二章 第二十話「白ばむ夜の戦い」
夜が近づくセレの月・20日。
ミクシリアとアルクロット山脈の中間に位置しているサノワの街は、かつてない混乱に見舞われていた。
「なんで急に魔獣が……? それに、この白い靄は……」
「おい、手を止めてる隙はねえぞ! この魔獣ども、倒しても倒しても次が湧きやがる!」
騎士衆の怒号が飛び交う中、住民が一斉に屋内に非難する中。
「ギャァァァッ――!」
突如湧き出た靄に乗じるかのように、狼型の群れが外門を次々と突破し、人の領域に踏み入っていた。
門番を務めていた騎士は視界が悪い状況で不意を突かれ敢え無く昏倒。止めどない流れは徐々に街の中枢へと至ろうとしていた。
「おい、増援は?」
最前線に立つ隊長格の男が叫ぶ。大柄な体躯で身長に匹敵するほどの大剣を振るい、部下へと指示を飛ばしていた。
「セルジュ隊長、それは無理であります! 魔動通信機の不調で連絡がつかないことを差し引いても、ミクシリアは先日の襲撃で弱体化しています。そしてアルクロット山脈方面はなおのこと……!」
「ええい、どいつもこいつも使えん連中だっ! 常々この国の魔獣に対する危機感は低いと感じていたが、そのツケを払うのはいつだって俺たち雑兵なのが救えん! ここを凌いだ暁には必ずや上に進言しなくてはっ!」
「隊長、凌ぐと申されましても、ここにいる人員ではこれだけの魔獣に対処するのは不可能であります!」
「黙れぃ! 凌ぐったら凌ぐのだ! ピエール、お前は古来から受け継がれている王国騎士の精神を忘れたのかっ!」
副官に檄を飛ばすとともに大剣を横薙ぎ、セルジュは迫りくる狼型を切り伏せた。
とはいえ二体を葬ったとしても、次の三体が直ちに湧いて出る。魔獣の流れはとどまるところを知らなかった。
背中を預けているピエールも、散開して魔獣を迎撃している他の騎士も、疲労の色が色濃く表れていて。
「これ以上の戦闘は無茶です! 直ちにサノワの街を放棄し、住民諸共ここから逃げるほうがまだ可能性が――」
「可能性だなんだをお前ごときが勘定するな、たわけ! いいか、俺たち騎士は駒だ! 魔物に抗する道具なのだ! 故にサノワの街と人を守り抜くという任務は命に代えても果たさねばならんっ!」
「あなたは石頭がすぎる! 意固地に抗っても行く先は全滅だとどうして分からないっ!」
魔法による迎撃で魔獣を怯ませつつピエール。染みついた丁寧な言葉遣いを直す余裕もない。
「お前ごときがと言ったであろうが! この逼迫した状況で戦線を離脱し住民に避難を促す余裕などもはや残されてはいない。そして視界を妨げる靄が晴れるかも、増援が到着するかも定かではない今……氾濫を防ぐための堤が何よりも重要なのだ!」
決して思考停止の膠着ではない、未来に繋ぐための抗戦。
セルジュはその旨を周りの騎士にも聞こえるよう高らかに告げると、如才なく魔獣と相対した。
「迷うな、信じろ! 生きたければ、救いたければ、不安を噛み殺して刃を振るえっ!」
裂帛の気合でセルジュが魔獣を切り伏せる。
しかし、現実は斯くも無情なものかな。数的有利は覆ることはなく、やがて魔獣は彼の周りを取り囲んでしまう。靄で薄らいだ視界の中、家屋の陰に潜んでいた魔獣に誰も気づくことができなかったのだ。
「隊長……?」
長いあいだ戦っていたとはいえ、獣とは思えぬ奇襲めいた行動に騎士達も面食らったように固くなる。
その瞬間。
「ガアアァ――!」
チームが分断され生じた不安を見逃さず、魔獣はその猟奇的な顎門を開いた。自らの本能のために。
「くっ……」
自由のきかない視界、魔獣に間合いを詰められながら。ピエールは一瞬、上官の判断を疑いそうになったが。
「信じなければ全ての可能性は潰える! 各員、迎撃態勢を続けろ! ここが分水嶺だ!」
魔獣の身体に遮られて見えぬセルジュに代わり、騎士衆へと伝令を飛ばす。
こうして囲まれた以上、もはや賽は投げられた。各々はそれを自覚し、渾身の雄叫びを上げて魔獣へと立ち向かう意を固めた。
と、それに呼応するかのように。
「はっ、その熱血……嫌いじゃねえぜ!」
「騎士のみなしゃん、伏せてください!」
上空から、影。
「なに……?」
白い靄に映し出された大鳥の輪郭に、セルジュを含めた騎士隊全員が驚いた。
「ナタリア、オレに合わせろ!」
「よかですよ――ストームスラスト!」
それは空中から舞い降りるうちに人の姿に形を変えると、もう一人いた人影とともに騎士を囲む魔獣に魔法による熱風を叩き込んだ。
「ギギャ?」
火と風の合わせ技、上空からの奇襲は、魔獣の群れのいくつかを灰も残さず焼き尽くし、その気勢はみるみるうちに削がれた。
そしてその間、二つの人影は地に降り立つと、騎士隊もまた崩れてしまっていた陣形を再び整えた。
「お前たちは……」
「ウチはオルレーヌ王国騎士団、特別補佐官のナタリア・フローレスです。そしてこっちの赤いツンツンがグレン・ブラッドフォード。アルクロット山脈に向かう任務の途中、ここの異常を見つけて援軍に駆け付けました!」
