25
その日の夕食でカンロ伯爵は妻に、
「君に頼みたいことがある」
と、切り出した。
「何かしら、あなた。私にできることなら何でもおっしゃって」
「実は、今度王都で舞踏会があるそうなのだ」
すると小さなフォルが首を傾げる。
「ブトウカイってなんですか、エイリねえさま?」
「大勢の人が着飾って、大きなお城の広間で踊ることよ。いずれあなたもダンスを覚えたら、可愛い女の子と一緒にそういう場所で踊るの」
「ダンスならもうできます」
「あれは一人で踊るダンスでしょ。もう少しあなたが大きくなったら、そういう女の子と二人で踊るダンスを教えてあげるわね」
どうもクマのダンスでは駄目らしい。
フォルはエイリを見上げて尋ねた。
「いまはダメですか?」
「もっとフォルが大きくなったら、ね。大きくならないと踊れないのよ」
「じゃあ、エイリねえさまはできるのですか?」
「ええ。ロレアもできるわよ」
「すごいです、ロレアねえさま」
「・・・ふっ、覚悟なさい、フォル。お姉様は鬼のようにスパルタで仕込んでくるわよ」
ダンスとは面白いものだと思っていたが、ロレアの目が怖い。
楽しく体をフリフリ動かすのがダンスではないのか。
フォルはちょっと怖くなった。
「そうなのですか、エイリねえさま?」
「ばかね。そんなことあるわけないじゃない。私がフォルに鬼のようだったことがある?」
「いいえ」
「でしょう?」
そんな二人を見ながら、
「いざとなったら分かるわよ」
と、ロレアは小さく呟いた。
エイリはカンロ家の名誉がかかる事態となればどこまでも厳しい。今は幼いから甘やかされているが、フォルも大きくなったら、エイリの真実を知るだろう。
そんな子供達をよそに、カンロ伯爵は妻に告げる。
「王都での舞踏会は盛大なものになるらしい。エイリとロレアも参加させようと思っているのだが・・・」
「まあ、素敵ですこと。では王都に?」
「そうだ。しかしフォルは無理だろう。そういった移動の間に命を落とす子供は多いのだ」
「そうですわね。そういえばフィルチャ様もそれでお嬢様を亡くされたとか」
「だからフォルは留守番だ。フォルはここに乳母と置いていく」
「仕方ありませんわね。フォルに何かあってはいけませんもの。ですけど・・・ねえ、あなた。それなら私もこちらに残りとうございます。エイリとロレアの支度も心配ですけど、エイリはしっかりしていますし、あなたが一緒なら何も心配ありませんわ」
「えっ。ちょっと待ってよ、お母様。私が可哀想だと思わないのっ。お母様がいなかったら、遠慮なくお姉様が私をしごきにかかるのよっ!? お姉様が目をつけた男に、私が売られても構わないって言うのっ?」
「ほほほ。まあ、何を言ってるのかしら、ロレアったら。本当にお茶目さんなんだから困りますわね。もう少しカンロ家の娘に相応しい言動を心がけてほしいものですこと。・・・お任せください、お母様。お母様の代理として恥ずかしくないよう努力してまいりますわ」
何がお茶目さんか。やる、エイリはやる。
ロレアはそう思った。
カンロ家の為になる男がいたら、妹をそのまま結婚式とセットで売りとばすことなどお茶の子さいさいで実行する。
たしかに自分は美人かもしれないが、あいにく自分はそういう使われ方をする気はないのだ。エイリだけが分かっていない。しかし、・・・駄目だ、父は分かっているはずだがあてにならない。エイリがやるなら止めずにいるかもしれない。考えてみれば、父もかなりひどい人間だ。
「短い期間といえども君と離れるのは寂しいよ、リネス。けれども君が産んでくれた娘達はあまりにも君に似て美しい。変な男に目をつけられぬよう守ってみせると、君に誓おう」
「まあ、あなたったら。だけど、私があなたに出会ったように、エイリとロレアもあなたみたいな素敵な方と出会えるかもしれませんもの。そういう時はどうか邪魔しないであげてくださいね?」
「ああ、約束はできないがね」
「困った方。そうしたら明日は仕立て屋を呼ばなくては。ドレスを幾つか作らなくてはなりませんわね」
「それなのだが、ついでにカレンのも仕立てておいてもらえるかい?」
「あら、カレン様もいらっしゃるの?」
「君が行かないのなら仕方がない。カレンを連れて行こう。ああいう舞踏会に侍女を連れてはいけないが、カレンなら同行させても問題ない。ちょうど明後日にでも、こちらに着く予定になっている」
