて。
決してこちらの非を責めはしない、穏やかな問い。
ああ、そんなところもやっぱり似ている。
「昔にもこんなことがあったなぁって考えてたら、つい意識が逸れちゃってたの。せっかく闇魔法について教えてくれてたのに……ごめんね」
遠い日の記憶。わたしのためだけに開かれた特別授業。お母さんとお父さんの笑顔。
際限なく教えを乞うわたしがやがて力尽きて眠るまで、両親は奥深くて素敵な魔法の世界について語ってくれたものだ。
「――そうだ、知っているかいジェナ。ほとんどの人間は、六属性の魔素のうち一つには適性があるものなんだが……他の五つに対して一つだけ、極端に適性者が少ない属性があるんだ。それは六つのうちどの属性だと思う?」
「えー、わたしわかんない。ねえ、おしえておとうさん?」
「ふふ、答えは闇魔法だよ。それだけ何故だか極端に使い手に恵まれないんだ。不思議だよね? 僕としては、かつて精霊大戦で敗れたベルムントが司る魔素が、後代の者たちに疎まれ排除された結果なのだと思っているんだけどね?」
婿としてイルミライトに迎えられたお父さんは、元々は魔法の起源や発達を研究する学者だった。
よく魔法に纏わる面白い歴史や雑学を披露してくれたけど、まだ子供だったわたしには半分も理解できなかったのを覚えている。
「ほら、あなた。歴史のお勉強はまだこの子には早いでしょう? ねえ、それよりジェナ? 明日はお母さんが魔法の稽古をつけてあげましょうか?」
膝に座らせたわたしに、お母さんはいつも優しく語りかけてくれていた。六霊守護の後継として沢山の修行をこなしてきた彼女は、とても優秀な魔術師だった。
「むむ、いいのかい? アメリア。明日はエヴリン様に呼ばれていたはずだろう? ジェナの子守は僕に任せておくれよ」
「まあ。あなたこそ明日は父様にソレイユ村の兵たちを教育するよう頼まれていたのではなくて? 幸い、母様の用はそれほど難しくはない。ならばここは私に任せるのがよいでしょう?」
「……うーむ」
「……あらあら」
お母さんとお父さんはよくわたしを挟んで言い合いをして、わたしはその時間が堪らなく好きだった。
まるでわたしたち三人が一体になっているようで、幸せだったんだ。
「ふたりともケンカしないでっ! わたし、ひるまはひとりでおべんきょうしてるから。またよるになったら、そのときはおかあさんもおとうさんもいっしょにトクベツジュギョーしようね!」
魔法の技術に長けたお母さんも。
魔法の知識に明るいお父さんも。
わたしにとっては等しく憧れで、尊敬するべき人だった。
「ははは、流石はジェナだ。アメリアの柔和な部分をよく引き継いでいるね」
「それを言うのなら、あなたの聡明な性格も立派に受け継がれているわ、ウィル」
そうしていつも最後には三人で笑い合う。
お父さんとお母さんがいてくれれば、わたしは大丈夫だって思えた瞬間だった。
もちろん、わたしだけではない。イルミライトにとっても、ソレイユにとってもそれは同様で。
この二人が力を合わせさえすれば、この辺境の地の繁栄を保つことも、精霊様の住む聖域を守ることも可能だと。
そしてゆくゆくはわたしもそこに並び立ちたいと、心からそう思えたんだ。
それなのに――。
「――!?」
二度目の覚醒は独りでに。
思い浮かべたくもない事実が、妄想の先に行くことを拒んだ。
私は再び集中を欠いていたことを反省し、向かいに座っている彼に意識を戻した。
けれど。
「え、いない……? どうして……」
忽然と姿を消していた彼には当然驚かされたけど。
それ以上に驚いたのが、彼の消失に対して予想外に狼狽えている自分自身がいることだった。
だって。
ああ、いやだ。
これじゃあ、まるで。あの二人のよう。
「っ……エル君!? どこ? どこに行ったの……!?」
あの日の残影を追いかけるように、勢いよく立ち上がって。
座っていた丸椅子が転がっていくのにも目をくれず、急いで彼の部屋を確認する。
机。さっきまで使っていた魔法書が置かれている。