「団長お抱えの亜人騎士に、あのブラッドフォードの問題児が何故……?」
口の中で呟くセルジュ。援軍というあまりの僥倖と、それでも脳裏を掠める疑問に思考を奪われる。
しかし直ぐに今は話し合いの時間ではないことを悟ると、委縮した様子の魔獣どもに向き直った。
「……助太刀、感謝する。ここの魔獣は俺たちサノワ隊で対処しよう、お前たちは魔獣の侵入経路をどうにかして塞いでくれっ!」
「ああ、任せとけ、おっさん!」
その憎たらしい男の言葉に不敵な笑みを返すと、セルジュは後ろを振り返らず部下に告げる。
「――これが諦めなかったからこそ掴めた転機だ。サノワ隊の誇りに懸け、必ずや乗り越えるぞ!」
「了解であります!」
静謐な夜を覆い隠す白き靄を跳ねのけるように。騎士たちの掛け声が辺りに響き渡った。
◇◆◇
同時刻、サノワの街の反対側にて。
「――魔獣の全滅を確認。だが靄のせいか、少し闇魔法の調子も悪いようだ……」
街路から外門前に至るまでの魔獣を悉く無力化したエルキュールは、魔動収納機でハルバードを仕舞いつつ苦悶の声を漏らした。
「やはり、この靄の正体は間違いなく――」
「あのっ! エルキュール、さんですよね? この度はご助力のほど誠にありがとうございました!」
下向きになっていた視線を上げると、疲れた表情でなお笑顔を作っている騎士の男と目が合った。
突然の襲撃を受けこの辺りで魔獣に対し劣勢を強いられていたところを、エルキュールが救ったのだ。
しかしここまでスムーズに連携が取れ、かつ簡単に事が運んだのは、デュランダルの身分も大きく関係していて。誰かに頼ることの重要さを改めて感じたエルキュールであった。
「ええ、見たところ住民には大事がないようで良かったです。しかし……」
「この靄のことですよね。最初は視界が悪く、戦いづらいものだなとしか思ってませんでしたが……」
一帯の危機が去ったことを喜びつつ、エルキュールたちが揃って視線を向けた先には。
「……う、うぁ……ぐ……」
重苦しい表情で地面に蹲り、仲間の介助を受けている騎士たちの姿が点々とあった。
「魔獣の攻撃を受けてもないのに、多くのものがこれだけ衰弱してしまって……エルキュールさん、やはりこの靄に関係が?」
無事である自分の身体を手で触れながら確かめつつ、騎士の男が先ほど中断されたエルキュールの思考を掬いあげる。
この靄――といっても今となってはその濃度も大分薄れているが――について、エルキュールはジェナから聞いた推察を引用することにした。
「もう気づいているかもしれませんがこれは水滴によって発生したものでなく、もっと純粋な魔素反応に由来した現象の可能性があります」
「純粋な、魔素反応……?」
「温度や水分の問題ではなく、大気中に含まれている光の魔素が著しく活性化し、魔力の乱れを引き起こしたんです。そして高濃度の魔素は得てして人体や魔動機械に悪影響を及ぼす。人も機械も堅固な魔素の集合体である以上、周囲の魔素的な環境変化に適応するのは苦手ですから」
もちろん異常をきたすかどうかには個人差も係わってくるが、これほど魔素が溢れかえった場所で安定して活動できるのは、それこそ魔素質の身体を有する魔物くらいのものだろう。
「な、なるほど……お詳しいのですね。では、その魔素異常の原因というのは……?」
「それに関しては分かりかねます。しかし俺の仲間が現在、この魔素を中和している最中ですので、サノワの街に関してはこれ以上悪いようにはならないかと」
エルキュールが結論づけると、まるで言霊が働いたかのようにたちまち辺りを包んでいた白が霧散した。
また魔獣への対処も、エルキュールとグレン、ナタリアが加勢したことで片付いているはず。
諸々が無事に終わったことを確認し、エルキュールは直ぐにグレンらに通信を飛ばした。
「――おう、エルキュール。そっちは一人で大丈夫だったか?」
「問題ない。どうやら君たちのほうも無事だったらしい、ならばあとはジェナとロレッタだけか。靄が晴れたあたりうまくやったようだが」
「ああ……と、そうだ。あいつらが降り立った地点でいうとお前のほうが近い。無事に合流出来たら街の中心にあるでけえ建物に集まってくれ。ここの騎士隊長っつう男がオレ達に用があるんだとさ」
「分かった、彼女たちを迎えたら直ぐに向かおう」
互いに健闘を称えあうと、エルキュールは通信を終える。そのままジェナたちにも連絡を入れ、近くで合流する旨を伝えた。
「――これでよし。さて、用があるので俺はもう行きますが、ここはあなた任せても?」
「はい、問題ありません。魔素中毒にかかった者への治療法ならば、我々騎士にも備わっておりますので」
手持無沙汰になってしまった騎士に軽く謝意を示す。
その言葉通り、この場の収集は彼に任せておけば問題ないだろう。エルキュールは再び会釈して先を急いだ。
「騎士隊長との話、か……。この靄の発生について、何か分かればいいんだが」
そうして憂慮を滲ませるエルキュールの背には、月光に照らされたアルクロットの山脈が妖しく聳え立っていたのだった。