「まあ。それなら急いで部屋を整えさせなくては。そうね、カレン様がいてくれれば安心だわ。やはりあなたがお付き合いで離れた隙に、変な殿方に目をつけられたら二人だけではどうしようもありませんもの」
「ああ、本当に君はとても分かっている女性だ、リネス。頼むよ。カレンはすぐ帰るつもりらしいが、どうせなら王都まで連れて行ってしまおう。ああ、カレンのドレスは君が絶対に見立ててくれよ? カレンの希望は聞かなくていいから」
「ふふ、任せてくださいませ。カレン様には何色が似合うかしら。ああ、素敵ですわ。カレン様も良い出会いがあるかもしれませんもの」
姉の陰謀に引っかからないようにするにはどうするべきかと考えていたロレアは、両親の会話を聞いていなかったのだが、「カレン」の単語に、ハッと反応した。
「えっ、カレン姉様が来るの? ホント? ・・・良かったぁ。私一人でお姉様ってのはキツイもの。お父様、逃がさないでよね」
「カレンさまってだれですか、エイリねえさま?」
「お父様の弟の娘になるから、あなたの従姉になるわ。カレン姉様って呼べばいいわよ」
「おとうさまのおとうと? ボク、あったことありますか?」
「あなたが産まれる前にお亡くなりになったの。だから知らなくても仕方ないわ」
そう言いながら、どうしてカレンがここに来るのかと、エイリは考えていた。
舞踏会の知らせは自分も目を通したが、カレンがやってくるだなんて知らせは見ていない。
父は全てを見せてくれるが、そういった質問には答えてくれないのだ。
エイリは感情を隠すかのように、目を閉じた。
結局、自分はまだまだなのだ。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
フォルは、何となく目が覚めた。
今日は城に仕立て屋が来ていて、次々と広げられていく色とりどりの布がとても綺麗だった。
フォルもはしゃいで、
「エイリねえさまにはこのいろがにあいます」とか、
「ロレアねえさまはこのおはながにあいます」とか言っていたのだが、あまりにも色々な布が散乱していくものだから、疲れて途中で眠ってしまったのだ。
そういえば「夕食ですよ」と起こされたような気もするのだが、眠かったので起きられなかった。
(おなかがすいた、かもしれない)
枕元の机に、お皿が置かれていた。
多分、隣の部屋に寝ている乳母を呼べば、起きて灯りをつけてくれるだろう。
だけど暗闇は怖くなかった。それに満月の光がうっすらと差し込んでいる。
冷えたスープを飲む。冷えていたけどおいしかった。パンも齧る。お腹がいっぱいになった。
「そうだ、ぼうけんにいこう」
目が冴えてしまった。せっかくだから城の探検に行こう。
上着を羽織り、靴下と履き物を出してくる。そうっと扉を開けて暗い廊下に出ると、フォルは城の庭へと向かった。
― ◇ – ★ – ◇ ―
フォーッ、フォーッと、鳥の鳴き声が闇に響いている。
「こ、怖くないもんっ」
慣れ親しんだ城の庭は、夜になると全く違っていた。何か分からないけど、ガサガサッと何かが音を立てていたりもする。
フォルはちょっと後悔していた。いや、だいぶ後悔していた。
怖くて前に進めない。だけど戻るのも怖い。
「こんな所で何をしているのかしら、小さな冒険者さん?」
「ひっ」
そんなフォルに、後ろから声がかかる。びっくりしてひっくり返ったフォルに、慌ててその人は駆け寄ってきた。
「驚かせるつもりはなかったんだけど、ごめんなさいね。ふふ、フォル様でしょう?」
「なんでしってるの?」
「伯爵と奥様そっくりのお顔立ちですもの。すぐ分かりますわ」
そう言って、その人はフォルを抱き上げる。
シャツとズボンの上から、肩からまっすぐ前面と背面に垂れ下がる変わったデザインの上着のような衣装をつけたその人は、綺麗な巻き毛をしていた。
カンロ伯爵家の人間はまっすぐな髪をしているので、こんなにもクルクルと巻いている髪の毛は珍しい。フォルはその人の顔にかかった巻き毛に手を伸ばす。
「かみのけがクルクルです」
「あら、巻き毛が珍しいのかしら。そうね、そう言えばカンロ伯爵家の方はみんな直毛の髪だものね」
「あなたはだれですか?」
「カレンと申します。お目にかかれて光栄ですわ」
「あした、くるっていうカレンねえさまですか?」
