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黒き魔人のサルバシオン  作者: 鈴谷凌
二章「聖域を巡る旅~咲き綻ぶ光輝~」
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二章 挿話②~アヤ~「芽吹き」

「この度は危ないところを救って頂きありがとうございました!」


 春の麗らかな日和(ひより)にそぐわぬ厚着を着込んだ隊商の男を、アヤは手を振りながら見送った。

 その背がヌール外門を抜けて街中に消えていくさまを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。


 襲撃から二週間が経った。彼のように弱体化したヌールに物資を届けに来てくれる者に恵まれていることは、アヤを始めとした住人も喜んでいることでもあるが。

 新たな風を招くということは、新たな問題を抱えるということに等しい。


 例えば、先のような隊商の安全を守ること。あの者たちはヌールまでの道のりの途中で茂みに潜伏していた魔獣どもを刺激してしまい、襲撃に遭うという不運に見舞われた。

 たまたま郊外で戦術の修行に励んでいたアヤが通りすがっていなければ、その命も危うかったことだろう。


「……ふう」


 魔獣との戦闘で乱れた服装を整え、解けた髪を結い直す。薄紫のしっぽ、アヤは満足げに頷いた。

 どんな苦境に立たされようとも、常に余裕を持ち、背筋を伸ばすことを忘れない。酷く崩壊した街に帰還したあの日に立てた誓いを、アヤは胸中で呟いた。己の格好に気を遣うのもその一環だ。


 気合を入れ直し、近場の木に立てかけておいた薙刀を手に取る。東方、スパニオに住まう亜人種が好んで扱う得物は、アヤにとっても頼りになる武器である。

 ヌールの魔法学校に所属していた身であるため、魔法においてはある程度の心得があったが、武術となるとあまり馴染みがない。ゆえに学校が無期限の休校となった今、自ら進んで精進する必要があったのだ。


 また先刻のようなことがあってはならないと、アヤは見晴らしのいい小高い草原に移動して。足元を覆う草が風にそよぐのを感じ、薙刀を両の手で構える。


「おーい! よかった、アヤさん。まだこちらにいらしたんですね」


 精神を集中し、鍛錬を再開しようと意気込んだのも束の間。遠くから溌溂とした声がかかる。ついで、やかましい金属音。

 長身の騎士、名をソーマ・ハイランドというヌール騎士の一員であった。


「何の用でしょうか。まだ定例会議の時間には間があると思いますけど」


 口にしてから後悔する。少し態度が冷たくなっていた。事件を未然に防げなかったのは、何も騎士だけの責任ではないというのに。アヤは八つ当たりめいたことをした自分を恥じる。


「街の復興について話し合う定例会議……魔法に覚えのあるアヤさんに出席頂いているのは助かりますが、今回はそのことではありません。先ほどニースからの隊商を見かけました。聞けば貴女に助けられたとか。この街を守るために色々と協力してくださっていることについて、改めてお礼を申し上げたく思いまして」


 一回りも年下の相手にも関わらず、ソーマの物腰は凪いだ海のようで。気を悪くした素振りも見えない。

 彼の橙色の髪が陽に照らされて輝いて映り、アヤは目を細めた。


「私にとってこのヌールは絶対に守らなくちゃいけない場所であるというだけです……ここは私たちの場所だから。これ以上は、誰にも奪われるわけにはいかないんです」


 視線を戻し、薙刀の刃。銀の表面には決意に満ちた少女の顔。弱冠十六歳とは思えぬ張り詰めた志に触れ、ソーマは悲しげに目を伏せた。


「お兄さんの……エルキュールさんのことは申し訳ありません。気が付いたときにはもうここを発ってしまっていて。声をかける余裕すらありませんでした」


「……ふふっ、別に。怒ってないですよ」


 気を遣わずに笑ったのは久しぶりだと、つまらない感慨が脳裏を掠める。

 当時のエルキュールの様子は、街の復興のため騎士と係るうちに耳にする機会があった。

 アヤにとって世界でたった一人の兄である彼は、頼りがいのある彼は、まさしく絶望の渦中にあった。その絶望を包み込むことが家族であるアヤとリゼットの役目であり、それを果たせなかったからこその現状である。これに関してはソーマを恨む道理などない。


