発作
気が付けば、冬休みは終わっていた。
今日は冬休み明けの最初の登校日。つまりは三学期の始業式の日だ。その始業式はと言えばついさっき終わり、今は教室で担任の先生が来るのをおしゃべりしながら待っているという状況だ。
「冬休みどこ行った?」とか、「冬休み何した?」とか、「冬休みもっと長かったら良いのに」とか。注意して耳を澄ますと、そこかしこから冬休みでの出来事を話題や愚痴が聞こえてくる。
あぁ、冬休み。私にとっては何の変化も無かったただの二週間。でも、その二週間はとても幸せだった。
朝起きられない私にとって、冬は天敵だ。冬は、その絶大な冷気を以ってして人々を布団の中から這い出す気力を奪い、日の出の時間を遅らせることで、朝日によって目を覚ます時間もまた遅らせる。私の場合は持ち前の遅起きとの効果も相まって、早起きするのはそれはそれは大変なのだ。そのため、冬は目覚まし時計がマストアイテムとなっている。これが無ければ、私は冬の間は毎日遅刻すること間違いなしだろう。けれど、目覚ましに叩き起こされるのは気分が良くないので、出来れば遅起きを治したいものだ。
そんな冬の毎日を送る私にとって、冬休みとはまさに至福の時だった。起きる時間を気にする必要が無く、目覚ましにも叩き起こされない。完全に自分のサイクルで生活が出来たのだ。あぁ、なんて幸せな日々だったことだろう。この二週間で特に何かをしたり、どこかへ遊びに行ったりしたわけでもないのに、朝早く起きなくて良いというだけで私はお腹一杯だった。
しかし、そんな日々は既に過去のもの。今日から再び、目覚ましに叩き起こされる毎日が始まるのだ。
はぁ~、と心の中で溜め息をつく。憂鬱だけど仕方ない。過去のことをずるずると引きずるのは止めて、これからの楽しみのことを考えよう。そう、例えば、これからまた毎日御嶋さんと会えるんだ。
そう思ったところで違和感を感じた。私の丁度隣に座っている御嶋さんは今、文庫本に視線を落としている。それも、私が登校して教室に入った時からずっとだ。普段の彼女なら、私が教室の引き戸を開けた瞬間にこちらへやってきて、「おはよ~、怜佳ちゃん。ね、聞いて?」から始まり、いろんな話を聞かせてくれたはず。それも、冬休み明けならなおさら。それなのに、御嶋さんは朝の挨拶以外口を開かなかった。
御嶋さんのこのテンションの低さの原因は一体何だ? もしかして、冬休み中に何かあったのか? それとも逆に、話題にすることは何もなかったのか? とりあえず、それとなく御嶋さんの冬休みの様子を探ってみよう。
「ねぇねぇ、御嶋さん。冬休みどうだった?」
隣の席に座る御嶋さんに声をかけた。彼女は読んでいる文庫本から一旦顔を上げると、再び視線を本へと戻した。ちょっと顔が赤い気がする。
「どうって。特に……何も無かったよ?」
嘘だ! 何もなくてその反応はないだろう。絶対冬休み中の何かを思い出して赤面してるに決まってる。何が、何があったんだ?
はっ! そういえば冬休みに入ってすぐに御嶋さんからメールが来たんだった。内容は確か、一緒に天体観測に行かないかっていうお誘いだったはず。それには加山くんも一緒だって言ってたから、私は邪魔になるだろうと思って断ったんだった。もしやこの日に何かあったのか?