壁。ランプや窓、棚には何も異常はない。
では、どこに。
ぐるりと顔を回して、真後ろにあった入口の方に目を向けたとき。
「……ジェナ?」
「あ――」
求めていた彼の姿が、そこにはあった。
両手には木製のトレーの上に乗せられたティーセット。
それでようやく、私も事態が飲み込めた。
「大きな声がしていたが、何か問題でもあったのか?」
「あ、いや、えっと……その……」
あなたが急に目の前から消えて動揺した、などと本心を告げるのは酷く躊躇われて。
恥ずかしさから曖昧な言葉しか吐き出せなかった。
不審な私の様子に彼は不思議そうに目を丸めていたけど、すぐに気を取り直して元居た席に腰を下した。
彼方に転がってしまった丸椅子も、ついでに拾ってくれていた。
「下のキッチンを借りるから少し席を外すと言っておいたのだが……その様子だと聞こえていなかったみたいだな」
「キッチン……ああ、この宿屋の……。そっか、勝手に居なくなったわけじゃなかったんだね……」
心底ほっとした。
だけど尋常じゃない取り乱し様を見せてしまったせいか、次第に頬が熱くなっていくのを感じる。
「でも、さ。どうして私が気づくまで声かけてくれなかったのかな。私からしたら、勝手に出て行かれたも同然だし。配慮が足りないんじゃないかと思うけどね?」
ほんとは分かっている、彼は悪くない。
これは照れ隠しだ。
こうでもしないと、まともに彼の顔を見ていられなかったから。
「……そうだったな、すまない。言葉を伝えることに躊躇らってしまうのは俺の悪い癖だ」
ああ、そんなに気を落とさないで。
真面目なあなたを利用しているだけの、このずるい女のために。そんな顔をする必要はないのに。
すかさず謝ろうとしたけど、彼が注いだティーカップを私に差し出すほうがわずかに早かった。
「お詫びというわけではないが、お茶を一杯いかがだろうか。エスピリト霊国産のハーブティーだ。過敏になった精神を落ち着けてくれるだろう」
「……もしかして、私のために?」
「ああ。ただ休憩するよりも効果的だと思って淹れた。苦手だったのなら申し訳ない」
「苦手じゃないけど。エル君が自分で淹れたの?」
「……この前の夜では無様な真似を見せたが、流石に俺もそこまで不器用ではない」
「あはは、ごめんね? そうじゃなくて、ただ意外だなって――」
お茶を嗜む趣味を持っていたこともそうだけど、何よりここまで純粋に気遣ってくれるとは思いもしなかった。
それだけ私は、彼のことを冷たい人間だと見做していたのだろう。
家族と一緒に平和に暮らす、その目的を果たすためなら全てを割り切ってしまえる。そんな人間だと。
そしてそんな彼に対し、親近感と忌避感が入り混じった歪な想いを抱いていたことを深く反省する。
もっと彼の人となりを色眼鏡なしに見てみるべきだった。
私たちが初めて出会ったあの夜にも感じたことだけど。
彼の本質は、厳しい現実主義者じゃない。どこまでも理想を求める利他主義者だ。
甘い望みと分かっていながらも、手を伸ばすことを諦めきれない。
おばあ様たちとは違う、むしろ私に近しい存在。
「……そこまで笑わなくてもよくないか?」
心なしか彼の口調が柔らかい気がした。
というより、笑ってる。彼がここまで穏やかに笑っているのはとても珍しい。
ふと、胸に熱が生じた。
なんだか恥ずかしい。これまで彼に対して感じてきた諸々が透けてしまうのを恐れて、なみなみ注がれたカップに口をつけて誤魔化す。
「温かい、ね」
「……? お湯で淹れているのだから当然だろう」
「ふふ、そうじゃないよ」
思えば、人と過ごす時間でこれだけ安心したのはいつぶりだったか。
懐かしさを感じる。もう手に入らないのだと不貞腐れていた、あの懐かしさを。
「こんな風に誰かと魔法を語れる瞬間がね、本当に久々で、それがとびきり嬉しいの」
されどそれは、形を変えて、いま確かにここに存在していた。
あの特別授業の日々で感じた、一切の尊いきらめきが。