「兄さんに頼られるくらい私が強くなれば……どんな不安も掻き消せるぐらい立派になれば。本当の意味で一緒に暮らせる。その時にこそ私たちは幸せになれると思っています。だからソーマさんも、気を遣って私の修行に口を挟んだり、兄さんの動向を調べたりしてくれなくても結構ですからね」


「は、ははは……まさか後者までお見通しだったとは。しかし気にならないのですか? こうしている間も、我々人間とアマルティアの争いは続いていますし」


「いいえ、兄は強いので。今頃はアマルティアの魔人の一人や二人、倒しているはずですっ」


 不安を跳ね除けるように言い切ってみせる。

 ヌールの街で暮らしていたころのエルキュールは、人目から隠れるためその身にほとんど魔素を蓄えていなかった。言わば長期的な断食。そんな状態では力も満足に振るうこともできない。

 彼が人の輪から離れたのはこうした戦闘面のことを考えた結果でもあると、アヤは長い付き合いから知っていた。


「……ふう、分かりましたよ。貴女がそこまで言うのなら」


「分かってもらえて嬉しいです。であればソーマさんも早くお戻りになってください。私にはまだすべきことがありますので」


「いえ、私も残ります」


 思わずよろめきそうになった身体をアヤはどうにか抑えた。この男には、穏やかな態度とは裏腹な押しの強さがあるようだが。いい加減に稽古へ移りたかった。

 視線を送る彼女を見据え、ソーマは得意げに笑う。その手には抜いたばかりの剣が握られていて。


 悲鳴を上げてしまいそうになるアヤに、騎士は慌てて付け加えた。


「実は私も先ほどまでニコラス隊長の指揮下で郊外の魔獣掃討に尽力してたのですが。負傷してしまって……街に帰されてしまったのですよ」


「……傷は大丈夫なんですか?」


「幸いに。しかし暫くは任務から外されてしまうので、その間に身体が鈍ってしまっては困りますから」


 いきなり剣を抜くものだから肝を冷やしたが、ようやく得心がいった。

 落ち着きを取り戻して薙刀を握りしめるアヤに、ソーマは薄い笑みを返した。その瞳からは、先ほどまでの気遣う姿勢は抜けている。


「どうせ稽古をするのなら試合形式でやりましょう。貴女の覚悟を、私も応援したい」


 爽やかな一陣の風が、晴天の原を駆けた。





 黄昏時。崩壊の跡が癒えないヌール広場に戻ってきたアヤを出迎えたのは、鼻腔をくすぐる芳香であった。

 魔獣の襲撃によって住処を無くした者のために開かれたせめてもの憩いの場では、毎日のように炊き出しが行われていた。


「はい、アヤ。今日もお稽古に、騎士さん達との会議に、色々お疲れだったわね」


「うん、ありがとね、母さん……」


 前掛け姿のリゼットから椀を受け取る。実の母親である彼女の味は、住民のための料理係としても申し分ない。

 滋味に溢れる根菜のスープ。平時ならば喜んで食すところであったが、今日のアヤは趣が異なり、どこか沈んだ表情でその場に立ち尽くしていた。


「まあ、しょうがない子ね。何かあったのなら母さんに話してみなさいな」


 リゼットはすぐ近くに屋台を構えていた女性に一声掛けると、魔動鏡近くに並べられた長椅子にアヤを誘った。

 揃って腰掛ける母娘。傾いた陽に照らされる中、リゼットはひとまず食事を摂るよう娘に勧める。

 やがてアヤは躊躇いがちに椀に口を付けると、少し恥ずかしげに目を伏せながら語りだした。


「その、なんてことはないんだけどね。今日の昼間、稽古していたとき――」


 ソーマ・ハイランドとの練習仕合は、アヤにとってこの上なく苦い結果となった。

 傷を負い、かつ騎士団の任務から外されたばかりの一兵卒であった。それらを差し引くと、日々の鍛錬を活かすには少し物足りないくらいの相手であると見做していたが。