「そいえばさ、加山くんと一緒に天体観測に行ったんだよね? どうだった? 星、きれいだった?」
今度はそう訊いてみる。すると、御嶋さんの顔がますます赤くなっていく。終いには、読んでいた文庫本で表情を隠してしまった。こんな御嶋さん見たこと無い。
「うん、きれいだったよ。流れ星とかも、見れたし」
「へぇ~、流れ星かぁ。そういえば、あの日に流星群がくるってニュースやってたなあ」
一体どうしたの、御嶋さん。前は私のことお構いなしに加山くんとの惚気話を聞かせてきたじゃない。それが今はこの有様だ。これは……やっぱり、
「加山くんと、何かあったの?」
「っ!? そそ、そんなこと……」
唐突な私の質問に驚いたように顔を上げ、否定しようとする御嶋さん。あからさまな反応だった。でも、さすがに誤魔化せていないことに気付いたのか、観念した御嶋さんは静かに口を開いた。
「あ、あたしね、告白……されたんだ。加山くんに」
やっぱり、やっぱりだ! 遂にやったんだ、加山くんは。
「そ、そうなんだ。それで、どうしたの? まさか断ったわけじゃないよね?」
普通、告白されたなんて話をされたら、えぇ~っと声を上げて驚きそうなものだ。私もそれに倣って、全く知らないふりをしてそうするべきだったと、妙に落ち着いた頭で反省した。しかし、そんな私の変わった言動を微塵も気にかけていないのか、御嶋さんはそのまま続けた。
「うん、あたしも、同じ気持ちだったから」
「つまり、御嶋さんと加山くんはお付き合いすることになったってこと?」
「……うん」
彼女は小さく頷いた。
あぁ、なんて感動的なんだ。一途に思い続ける男と、自分の気持ちに気が付けない女。その2人が逢瀬を重ね、遂に結ばれるなんて。あ、いや。まだ結婚はしてないけど。
ともかく、これで私の目的は果たせたも同然。これからの私のするべきことは、2人の関係を可能な限り応援することだろう。
……だから、
「それは良かったね、御嶋さん。2人ともすっごくお似合いだと思うよ。わぁ、そんな良い報告を聞いたら、私まで嬉しくなっちゃうなぁ」
これから私は、こんな心にも思ってないことを口にしなければいけない。
心の中にもやもやした気持ちを感じながら、気付けば私は唇を噛んでいた。
御嶋さんは前に比べて元気がなくなったように見える。いや、慎ましくなったと言ったほうがいいか。以前は自分からいろいろな話題を振ってきたのに、今日の御嶋さんはやけに静かだ。私が話かけても、「うん」とか「そう」そか、生返事を返されることだってある。
特に加山くんと一緒にいるときはさらに顕著になる。ちらりちらりと上目遣いに加山くんへ視線を送るけれど、目を合わせられないらしく、加山くんの前では俯いてしまう。きっと恥ずかしいんだろう。なるほど、恋をすると性格が変わると言うが、御嶋さんの場合はこうなるのか。
あれからHRを済ませ、今は下校中だ。今日は始業式という事で学校は半日で終わり。お日様の温かみを全く感じない昼間の帰り道を御嶋さんと一緒に歩く。今日は美術部の活動は無いようだ。
2人で歩くときも御嶋さんの慎ましさは発揮されるようで、教室を出たときから私の半歩後ろをついてきている。加山くんと一緒なら分かるけど、なぜ私に対してもこうも奥ゆかしいのかな。どうにもこの距離感がむず痒い。私はこれまで通り楽しくお話したいのに。
「ねぇ、御嶋さん」
肩越しに呼びかける。
「……ん、なあに?」
俯き気味の彼女からワンテンポ遅れて返事が返ってくる。
「今、何考えてたの?」
今度の沈黙は長かった。私がそう問いかけると、さらに御嶋さんは下を向いてしまい、表情を前髪で隠してしまった。
30秒くらい経ったと思う。私は質問の答えが返ってこないと諦めたかけた頃、不意にポツリと御嶋さんが何かを呟いたのが聞こえた。
「か、加山くんのこと……」
確かに、私の耳にはそう聞こえた。
そっか。今の御嶋さんは頭の中が加山くんのことで一杯だから、私のことは眼中に無い。そう言うことですか。
途端に怒りが込みあがってきた。私のことを見てくれない御嶋さんに対してじゃない。加山くんに対して嫉妬の念を持ってしまう自分に腹が立つのだ。分かっていたことなのに。自分がこうなることを望んでいたはずなのに。それなのに、加山くんに対しての黒い感情が湧き上がって仕方ない。私から御嶋さんを奪ったあいつが許せない!
