32 裏
エルセットは、悩みがある。
「トルおじいちゃん。どうしてうちのお父さんとお母さんはいつもツンツンしあっているんだろう?」
エルセットのその疑問に、トル・ソチエトは黙り込んだ。
しばらくしてから、こう言った。
「夫婦っていうのは、外側からでは全く分からないものがあるもんなんだ」
答えになっていないような気がしたが、それでも真面目に答えてくれるので、エルセットはこの相談役を逃がしてはならぬと、勢い込んで続けて言った。
「あのね、お母さんは僕に『あなたは私の一番愛した人の子供だもの。産まれてきてくれて嬉しかったわ』って言うの」
「ふむ」
「でね、お父さんも僕に『お前は俺が一番愛した人が産んでくれた子供だよ』って言うの」
「ああ」
そこまではソチエトにも分かる。というか、あの日々を知る人間は誰もが知っている。
「ということは、お父さんとお母さんは、世界で一番愛し合っているってことになるよね」
「・・・・・・ああ、まあ、・・・そうだな、どうなんだろうな」
さすがのソチエトもそれに同意できるほど嘘つきにはなれなかった。しかし子供の心を思うと否定もできなかった。
「なのにね、お父さんとお母さんは、僕の前ではお互いに『お父さん』『お母さん』って呼んでいるのに、僕のいない所では『ヘタレ』『小娘』って呼んでるの。・・・・・・愛している人ってそう呼び合うものなの?」
トル・ソチエトにとって匙を投げるしかない難問であった。
どう答えればいいのだろう。あいつらには子供に聞こえない所で言えと忠告しておけばいいのか?
「エルセットのお父さんとお母さんの愛はともかくとして、二人ともお前を愛しているのは確かだ。いいか、エルセット。大切なのは、その心の本質を見抜くことだぞ」
重々しく語りながら、ソチエトはエルセットの黒い瞳を見つめた。かつて、自分がよく見ていた瞳の色だ。
あまりにも突然だった。
カロンが後を追わなかったのは、おそらくそれだけはするなと命じられたからなのだろう。
カロンがあの人の命令を聞かなかったことは枚挙にいとまがない。甘いことにあの人もどれ程カロンが命令に背いてもせいぜい殴るだけで済ませていた。
だが、それでも。あの人が口にしない望みを常にカロンは叶え続けていた。
そしてルーナ姫がいなかったら、このエルセットの世話もままならなかった。
カロンとルーナ姫の間に愛はないだろう。だが、かつてあの二人が向けた愛を確認しあえるよすがはここにある。
そういう絆もあるのだ。
ソチエトはあどけない子供の頭を撫でてやった。
嬉しそうに子供が笑う。ああ、本当に、平和な時代になったものだ。
「僕も好きな人ができたら、『小娘』って呼ぶのかなぁ」
「それだけは絶対にやめておけ」