 実際は一方的に魔法の使用を認められたハンデを以てしてなお、僅か一本しか彼に勝利することが叶わなかったのだ。


「それに、途中からは明らかに手加減されているように思えたし。とても悔しかった……」


 アヤの視線の先には、離れた先で同僚と談笑するソーマの姿が。その後の会議も含めて濃い一日を過ごしたにも拘わらず、依然として元気に満ちた様子。

 アヤは投げやりな態度で、石畳の地面に擦りつけるよう脚を伸ばす。ざざっと砂利が混じった摩擦の音。

 それを受け、リゼットは安心したように、あるいはどこか呆れたように吹き出した。


「笑わないでってば。私だって子供っぽい感情だって思っているのよ」


「でも本当に可笑しかったんだもの。てっきり何か恐ろしい出来事に巻き込まれでもしたのかと心配していたから」


「……ふーん」


 まるでそうは見えない。アヤは隣に腰掛ける母親を覗き込む。自身と瓜二つの髪がそよ風に(なび)き、若紫の残像を成した。

 その輝きに見惚れていたのを自覚したアヤは、再び視線を下ろすと地面を刺すように見つめた。


 リゼットは、この女性はやはり強い。昔も、エルキュールが去った時も、今この時も。娘であるアヤに弱みを見せたことなどなかったかもしれない。

 心のひびとなっていた無力感、その亀裂が拡がっていく感覚に溜息を漏らす。


 武術や魔法で自らを飾ってみても、未だ母には気を遣われ、先に行ってしまった兄にも追いつけない。

 強くならんとしたあの日の誓いは果たして無意味なのか、この不足をどのように解消すればよいのか。途方に暮れてしまうアヤに、リゼットはそっと手を握った。


「愛するものがいるからよ」


 子のすべてを見透かしたかのように母が言う。


「そのために自分が何をできるかを知って、焦らずに行動を重ねていくの。驕らず、立ち止まらずにね。母さんもエルも、そうやって愛するものを守るために頑張ってきた」


「……お兄ちゃんも?」


「そうよ。お兄ちゃんはアヤのことが大好きなの。だからあの時だってあなたのためにヒトを超えた力を使った。それが不幸を招くと知ってからは、また別の方法を見つけて私たちを守ってくれた。そうでしょう?」


 これにはアヤも自信を持って返すことができた。魔人であるエルキュールを隠しながらの旅では他人の手も借りることはできなかった。

 険しい悪路も、魔獣の蔓延る荒野も、渡るときには常にエルキュールが先頭に立っていた。


「それで、そのソーマさんとの仕合の時、アヤは何を考えていたの?」


「私は……」


 言葉は最後まで紡がれることなく枯れゆく。答えが見つからなかったわけでも質問の意図が分からなかったからでもない。言葉にする必要に欠けるくらい判然と、自らの過ちに気付いたからだ。


 あの時のアヤは強くなるための修行というより、目の前の相手を上回ることだけに固執していたように思う。

 目的を見失えば、向けるべき刃も曇る。心が乱れれば、身体も思うように動かない。どれも当然のことであり、敗北とは(ひとえ)にアヤ自身の未熟さが招いた必然であった。


「何かを守るって、戦うって、こんなに難しいことだったなんて……全然考えもしなかったな」


 少なくとも想いだけで為されるものではない、アヤは自嘲的に呟く。

 リゼットは、口を挟むでもなく静かにその述懐へと耳を傾け、子の葛藤に寄り添い続けた。


投稿の間隔が空いてしまい、誠に申し訳ございません。次話にもアヤ視点のエピソードを挟み、本編に戻る予定です。

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