だめだ、落ち着け、落ち着け。そう自分に言い聞かせる。そんな感情を表に出してはいけない。せめて、御嶋さんの前だけでも平然を装わないと。私は怒りに震える右拳を左手で押さえつつ、笑顔を繕う。
「ふふっ、そんなに加山くんのことを想ってるなんて、加山くんは幸せ者だなぁ」
「そ、そうかなぁ。でも、あたしは加山くんと恋人になれて、幸せ、かな」
心の中で絶叫が木霊する。もういやだ。こんなに近くに御嶋さんはいるのに、彼女は全く私のことを見てくれない。気にかけてくれない。それがこんなにも辛く、苦しいことだなんて。
加山くんへの憎悪が増していく。しかし私は唇を必死に噛み締めてそれに抗った。笑顔は崩さなかった。
……それは突然やってきた。
「っ!!」
胸に激痛が走った。発作だった。それも、これまでに体感したことのない程の大きさだ。まるで、雷にでも撃たれたかのような鋭い痛みが走る。それが続けざまに降りかかる。痛い。痛くてしょうがない。私は胸を押さえてその場にうずくまった。
誰かが何かを言っている。でも、何を言っているのか、誰の声なのかすら聞き取れない。自分の声ですら耳には届かなかった。
そのうち目の前が真っ暗になった。胸の痛みしか感じなかった。そして、私の意識もその痛みへと飲み込まれていった。
目を覚ますと、そこは一面真っ白な空間だった。白い天井に白い壁、白い床に、白い掛け布団。もはや見慣れた風景だ。
おそらくここは、私の通う学校からほど近くにある病院だ。学校帰りに倒れたんだから間違いないだろう。
……そっか。また、発作で倒れちゃったのか。右手を胸に当てる。痛みはもう治まっていた。
私が倒れた時、御嶋さんも一緒だった。彼女はさぞ驚いたことだろう。そして、私が今こうして病院のベッドの上に寝かされているのは、きっと彼女のお陰だ。迷惑、掛けちゃったなぁ。今度会ったときにお礼を言わなくちゃ。
カーテンの隙間から漏れるオレンジ色の光が、私に今の時間を教えてくれる。結構長い間気を失っていたらしい。
ここに来て、私は自分の左手が何かを握っているのに気が付いた。温かくて、柔らかいこの感触は……。
視線を左へと移す。そこには、私のベッドの縁にもたれながら、すやすやと寝息を立てている女の子がいた。御嶋さんだった。彼女は眠りながらも、その右手は私の左手を握っている。
もしかして、ずっと一緒にいてくれたのかな。私がここに運ばれてから、ずっと。
「ありがとう……」
自然と、口から言葉が漏れていた。
すると、不意に御嶋さんが首をもたげた。彼女は眠そうに左手で目蓋をこする。その間も、右手は私の左手を握っていた。
「ん、ふわぁ~~。ん~、怜佳ちゃん?」
大きなあくびと共に私と向き合う。まだ寝ぼけているようだ。
「ん~、れいか、ちゃん? はっ、怜佳ちゃん!」
「わわっ」
ようやく頭が覚醒したかと思った途端に、御嶋さんは急に私に抱きついてきた。
「あぁ、よかった。よかったぁ。あれからもう起きないんじゃないかって。心配で、心配だったんだよ?」
私を抱きしめる力が徐々に強くなる。胸が締め付けられる~。
「く、苦しいよ、御嶋さん」
ぱんぱん、と御嶋さんの肩を叩く。御嶋さんははっと我に返って、私から離れる。
「ご、ごめんね。つい、嬉しくって」
流れる涙を拭いながら、御嶋さんは続ける。
「急に倒れちゃうんだもん。病院の先生は大丈夫だって言ってたけど、それでも心配で」
やっぱりまだ寝ぼけてるのか、御嶋さんの言ってることはよく分からない。けれど、御嶋さんが私のことを想っていてくれたってことは分かる。それが、私は嬉しかった。
「御嶋さん、ありがとう」
「うん。怜佳ちゃんが無事で本当によかった」
今度は面と向かって感謝の言葉を告げる。御嶋さんは涙ぐみながらも、笑顔でそれに答えてくれた。