「・・・カレンで良いのですけど、仕方ありませんわね。エイリ様にも困ったものですこと。ええ、ちょうど今到着したのですが、こちらにフォル様がいらしているのを見かけたので追ってまいりましたの。さ、冒険はまた今度にして、一緒に城に入りましょう。私も少し夜食を頂いてから休ませていただき、明日、伯爵に挨拶してお暇申し上げる予定ですので」
「カレンねえさまはいっしょにおどりにいくってききました」
「はい?」
「カレンねえさまは、あかいバラがにあいそうです」
「・・・はぁ?」
― ◇ – ★ – ◇ ―
厨房横にある使用人用の部屋で、カレンとその従者達が夜食をとるのを、フォルは粗末な椅子に腰かけながら興味深く見ていた。
普段、こういった所にフォルは入れないのだが、カレンから離れないフォルの様子に、
「客人が珍しいのでしょう。あとで部屋に送り届けておきますから」
と、カレンがとりなしてそのまま抱っこして連れてきてくれたのだ。
カレンの言葉はフォルよりも使用人達に通じるらしい。カレンの食事も、
「お嬢様のお部屋に運びますから」
と、言われていたが、
「面倒だからここで食べていくわよ。騒がせる方が悪いわ」
と、従者達と共にここに直行したのだ。カレンはフォルよりもこの城に詳しいようである。片づけもしておくからと、使用人達も下がらせてしまった。
フォルにも温かい牛乳が出される。ちびりちびりと飲んでいたら、ちょうどカレン達も食べ終えたらしい。従者達は慣れた手つきで皿を片付けて洗いに行った。
「さあ、お部屋に戻りましょうか」
フォルを自分のマントでくるんでいたカレンは、マントごとフォルを抱っこすると、そのまま暗い廊下を歩き出す。ランプを持った使用人が案内に立つ。
「滅多に来ないので客室でいいのですけど」
「カレン様にはロレア様と同様の待遇をと、命じられております。カレン様のお部屋はいつでもお使いいただけるようになっております」
カレンが苦笑する様子を、フォルは不思議な気持ちで見ていた。
家族と違う人間、たとえば他の貴族や使用人は、フォルに話しかけてくる時もそれなりに距離のある話し方をするし、滅多なことでは触れてこない。
だけどカレンは話し方こそ使用人のように丁寧だが、フォルに対して家族のように触れてくる。カレンはまるでもう一人の姉のようだ。
(だからカレン「ねえさま」なのかな。それならずっと、・・・そばにいてくれたらいいのに)
黒い髪がくるくるとしていて、フォルにはとっても不思議だ。
「カレンねえさま。いつか・・・ボクと、クマのダンスをおどって・・・ください」
「クマ? ・・・あ、寝ちゃってるわ。寝ぼけてるのね、ふふ、可愛い」
「フォル様は人見知りが激しいのですが・・・。どうもカレン様は特別なようですね」
運ばれている内に、フォルは眠ってしまったらしかった。乳母に起こされたら朝だった。
夕方になって改めてフォルの部屋に来てくれたカレンを見て、フォルは昨晩のことが夢じゃなかったことを知った。
― ☆ ― ★ ― ◇ ― ★ ― ☆ ―
ユリアナは、小さく折り畳まれた紙を取り出した。
「やっぱり五回に三回は駄目だってことかぁ。二本立てで行くのがいいんだろうけど、数に限りもあるわけだし。この問題だけは悩ましいわよね、いつでも」
毎回、お互いに出す書簡を数字でナンバリングして隅に書いてあるので、駄目だったものは数字が飛ぶから次の時点で分かるのだ。
だが、五回に三回駄目になるのであれば、まだマシだとも言えるだろう。別に機密でも何でもないから、こんなあやふやなことができているのだが、便利なのか不便なのか。
そろそろセイムとの別れも近いようだと、ユリアナは思った。
「けど、そうなるとどうするのかな」
依頼を、ユリアナはまだ果たしてはいない。カンロのエイリ姫など、姿すら分からないままだ。
カンロ領は貿易に力を入れているようで役人の数も多い。全てが細分化され、役割が決まっているのだ。噂によるとエイリ姫はかなりの才媛とか。
占いやおまじないどころか、書類に埋もれて様々な指示を飛ばしているらしい。
(若くて持病もない、仕事に生きるお姫様とどうやって接点が持てるって言うのよ。無理に決まってるじゃない。・・・・・・ああ、だけどこれでセイランド様を裏切らずにすむ)
ユリアナは空を見上げた。水色の空は雲一つなく澄んでいる。既に見慣れた、セイムの瞳の色だ。
あの日、自分を見下ろした瞳を思い出す。今の自分を見たら、お師匠様は何と言うのだろう。




